50.ダニエル徹底抗戦の構え
一方その頃。
森の奥のレンガの家では、ラウラが寝転がりながらダニエルからの手紙を読んでいた。
こそばゆいほどの美辞麗句が彼の訓練された美しい字によって並べ立てられ、紙面に溢れ返っている。
また、耳が聞こえなくても下女が全てやってくれ、贅沢な生活を保障する旨まで書いてあった。
ラウラはその手紙をそっと胸に当てると、天井を見上げしばらく思案する。
父、キートンに先程投げかけられた言葉が忘れられない。
〝この申し出を受け入れれば、お前は必ず幸せになれる〟
「……そうかしら」
ラウラは自分の美しさを熟知していた。
きっと、ダニエルも見た目に引き寄せられたのだろう。火に引き寄せられる虫のように。
多くの、そこら辺の男たちのように。
ラウラは目を閉じる。
その脳裏に浮かび上がったのは、まだ幼く可愛らしい、あの頃のゲオルグの姿だった。
耳も聞こえていた無邪気な子供時代。
言葉の妙に遅いゲオルグを、子どもたちはいじめていた。
それでもずっと無言でいる彼を幼いラウラもどこか馬鹿にし、内心呆れた目で見ていた。
けれど、ある時。
まるで喋らなかったゲオルグが、一輪のバラを持ってそうっとラウラに渡して来たことがあったのだ。
ラウラは、黙ってバラを渡して来た男の子の顔を見つめた。
彼は歯をくいしばって、真っ赤な顔で、目も合わせられず、もの言わず立っている。
幼いラウラはなぜかその表情にとても心を揺さぶられ、それを受け取った。
もの言わぬバラ。
しかしそのバラは雄弁だった。様々な感情を、ラウラから引き出したのだ。
それからというもの、ラウラはゲオルグにあれこれと世話を焼くようになった。
気づけば、幼かった二人は男女の真似事をして──
ラウラは手紙をそうっとサイドテーブルに戻した。
なぜだろう。
涙が止まらない。
(ダニエルにまた会わなければ)
その時ラウラは唐突にそう決意した。
(ゲオルグを、早く忘れなければ……)
次の日は快晴となった。
今日はレオンだけがバラ園に来ていた。搬入予定のバラの品種を確認し、植え付ける場所を決めに来たのだ。
ラウラが昼に急ごしらえのレンガ炉でパスタを茹でていると、いつの間にか傍らにダニエルが立っていた。
彼女は隣の男を見上げる。
漆黒の美しい髪。自信に満ち溢れた瞳。経営者特有の確固たる地位に裏づけされた、勝ち誇ったような微笑み。
ラウラもそれを受け、曖昧に笑って見せた。その謎めいた微笑みがダニエルに一気に火をつける。
〝一度、私のいる宿屋に来ないか?君に見せたいもの、与えたいものがたくさんある〟
強引に眼前にメモを持って来られ、ラウラは少し煙たそうにそれをどける。この男、なかなか諸突猛進型だ。
「……宿屋って、どこのですか?」
〝リップス村の宿屋だ〟
ラウラの手が止まる。ゲオルグの出入りしている宿屋ではないか。
「……お部屋に行くのは、ちょっと。別の場所にしませんか」
ダニエルは何か考えているようだった。
〝では後日このバラ園で待ち合わせ、仕立て屋に行こう。君にドレスを作ってあげる〟
ここから一番近い仕立て屋と言えばハンスの家だ。兄弟とはいえ、ゲオルグは出入りしそうもないとラウラは判断した。
「では、そうしましょう」
ダニエルは成功とばかりににんまりと笑う。ころころ変わるダニエルの表情は、見ていて飽きない。
浮足立つダニエルの背中を見送って、ラウラは再び沸騰する鍋に目を落とした。
(……これで、いいんだわ)
ラウラは父親の言葉を思い出す。
(……父も喜ぶし)
と、そこへ。
鍋に差し掛かる、大きな影。
「今日のお昼は何ですか?」
耳の聞こえないラウラだが、その気配に視線を上げる。
レオンが立っていた。
ラウラは再びうつむくと、まるで怒りに任せるかのように、鍋を火からおろした。
どすんと鍋を脇に置き、レオンを睨みつける。レオンはたじろいだ。
ラウラは湯切りを始め、無視を決め込む。
今はレオンの顔を視界に入れたくなかった。
(……何で長兄と末弟がこんなに似てるのよ。あとの三人は全然違う顔なのに)
レオンは少しばかり弱った顔をして、すごすごと去って行く。
その後ろ姿を眺め、ラウラは余計に悲しくなった。
その頃ディアナは──
麦畑を抜け、馬を降りると、目の前の扉をどんどんと叩く。
扉の向こうから出て来たのは、ゲオルグだった。
「……何の用だ」
ディアナはまっすぐ義兄の目を見上げるとこう言った。
「ゲオルグ。お話があって来たの」
ゲオルグは怪訝な顔をしたが、ディアナは目を逸らさなかった。




