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鬱くしい物語

王妃ルドミラは毒杯をあおぐ

 夕焼けは悲しいほどに美しかった。



 沈みゆく太陽。


 地平は黄金に染まり、雲はその色を映している。


 上空は夜を支配する女神によって群青の(とばり)が下ろされつつあった。


 ルドミラはその帳の中に、星が一つ瞬いているのを見つけた。



 今にも消えてしまいそうな、かすかな光を放つ星。



 その星に自身の運命を重ねたとき、部屋の扉が音を立てて開かれ、複数の足音によって静寂が打ち破られる。


 ルドミラが喪服の(すそ)をひるがえして振り返ると、そこには銀色の甲冑と真紅の外套をまとった金髪の美しい青年が、兵士たちを従えてたたずんでいた。


「終わりましたか」


 ああ、と金髪の青年――アレシュ王は答えた。


 秀麗な顔に複雑な感情を浮かんでいるのを、ルドミラは黒のベール越しに認めた。 


 アレシュ王が片手を上げると、兵士たちは無言で立ち去り、扉が閉まる。


 侍女たちはとうに下がらせていたため、ルドミラはアレシュ王と広い部屋に二人きりだった。


「父は最後に、なんと」

「呪われよ、と」


 ルドミラは思わず目を伏せた。


 さぞ憎しみに満ちた顔で吐き捨てたのだろう。


 その姿を容易に想像できたルドミラは「申し訳ありません」と小声で言い、その場にひざまずいて(こうべ)を垂れた。


「国王陛下」


 返事はない。


 ルドミラはさらに深々と頭を垂れる。



 つむぐ声から、可能な限り感情をそぎ落とす。



「我が父の愚かな行いを心よりお詫び申し上げます。ドラーク家の最後の一人として、どのような処罰をも受ける所存でございます」






 ルドミラは国土の三分の一を有する大貴族の娘だった。


 十四で当時王太子だったアレシュに嫁ぎ、十八の時、王妃の冠をその頭上に頂いた。


 子は、男児を二人、女児を一人産んだ。男児二人は問題なく育ったが、女児は一歳になる前に亡くなった。


 アレシュ王との関係は良好とは言えなかった。


 アレシュ王に原因があったわけではない。 


 夫として礼儀正しく振舞おうとする彼を、ルドミラが拒んだのである。


 拒まねばならない理由が、ルドミラにはあった。


 それはとても愚かな理由で、王妃としてもドラーク家の間諜としても失格で、だからこそルドミラは誰にも打ち明けることなく生きてきた。


 やがて父が謀反を起こした。


 野心家な父は、王家に娘を嫁がせるだけでは飽き足らなかったらしい。


 いや、野心家だったからこそ、国土の三分の一と王家に匹敵する力を持ちながら、一臣下のまま人生を終えることをよしとしなかったのだろう。


 自らが玉座に就こうとした。


 そして失敗し、アレシュ王の手によって処刑された。




 ルドミラは本来なら、高貴な罪人が入れられる北の塔に軟禁され、誰にも会わせてもらえないまま処罰を待つはずの身であった。


 それをまぬがれ、自室でいつも通りに過ごせているのは、彼女が拒絶し続けたアレシュ王のおかげだった。






「王子たちはどこにいる?」

「すでに城を出ております」

「どこへ連れて行った」

「行き先は存じ上げません。信頼できる者にたくしました」


 アレシュ王の端正な顔が歪んだ。


「なぜ」

「行き先を知らなければどんな拷問をされても吐かずに済みますゆえ」


 夜のうちに王子たちを城から逃したのは、どんな人生を送ってでも、城以外の場所で生き延びてほしいという思いからだった。


 このまま城に残れば、自分が亡くなった後、どのような目に遭わされるかわからない。


 庶子に格下げされるだけならまだいい。


 適当な爵位を授けてもらって、どこかの土地で静かに生きていけるなら――。


 だが、現実はそう甘くない。


 王位継承権を失ったとしても、王家の血筋を継いでいるというだけで、欲に目がくらんだ者たちは二人を放っておかないだろう。


 殺されるかもしれないし、殺されるよりもひどい境遇に追い込まれるかもしれない。


 そんなことになるくらいなら、多少貧しい思いをすることになっても、権力から遠い場所で生きてほしい。 


 それがルドミラの母としての願いだった。


「陛下、子らのことはどうかお見逃しください。あの子たちを愛しているのであれば、どうか……」

「あの子たちは王位の継承者だ」

「お世継ぎでしたら新たなお妃様が産んでくださるでしょう。玉のような姫君も、今度こそ」

「新たな妃だと?」


 アレシュ王が近づいてくる。


 ルドミラは腕をつかまれて立たされ、体を揺さぶられた。


「妃はあなただ! 次などいない!」

「いけません、陛下。わたくしは反逆者の娘です。父と一族の者たちと同様に、厳罰を受けねばならぬ身です」

「あなたは功労者だ! 反逆の計画があることを事前に知らせてくれたのだから!」


 その瞬間、ルドミラの胸を痛みが貫いた。


 それは父を、一族を裏切ってしまったことに対する罪の意識だった。


 アレシュ王から離れ、後ろに下がる。


「なお罰を受けねばなりません。父を、一族を売ったのですから。何より、後ろ盾を持たぬ身ではこの宮廷で生きていけません」

「私がいる! 私があなたを守る!」

「臣下の皆様方が納得なさらないでしょう」

「……っ!」


 アレシュ王は口を閉ざし、拳を固く握りしめた。



 沈黙が二人を(へだ)てる。



 宵闇が、濃くなっていく。



「息子たちはどこにいる。あの子たちがいればあなたの地位も……」

「あの子たちが宮廷で生きていくにはなおさら強力な庇護者が必要になります。ですが、こうなってしまってはどなたも引き受けてはくださらないでしょう」

「私が説得する」

「いいえ。新しいお妃様をお迎えなさいませ。国内の貴族の娘では派閥争いが起きますゆえ、次こそは一国の王女を」

「ルドミラ!」 

「わたくしを牢へお連れください」

「そんなことはしない!」

「厳罰を」

「もういい! 黙れ!」

「お裁きを下してはいただけないのですか」

「黙れと言っただろう!」


 ルドミラにはアレシュ王の考えが理解できなかった。


 なぜ死を(たまわ)ってはくださらないのだろう。


 反逆者の娘としてこの先も生きていけというのだろうか。後ろ盾も持たぬまま、この宮廷で。父と一族を裏切った罪の意識を抱えたまま。


 ――それがわたくしへの罰なのだろうか。


 それともこれは、陛下なりの温情なのだろうか。


 生きてさえいれば、時間がすべてを解決すると思っているのだろうか。


 ルドミラは身をひるがえし、部屋の中央に置かれたテーブルに近づいた。


 銀の(さかずき)を手に取る。


 半ばまで注がれた液体は葡萄酒(ぶどうしゅ)に――毒を混ぜたものだった。


 ベールをめくり上げて一息に仰ぐと、後ろから伸びてきた手に盃を取り上げられる。


 振り返った先にいたのは険しい顔をしたアレシュ王だった。


「何を飲んだ」

「毒です」

「なんということを!」


 アレシュ王が血相を変える。


 ルドミラは胸のあたりに強い痛みを感じてうめいた。


「わたくしは反逆者の娘。死な……なければ……」


 ゴボリ。


 真っ赤な血が口からあふれ出し、顎を、首を、胸を濡らす。


 (ひざ)からくずれ落ちそうになったところアレシュ王に抱きかかえられた。


 ルドミラの視界はすでに霞みつつあり、銀色の甲冑が赤く染まるのを、夢の中の出来事のように感じていた。


「ルドミラ! ルドミラ! ――誰か! 誰か来てくれ!」


 音を立てて扉が開く。人が入ってくる。


 ベールが取り払われる。


 乱れた黒髪が額に、頬にかかる。



 血が、あふれる。



「医者だ! 早く医者を!」


 ルドミラが飲み込んだのは一族に伝わる暗殺用の毒だった。致死性の毒で、口にした者は絶対に助からない。


「へい……か……」


 手を伸ばし、なめらかな頬に触れる。


 伝えたかった。伝えなければならなかった。




「おしたい、もうしあげて……おり、ました」




 アレシュ王の両目が大きく見開かれ、海を思わせる紺碧の瞳が揺らいだ。


 ルドミラはドラーク家の間諜だった。


 王家との繋がりを得るためだけではなく、情報を手に入れるために送り込まれた存在でもあった。


 ルドミラは己の役目を理解していた。


 それなのにアレシュに――美しい王子に、出会った瞬間、恋をしてしまった。


 ルドミラはアレシュが不利になるような状況を作りたくなかった。


 かといって父を、一族を、完全に裏切ることもできなかった。


 だから、アレシュと距離を置いた。


 彼を拒絶し、必要最低限しか関わろうとしなかった。


 自分で自分を、重要な情報を手に入れられない立場に追い込んだのだ。


 父にはどんなに責められても、王に愛されていないから仕方がない、と言い訳し、大した影響のない情報しか流さないようにした。


 そして最後には父ではなく、アレシュを選んだ。


 ――だって、愛していたから。


 彼と、彼との間にできた子どもを。


 死ぬことになるとわかっていても守りたかったのだ。


 ――ずっとずっと、好きだったから。焦がれていたから。


 本当は、仲睦まじい夫婦でありたかった。


 手と手を取り合い、寄り添い合い、走り回る子どもたちを笑いながら眺めているような、そんな夫婦でありたかった。


「ルドミラ! ルドミラ!」

「おゆるし……ください……どうか……おゆるしを……」

「もういい! 喋るな!」


 ルドミラは紺碧の瞳を見つめながら願った。


 どうか。どうか。


 大事なあの子たちを。王子たちを。どうか。


 目を閉じる。全身から力が抜け、手が自然と落ちる。


 ルドミラを包み込む暗闇は穏やかで静かだった。 


 悲鳴のような声が聞こえたような気がしたが、ルドミラのまぶたは鉛のように重く、あとは深い眠りに沈んでいくばかりだった。




〈了〉


最後までお読みいただきありがとうございました。


評価などしていただけますと大変嬉しいです。

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