94.ディアナの出産
ソフィアはイルザと馬車に乗り合わせていた。
旅は道連れ。
互いの夫はまだアイゼンシュタットの混乱で忙しく、こうして夫人だけで先にディアナの邸宅を目指している。
「ああ、やっぱりパブスト村は涼しいわ。高原地帯っていいわね」
ソフィアの隣には、籠に入った赤子がいる。リアと名づけられた、小さな女の子だ。
メイドと挟むようにして抱え、母性溢れる眼差しで、彼女はそっとリアの眠りこける様子を眺めた。
「このまま行けば、夕方には着くかしら」
「そうですね」
「ディアナはあとひと月で子どもを産むのよ。私、はりきって立ち会うわ。ゲンを担ぐわけじゃないけれど、私のところにも来て欲しいから」
「それがいいですわ。どちらにせよ、お姉様がいれば心強いはずですもの」
「ソフィア様が産む時も、お姉様たちはいらしたの?」
「ええ。三人まとめて参りましたわ。皆出産経験があるものだから、陣痛の最中ああしろこうしろってうるさいったら」
「ふふふ、目に浮かぶようね」
パブスト村に入ると、隣の馬車が忙しく二人の馬車を追い抜いて行く。
イルザはひょいと窓から顔を覗かせ、その馬車を眺めた。
「どうしたの?イルザさん」
「うーん、あの馬車の御者、レオンじゃなかった?」
「あら。お客様を運んでいるのかしら」
「随分急いでいるのね?もう夕方なのに」
辺境に近づくにつれ、二人は緊迫した空気に包まれる。
「ちょっと、ディアナの家の前、随分馬が停まっているわね」
「何かあったのかしら……」
その途端、ソフィアの娘、リアが力強く泣き出した。
「ああ、離れちゃってごめんねぇ」
ソフィアはリアを籠から出すと、縦に抱いて背中をこすってやる。
イルザが馬車を降りると、ディアナの家の前では見知った面々が立ち尽くしていた。
どれも男性である。イルザはレオンの元へ馳せ参じた。
「レオン!この騒ぎは……」
その声に振り返り、レオンは目を剥いた。
「あれっ、イルザ様!」
「何があったの?」
「何って……赤ちゃんの頭が出て来そうなんです、今」
「え!」
「今ちょうど、ディアナが産んでるところなんです!医者に男は全員外に出ろって言われたから、俺はここで……」
「ディアナ!」
イルザはレオンの話を途中で振り切り、家の中へ駆け込んで行った。
「イルザさん、待ってー!」
後ろから、更に赤子を抱いたソフィアがよろよろと歩いて来る。
ソフィアは肩で息を整えると、レオンに問う。
「ディアナさん……どんな様子でしたか?」
「それが……なぜか昼ご飯を滅茶苦茶食べて」
「あら」
「寝てると痛いって言って、うつろな目をして部屋を何時間もうろついて」
「まあ」
「正直、頭おかしくなってるんじゃないかって心配で」
「そりゃあの激痛に耐えているんですもの。頭ぐらいおかしくなって当然ですわ」
「そばにいてやりたいんだけど……」
「下手をすると罵倒したり夫の指の骨を折ったりするので、離れている方が賢明でしょう」
「……ソフィア様は、その……出産って、どうでしたか?」
「そりゃあもう。先程言ったことは、全てクラウスにやらかしてしまいました」
「そ、そっか……」
レオンは気を取り直した。
「待ってるしか、出来ないのか……」
「待っているのも、立派なお仕事ですわ」
と。
「レオン!」
家の中から、ディアナの苦しげな叫び声が聞こえて来た。レオンは青ざめる。
「!ディアナ……」
「レオンの馬鹿ああああ!」
その声に、辺境に集まった関係者全員が吹き出す。レオンの顔は真っ赤になった。
「レオンだけ楽してずるいいいいいい!」
「……」
「お前が産め!産んでみろ!」
「……」
「死ぬ!」
「!」
「やめて……やめて、やめっ。やめろっつってんだろヤブ医者!」
「……」
「レオン助けてー!」
「うう……」
レオンは再び青くなって目をこする。
「……すげー心配……大丈夫かな……」
「うふふ大丈夫ですわ。罵倒が済む頃、赤ちゃんが出て来ますから」
「本当に?」
「ええ。間違いありません、経験談ですもの!」
ソフィアは胸を張った。
気づけば、ソフィアの赤子も泣き止んでいる。
急に辺境に静けさが訪れた。
ふわ、と扉が開く。
涙と鼻水まみれのイルザが泣きながら出て来た。
「うー、うっ」
声にならないぐらい嗚咽している。レオンが困惑していると、イルザはこちらに駆け出して来て叫んだ。
「産まれた!産まれたわよ!」
レオンは気圧されて頷いた。
「お……男の子だったわ!」
そう言うなり、イルザは義弟の前にしゃがんで涙にむせんだ。レオンもようやく、止めていた息をひとつ吐く。
「よし!今行くぞ、ディアナ……」
レオンが意気揚々と家に入ろうとすると、イルザがそれを引き止めた。
「……待って。今傷を縫合して、胎盤を片付けてるから。お医者様が出て来たら、行くといいわ」
「……ディアナは無事ですか?」
「ええ、ええ、無事よ。それに……」
イルザは自らの濡れた頬をハンカチで拭いた。
「あの子、とっても輝いてたわ……母親になる瞬間って、あんなに神々しいのね……」
ソフィアは赤子を抱いて、うんうんと訳知り顔で頷いている。
医者が出て来た。レオンは助かったとばかりに進み出る。
「先生、ありがとうございました。傷の具合はどうですか?」
「経過はいいよ。これから一か月は力仕事、立ち仕事をさせないようにね」
「はい」
「あとは、しっかりねぎらってやりなさい。これを怠ると、のちのち禍根を残すことになるから」
「はあ……」
「じゃあ、しっかりやりなさいね。母親や赤ん坊に異変があったら、また呼んで」
「分かりました」
医者は去り、入れ替わるようにしてレオンが家の中に入った。
ディアナは台所で産んだらしく、まだ敷かれたシーツには生々しい血痕が残っている。それを、近所のおばさま達がせっせと片付けていた。
「お嫁さんなら、二階だよ」
レオンは彼女らに礼を言うのも忘れ、前のめりに二階へと駆け上がる。
ベッドの上には、すっかりお腹のへこんだディアナが赤子の方を向いて横たわっていた。
その隣には、泣き疲れたようにうっすら目を開け、仰向けに眠りこけている赤子。
栗色の髪に、鈍色の瞳。
そこにいたのはレオンにそっくりな、小さな男の子だった。
その二人が並んでいるのを見てレオンは急に緊張が抜け、腰を抜かしながらようようのていで歩き、ベッドの前にふらりと膝をついた。
「ディ、ディアナ。お疲れ様……」
ディアナは仰向けになり、うつろな瞳で夫を見つめた。
「……疲れたわ」
レオンは恐る恐るといったように、すぐそばにあるディアナの頭を撫でる。
「その……」
「なあに?」
「無事に産んでくれて、どうもありがとう」
「うふふ。どういたしまして」
ディアナはそう言って笑うと、赤子の頬をつついて見せた。
「ねえ、抱っこしてみてよ。お父さん?」
レオンは促されて立ち上がり、妻から手渡された小さな赤子を抱き上げる。
ほやほやの体からは、尊い命の匂いがした。
「うわー、めちゃくちゃ可愛い!こんなに可愛いの?自分の子って……」
レオンの素直過ぎる感想を聞き、ディアナは今までの苦労全てが報われる気がした。
「きっとみんな、そう言われて生まれて来たのよ」
ディアナは夫を見つめる。
「ね、レオン」
レオンは頷くとしばらく黙りこくり、何かを思い出したようにボロボロと涙をこぼした。
「あら……何で赤ちゃんじゃなくて、父親が泣いてるのよ」
言いながら今までの彼の苦悩を思いやり、ディアナもほろりと涙の滲む目頭を拭った。




