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第六章.ディアナのお店と偏屈貴族

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69.牝牛の妊娠

 バラが手に入らなくなったので、ディアナはしばらくシロップを作るのをやめることにした。


 石交じりの何もない土地に、大工たちが家の土台を作り始めていた。毎日トンカンと音がするので若い方の牝牛が落ち着かない……と思ったら、いつの間にか牝牛の腹が膨れ始め、獣医の診察の結果、妊娠しているらしいことが判明した。


 今飼っている牛の一頭は産後一年が経ち、そろそろ乳が出なくなる。なので、レオンとしては若い牝牛の妊娠は好都合のようだった。


「牛飼いに牛を任せるようにして正解だった。色々連れ出している内に、自然に妊娠して来てくれてラッキーだったな」


 二人はトマスから貰った釣果のますを塩で焼き、ただかぶりつくと言う簡易かつワイルドな昼食を取っていた。魚から顔を離し、ディアナは問う。


「そうよね。余り気にしていなかったけど、牛からお乳が出るのはその牛が出産したからなのよね……」

「そうなんだよ。これは家畜を育てたことのあるやつにしか実感が湧かないことだろうな」

「産んだ牛はどうするの?」

「買取業者がいる。オスならそれに任せてもいいが、メスだったらうちで育てるか。ディアナが来て、人の手が増えたし」


 牛が牛を産む。


 当たり前のことだが、きっと街で暮らしていたら気がつかないことだ。ディアナは牝牛に少し同情した。人間がその乳を飲みたいばかりに、彼女らに犠牲を強いているのだから。


「何だか牛に悪いわね。赤ちゃん用のお乳を横取りしているなんて」

「お。そこに気がつくとは、ディアナは偉いぞ。そういうことなんだ。我々は何かの犠牲の上に成り立っている」

「そうだわ。今の牝牛がお乳を終わらせる前に、もうひとつぐらいチーズを作っておこうかしら」

「いいね。また貴族の娘たちを呼んで作るか?」

「いいわね、それ。きっと楽しいわ。最後にいくらでチーズを売りつけようかしら」

「本音をしまえ、ディアナ……お?何か音がするぞ」


 それは馬車の音だった。ディアナは皿に鱒を置くと、窓から顔を出す。


「あの馬車は、マクガレン公爵の馬車よ」

「ほー。まさか小屋に住まわせろってんじゃないだろうな」

「違うと思いたいわ。だってメリッサの誤解は解けたはずでしょ」

「一体何をしに来たんだろうな……」


 馬車が丘の上に着き、降りて来たのはソフィアひとりだった。


「あら、ソフィア様」


 ディアナは丁重にお出迎えする。


「こんなところにおひとりで。何かあったんですか?」


 ソフィアは困ったように首を横に振った。


「いいえ、何も。でもどうしても、気晴らしがしたくって」

「今日はお友達の貴族をお連れではないんですか」

「ええ……ちょっと、あの二人は」


 ソフィアはためらうように言い淀む。ディアナの目がきらりと光った。


「表にベンチがあります。よろしければ休んで行ってください」

「ありがとうディアナ。あなたっていい人ね」


 少し引っかかる言い方をしながら、ソフィアは表のベンチに腰掛けた。ディアナも横に座る。


 家が徐々に出来る様子を、二人は静かに眺める。


「あの……クラウス様にハンカチ、あげましたか?」


 ディアナの問いかけに、ソフィアは頷いた。


「ええ」

「何て言われました?」

「ありがとうって言われたわ」


 何とも言い難い沈黙がおとずれる。可もなく不可もない内容だ。ディアナがほとほと困っていると、遠くから今度は馬がやって来た。


 獣医が来たのだ。


 レオンはすかさず小屋を出て、馬の方へ歩いて行く。


 牛小屋に獣医を引きつれ、彼らはしばらく出て来なくなった。


「……あれは?」

「彼は獣医ですね。うちの牝牛が子を孕みましたの」


 ディアナの言葉に、ソフィアは少し険しい顔をして頷く。


「……そう」

「でも、牝牛が子を産めばまたお乳にありつけます。人間って、身勝手ですよね。子供のための大切なお乳を、横取りして美味しくいただこうなんて」

「……」

「ソフィア様?」


 ソフィアは目をこすっている。ディアナは何か悪いことを言ってしまったと焦り、冷や汗をかいた。


「ごめんなさい!私、何か気に障ることを──」

「……ディアナさんは、夫に愛されてる?」


 突然の質問にディアナは凍りつく。


「ええっと……それはどういう意味で……?」

「……私はきっと愛されていないの」

「えーと」


 ディアナは頭を回転させる。


「でも、愛なんかいらないとおっしゃっていたではないですか」

「……」

「人の心は変わるから好きじゃないって。モノは作り手の愛情が伝わるから好きだって」

「……」

「やはり愛が必要でしたか?」


 少し意地悪な質問の仕方だとは分かっている。けれどあの誠実なクラウスに出会ってから、ディアナはどうしても彼に肩入れしてしまう。


 ソフィアは顔を両の手で覆った。ディアナは吐くことを促すように、その背中をさする。


「か、体を……」

「はい」

「……夫に、体を求められないの」

「そうですか……」

「出来ないみたいなの」

「……」

「だから、私は私に価値を見出せない。おじ様は優しくしてくれるけど、それはきっと全てを諦めているからなの」

「……」

「女は嫁ぎ先で問題を起こさず、毎日微笑みを絶やさず、夫に愛されて、子供を産んでこそ一人前だって、物心ついた時からずっと教えられて来たわ」

「……」

「私はどれも出来ていない。だから苦しいの」

「ソフィア様……」


 ディアナはソフィアを抱き締めた。ソフィアは喉を絞り上げるように泣く。


 ディアナは思う。これはかつての自分。レオンが迎えに来てくれなければ、自分だってこうなっていたかもしれないのだ。女が一人で生きて行けるように、この世界は設計されていない。良家の子女なら尚更だ。


「……クラウス様だって、ソフィア様を愛していらっしゃいますわ」

「嘘よ。だったら出来るはずだわ」


 ディアナの中でぶちんと、何かが弾けた。


「……ソフィア様。厳しいことを言いますが、それはあなたが苦しめられている言葉と全く同じではありませんか?」


 ソフィアは急にしんとして、涙まみれの顔を上げる。


 ディアナは静かに繰り返した。


「出来るはず……その言葉に苦しんでいるのは、クラウス様だって同じなのでは」


 ソフィアは呆然とうつむき、〝S〟のイニシャルが入ったハンカチで顔を拭う。


「そっか……そうね」


 ソフィアはハンカチに顔を埋めた。


「……出来ないことばかりにこだわって、苦しんでたのね、私達」

「ソフィア様……」

「怖くて、お互いモノのやりとりに逃げて来てしまったの。踏み込んだら、お互いが余りにも哀れだから」

「……」

「……だから二人で出来ることを、我々は今一度探し直さなくては……」


 急な論理の展開に、ディアナは呆けた。


「はい?」


 ソフィアは清々しいまでの決意をたたえた瞳で立ち上がった。


「ねえ、あなたのお店ではどんなことが出来るの?片っ端から教えて下さる?」


 ディアナはソフィアの勢いに飲まれ、ただ頷くしかない。

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