気がつけば、異世界2
記憶を辿ってみた結果、やはりここはあの世なんだろうな、という結論に至った。実家付近に畑はあっても、こんな緑に覆われた草原などないし、ましてや、山が連なる日本。寝転がって見渡せる範囲ではあるが、山が見当たらない。なら、近くに三途の川でもあるか、と痛い体を起こそうとした時だった。
顔のすぐ側に、頬をかすめるようにして何かが刺さった。驚きの余り、起こそうとしていた体から力が抜け、再び地面に横たわる。顔を飛んできた異物へと向けると、そこには細長い棒のようなものが大地に突き刺さっていた。私の知識が間違いでなければ、これは矢だ。しかも狙って射ったに違いない。
一体誰が、と首だけを捻った時、冷たくて鋭利なものが首筋に触れた。
考えたくもない可能性が脳裏をよぎり、その一種の不安を払拭するために確認したいが、おそらく少しでも動いたら、躊躇なく首を裂かれるだろうということは安易に想像できた。
動かず、抵抗の意思がないことを表す。
しかし、ふと疑問が浮かんだ。
ここはあの世なのだから、なぜ襲われないといけない。
疑問には思ったが、ここで動くのは得策ではないのは明白だ。
痛いのだけはいやだな、と思いつつジッとしていると、
「ライル、どうした」
「あー、いや、殿下、なんかここに見慣れない格好をした不審者が倒れてまして」
「お前が倒したんじゃないのか」
「最初っから倒れてたんですけど、下手に動かれちゃ不味いかなー、なんて思ったんで、とりあえず矢を射って威嚇して捕縛、みたいな?」
頭上から若そうな男の声が聞こえる。どうやら私の存在に不審感を抱いているらしい。あの世に不審者も何もあるものか、と心の中では反論しておいた。
「ライル、そろそろ剣を離して彼女を起こしてやれ。おそらく彼女は無害だ」
殿下と呼ばれていた男性が半ば呆れた様子で指示を出す。
「了解。でも、長いパンツを履く女なんて怪しさしか感じないけど」
そう言いながらも渋々と、剣を突きつけていた男性は私を引き起こした。体を動かす度に痛みを感じたが、なんとか支えられてようやく声の主たちを見ることができた。
「お前は一体何者だ?」
そう尋ねてくる馬上の人は、おそらく殿下と呼ばれていた人だろう。殿下と呼ばれるからには王族か皇族ぐらいの地位を持っているに違いない。目の前の彼が発する雰囲気は、そう納得させるのには容易いものがあった。
「東條祐理と言いますが……」
語尾を濁し、言外に聞きたいことがある、と暗に伝えたつもりだが、殿下は片眉をぴくりと上げただけで、取り合おうとはしなかった。
(こいつ、絶対に確信犯だ)
そう思ったけれど、後ろ手でまだ男に捕まっている現在、まだ信用されていないのだと感じているため、不用心な真似はできない。
「トウジョウユーリ……? トウジョウと言うのか?」
「いえ、姓は東條、名は祐理です」
「そうか、ユーリというのか。私はリヨンという。リヨン・フェステシアだ」
「そうですか」
だから何、と思ったが、当のリヨンとかいう男は少し目を見開き驚きを露わにした。
「お前、殿下を知らないのか?」
私を拘束している男が尋ねてくる。知らないも何も、私に予備知識などあるはずもなく、初対面の人を知っているはずがない。
それでも、どこかで見たことがあるかもしれない、という微かな思いでリヨンの顔を観察するも、栗色の少し長めの髪を括った紫色の目をした人など知り合いにいなければ見たこともない。それに、これほどのイケメンは一度見たら忘れないはずだ。
「すみませんが、存じ上げません」
素直にそう答えると、リヨンは一瞬真顔になった後、可笑しそうに笑い始めた。
「ライル、離してやれ。ユーリは完全に無害だ」
「しかし殿下、こんな不審者放っておいていいんですか?」
「いや、不審者じゃない。さしずめ、見慣れない場所に迷い込んだ子猫って感じだろう。そうだろう? ユーリ」
そう言いながら眩しいほどの笑顔を振りまくリヨンさん。曖昧に返事を返したが、その間にも男達の中で会話は続いていた。
離してやれ、と言われ、命の危機らしきものは去ったとは言っても、ここは見ず知らずの土地。できれば、リヨンさん達にここがどこかわかるところに連れて行ってほしい、と図々しいことを考えていたら、
「ユーリ、その様子だと今晩泊まる場所もないんじゃないか? よかったら私達に付いて来るか?」
と、リヨンさんが聞いてきた。まさかのお誘いに渡りに船だと思いつつも困惑する。果たしてこれが罠ではない証拠はないので、胡乱げに見つめていると、
「なに、私達は怪しい者じゃない。大丈夫だよ」
とリヨンに優しく微笑まれた。まだ疑念が消えたわけではないけれど、他に行くあてもあるわけではない。身なりも良いし、この短時間ではあるが、接している中で粗雑な印象も受けない。素直に付いていけば何とかなるかもしれない。
「では、よろしくお願いします、リヨンさんと……」
「ライルだ。ライル・ザクセン」
「よろしくお願いします、ライルさん」
ライルさんは少しぶっきらぼうに答える。その目にはまだ、私を疑うような光が見えるが、リヨンさんには逆らえないらしい。
こうして私は馬に揺られながら、未知の旅へ一歩踏み出したのだ。
しかし、現代の日本に住んでいれば、余程のことがない限り乗馬を嗜んでいるなんてことはありえない。例に漏れず、私も馬に乗るのは幼少期のポニー以来だった。そのため、慣れない乗馬に全身を固くし、同乗していたライルさんに驚かれたのは言うまでもない。