86.冬の準備と墓参り
妊娠の可能性があるので、ディアナはしばらく農作業をやめることにした。
レオン曰く、妊娠は初期が大事なのだそうだ。
ディアナは姉夫婦とマクガレン公爵夫妻だけに妊娠の可能性を報告した。
冬の間はクラウスが編み物教室の講師を続けてくれることになった。
姉夫婦は彼女の妊娠を心から喜び、産まれたら人手の足りない部分は何でも言ってくれと申し出てくれた。ディアナはそれでようやくほっとし、長い冬に向けての準備に入った。
冬になると、狩猟の季節がやって来る。
ダニエルが早速、たくさんの猟銃を肩にかけて持って来た。
「ついに、この季節がやって来たな!」
ダニエルの宿屋にて。
玄関ホールに放り出された何丁もの猟銃に、辺境の男性陣は腕を前に組む。
「俺、銃なんか触ったことない」
「俺もだ」
レオンとゲオルグの言い草に、ダニエルは口を開けた。
「では、今までどうやって狩猟をして来たんだい?」
「何って、罠だよ。罠にかかったものだけを捌くんだ」
「それじゃ面白くもなんともないだろう」
「いや、別に肉食べるのに面白さとか求めてないんで……」
「おおそうか……なるほど」
クラウスが銃を手慣れた手つきで持ち上げる。
「銃か……久しぶりだな」
「クラウス殿は軍人だったらしいな。狩猟をしたことはあるか?」
「うーん、猪は撃ったことがない。人間なら撃って来たが」
「……こっちはこっちで物騒過ぎやしないか?」
カールとグスタフは猟銃を手に満面の笑顔だ。
「いよいよこの季節が来たか!」
「ふふふグスタフ殿。ここはひとつ勝負と行きませんか?どちらが多く撃ち取れるか」
「あのー」
レオンが二人の間に割って入って来た。
「村の掟により、自分の体重の二倍以上の獲物は持ち帰れません。ですから猪ならだいたい一匹となります」
グスタフはにやりと笑った。
「ならばこの勝負、太りまわった私の勝ちだな」
「……勝負どころがおかしくないですか?」
一行は女たちに見送られ、レオンの所有する山の中へ入った。
「ダニエルは、妻はおらんのか?」
クラウスに尋ねられ、ダニエルはふんと鼻を鳴らした。
「ふっ……野暮な質問だ。まだ選び切れないというだけの話で」
ゲオルグが言う。
「マクガレン公爵。可哀想だからそういうことは聞くべきではないと思うが」
「んー。ゲオルグ君、君が今一番失礼なの。分かる?」
ダニエルは苛々と反論し、最近更に美しさが増したラウラを思い出し嘆息を漏らした。
ゲオルグとレオンは仕掛けを設置するため、狩猟一派と別れて行動する。
狩猟可能な山で一番用心すべきは、猪ではなく、人間の銃なのだ。
食べるだけならば、罠にかかった猪を仕留めて捌く方が安全に違いない。一般的な農民は、皆そうやって狩りをするのが常だった。
「そういえば」
ぽつりとゲオルグが言う。
「この山に、両親の墓があるな」
レオンは驚いて長兄の顔を眺める。
ゲオルグは淡々と言った。
「俺も段々、字が読めるようになって来た」
レオンは頷いた。
「この冬が終わった来春に──ラウラを娶ろうと考えているんだが」
レオンは少し赤くなる。
「……そうだな。それがいい」
「それで、一度墓前に報告しておこうかと思って」
レオンの表情に少し影が落ちたのを感じ取り、ゲオルグは咳払いをする。
「……特にお前は、色々思うところがあるだろう。その──母の記憶がないから」
「……」
「場所を知らないんじゃないか。お前も、嫁が来たんだから報告したらどうだ。俺が案内する」
レオンは何かをじっと考えているようだったが、
「……そうだな。行ってみよう」
と、意外にもあっさり長兄の申し出を受け入れた。
二人の両親の墓は、山の何でもない斜面にぽつねんとあった。
何やらツタがはびこっていて、色々な枯れ枝にうずもれている。それを引きずり出し、打ち捨てて、どうにか露出させることに成功した。
墓を二人で眺める。
ふとレオンが告げた。
「多分だけど、ディアナが妊娠した」
ゲオルグが顔を上げる。
「……そうか」
「ああ。今は食べてもすぐ吐くもんだから、なるべく横になっててもらってる」
「ということは、お前も父親になるのか……」
レオンは大きくひとつ深呼吸をした。
「……なる。急に、なるんだ」
「まあ、そうだろうな」
「ああいうのってただ嬉しいだけなのかと思ってたけど、ディアナの真っ青な顔を毎日見てると、それだけじゃないんだなって……当たり前のことかもしれないけど」
「……そうだな」
「産むまでって、凄い大変なんだな」
「産む時も大変だがな」
レオンは怪訝な顔でゲオルグを見る。長兄は少し時間を置いて、珍しく目をこすっている。それで、レオンは気がついた。
自分を産んだ時、母が死んだのだ。
「……ディアナは強い女だ」
言い聞かせるように、ゲオルグは言った。
「きっと大丈夫だとは思うが……念のため、ここらで祈っておいたらどうだ」
冬の、冷たい墓石。
それをそうっとなぞって、レオンは妻の体温を思い出す。
(あ、……駄目だ)
レオンは青くなってその場にへたり込んだ。それから、ここにひとりで来なくて良かったと心底思う。
「レオン」
長兄がその名を呼んだ。
「やっぱり、まだ辛いか。罠は仕掛けたし、もう下山しよう」
そこかしこで、銃声が響き始めた。いよいよ猪を追い詰めているらしい。
レオンはゲオルグに支えられ、皆とは別のルートで下山した。
山の中腹まで降りて来ると、トマスが木の枝に猪を逆さ吊りにして血抜きをしていた。
まだ湯気の立つ臓物が地面に打ち捨てられている。
殺したての命が、そこにはあった。
嗅ぎ慣れない獣の血の匂いになぜかレオンはほっとして、ぶら下げられた猪を眺める。
「おい、何か今回の猟は、すげー手練れがいるな?」
トマスが目を輝かせながら言った。
「まだまだ猪、あるんだぜ。ほら」
草むらに、猪がころころと転がっている。
「こんだけありゃ、全部塩漬けか燻製にして冬は楽に越せるな。いや、むしろ多すぎるかも。余剰分は売ってもいいな。ディアナのことだから、どうせいい販路を確保してるんだろ?」
レオンはゲオルグと顔を見合わせ、笑い合う。
猪を引きずって、クラウスがやって来た。
「ここは木が多くて手こずるから、皆撃てないらしい。一人一頭倒した計算にして、山分けしよう」
元軍人はさすが手慣れている。
「冬の妊婦は苦労が多いと言う。これだけあれば、ソフィアもディアナも安心だろう」
トマスがそれを聞き、「え!?」と驚きを隠さずレオンの顔を振り返る。
レオンは笑顔で「はい」と答えた。




