恐怖の宰相、敵か味方か2
そして、ほんの一瞬、それこそ見間違いだと思うくらいに少しだけ、宰相は口元を緩めた。二度見した時には、既に元の冷たい表情に戻っていたため、それこそ本当に見間違いだった気もしてくるけれど、少しでも笑う宰相を想像するなんてことはきっとない。だから、たぶん笑ったのだ。
その笑みが何を意味するのかは分からないけれど、
「では、トウジョウ様、と呼ばせていただきます。
異界からの客人、ましてや困っている状況なのでしたら、国として援助しない理由などありません」
慇懃無礼な口調はそのままだが、ほんの少し態度が軟化したように思う。半ば自棄になって言い返したくらいしか理由は思い浮かばないけれど、それが宰相の何かに触れたのかもしれない。
しかし理由はともかく、助けてくれるというのならありがたいことだ。望んでいたことだし、乗らない手はない。
「ご迷惑をお掛けします。できるだけ早く皆様の手を煩わせないようにしますので、それまでの間、お世話になります」
宰相の気が変わらない内に、と思わず捲し立てるような早口となってしまったが、感謝の念とともに深々と頭を下げる。こんなにとんとん拍子に事が順調に進んでいいのだろうか、と疑ってしまうほど順調すぎる。自分で言うのも何だけれど、身元も分からない謎の女を保護するだけでなく、援助までしてくれる。何か裏があるのかも、と考えてしまうも、具体的にどうなるのかまで想像できるほどの情報はまだ持っていない。だから今は、彼らが善意で動いてくれていると信じて、ありがたく恩恵を受けるのが一番の得策のように思えた。
「できるだけ早くとは言わず、全然ゆっくりと慣れてくれていい。見知らぬ人、見知らぬ土地で不安なことも多いだろう。まずは身と心を落ち着けるのを最優先にしてくれて構わないからな
宰相。ユーリを第三級賓客として遇せよ。それ相応の対応を頼む」
「かしこまりました、殿下」
恭しく礼をして、宰相は準備のためだろうか、くるりと背を向け王城へと帰っていく。そこでやっと、全身を覆っていた緊張が緩んだ。そうしたら同時に力も抜けてしまい、思わずたたらを踏んでしまった。
「おっと、大丈夫か?」
「すみません、何だか力が抜けて」
すぐ側にいたライルさんに支えてもらう。その安定感にほっとする自分がいた。
「それにしても、意外とやるな。宰相相手に啖呵切るなんて。俺も今でこそするけど初対面じゃ俺できねえわ」
ライルさんに感心したように言われるが、そうでもしないといけない状況だったわけで。というか、少しは助けてくれてもいいじゃないか。
「元の世界では働いていたので。自分の権利を主張しないと扱いが良いように扱われると思ったまでです」
少々、いや多分に可愛げがない返答をしてしまったと思っている。でも、褒められて、はいそうですか、と素直に受け取れるほど、真っすぐには育っていない。
それにしても、ライルさんからもリヨン殿下からも反応がない。あまり可愛げがないことを言ってしまったから引いてしまったかな、と顔を覗うと、二人とも怪訝そうな表情をしていた。
何か悪いことを言ってしまったか、と再び緊張が走る。それを打ち破るかのように、ライルさんが口を開いた。
「お前、一体何歳だ?」
「え?」
予想外の質問に、時が止まった。
* * *
部屋が準備されるまでの間、数ある応接室の一つに通された。リヨン殿下には公式で使うところではないから、楽にしてもらって構わない、と言われたけれども、明らかに超一級の工芸品や芸術品がくどくなく配置されており、今座っているソファも恐らくとても高い一級品なのだろうと思う。私にはその審美眼がないから、高い、ということくらいしか分からないけれど。
それに、王城に入ってから二人の女性がついてきている。黒のシンプルなワンピースにショートジャケットを首元までかっちり締めている。決して邪魔にならず、でも気付いたときには扉を開けてくれていたり、今でもいつの間にかお茶の準備がされている。こういう方たちを侍女、というのだろうか。想像していたよりも、なんだかメイド感が薄い。
「でも、まさか二十四とはな」
「見えない、ですか」
「ああ、見えない。もっと小さいと思ってたよ。それこそ、十八くらい、丁度ここらだとアカデミー卒業くらいの令嬢くらいだな」
「若いと見られているのか、幼いと見られているのか、判断に困る年齢ですね」
「まあ、いいじゃないか。老けて見られるよりは、幾分か」
確かに、日本人含め東洋人は年齢よりも若く見られることが多いとは言われている。全体的に元の世界のヨーロッパのような雰囲気のこの国でもその法則は当てはまるらしい。一応これまでは年齢相応に見られてたんだけどなぁ、と少し悲しい気持ちになるけど、世界が違えば常識も変わる。仕方がないことだ。
だから、少しでも今の環境に馴染めるように頑張らないといけないし、そのためには私は彼らのことを、この国のことを知らないといけない。そして、私のことを知ってもらわないといけない。
「改めまして、自己紹介をします。東條祐理です。年齢は二十四歳、会社員として働いていました。これといった特技はありません。ご迷惑をおかけしますが、少しの間、よろしくお願いします」
私の自己紹介を受けて、リヨン殿下、ライルさんも続く。
「では、私も改めて。リヨン・フェステシア。このフェステシア王国の第一王子だ。年は君より少し上の二十八歳。ようこそ、我が国へ。異界からの客人を歓迎する」
「ライル・ザクセン。二十七歳。フェステシア王国軍東方騎兵団団長を務めている。よろしくな」
自然と互いに手を伸ばし、握手をする。
しっかりと握られた手に、改めて夢でなかった現実感と、不思議と安心感があった。