49.好きにならないための理由
ディアナはダニエルがラウラを見染めてしまったことで、今までの全てが徒労に終わったような気がした。
雨が本降りになって来てしまったので、ディアナとレオンは愛馬レギーナに乗って山小屋に帰ることにした。明日、またバラ園に集合するという約束を交わして。
ディアナの荷物の中では、ダニエルに紹介しそびれたキャンディとバラのシロップが、コトコトと悲しげに揺れている。
後ろに乗っているレオンが口を開いた。
「……もう、完全に芽は消えたな」
ディアナは頷いた。
「まさか、ダニエルの妻がディアナじゃなくラウラになるとはな」
「……まだ決まったわけではないけれど、もし……」
ディアナは言葉に詰まる。妻の次の言葉を、レオンは黙して待つ。
「レオンがもし、ああやって好きな人が別の男に求婚されていることを知ったら、どう思う?」
レオンはしばらく考えてから答えた。
「ダニエルは金持ちだからな。むしろさくっと諦めがつくかも」
「……そう」
「相手がひどい男なら話は別だ。だけどダニエルは悪い奴じゃなさそうだし、何せ金持ちだ。きっと幸せにしてくれると思って、彼女を追うのはやめにするよ、俺なら」
ディアナから見ると、ダニエルは夫をくさしたことがある、多情な男という余り良くないイメージなのだが。
「ふーん……」
「……あれ。俺、なんかまずいこと言った?」
「……別にぃ」
「何で怒ってるんだよ」
あの日山小屋で突き放した時、レオンもきっとそう思ったのだ。それも偽らざる気持ちなのだろう。
「でも、私の場合は来てくれたのよね」
「そうだな。……不幸にしてしまったと思ったから」
「もし、ゲオルグに私の様子を伝えられなかったら、レオンは私を迎えに来てくれなかったの?」
「うーん……ま、そうなる……かな」
ディアナは自ずと気づいている。
ラウラと自分の境遇を重ね合わせていることに。
ディアナとラウラの二人は違う選択をした。けれど、ディアナの中では何かが引っかかり続けていた。
あの時ダニエルに戸惑っていたラウラの表情や言葉に、言い知れぬ秘めた感情を読み取った気がしたのだ。その感情が何なのかは、まだディアナの中では漠然としていて分からないけれど──
(そういえば、あの二人の馴れ初めってどんなものだったのかな……?)
それを知らない限りは、探りようもないのだ。
「ねえレオン」
ディアナは気を取り直すように尋ねた。
「……何だ?」
「私と初めて出会った時のこと、覚えてる?」
レオンは少し笑う。
「覚えてるよ」
「……どうだった?」
「イルザ様とセットで見た時の感想だけど……こんな美人姉妹がこの世にいるんだなーって」
「……どこか他人事ね」
「そりゃそうだよ。勤務先のご令嬢とどうこうするなんて、その時は考えも及ばない」
「そうだったの……」
「だから、ディアナにやたら追跡されて話しかけられた時には、正直どうしようかと。話なんて合うはずもないし、何か喋って嫌われでもしたら仕事を失うって……最初は結構恐怖で」
「ふふふ。ごめんね」
「でも自惚れかもしれないけど、段々お嬢様は俺に気があるのかなぁ……って」
「術中にはまったわね?」
「とは言っても、好きになるなんてもってのほかだろ?だからもう、ずーっと逃げ回るしかなかったんだ。そのことでディアナを多少傷つけたかもしれない。だけど、こっちも見目麗しいお嬢様を〝好きにならない〟のに必死で」
ディアナはたまらず笑い出す。
「絶対好きになんてなるもんか!って、ずーっと考えてたら、何か頭がそれでいっぱいになって」
「あはは」
「そしたら凄い気になり出したから、もっと好きにならないでいられるように、会話に制限をつけることにして」
「へー、どんな?」
「植物の話以外、しない!」
「あははははは」
「でもさ、植物の話をし出したら、お嬢様は裏庭の変化を隈なくチェックして、俺と話したい一心で質問を毎日のようにぶつけて来るんだよ。それがなんつーか……凄く心に刺さって」
レオンは背後からディアナの肩にもたれた。
「あー、もう、どうにでもなれって、そこからは自分を解放して、ディアナをとことん好きになることに決めたんだ。お互い叶わない境遇と感情を抱えてるけど、その分ちょっとでもお互いにいい思い出を作ろうって」
ディアナはうっとりとレオンの頭に頬を寄せ、その濡れた髪に口づける。
「……その矢先に、あの戦火だろ」
「うん」
「略奪者の群れがハインツ邸に押し寄せているのが見えて、本当に生きた心地がしなかったけど」
「……うん」
「無事で良かったな、レギーナ」
そう言ってレオンが愛馬の尻をぺちんと叩く。レギーナがどこか得意げに嘶き、梯子を外されたはずのディアナは更に楽しそうに笑った。
山小屋に戻って来る。
冷え切った体の二人は雨に濡れた服を全て脱ぎ、炭火で暖を取った。
冷えた体を温めるものは、この小屋には炭火と互いの体しかない。
狭いベッドの中で、ディアナとレオンは互いの体を温め合う。その時ふと、弾けるようにディアナの頭の中にある言葉が浮かんだ。
好きにならないための理由。
別れるための理由……
(それをお互いに引っ張り出して見せ合って別れるって、何だか腑に落ちないな)
レオンはむしろ結ばれない境遇が揃っていたから、あのように大胆な方向転換が出来たのだ。障害が二人をより深く結びつけるというのが、世の恋人たちの常な気がするが。
(本当は、何かの始まりではないのかな……)
希望的観測が頭から離れない。
レオンがディアナの唇をむさぼり始める。ディアナは獣に押さえつけられた小動物のように、くぐもった声で問うた。
「レオンがお嬢様と結ばれなかったら……お嬢様はずっと悲しく暮らしたかしら」
レオンは少し黙ってから、
「……お互い、いい思い出にはなるだろう」
と答える。
「その思い出を糧に、結ばれなかった二人は一生を暮らすの?」
「……きっとそうだな」
「そんなの悲しすぎる」
「叶わないなら、どうしようもないだろ」
「……」
「どうした?今日のディアナ、何か変だぞ」
「だって……」
「あっちの悲恋に引きずられてるのか?」
「……」
「ディアナを泣かせられるのは俺だけだからな。二人に関わりのない嫌な感情はさっさと捨てろ」
「……レオン」
「思い出を大事にするっていうのは、その思い出に関する人や環境を、もっと好きになるということだ。ディアナが思うほど悪いことでもない」
「……」
「その結果何が待っているのかは、今考えてもしょうがない。時間が経過しないと分からないものだから。そうだろ?」
「うん……」
ディアナはレオンを抱き寄せて目を閉じる。
そうだ。自分の力ではどうにもならないことが、世の中にはどうしてもある。
今ふたりがこうして抱き合っていられるのも、思いがけない別の力──ゲオルグの気紛れが働いたからなのだから。
けれどそう考えれば考えるほど、ディアナはダニエルよりゲオルグに肩入れしてしまうのだ。




