95.未来
三ヶ月後。
「さぁ、今日もきびきび働かなくっちゃね!行くわよ、アルベルト!」
ようやく首の座った小さな息子、アルベルトを抱っこ紐で背負い、ディアナは山小屋へと向かう。
辺境の際まで大拡張した夏の畑には、色とりどりの花々が咲き誇る。
市街地ラトギプから帰って来た女たちが、その中に入ってせっせと花を摘んでいる。
「おはようございまーす」
女たちに挨拶しながら、ディアナは畑周辺の雑草を抜いているレオンと行き合う。
「あれ?ディアナ、アルベルトを連れてどこへ行くんだ?」
「山小屋に行くの。ダニエルから、王の隠れ家を見たいってお客様が来てるって言われて」
「ああ、またか」
かつて王が隠れ家にしていた山小屋は、いつの間にか観光名所になっていた。
「暑いからすぐ戻れよ」
「うん。じゃあ、行って来ますねお父様」
ディアナはそう言って、くるりとアルベルトをレオンに振り向ける。
レオンは立ち上がると、息子のふくふくした頬にうずもれるようにキスをした。
山小屋の前では、ダニエルがひらひらと手を振って待っている。その背後には団体客がひしめいて、ディアナの登場を今か今かと待っていた。
「皆様こんにちは。私がこの山小屋の管理者、ディアナです」
観光客らはその名を聞いてざわめく。
「あなたがあのディアナさん!?」
「はい!」
「おお、あなたが……!いやね、ラトギプで民兵やってた奴らがみんな言うんだよ。あんなに腹の据わった女はいないって!」
ディアナはクスクスと笑う。
「ふふ。否定は致しません」
「民兵が王を捜索するのに臆するどころか、腹の減った彼らに食事をふるまったとか」
「そういうことも、ありましたわね」
「王を匿うのも、勇気が要ったでしょう。いやー、噂に聞く凄い女だ、あなたは」
山小屋を見学した後、彼らはダニエルの宿に泊まるのだ。
ディアナは摘んだ花をダニエルとグスタフの宿、それから様々なレストランに卸している。
パブスト村の観光資源は、すっかりこの辺境とディアナに委ねられていた。
エディブルフラワーは村の名物となり、辺境の宿屋では花の食事が提供されるようになって行った。村の中心部ではエディブルフラワーを中心に提供するレストランも造られた。
全てが花で彩られたこの辺境の村は、いつしか〝楽園〟と呼ばれるようになっていた。
更に王の敗走の変遷が明らかになると噂が噂を呼び、王の隠遁生活を見ようとする人が辺境に集まるようになった。そのせいか、グスタフとダニエルの宿屋は冬まで予約でいっぱいらしい。
また、戦乱を経た当事国の国民の間で、農村回帰の傾向が起こりつつあった。都会は焼けてしまったし、田舎の方が食料が豊富であることに気づいたのだろう。都会から農村へ遊びに来る観光客と共に、ラトギプでひもじい思いをした若い女性たちも仕事を求めてこの村に戻り始めていた。
農村に若い女たちが出歩くようになり、パブスト村は急に活気づき始めた。
ハンスの仕立て屋も従業員を増やした。街から帰って来た女たちが連日服を買い求め、てんてこまいの毎日を送っている。
村の人口が増えて来て、レオンの兄弟たちの農場も人手を増やした。
戦乱中は閑散としていた辺境は戦乱を経たことで、更なる発展を遂げていた。
ディアナの家のキッチンにはもう貴族の子女は来なくなったが、代わりに街からやって来た若い女たちが立ち働くようになっていた。ディアナは従業員を雇い、畑仕事を彼女たちに任せることにした。彼女たちは切り花を出荷したり、かと思えば色とりどりの花々をむしり、かき集めて、温かく芳しい料理の上に散らしたりする。
晴れの日にだけ、ディアナは山上にレストランを開くことにしている。
日帰りの観光客のための、小さなレストラン。
そんなレストランも、今日はお休み──
アルベルトが産まれて百日目の、晴天の日に。
従業員女性たちはせっせとテーブルを青空の下に並べる。白いテーブルクロスをかけて、食器の支度をする。
ディアナはそれを二階の窓から眺めた。
遠くから、ラウラを乗せたゲオルグの馬がやって来る。それに、トマスとフリッツを乗せたハンスの馬車も。
宿から着飾ったイルザとグスタフも出て来る。
ディアナはベッドの上に寝かせた息子に小さな手作りのタキシードを着せてやりながら、小さな声で言った。
「今日で、あなたが産まれて百日目なの」
よだれを垂らしているアルベルトを抱き上げ、ディアナはその額にキスをする。
「そのお祝いをするのよ。伯父様伯母様も来るわ。ソフィア、クラウス、ダニエルも忙しい中、あなたのために集まってくれるの」
彼は母親の熱を感じ取り、キャッキャとはしゃぐような声を上げた。
階段を上って来る音がする。
「ディアナ。準備が出来たみたいだぞ」
ディアナは子を抱え直すと、レオンの元へと歩いて行く。レオンは我が子の正装を見ると、くすぐったそうに笑った。
「おいおい。立派なもんだな!」
「可愛いでしょう?ハンスに相談して、作って貰ったのよ」
「めちゃくちゃ可愛いな!俺にも抱っこさせて」
レオンは息子を抱き上げ、高い高いをして見せた。アルベルトは最近本当によく笑うようになっていた。レオンはその表情をまじまじと眺めてから、胸元に下ろす。
「……俺の母親も、こんな気持ちだったのかな」
ディアナは頷いた。
出産の後、ゲオルグから聞いたのだ。
レオンの母はレオンを産んですぐに亡くなったのではなく、子宮がなかなか戻らず一ヶ月後に亡くなったのだと。
一ヶ月は、レオンと共にいたのだ。
残して逝く時、その無念さはいかばかりだっただろうか──
ディアナはそれを想像し、そっと目頭を拭ってからレオンに言う。
「……そうね。きっと、あなたと同じ気持ちだったと思うわ」
「こんなに可愛い生き物を置いて死ぬなんて、辛かっただろうな」
「……レオン」
「お前のばあちゃんの分も、俺たちでめいいっぱい可愛がってやるからな」
レオンはもう、子どもやその母親を見て湿っぽくなることはなくなった。
彼なりに色々感じ、腑に落ちたところがきっとあったのだろう。
窓の外には花畑。
二人は赤子を挟むように、そっとキスをする。
つつがない、温かい、いつもの、当たり前のキスを。
「……今日も、平和だ」
「そうね」
「この平和はディアナがもたらしたものだ」
「否定はしません」
二人は光あふれる外へと出て行く。
外のテーブルでは、いつもの面々が一堂に会していた。
ディアナの席の横には籠に足が生えたような、赤子用の小さな席が用意されている。
テーブルには、既に従業員たちの作った食事が所狭しと並んでいる。
花のサラダ、花のキッシュ、野イチゴ酢のドリンク、子牛のロースト、鮎の燻製ペースト……
物資が戻り、食卓もすっかり豊かになっていた。
家からディアナ達が現れると、皆乾杯のために席につく。
トマスが持ち込んだ白ワインが全員に配られ、小さな食事会が始まった。
ダニエルはソフィアの娘、リアを抱えている。
「この子、ダニエルさんが気に入っちゃったみたいね。いつもだったら、母親以外に抱かれると泣いちゃうのに……」
「ふっ。女性の扱いには慣れているのでね」
「おっと。うちの娘に手は出させない」
クラウスが横槍を入れると、ダニエルは鼻を鳴らした。
「ふん。娘ほど年の離れた奥様がいらっしゃるあなたにだけは、言われたくないね……」
リアはダニエルの膝の上が気に入り、抱きついてきゃあきゃあとはしゃいでいる。
「ハンスは最近、同時期に二人の女性からアプローチされたらしいね?」
フリッツがさも羨ましそうに言い、ハンスは真っ赤になる。
「うん。でも……結局お断りしたんだ」
「へー。何で?」
「もう、結婚しようって約束してる彼女がいて」
「えー!?そういうことは早く言えよ!そっか、次はハンスかぁ」
グスタフはイルザとディアナを前に、招待状を手渡す。
「あら、あなた。これは?」
「アイゼンシュタット離宮への、招待の手紙だ。陛下は直々に、ディアナに礼をしたいのだそうだ」
「えええ、本当に!?」
「ああ。陛下は〝楽園〟と名高い辺境に、猟城を構えたいとおっしゃっている。色々な思惑がありそうだが、パブスト村としては悪い話ではあるまい?」
ゲオルグは紙に文字を書く。
〝いつ、言い出そうか〟
ラウラはくすくすと笑う。
〝アルベルトに、いとこが出来るって〟
「帰り際でいいんじゃないかしら。今日の主役はアルベルトだから……」
小さなアルベルトはレオンに抱かれながら、辺境とその面々を瞳に焼きつけている。
咲き誇る花、青い空、豊かな食事、真新しい建物たち、どこまでも広がる青々とした裾野。
小さなその瞳に、不幸な戦火や歴史は、もう二度と映ることはない──
「アルベルト」
ディアナが語りかける。
「よく見ておきなさい。その幸せの記憶が、必ずあなたを強くしてくれるから」
花畑の向こうに、小さなアルベルトは目を凝らす。
そこでは見知らぬ黒ひげの男が手を振って、静かに風に凪いで消えて行った。
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