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第六章.ディアナのお店と偏屈貴族

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57.戦時下の夫婦の形

 公爵夫人ソフィアの思いがけない吐露に、農民夫妻は固まった。


 まるでイルザと同じ言い草に、ディアナは既視感を覚える。だが、彼女はイルザとは決定的に違う感情を内包していた。


「……けれどソフィア様はその夫と関係を修復したいとおっしゃっているのですよね?」


 ディアナにそう尋ねられたソフィアは、唇を噛んで下を向く。


「……それは、ソフィア様だって多少は彼を愛してらっしゃるということでは」


 ソフィアは首を横に振った。


「愛とは少し事情が違います。私、彼からの愛はいりませんが……」


 彼女はそう言うと、深いため息を吐いた。


「夫には、どうやら疎開先に愛人がいるみたいで……そのような女に金品を貢いだりするのだけは、さすがに我慢ならないのです」


 ディアナは頭を抱えた。思っていたのと違う。


「そっ……それは、農作業でどうにかなる問題ではないのでは?」

「ええ。けれど、町から離れ、農業にでも勤しめば、彼女との関係も切れるかしらと思いまして」

「ええええ」


 そういうことだったのか、とディアナは肩を落とした。


 グスタフのように、もっと純な想いで農作業を決意して来たと思ったのに……


 と。


「ふざけんなよ」


 ぽつりとレオンが声を落とす。


 怒りと呆れがないまぜになった、小さな声だった。


 ソフィアが顔を上げる。


「俺達が頑張っている農業を懲罰みたいに言うとは、聞き捨てならないぞ。大体、貴族だか何だか知らないけどな、人の生活を貸して欲しいと言うのならそれなりの覚悟が必要だ。こちとらあんたの領地の住民でもないし、召使いでもないんだ。言う事を何でも聞くわけじゃないんだよ。大体、己の領地の住民放って他国に逃げて来たんだから、もっとこの他領地民に対して謙虚でいるべきなんじゃないのか?」


 ディアナは慌ててレオンを諫めた。


「レオン、それは言い過ぎよ……」

「言い過ぎなもんかよ。みんな俺たちを便利屋か何かだと勘違いしてるんだ。揃いも揃って、やることなすこと全部行き当たりばったりだし……ちょっとは我慢を覚えるべきだ」

「もう、レオンってば……」


 ソフィアはそれを聞いて青くなっている。ディアナは取りなした。


「あの、ソフィア様。うちに来れば何でもすぐに解決、というわけには行きませんのよ。もっとお二人で話し合い、前向きな気持ちになることが必要かと思いますわ。それから農作業を始めても遅くはありません。夫だって不満は述べていますが、ソフィア様自体を拒んでいるわけではないんですよ?」


 レオンは、それに関しては小さく頷いた。


「ああ、そうだな……その夫とやらが頭を下げに来たら、願いを受け入れてやらないこともないぞ」

「そうそう、そうよね。うふふ」


 ディアナは笑顔でその場を誤魔化しながら、レオンの背をつつく。


「……何だよ?」

「レオン、退場」

「はあ?」

「これからまだこっちには商談があるのよ。あっち行っててよ」

「はいはい。ディアナお嬢様は大層お仕事に精が出ますねーっと」

「も、もう……!」


 レオンは立ち上がるとこれ見よがしに周囲に向けてディアナの肩を抱き、その頬に少し強引なキスをした。


 ディアナは真っ赤になって立ちすくむ。


 彼は妻に手を振ると、笑顔で立ち去った。一連の行動で、夫は悩める貴族たちにちょっとした当てつけをしたらしい。


 以前のイルザの言葉を思い出す。


(どうしよう。嫉妬で彼女たちの気分を損ねちゃうかも……)


 ディアナは恐る恐る、背後の貴族夫人たちを振り返った。


 と。


 意外にも、彼女たちはうっとりとレオンの残した甘ったるい余韻に浸っているではないか。


 ディアナは籠からバラのシロップを取り出しながら、おっかなびっくり周囲を観察する。


「……いいわねぇ、身分に縛られない生活って」


 夫人のひとりが熱っぽく呟いた。ディアナは呆気に取られる。


「ねえ、まだお嬢様って呼ばれているの?」

「……いいえ。あれは冗談で、いつもは呼び捨てです」

「結婚式はもうしたの?」

「はい。村の広場で」

「指輪なんかは貰ったのかしら」

「農民にそのような習慣はないようです。ただ、花の冠を作ってくれました」

「それって、前に帽子に作ってつけてくれたリース?」

「そのようなものです」

「いいわねー。牧歌的だわ!」


 ディアナはうっすらと感じ取る。


 貴族たちが憧れるもの。


 自然、素材、身分からの解放。


 そして少し強引な、力強い異性。


「私達、産まれた時からその家柄と容姿とで、どこと釣り合うとか何とかそればっかりよ。女に産まれた以上、ずっとその価値や点数に縛られなくてはならないの。まるで商品扱いよ。しかもどんなに教養や内面磨きに精を出したって、家の格と産まれついた容姿でハナから点数は固定化されているから、努力なんて結局無意味なの」

「その点は商家も似たようなものだけど、それでも身分にはそこまで縛りがないからいいわね」

「私、ディアナが羨ましいわ。本当に好きな人と暮らせたら、どんなに楽しいかっていつも空想するもの。我々は男性の目を通してしか存在価値がないの。彼らの採点から死ぬまで解放されやしないんだから」


 会話からして、以前とは少し事情が変わってきているようだった。


 皆、本音を語るのを厭わなくなっている。


「それでも戦前はモノやお金で多少は気が紛れたのよ。けど、疎開生活が長くなるにつれ、紛らわすものがなくなるじゃない?すると、むき出しになって来るのよね。お互いの芯が」

「分かるわぁ。お互い丸裸になって行くのよねぇ」

「そしたらメッキが剥がれて、どんどん嫌いになるのよ、夫を」

「それはお互い様じゃないかしら?」

「あはははは!」


 ソフィアはそんな歯に衣着せぬ会話に入れずしょぼくれている。


 ディアナは気になって尋ねた。


「ソフィアさんは……どうなの?」


 ソフィアはぽつりと呟いた。


「私は平穏に暮らしたいだけなんです。夫も元々静かで無欲な人でしたから、まあいいかと思って暮らしておりました。でも愛人の存在が明らかになってからは、夫の気持ちというより、みんなの言う通り自分の存在意義が分からなくなって」


 ソフィアが物事の芯を食い始め、再び食堂内が静かになる。


「そう、私は平穏な暮らしを求めているだけだったんです。夫だの愛だのなんか、別に最初からいりませんでした」


 物凄く研ぎ澄まされた本音をぶち込まれ、ディアナはぽかんとソフィアを眺めた。

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