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第六章.ディアナのお店と偏屈貴族

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64.刺繍のサンプラー

 ソフィアが、「買い与えることでしか気を引けない夫を好きだと思うことはない」と明言したのが、ディアナの脳裏によみがえる。


 ディアナはイルザの一件とソフィアの現状を比べてみる。


 ソフィアはクラウスからの愛を「いらない」と言い切っていた。


 ディアナはそこに大きな引っかかりを覚える。


 もしかしたら、ソフィアはクラウスを異性として見られないのかもしれない。


 ディアナは深い深いため息を吐いた。


「……ああ、勿体ないわねぇ」

「何がだ?言え」


 レオンはディアナの頬を両手で挟む。ふざけているように見えて、目は本気だ。


「二人とも、どうした?」


 クラウスに問われ、二人は笑って誤魔化した。


「まぁ、レオンにディアナじゃないの。こんなところまで来るとは珍しいわねぇ」


 メリッサはそう微笑んで、二人分の椅子を引く。


「あなた達の分もお茶を入れなきゃね。さあ、みんな座って」


 予想していない流れになったが、断るのもおかしいので二人は指示通り椅子に座った。


 テーブルの上には、刺繍の道具が置いてある。ディアナはもの珍しさに道具箱を覗き込んだ。


 本当に、クッキー缶ほどの木の箱に、整然と刺繍糸が並んでいる。箱の隅ではくるみを割った中に綿花を入れたものに、輝く針がひとつ、差し込まれている。


 美しく使い込んだ道具たち。長らく愛用していると思しきその洗練された佇まいは、すぐさまディアナを虜にした。


「とてもシンプルで素敵」


 思わず呟いたディアナを見て、メリッサはクスクスと笑う。


「そうかしら。刺繍は針と糸、あと枠と布さえあれば始められるから、シンプルにしているというよりは道具が少なくて済むというだけの話よ」


 それを聞き、ディアナは斜め上を見る。


「ふーむ。刺繍もいいわね……」

「あらディアナさん。これを機に刺繍を始めてみる?」


 ディアナは頷いた。


「私もハンカチ刺繍に挑戦してみようかしら。メリッサさん、私を弟子にして下さる?」

「やだ、ディアナ。大袈裟なんだからぁ」


 メリッサは手をひらひらさせつつ、奥の引き出しから針をもう一本持って来た。


 それからハンカチをひとつと、様々なアルファベットを刺繍したサンプラーを数種類。


 三人はメリッサの美しい刺繍サンプラーに目を落とす。


「これを見本に刺繍するのね?」

「ええ。三種類のステッチが出来れば完成するわ」


 木綿のハンカチに丸い木枠を挟み込み、ぴんと張った生地に針を落とす。


 Dの字を、夏らしく水色で入れてみる。大昔にやった記憶があるが、意外と覚えているものだ。


 ふと、母もハンカチに頭文字を刺繍してくれたことを思い出す。


 温かな記憶。


 さくさくと針をDの線に均等に落とし、文字を膨らませるために絹糸を一方向に繰り返し往復して刺す。ふくふくとした絹糸の束で、文字を優しく包み込むように。


 隣でレオンが肘をつき、その手元を覗き込んで来る。


「ディアナ、上手だな」

「昔、子供の頃母に教わってやったことがあるの」


 あっという間に刺繍ハンカチが完成した。


「ああ、素敵。そうだわ、みんなにも教えようかしら」

「あら、お友達に?」

「あ……まあそのようなものですわ。メリッサさん、どうもありがとう。材料費はおいくら?」

「あら、気を使わないでいいのよ。でも、そうね。ディアナさん、もし出来るならこのサンプラーをもう一枚そっくり縫って行って下さる?その、糸と布をあげるから」


 メリッサの申し出に、ディアナは首を捻った。


「縫って行っていいんですか?」

「ええ。だって教えるんでしょう、お友達に」


 ディアナはリップス村の宿屋に来る貴族の面々を思い出した。


「はい……」

「うち、男の子しかいないから、このサンプラーを引き継ぐ女子がいないのよ。ディアナで良ければ、このサンプラーを引き継いでちょうだい。このフォントは先祖代々引き継いできた大事なものなの」


 ディアナはメリッサのサンプラーに目を落とした。そういえば、聞いたことがある。古い村では、各家庭に刺繍用のフォントが受け継がれていると。これもそのひとつなのだろう。


 今度は大きな木枠を手渡され、ディアナはそこに布をはめ込むとせっせとそれを縫った。その間、クラウスは椅子にもたれ、うとうとと船を漕ぐ。


 レオンはそれを見やると、どこか腹立たし気に舌打ちをした。


「何だよ。随分慣れた様子で……」


 すると、メリッサがくすくすと笑う。


「うふふ。多分、クラウス様は疲れてるのよ」

「何で?」

「だって、若い奥様がいらっしゃるんですもの。きっと、奥様の前では気を張ってるのね」

「おいおい。メリッサ、甘やかしたら駄目だよこういう男は。ずーっと気を使ってるように見せかけてるけど、実際は己が傷つくのが怖くて妻に心を開けてないだけなんだからな。我儘なだけなんだよ、このおっさんは」

「こら、レオン……!」


 ディアナは赤くなってたしなめながらも、内心レオンの洞察力に感心していた。


 そうなのだ。きっとその辺りを見破っていて、ソフィアは苦しんでいるのだ。


 クラウスが、気まずそうにそっと瞳を開ける。


 農民夫妻はそんな公爵の姿を、じっと息を止めるようにして観察した。

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