74.お店、まだ開店してませんけど?
しばらく、ソフィアもその友人貴族たちもディアナの山小屋に来なくなった。
真夏になってエディブルフラワーが一時的に咲かなくなり、ディアナの営業活動が滞ったことも影響しているのだろう。
しかしディアナにとっては、今やそんなことは全く気にならない。
なぜなら──
秋の空。ディアナは紅葉を始めた山の前に建つ二階建ての家を見上げた。
木製の小屋に、真新しいオフホワイトの塗料が眩しい。レンガで出来た小さな花壇には、コスモスの種を植えた。
今日は家具の搬入日。
いよいよ、山小屋から新築に移り住むのだ。
義兄たちが家具を運び入れるのを眺めながら、ディアナは山小屋で冷たい井戸水のレモネードを作る。
もしかしたら、ここで調理をするのは今日が最後かもしれないのだ。
何もかもが手の届くところにあるこの便利な山小屋。
レオンに連れて来られ、共に過ごした山小屋。
今更になって、少し離れがたい気もする。
「おーい、ディアナ」
レオンが小屋に入って来る。ディアナは慌てて目尻を拭った。
「何?」
「フリッツが新築祝いにさばいた鶏を持って来たぞ!今から調理出来るか?」
「あら、ありがたいわね。フライパンでカリカリにソテーしましょうか」
「トマスからはワインと釣り竿」
「道具を与えるとは分かってるわね」
「ハンスは今、カーテンをつけてくれてる。しかし、真っ白なカーテンとは味気なくないか?」
「古びて来たら、染め直して使えばいいじゃない」
「あっ、なるほど。ディアナは賢いな」
レオンは汗ばんだシャツの首元をはだけ、ぱたぱたと扇ぎながらぐるりと小屋を見渡した。
「……この小屋とも、これでお別れかあ……」
ディアナは肩をすくめて笑う。
「意外と私がここに住んだ期間は短かったわね」
「俺は三年ぐらい住んだ。元々は、親父が山で狩りをするための小屋だったんだ」
「へー。だからこんなに古いのね……」
ディアナはそう言いながらレオンに身を寄せる。レオンはディアナを覗き込むようにして口づけた。
「……新しい家では新しい思い出が出来るよ」
「そうね。あっちの家に住む方が、きっと長いもんね私たち」
熱したフライパンに鶏肉の皮目から焦げ目をつけ、にんにく油でこんがりと両面を焼いて行く。
ガーリックチキンの皿とレモネードのガラスジャーを持って、ディアナは外に出る。
木の丸テーブルに真っ白なテーブルクロスがかけられ、既に手土産を下げた面々が集っていた。
白いクロスの上には、沢山のパンが籠に入っている。ゲオルグが持って来たらしい。
ラウラもいた。エディブルフラワーのサラダを取り分けてくれている。
グスタフから貰った食器を並べ、一族全員で丸テーブルに着いた。
少し柔らかくなった秋の日差し。
全員で神に祈りをささげたのち、それぞれ待ちきれない様子で食べ始めた。
「……これで全員か?」
ゲオルグに問われ、ディアナは頷いた。
「姉はもう少し落ち着いてから、お祝いの品を持って来るらしいです」
「なるほど。婚家の都合を優先せよということか。出来た姉だな」
「ええ、あれでも一応その辺の分はわきまえております」
と。
ラウラがディアナの肩を叩き、山の斜面を指さす。
振り返ったディアナは驚いた。
遠くから、馬車が数台まとめて走って来るのが見えたのだ。ディアナは特に約束の覚えがなく、混乱した。
「あれ?お店がオープンするのはもう少し後なんだけどな……」
レオンが言う。
「新しい家の前でパーティなんかしているもんだから、とりあえずお祝いに馳せただけかもしれないぞ」
「皆さん気が早いのね。とにかくお会いして、ご挨拶をしなければ……」
その中の一台は、イシュタル商会の馬車だった。ディアナは目を丸くする。
「……って、イルザの馬車じゃない!」
「どれも見覚えのある馬車ばかりだな。高貴な身分で乗る馬車だ」
「んんんん?どういうこと?」
困惑している内に、イシュタル商会の馬車が一番乗りを果たす。
馬車からイルザが降りて来た。ディアナがぼうっとしていると、姉はつかつかとディアナに歩み寄ってこう詰め寄った。
「ディアナ!あの古い方の山小屋、私に売ってちょうだい!」
ディアナは目を白黒させた。確かに以前そんな話をしたことがあったが、急すぎる。
「お姉様、まだ引っ越しは完全に済んでなくて……」
「いいのよ。所有権は私にちょうだい!」
「何をそんなに急いでいるの?その話はもう少し後で……」
そうやって押し問答を続けている内に、続々と馬車が到着し、争うように人が降りて来た。見覚えのある貴族たちは、イルザに続けとばかりにディアナに押し寄せる。
「新しい家が建ったのね?ならばあの小屋は必要ないでしょう。私達を泊めて!」
「あの小屋はおいくらなの?言い値で買うわ!」
「一日だけでいいの。ちょっと貸してくださらない?」
混乱しているディアナを押しのけ、レオンが前に立った。
「はいはい、そこまで。俺があの小屋の所有者だ。皆さん一体、何があったって言うんです?」
高貴な身分の女たちはレオンが出て来ると急にしおらしくなり、口々に理由を述べ立てた。
「だって……あの小屋に行けば、夫婦円満になるって言うじゃない」
「そうそう。何て言ったって、あの変わり者のソフィアが山小屋に通ってから、急にクラウスといちゃつき出して」
「かと思ったら妊娠したって言うんですものね。あの山小屋は凄いわ。何か秘密があるに違いないのよ!」
ディアナは飛び上がった。
「えっ?ソフィア様が妊娠!?」




