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第八章.農民と王様

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88.みんな同じ

 だが状況は明らかに悪化して行く。


 新聞を眺め、ディアナとレオンはため息をついた。


 内乱が勃発し、市街地の民が続々と郊外へ逃げおおせて来ていたのだ。


 パブスト村も例外ではなく、村の中心部は治安が悪化し、次々と窃盗が始まった。


 更には、兵士の格好をした、どこの馬の骨かも分からない民兵が村を徘徊し始めた。彼らは勝手に私設警察団を作り、村にはなかった謎の掟を次々と作り出した。


 無論、王を匿い身動きの取れないロベルトの手腕では何もかもが後手後手に回る──




 冬も深まり、雪もやみ始め、春の算段をし始める二月。


 久方ぶりに、玄関の戸が鳴った。


 大きくなった腹を抱えてディアナが玄関へ出ると、そこには──


「ロベルト村長……」


 レオンが勢い勇んでこちらへ飛んで来たが、その村長の姿を見て息を呑む。


 ロベルトはボコボコに殴られ、今にも崩れ落ちそうに立っているではないか。


「どうしたんですか、その傷!」

「そっ、それが……市街地の民兵に、王の居場所を、嗅ぎつかれた……」


 言うなりロベルトは、玄関口にどすんと倒れた。


「村長!」


 レオンはロベルトを助け起こした。


 その背後に佇んでいたのは──


 以前より痩せさらばえ、目の落ち窪んだヘンドリック四世。


 ディアナはわなわなと震え、王を挑戦的に指さした。


「帰りなさい!今すぐ!!」


 王は少しだけ顔をしかめた。


「あなたが逃げ回るせいで、大勢の人が迷惑してるの……なぜそれが分からないの!」

「……ディアナ」


 ロベルトが横たわったままそれを制した。


「陛下だって……自分が死んだら終わりだと……」

「もう良い、ロベルト殿。人心掌握の出来ない私が悪かったのだ」


 ようやくヘンドリック四世が口を開いた。


「今や王を守る軍はおらず、教皇軍と民衆が戦いを続けている。私は城に帰ったら殺されるだろう」


 ディアナはぽかんとしおらしい王を眺める。


「幸い、妻と子は妻の出生国である第三国へ逃がした。だからもう、私はどうなっても良い」


 かつての威厳は既にない。


「ロベルト、今までありがとう。追手はすぐそこだ。私はもう殺される」


 そこには、生きるのを諦めかけている男がひとり。


 戦争の中、生きるのを諦めている……


 ディアナは炎の中に飛び込んだ自分のことを思い出した。


 孤独。絶望。未練。


 それらに身を切り刻まれた、あの瞬間を──


 ディアナはふと、こんなことを言った。


「……では、住みますか?この辺境に」


 レオンがぽかんとディアナを眺める。


「は?」

「陛下。今すぐ、作業着に着替えて下さい。あと、髪と髭は剃り落として──」

「おい、ディアナ!」


 レオンがディアナの両肩を掴む。


「正気かディアナ!」

「私はいつだって正気だわ」

「……!」

「陛下、今日からあなたの名前はヘンリーです」


 王は固まっている。


「あの山小屋をお貸しします。見つかったら見つかったで……仕方のないことです。それまで、あそこで暮らしてみますか?」


 レオンはがたがた震えている。


 怒りと恐れの入り混じった瞳で、妻を真っすぐに見つめる。


「馬鹿な、ディアナ……そんなことをしたら、俺たちだって危険に晒されるんだぞ!」

「でも、レオン」


 ディアナはレオンの背後にいる王に慈愛の視線を向ける。


「私もあのラトギプの戦火で、一瞬、生きることを諦めたの」

「……」

「生きるのを諦めるのは、本当に辛かった。でも、あなたが助けに来てくれて助かったの」

「……」

「あのまま絶望の中、火に巻かれて死んでたら、私もお腹の子どもも、きっとここにはいなかった」

「……」

「戦争の最中に死にそうになっている人を追い返すことは、私には……出来ない」


 レオンは何かを覚悟するように歩み出すと、妻を抱き締める。


「ひとつだけ約束してくれ」


 ディアナは頷いた。


「もし本当に危なくなったら、王を放り出してでも、俺と共にレギーナに乗って逃げること。あの馬なら信頼出来る」

「分かったわ、約束する」

「……ヘンリーのおっさん。そういうわけだから、自分の身は自分で守れよ。山小屋に泊めてやるのは、それが条件だ」


 王は頷いた。レオンは家の隅に引っ掛けてある野良着を手に取ると、王に向かってぶん投げた。


 王はそれを受け止めると、今まで着ていた豪奢な衣装を脱ぎ捨てる。


 ディアナはその衣装を抱えると、暖炉にくべて燃やしてしまった。


「……あと、これも」


 ディアナはじゃがいもと猪肉の塩漬けを袋に入れて王に差し出した。


「我々でも、これと牛乳で一週間腹を持たせます。非常に厳しい食生活ですが、頑張って耐えて下さい。牛乳と卵は牛小屋から好きに取って構いません。剃刀は洗面台にありますので、自由に使ってください」


 王は震える手でその袋を受け取った。


 すると。


「かっ……かたじけない……!」


 そう言って、王は泣き出した。


 レオンとディアナは呆然とする。


 王はふらふらと雪交じりの外へ出ると、少し下方の小さな山小屋まで歩いて行った。


 その痩せた後ろ姿を見送りながら、レオンがディアナの背中をそっと支える。


「一日でも長く生きたいのは、みんな同じ……」


 ディアナが呟いた。王はどんどん小さくなって行く。


「みんな、同じなの」

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