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【書籍化】没落令嬢の幸せ農場〜最愛の人と辺境開拓スローライフ〜  作者: 殿水結子@「娼館の乙女」好評発売中!
第六章.ディアナのお店と偏屈貴族

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71.一緒に始めよう

 バケツの中はますで溢れ返っている。


 鱒が暴れ回り、バケツが横にドコドコ揺れて移動し始めるほどの大漁ぶりだ。


「ふう……」


 ソフィアは額の汗を手の甲で拭った。


「さぁ、早速燻製にしてもらいましょう!」


 馬車にどかんと鱒の束を置き、ソフィアとディアナはそれに乗り込んだ。


 と。


「おい、誰のおかげでその鱒が取れたと思ってるんだ?」


 ゲオルグがしかめ面で文句を浴びせたので、ディアナは言い返した。


「燻製にしたらトマスが根こそぎ持って行くらしいから、トマスに話をつけてよ」

「は?何でそこにトマスが出て来る」

「この釣り竿、トマスに借りたの」

「……ふーん」


 ゲオルグは虚空を見上げた。


「まあいいか。燻製にするなら、保存が効くし」

「トマスによろしくね!」


 二人を乗せた馬車は、ガラガラと音を立てて川辺を走り去って行った。


 ゲオルグが呟く。


「あの貴族の娘……釣りの才能があるな」




 燻製小屋は川の下流にあった。


 ほったて小屋からもくもくと香ばしい塵がけぶり、周辺に独特の香りを漂わせている。


「ここが燻製小屋……」

「あら。ディアナ見て、あそこ」


 村人が集まって、何やら樽に色々と突っ込んでいるところだった。


「行ってみましょう」


 ソフィアはずんずんと進んで行き、ディアナも付き従う。


 樽の中には香ばしい琥珀色の液体が張られており、村人は刻んだ肉塊を投げ入れていた。


「あのう」

「何だい?ディアナじゃないか」

「皆さん何をされているんですか?」

「何って。ソミュール液に肉を漬け込んでいるのさ」

「ソミュール液?」

「知らないのかい。保存液兼風味液といったところだね。今日のはカルダモン風味のソミュール液だよ。君たちも魚を漬けたいのか?」


 ディアナとソフィアにはよく分からない話だったが、燻製づくりに必要な工程らしいので、間を置かずに首を縦に振った。


「ソミュール液の代金は、銀貨一枚だよ」


 ソフィアが巾着から銀貨を出し、すぐさま払った。


「……と、漬け込む前にだね。そのはらわた何とかしてよ」


 村人がそんなことを言い出したので、ソフィアは青ざめる。


「わ、私、魚は捌けません!」


 ディアナが耳打ちする。


「切って出すだけでいいから。だって出さないと、お腹にあの虫が入ったままですわよ」

「ひいいいい」


 ソフィアは震え上がりながら、村人から善意で手渡された護身用ナイフを手に取る。


「……私がやらなきゃダメですか?」

「俺たちにはらわたを取ってもらおうってんなら、もう銀貨一枚くれよ」

「……うぅ」


 ソフィアは震える手で、魚の腹にナイフを刺し込んだ。


 どろりと赤黒いはらわたが出て来るのを、ナイフで更に掻き出す。


「はーっ、出来たわ」

「出したら、洗いましょう。水を用意するわ」


 ディアナが持って来た井戸水で、しっかり鱒の腹の中を洗う。


 布で拭いて、腹を大きく開き、ようやく下ごしらえが完成した。


 それを10匹分繰り返し、ソミュール液の樽の中に鱒を入れてもらう。


「おじさん達、ありがとう。完成はいつかしら?」

「そうだなあ。今から一日漬けて、塩抜きをして乾燥させてまた一日……三日後に来れば大丈夫かな。ちょうど燻す時だから」

「分かった、三日後また来るわ」

「あとこれは相談なんだが、みんなで持ち寄った燻製を物々交換しないか?君たちもこれだけの鱒を食べ切るのは難儀だろう」


 ディアナとソフィアは顔を見合わせた。


「い、いいんですかっ!?」

「俺たちだってマトンのベーコンを一頭分食べ続けるのはしんどいんだ」

「ありがとうございます!」


 思わぬ好意に、二人はにやけが止まらない。




 ディアナを山小屋に返すと、ソフィアは馬車から声をかけた。


「今日はありがとうディアナ。我儘に付き合ってくれて」

「我儘なんて……むしろこっちが助かりました。ソフィア様って何でも器用にお出来になるんですね」

「ふふふ。褒めたって何も出て来ないわよ?」

「いえいえ。それでは三日後、また燻製小屋で落ち合いましょう」


 二人は手を振って別れた。


 ソフィアはすっかり暗くなった田舎道を眺め、高鳴る胸を抑えた。


(私、自分は何も出来ないって思ってた)


 体中に、川と、魚と、燻製の香りが染みついている。


(でも、やってみたら何だって出来るんだわ。昨日は刺繍、今日は魚釣りも出来たし、はらわたを取り出すことも出来た)


 何もかも、やってもらえる人生だった。


 けれどそれは言い換えれば、何もやらせてもらえない人生だったのかもしれない。


 きっとその「出来ない」という心の穴を、作り手がモノに込めたと思しき微々たる愛で、ソフィアは何とか埋めようとしていたのだ。


 そう気づいた時、ふいに彼女は夫の顔を思い出した。




 パブスト村の宿屋に帰って来たソフィアは、再びクラウスのいる部屋に直行する。


 ノックしたが返事がないので扉を開けると、クラウスはベッドに横になってまどろんでいた。


 ソフィアは近づき、クラウスの胸元を見てハッとする。


 そこには、ソフィアが刺繍した〝K〟のリネンハンカチが乗っていたのだ。


 それをそうっと持ち上げようとすると、クラウスが目を開け起き上がった。


「なっ……ソフィア」

「おじ様。三日後はお暇ですか?」


 急な誘いにクラウスは戸惑ったようだが、すぐにハンカチをポケットにしまい、微笑んで見せた。


「ああ、暇だ。しかしなぜ急にそんなことを」


 ソフィアは微笑むとクラウスの横に座り、勝ち誇ったような顔でこう告げた。


「何かお気づきになりませんか?」

「ん?……そうか。君は少し煙臭いな」

「私、魚釣りをして来たんです」

「?」

「しかも釣った魚を燻製にして来ました。10匹ほど」

「!?」

「三日後に燻し終わります。ですから、それを取りに行こうとこうして誘っているのです」


 次々繰り出される妻の告白に、クラウスは頭が追いつかない。


「ソフィア……君はいつの間にか随分と田舎暮らしを満喫しているようだね」

「はい。ディアナさんに色々と暮らしの術を教えて貰ってるんです。だから私、いつでもひとりで生きて行けますわね」


 少し挑戦的な色を目尻にたたえ、ソフィアがそう言ってのける。


 クラウスは目を丸くした。


「ソフィア。君は何を……」

「私、おじ様がいなくても生きて行けます」

「……」

「私は何でも出来るんです。だから、おじ様が何かを出来なくても、気にならなくなりました」


 クラウスは、すぐさま彼女の言わんとしていることが分かったらしい。


「ソフィア……」

「はい」

「……あの夜のことを、許してくれるのか?」


 ソフィアはクラウスの目を見て、そうっと頷いた。


 次の瞬間には、彼女は夫の胸に抱かれていた。


「!……おじ様?」

「……君には悪いことをした。若い君を娶るなんて、するべきではなかったんだ。私は長らく君を苦しめた……」

「……だ、だから、そんなことはないんです!」


 ソフィアはそう声を荒げて体を離した。


「ひとつが出来なければ、全てを壊さなくてはならないなんて、そんなことは、ないはずなんです」

「ソフィア……」

「だから、これから探すべきです。我々が我々のために出来ることを。私、おじ様のことを嫌いになろうと頑張りました。だけど、私、おじ様を──」

「……」

「……おじ様を、どうしても嫌いにはなれなかったんです」


 クラウスは再びソフィアを抱き締めた。ソフィアは目を閉じてその背中に腕を回す。


 大昔、子供の頃、そうしてもらったように。


「愛なんかいらないって言い張って、その分をあなたから貰ったモノで埋めようとして来ました。私きっと、自分を愛せなくて苦しんでいたんだわ。でも、ディアナさんと出会って出来ることが増えるにつれ、その悩みは消えて──なぜだか急におじ様を許せたの。だからこれは私の問題であって、おじ様には関係ないことなんです。私をそんな風に憐れまないで下さい。私はもう、強くなりました。誰かにいたずらに感情を振り回されたりしません」


 クラウスが久しぶりにソフィアの頬に触れる。


「好きだの嫌いだのはどうでもいい。そばにいてくれれば」

「……おじ様」

「こっちは勝手に愛すことにしよう。今、そう決めた。このことは、君とは関係ない……いいね?」


 ソフィアは思わず微笑んだ。


「……はい」

「そばにいてくれるか」

「ずっといますわ。嫌いじゃないんですから、ね」


 クラウスがそっとソフィアに口づける。


「……妙だな。川魚の匂いがするぞ」


 ソフィアはクラウスの胸でくつくつと笑った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 薄桃色の夢を見ているような [気になる点] 何気にハイスペックになりそうなソフィアさま [一言] いいな。 二人の情景を思い浮かべて、眼福でした なんかイイですよね、このお二人
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