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【書籍化】没落令嬢の幸せ農場〜最愛の人と辺境開拓スローライフ〜  作者: 殿水結子@「娼館の乙女」好評発売中!
第一章.ふたり暮らし

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4.レオンの兄、トマス(下衆な三男坊)

 掘立小屋に温泉が湧いている。手で触ってみる。意外とぬるい。


 裸になったディアナは、そうっと湯の中に入った。少し黄味がかった湯の色。足元に木の板が敷いてあって、そこからこんこんと温泉が湧き続けている。


「お湯加減どうですか?」


 レオンは湯上り用のタオルを手に小屋の外に座り、ディアナに問う。


「とってもいいわ。ずっと浸かっていられそう」

「あんまり長湯はしないで下さいね。頭を洗ったらさっさと出て下さい」

「分かったわ」


 ディアナは温泉から出ると、湯でほぐすように髪を掻き分けながら固まった血を流した。大きなかさぶたに指が触れる。ここに鈍器が命中したらしい。


 ディアナが髪を洗うのに熱中していると、


「おい!お前……」


 外で聞き慣れない声がする。レオンが立ち上がったのが見えた。ディアナは壁際に移動し、聞き耳を立てる。


「レオンじゃねーか!こんなところまで降りて来るとは珍しいな」


 小屋の破目の隙間から、そうっと外を眺める。


 そこには、レオンと同じ栗色の髪をした、背の低い痩せた男が立っていた。


「お前こんなところで何してんだよ」


 レオンは話しかけられたのに黙っている。その背中が怒りに燃えているような気がして、ディアナはどきりとした。


 硫黄の香りに乗せて、妙に険悪な空気が漂う。


「……人を待っている」

「ほーお。誰か温泉に入ってるのか?」

「……」

「あ、分かった。女だろ」


 そう言うなり、男はずかずかと小屋に歩みを進める。ディアナはびっくりして、慌てて地面に置いていた服をかき集める。


 と。


 どすっ。


 大きな音がして、男が叫ぶ。


「いってーな!殴るなよ減るもんじゃないし!」


 ディアナは再び隙間から外を覗く。


「小屋に近づいてみろ!殺してやる!」

「分かった!待て、早まるなレオン!」


 ぼかっ。


「いってぇ!ちきしょう、覚えてろよ。せっかくいい話を持って来てやったのに!」

「……いい話だと?」

「ああ。弟にいい話を持って来て……」

「ここで言え。うちには来るなよ、絶対」

「何だよ、もう……あのさぁ、ラトギプ市街が燃えたじゃん?」

「……ああ」

「あそこのハインツ邸で色々盗んで来たからさ、兄弟仲良く山分けしようぜ!」


 その瞬間、ディアナは悟った。


 早く出なければ、レオンが兄弟を殺してしまう。


「貴様……!!」


 レオンの叫び声がした、その時。


「レオン!タオルを頂戴」


 ディアナは小屋の上の小窓から手を出した。レオンは舌打ちすると、男を睨みつけたままタオルを彼女に渡す。


 ひょこっと、ディアナの顔半分が出て、引っ込んだ。


「おいおい」


 男が含み笑いをしながら言う。


「美人じゃん」

「……」

「あれ、お前の何?」

「……」

「何でもないんだったら、俺が声かけてもいい?」

「……」


 レオンは怒りに震えたまま口を割らないでいる。すると。


「おー、これは兄弟お揃いで」


 がらがらとリヤカーを引く音がする。


「お、デニス久しぶり」

「トマス。ここに来るのは一年ぶりか?」

「ああ、弟のところへ行く途中だったんだ。ところでデニス。その樽は何だ?」

「ああ、これ?砂糖だよ、砂糖」


 ディアナは服に着替えながら心の中で呟く。


(砂糖……)


 ふと、彼女の中で運命的な直感が働いた気がした。


(……おいくらかしら)


 トマスが感嘆する。


「へー。樽に、例の馬の紋章。これもハインツ邸からの盗品かぁ」


(マズい!)


 ディアナは速攻で小屋を出た。背中に激しい憎悪の炎をしょっているレオンに、飛びつくようにして話しかける。


「お待たせレオン!」


 レオンは彼女を見下ろして、困惑の表情になった。トマスとデニスはぽかんと湯上りのディアナを眺めている。


「……お嬢様」

「ねえねえデニスさん。ちょっとそのお砂糖、見せてくださる?」

「あれ、お嬢さん。砂糖に興味あるの?」


 デニスは恰幅の良い、いかにも田舎の村人という佇まいの男だった。


 リヤカーには、砂糖の入った大樽が三つある。どれにも、ハインツの馬の紋章が焼き付けてある。


 ディアナには、ある考えがあった。生前、父アウレールが言っていた言葉。


──砂糖は栄養価が高いし、半永久的に保存が出来るし、加工してもいい。手元にあればあるだけ財産になる。


 恐らく、この農夫はこの上質な砂糖の価値を知らない。


(しばらく私はこの村で暮らさなければならない。貧しいレオンにこれ以上迷惑はかけられないし、少しでも私なりの金策を得ておくべきだわ)


 今、買うべきだ。


──この戦乱の世を、生き延びるために。


 ディアナは懐から、ひょいと金の指輪を取り出した。


「ねえ、これ、全部下さらない?」


 男たちは驚愕した。


「お嬢ちゃん、それってまさか……金!?」

「そうよ。私の全財産なの」


 レオンが耳元で囁く。


「いいんですか?あれ、元々はお嬢様のものなんですよ?」

「あら、背に腹は代えられないわ。買いたくなっちゃったの。私のお金なんだから私が自由に使っていいでしょ」


 デニスの丸い顔が、更に丸くなる。


「ええ、いいですともいいですとも!」

「リヤカーごとお譲りいただける?運んで帰るわ、レオンが」

「え……俺……?」

「勿論です。こんなボロでよければ」


 盗品なぞ、もともと原価があってないようなものなのだ。


 あっという間に取引は成立した。


「いいところで買えたわ。さ、レオン持って来て。私はレギーナに乗って帰るから」


 言うなり、ディアナは芦馬に乗って軽快に走り出す。レオンは兄弟や村人の視線に惑いながら、言われるがままリヤカーを引いて、自らの小屋までの悪路を歩き出した。

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