91.王の帰還
ディアナが民兵に食事を与えている隙に、レオンとゲオルグは山小屋へ走る。
彼らが敵ではないことを伝えなければ、あの臆病者の王がどんな行動を取るか分かったものではないからだ。
食事にかまけている民衆の横を駆け下り、二人は山小屋を開けた。
やせ細った王は、小屋の隅で震えている。
「お前が王か」
相変わらずの不遜な態度でゲオルグは言った。
「ヘンリーのおっさん、安心しろ。彼らはあんたを殺しに来たわけじゃなさそうだぞ」
レオンの声に、王は恐る恐る顔を上げた。
「あんたが逃げたことで、王国軍が動けないんだってよ。今、市街で乱暴を働いているのは教皇軍なんだそうだ。民衆はあんたを探し出し、教皇軍をやっつけて欲しいと言っている」
すると。
あんなに震えていた王は急に目の色を取り戻して立ち上がる。
「それはまことか!」
王の顔色の明らかな変わりように、兄弟は白けたように目配せし合った。
「……ああ、本当だ。だからとりあえず、王国軍を再編成するべきだ。伝手はあるか?」
「そうだった……それがないので困っている」
「ならば、民衆に協力を乞うべきだ。もっと贅沢を言えば、更に力のある味方を探すべきだと思うが……」
王が考え込んでいると、遠くから数々の足音がこちらに向かってやって来る。
三人が小屋から顔を出すと、そこには愛馬レギーナに乗ったディアナがいた。
民衆を率い、背筋を伸ばした、神々しい妊婦。
それを見て、ゲオルグがどんとレオンの背を叩く。
「おい、勝利の女神様のお出ましだぞ」
レオンは押し出されるように山小屋を出て、妻を出迎えた。
「ディアナ!これは一体……!」
「あら、レオン。みなさんが王に会いたいって言うから、連れて来ちゃった」
「おいおい、まじかよ……」
民衆は馬を降りると、小屋の窓と言う窓から内部の王の顔を眺める。
そこにはやせ細り、何もない部屋で暮らす王の姿があった。
ディアナは小屋に入ると雄弁に語る。
「陛下は教皇軍から殺害されぬよう、この国境付近の辺境に身を隠し、機をうかがっていたのです。これも全て、国を思っての行動ですわ!教皇軍に殺害されたら、この国はアイゼンシュタットとの戦いを続けざるを得なくなります」
民衆は目配せし合う。
「とにかく今は国民どうし力を合わせ、内乱だけは避けなければなりません。これから陛下は、予定通りアイゼンシュタットに降伏致します。陛下は戦乱を止める決意をなさったのです!」
その瞬間。
民衆は喜びの雄たけびを上げた。一方のヘンドリック四世は真っ青になっている。
「ちょっ、待っ……!」
「この国境沿いにおられるのが何よりの証拠です。味方を得た今、陛下はいつでもこの国境を越え、戦乱を止める覚悟があると!」
「おい、やめ」
「皆さんの力で、陛下をアイゼンシュタットに安全に送り届けて下さいませ。話はもう、向こうにつけてありますので」
「!?」
「そうだわ、保存食を差し上げます。猪の干し肉ですわ。アイゼンシュタットまでの遠い道のりを、どうかこれで乗り切って下さい。教皇軍に見つかる前に!」
ヘンドリック四世は腰を抜かしている。レオンは呆然とし、ゲオルグは顔を背けて笑いをこらえている。
「ヘンドリック四世、万歳!」
民衆から声がした。
「万歳!」
「万歳!」
ヘンドリック四世を讃える声が辺境にこだまし、民衆はやにわに活気づく。
「ま、待ってくれディアナ。私はまだ……」
うろたえる王に、ディアナはにっこりと笑いかけた。
「ご安心下さいませ。イシュタル商会のグスタフにかけあい、もう話はつけてあります」
「んなっ!」
「早速使いの者をアイゼンシュタットに走らせました。陛下の命の保障をお願いしたのです。あとは現地に赴き、あちらの敗戦案を飲んで調印するのみ。どうです、簡単な任務ではありませんか?」
「しっ、しかし」
「教皇軍が乱暴狼藉をはたらきだしたのが、いい風向きを作ってくれました。ヘンドリック四世は国を敗戦させた王ではなく、内乱を止めた英雄として民衆の記憶に刻まれることでしょう」
「うっ、ううう……」
全ての手はずを整えられ、もう逃げも隠れも出来なくなった王は泣き出した。
「あら、陛下は民衆からの声に嬉し泣きをしておられますわ」
弾むような声でそう言って、ディアナは民衆を振り返った。
それを合図に、レオンとゲオルグで両脇を挟み上げヘンドリック四世を立たせる。連行でもされるかのように、王は小屋の外へ連れ出された。
イシュタル商会の馬車がやって来る。
馬車の中には、既にマクガレン公爵とグスタフの姿があった。
「おう、ディアナ。こっちも準備が出来たぞ」
「ありがとうございます。お二人で力を合わせて、陛下を無事に送り届けて下さいね」
「いやー、こんな所に隠れておったとは知らなかった。陛下、ご安心下さい。マクガレン公爵はアイゼンシュタットで一番歴史の古い、由緒ある軍人公爵です。私はアイゼンシュタット王室最大のパトロン、イシュタル商会の経営主グスタフと申します。この二人が尽力すれば、アイゼンシュタット国王もあなたを殺さないという条件に頷かざるを得ないでしょう」
全ての道が整った。
ヘンドリック四世は民衆と敵国の有力者に挟まれ、さらに民衆に取り囲まれ、辺境を更に北上する。
ディアナの家の前で、イルザとソフィアはそれぞれの伴侶の無事を祈り、ハンカチを振っている。
それを眺めていると、横からレオンがディアナの肩を抱き寄せた。
「馬鹿っ」
レオンは声を荒げながらも、疲れ切ったような笑顔を見せた。
「家にいろってあれほど言っただろ!?」
「だって、一刻も早く戦乱を止めたいじゃない」
「戦乱を止められるのは、普通は王様だけだぞ!」
「へー。妊婦にも止められるみたいよ?」
「あのなぁ……」
二人の夫婦のやりとりを、ゲオルグは黙って見つめている。




