90.王を出せ!
「王を出せ!」
パブスト村の辺境に、声が轟く。
「王を出せ!」
その声が波のように寄せては返す。
どうやら略奪者というよりは、王を追って来た民兵らしい。
イルザは近づいて来るその怒号に身をすくませているが、ディアナは周囲からかき集めたありったけの皿を用意して、猪肉とじゃがいものシチューを用意する。
そしてその上から、花の塩漬けをトッピングした。
目にも麗しい、花のシチュー。
「さて、これを全部持って出ないといけないわねぇ」
そう呟いたディアナの肩を、レオンは捕まえた。
「ば、馬鹿ッ!今表に出る奴があるか!」
レオンはこの世の終わりのように顔を青くしている。ディアナは微笑んだ。
「大丈夫よ。いきなり妊婦を撃つ人は、きっといないわ」
レオンは絶望した。
「彼らは王が狙いなの。だのにもう、あの山小屋を通り過ぎてしまった」
群衆はてっきり山頂に王が匿われていると思っているらしい。
「王を探しているのなら、いきなり我々を殺す確率は低い。きっと、尋ねて来るはずよ。王の居場所を」
「かもしれないけど……」
「それにもうどうせ逃げ場がないもの。助かる方法をひとつでも試してみましょうよ」
家の中が静まり返る。
「ディアナ」
レオンはディアナを抱き締めた。そして、震える唇でそうっとその唇にキスをする。
「君は強すぎる」
「うん」
「それが今、すごく辛い」
「うん」
「……絶対帰って来い」
「分かったわ、行って来るね」
足がすくむ。
もちろん怖い。
けれど、この可能性に賭けよう。
窓辺で、ダニエルが猟銃を構えたのが分かる。何かあったら、彼も手助けしてくれるだろう。
イルザは目をぎゅうっと閉じて祈っている。
ゲオルグは全くの無心で、ワインのコルクを開けていた。
扉が開かれる。
炎のような赤毛を結わえ、両手に色とりどりのシチューを持って出て来たお腹の大きな妊婦がひとり。
どこからどう見ても、全くの丸腰。
ディアナはにこりと微笑んで見せた。
「こんにちは。一体何の御用ですか?」
その瞬間。
民兵は、ぽかんと口を開けてディアナを見つめた。
「お、王を出せ!」
ひとりが声を上げた。
「王?」
ディアナはきょとんとする。
「……王などいません。家の中を探してもらっても構いませんわ」
数人の男が馬を降りて来た。
「ならば、見せてもらおう」
「はい。ですが、中にいる家族に危害を加えるのだけはやめてくださいまし」
「分かった」
ディアナは背後を振り返らず、ずんずん前に進む。
それから一番やせている少女の民兵に、シチューをずいと差し出した。
「お腹、空いてるでしょう?」
周囲がためらっているので、ディアナは毒見とばかりにぱくりとシチューを目の前でひと口、食べて見せた。
「美味しいですよ」
寒空に、湯気が立つ。
戦争で、食べるのがやっとの都会民。
断ると言う選択肢は、ないらしい。
少女は皿を受け取ると、夢中でシチューをかっこみ始めた。
周囲はそれを羨ましそうに見ている……
「まだ、お食事はありますのよ。みなさんお腹が空いているでしょう?みんなでシチューを食べましょう」
すると。
一斉に皆下馬を始めた。今まで生気を失っていた目はどこか爛々として、家の前はあっという間に人だかりになる。
ディアナが家に帰って来ると、すぐにレオンが飛びついて来た。
「うわああああ、ディアナ!」
「レオン、ただいま!」
「うわーん、ディアナぁ!」
「お姉様……苦しい」
「おい……こっちを早く手伝ってくれよ」
ダニエルがシチューをせっせと皿に注ぎながら、忌々し気に言う。
「はいはい、私も注ぐわ」
皿は二十枚しかないので、皆で回し食べをする。やせ細った都会の民は、みな泣きながらシチューを食べていた。ゲオルグがワインをどんどん皆のグラスに注ぎ、これも回し飲みをしてもらった。
寸胴いっぱいのシチューは、あっという間に空になった。
床板をはがしてまで家探ししていた連中がやって来る。
「おい、誰だよここに王がいるって言った奴は。どこにもいねーよ」
「他も当たれ!きっとどこかにいるはずだ!」
とはいえ、そんな彼らも食欲には抗えないらしく。
「……俺たちの分はないのか?」
「すみません、もう切らしていて。スクランブルエッグとパンであれば、すぐにご用意が出来ますわ」
「おお!じゃあそれ、貰える?」
「喜んで。飢えは本当に辛いですものね」
ディアナとレオンは台所に立って、一方は卵を焼き、一方は固パンを火であぶる。
彼らは捜索の手を一旦止め、食事会に現を抜かす。ワインは瓶ごと飲む始末だ。
ディアナとレオンは彼らをじっと見つめながら、都会の苦難を思う。
「……今、ラトギプはどうなっていますか?」
男たちは途端に真剣な表情になった。
「地獄だよ。食料は入って来なくなり、女子どもはさらわれ、家はほぼ焼失した」
「これを先導しているのが教皇軍なんだからやり切れん。王軍は肝心の王がいないから、散り散りになった。教皇軍は、国を守るというより奪おうとしているんだ。私利私欲の塊さ。人民が力を合わせてあれを殲滅せねば、ヴェンデルスの未来はない」
ディアナとレオンは顔を見合わせる。
「だから、王に出て来てもらわねば困るんだ。とっとととっ捕まえて、城に連れ戻さなきゃな」
どうやら、彼らは王を殺すつもりはなさそうだった。




