8.私は一向に構いませんが。
とはいえ、やめろと言われたことをしつこくするほどディアナはお馬鹿さんではない。
やめろと言われれば、しない方がいい。
けれど、その理由が気になっていた。
──好きになってしまいますから。
(そっか……レオンは、私を好きになってはだめなんだ)
夜になった。
ディアナは月明かりの中、ベッドの下で寝ているレオンの寝顔を眺める。
(あっちとしては、私に脅しをかけたつもりなんだわ。だから私があんまりちょっかいを出すと、レオンを困らせることになる……)
ディアナを助けたせいで、固い床にずっと寝ているレオン。
(私、やっぱりここを早く出て行った方がいいのかな)
けれど。
そんな風に言われたディアナも内心戸惑っていた。
(あんな風に好意を受けいれつつ拒絶するなんて、一体どういう神経してるのよ)
考えれば考えるほど、沼に足を突っ込んだかのごとくずぶずぶとレオンの奇妙な素直さに心傾いて行く。
(大きな図体して、まるでこどもみたいなんだから……)
ディアナは布団を深く被った。
今日も、何だかんだとよく働いた。
令嬢は深い眠りに落ちて行く。
夢の中。
ディアナは炎に囲まれていた。
彼女は逃げようと走り出すが、どこまで行っても業火しかない。
「レオン!」
彼女は叫ぶ。あの時のように、きっと助けに来てくれるはずだ。
「誰か!誰か……」
その時だった。
足元に、死体が転がっていることに気がついた。
ディアナは恐る恐る足元に目を落とす。
そこにあったのは、焦げてひしゃげたレオンの死体。
「いやあああああああ!」
ディアナは別方向へ走る。しかし、炎がどんどん高くなり、前方を突破出来ない。
「やだ……あなたのいない世界なんか……!」
ディアナは泣き出した。
「レオン……!レオン!」
「ディアナ」
声がする。
ディアナは涙に濡れた目を開けた。
レオンが膝立ちで、ベッドの上の彼女を覗き込んでいる。
「わ、私……」
ディアナは周囲を見渡す。あの、いつもの小屋の中だ。レオンはしばらく深刻な顔をしていたが、ふと気がついたように努めて笑う。
「呼ばれたから起きた。何があったんだ?」
ディアナはぽかんとしてから、しゃくり上げる。
「ううう……レオン」
「また嫌な夢でも見た?」
もう、我慢が出来なかった。
ディアナは泣きながらレオンの首筋に飛びついた。レオンは少し戸惑ったかのように見えたが、彼女の背中にそっと腕を回す。
「……あなたに、触りたかったの」
レオンは息を止めるようにして押し黙っている。
「ごめんなさい。でも……」
自らの首筋の辺りで泣きじゃくるディアナの髪に、彼はそっと触れる。
「触って、ごめんなさい」
ディアナ自身、何を言っているのか分からなかった。
謝りたい気持ちと受け入れられたい気持ちが暴発している。
と。
くぐもった声で、レオンが言った。
「……いいよ」
ディアナは泣きながら頷いた。
レオンは体を離して、ディアナの涙を拭いてやる。
「触れたかったら、いつでも。けど、必ず先に触れたい旨を伝えて欲しい」
「……うん」
「いきなりだと、びっくりするから」
「……ごめんなさい」
「こっちこそ、あんなこと言うべきじゃなかった。何も考えず、余計なことを言ってしまった。ずっと、今の今まで後悔していて」
ディアナは首を横に振る。
「あなたを困らせてごめんなさい」
「こっちこそ、ごめん」
「いつか必ず、出て行くから……」
「……」
レオンはディアナの後頭部を撫でると、再び抱き寄せた。
そして、ディアナが再びうとうとするまで待つ。
ディアナが寝てしまってから、レオンは体を離した。
その晩レオンは寝ることなく、ずっと緊張の表情で少女の寝顔を見つめていた。
レオンは朝、なかなか起きて来なかった。
ディアナはこれ幸いと、勝手に台所を使う。
新鮮な、牛の乳。砂糖に小麦粉と油。
混ぜ合わせて、フライパンで焼く。
ぺたんこのパンケーキが出来上がった。
「レオン、起きて」
ディアナはしゃがんで床の上のレオンを揺する。
「うーん……」
「もう……今日は随分寝起きが悪いのね?」
レオンは眩しそうにディアナを見上げ、目を開けた。
「あー、もう朝?」
「そうよ。早く起きて。せっかくのパンケーキが冷めるわ」
二人は食卓に向かい合った。
ディアナは藤の花のシロップを取り出し、パンケーキにかける。
「……あ、それ」
「うん。昔を思い出すわ」
「……いい匂いだな」
「そうね」
フォークとナイフでパンケーキをさくさくと切る音。それから。
がたん。
「……ん?」
小屋の外で、物音がした。ディアナが伸びあがって窓の外を見ようとすると、レオンがそれを制した。
「……ディアナはここで待ってろ」
レオンは手近にあったフライパンを手に、警戒しつつそろりと立ち上がる。
ばん!と勢いよく扉を開けると──
「うわっ!びっくりしたぁ!」
男の声がする。レオンは構えていたフライパンをそうっと下ろした。
「お前は……フリッツ!」
「何だよレオン!兄に取る態度じゃないだろぉ!?」
レオンはむくれた。
「……今更何の用だ」
「いやいや、近所のおばさんたちから聞いたんだよ」
フリッツはレオンより大きい、ずんぐりした大男だった。
「レオンに嫁が来たって!」
ディアナはぽかんと口を開け、ナイフとフォークを取り落とす。
「水臭ぇな!何で教えに来ないんだよ?」
「……もう、お前らとは関係ない」
「おい、お前まだあのことを引きずってんのかよ!他の兄弟はどうだか知らねぇけどよ、俺はレオンを憎んでやしないんだぜ。で、だ。嫁が来たって言うから、挨拶だけでもしようかと……」
「帰れ」
「んだよぉ、一番年が近い兄弟なんだから、仲良くやろうぜ……」
ふと、部屋の中のディアナとフリッツの目が合った。
ディアナは目礼する。
フリッツの目の色が変わった。
「え!嫁、めっちゃ可愛いじゃん」
「帰れえええクソがああああ」
「お嫁さん!こっち来てよこっち!俺さ、四男のフリッツって言うんだ!」
レオンは無理矢理扉を閉めた。
「はあ……油断も隙もない……」
しかし、フリッツは今度は窓際に回り、窓を叩き始めた。
「おーい。中に入れてくれよ!」
ディアナは赤くなり、レオンは頭を抱えた。