76.ディアナの宿屋
馬車から降りて来た面々を眺め、ディアナは混乱した。
やって来たのはパブスト村の村長ロベルトと、美術商ダニエルだ。
彼らは宿泊希望者とは言い難い。きっと新築祝いに来てくれたのだろう。
「あら、御無沙汰ですねロベルト村長」
ディアナがそう言って歩み寄ると、ロベルトは気が引けるとでも言うように、弱り顔ではにかんだ。
「ああ、新築おめでとうディアナ。ところで君は……」
ロベルトはイルザの方に目礼すると、再びディアナに視線を戻す。
「君はあのハインツ商会の令嬢であり、イシュタル商会に嫁いだイルザ様の妹と言うではないか。なぜもっと早くそのことを私に教えてくれなかったんだい?」
ディアナは今更になって黙っていたことを詫びた。
「……申し訳ありません」
「いや、それについてはもういいんだ。その、ちょっと、ここを視察させてもらえないだろうか」
「?いいですけど……」
ロベルトがあちこち歩き回るのをディアナが怪訝な顔で眺めていると、
「ディアナ。噂は聞いたよ」
とダニエルが訳知り顔で近づいて来る。
「噂?」
「ああ。あの山小屋に泊った男女は結ばれる、という噂──」
「あら。それはそれは……」
「なかなか面白いジンクスがあるようだね。確かイルザ様がグスタフと仲直りし、ソフィア様が懐妊したと、貴族間ではその噂で持ち切りだ。二組中二組が成功を収めている」
「縁結び率100パーセントですからね。数字は嘘をつきませんわ」
「ディアナ、これはチャンスだ。今日ロベルト村長がここに来たのも、その噂を聞きつけてのことだ」
「視察って、そういうことなんですか?」
「ああ。実は最近、ちょっと……村に宿屋が足りなくなって来てね」
「まぁ!」
「今、どこかに新たな宿屋を据えようと計画中なのだ。そういうわけで、ここは勝手ながら候補地のひとつと目されている」
「……へ?」
ダニエルが説明しているところへ、ロベルトが戻って来た。
「ふむ。ここは石だらけの土地なのだね。ところで相談なのだが、ディアナ」
「はい、何でしょう」
「もし、もしもだよ?ここに宿屋を置かせてくれと頼んだら、賛成してくれるかい?」
「!!」
ディアナは困惑気味にレオンを振り返る。レオンはそれを見て、ゆっくりとこちらへ歩いて来た。
「この土地の所有者は俺なんですけど」
「ああ、そうだったね。土地は村名義で買い上げる。もし土地に余裕があるなら、宿屋のことを検討して貰えないだろうか」
「……その宿屋とやらは、誰が経営するんです?」
「今のところ、何人かの貴族が名乗りを上げている。領地経営の手腕がある連中ばかりだ。だから、君達の手は煩わせんよ」
「ほー。領地経営……」
「買い上げ金額も、相場の二倍出そう。ここは辺境だから、土地を余らせておくより美味しい話だと思えるのだが、どうだ?」
レオンはディアナの肩を抱いた。
「少し考えさせてください。まだ新しい家を建てたばかりです。生活が落ち着いてから考えたい」
「ふむ。確かにそうだな。いや、大変な時期に申し訳なかった。でも、考えておいてくれると助かる」
ロベルトはそう言うと、帽子を振りながら帰って行った。
レオンとダニエルは、そっとディアナに視線を落とす。
ディアナは小刻みに震えていた。
レオンは妻の耳に囁く。
「……武者震いか?」
ディアナは震えながらも、苦し気な笑顔で頷いた。
「おやおや。商売人の血が煮えたぎっているようだ」
そばで見ていたダニエルが不敵に笑う。
「私には君の気持が分かるぞ、ディアナ。チャンスが目の前に転がって来た時の、あの花火が打ち上がるかのような感覚。君は根っからの商売人だね。アウレール様も、天上でさぞお喜びだろう」
レオンは複雑な視線を妻に向ける。
「……一旦落ち着こう、ディアナ。色々と急過ぎる」
ディアナは頷いたが、その目の色はちかちかと輝き、明らかにそろばんをはじいている。
レオンはそっとため息を吐いた。
「何か……疲れるなぁ」
新しい家で、初めての夜。
寝室は二階にあった。
ベッドもダブルベッドにして、真新しいリネンシーツもシャリシャリして心地よい。
以前より安眠できる環境を手に入れたのに、ディアナは興奮して何だか眠れずにいた。
(宿屋か……)
「ディアナ」
ふと、隣で寝ていたレオンがこちらに寝返りをうって来る。
「……眠れないのか?」
夫の手が、ディアナの緋色の髪に伸びて来る。ディアナが頷くと、その手が彼女の頭をそっと抱き寄せた。
「村長が宿屋の話を持って来たからか?」
「うん」
「ディアナはどうしたい?」
ディアナは考えた。
宿屋を経営すれば、あの料理も、ティンクチャーも、何もかも余すことなく表に出せる。
しかも村が土地を買い上げてくれるとなれば、懐も潤うだろう。
だが自分で宿屋を経営するとなると、人手が必要となる。賃金が発生する。
この話に首を突っ込みたいと言えば、レオンどころか親族郎党を巻き込むことになる。自分の欲望のままに一存で決められるものではない。下手を打ったら、一家離散の憂き目にも遭いかねない。
大体、宿不足は戦乱が収まれば解消されるだろう。そのためだけに宿を建てるのは、さすがにリスクが大きすぎる。
やはりここは、経営を貴族に任せるべきか──
と、急にレオンが少し強引にディアナの唇を自らの唇で塞いだ。
「……!レオン」
「今、俺のこと忘れてただろ」
「ご、ごめん」
「……俺、ディアナがやりたいことなら応援するよ」
「……うん」
「でも、もしディアナに迷いがあるなら立ち止まった方がいい。大体、さっき貴族の奥方から予約を取ったばかりじゃないか。それを試してみてからでも、何ら遅くないだろう」
「そっか……確かにそうね」
「計画的に行こう。感情のまま動くのは危険だ。宿のことは、何かアイデアが浮かんだら俺にも報告してくれ。色んな視点が必要だろうから」
「……ありがとう、レオン」
「さーて、新しいベッドも買ったことだし」
「?」
レオンの手が膝に伸びて来て、ディアナは顔を赤くする。
「もう!人が真剣に将来を考えてる時に……!」
「最近してなかったからいいだろ」
「あのね……」
「愛してる、ディアナ」
新築の香りに包まれ、夫の体に触れ、ディアナはふと未来の自分を想像する。
自分の手に余ることは避けるべきだ。けれど、この村で家族と幸せになることは追求するべきだ。
誰かと自分を幸せにするには、自分はどう動くべきだろうか。




