4.レオンの兄、トマス(下衆な三男坊)
掘立小屋に温泉が湧いている。手で触ってみる。意外とぬるい。
裸になったディアナは、そうっと湯の中に入った。少し黄味がかった湯の色。足元に木の板が敷いてあって、そこからこんこんと温泉が湧き続けている。
「お湯加減どうですか?」
レオンは湯上り用のタオルを手に小屋の外に座り、ディアナに問う。
「とってもいいわ。ずっと浸かっていられそう」
「あんまり長湯はしないで下さいね。頭を洗ったらさっさと出て下さい」
「分かったわ」
ディアナは温泉から出ると、湯でほぐすように髪を掻き分けながら固まった血を流した。大きなかさぶたに指が触れる。ここに鈍器が命中したらしい。
ディアナが髪を洗うのに熱中していると、
「おい!お前……」
外で聞き慣れない声がする。レオンが立ち上がったのが見えた。ディアナは壁際に移動し、聞き耳を立てる。
「レオンじゃねーか!こんなところまで降りて来るとは珍しいな」
小屋の破目の隙間から、そうっと外を眺める。
そこには、レオンと同じ栗色の髪をした、背の低い痩せた男が立っていた。
「お前こんなところで何してんだよ」
レオンは話しかけられたのに黙っている。その背中が怒りに燃えているような気がして、ディアナはどきりとした。
硫黄の香りに乗せて、妙に険悪な空気が漂う。
「……人を待っている」
「ほーお。誰か温泉に入ってるのか?」
「……」
「あ、分かった。女だろ」
そう言うなり、男はずかずかと小屋に歩みを進める。ディアナはびっくりして、慌てて地面に置いていた服をかき集める。
と。
どすっ。
大きな音がして、男が叫ぶ。
「いってーな!殴るなよ減るもんじゃないし!」
ディアナは再び隙間から外を覗く。
「小屋に近づいてみろ!殺してやる!」
「分かった!待て、早まるなレオン!」
ぼかっ。
「いってぇ!ちきしょう、覚えてろよ。せっかくいい話を持って来てやったのに!」
「……いい話だと?」
「ああ。弟にいい話を持って来て……」
「ここで言え。うちには来るなよ、絶対」
「何だよ、もう……あのさぁ、ラトギプ市街が燃えたじゃん?」
「……ああ」
「あそこのハインツ邸で色々盗んで来たからさ、兄弟仲良く山分けしようぜ!」
その瞬間、ディアナは悟った。
早く出なければ、レオンが兄弟を殺してしまう。
「貴様……!!」
レオンの叫び声がした、その時。
「レオン!タオルを頂戴」
ディアナは小屋の上の小窓から手を出した。レオンは舌打ちすると、男を睨みつけたままタオルを彼女に渡す。
ひょこっと、ディアナの顔半分が出て、引っ込んだ。
「おいおい」
男が含み笑いをしながら言う。
「美人じゃん」
「……」
「あれ、お前の何?」
「……」
「何でもないんだったら、俺が声かけてもいい?」
「……」
レオンは怒りに震えたまま口を割らないでいる。すると。
「おー、これは兄弟お揃いで」
がらがらとリヤカーを引く音がする。
「お、デニス久しぶり」
「トマス。ここに来るのは一年ぶりか?」
「ああ、弟のところへ行く途中だったんだ。ところでデニス。その樽は何だ?」
「ああ、これ?砂糖だよ、砂糖」
ディアナは服に着替えながら心の中で呟く。
(砂糖……)
ふと、彼女の中で運命的な直感が働いた気がした。
(……おいくらかしら)
トマスが感嘆する。
「へー。樽に、例の馬の紋章。これもハインツ邸からの盗品かぁ」
(マズい!)
ディアナは速攻で小屋を出た。背中に激しい憎悪の炎をしょっているレオンに、飛びつくようにして話しかける。
「お待たせレオン!」
レオンは彼女を見下ろして、困惑の表情になった。トマスとデニスはぽかんと湯上りのディアナを眺めている。
「……お嬢様」
「ねえねえデニスさん。ちょっとそのお砂糖、見せてくださる?」
「あれ、お嬢さん。砂糖に興味あるの?」
デニスは恰幅の良い、いかにも田舎の村人という佇まいの男だった。
リヤカーには、砂糖の入った大樽が三つある。どれにも、ハインツの馬の紋章が焼き付けてある。
ディアナには、ある考えがあった。生前、父アウレールが言っていた言葉。
──砂糖は栄養価が高いし、半永久的に保存が出来るし、加工してもいい。手元にあればあるだけ財産になる。
恐らく、この農夫はこの上質な砂糖の価値を知らない。
(しばらく私はこの村で暮らさなければならない。貧しいレオンにこれ以上迷惑はかけられないし、少しでも私なりの金策を得ておくべきだわ)
今、買うべきだ。
──この戦乱の世を、生き延びるために。
ディアナは懐から、ひょいと金の指輪を取り出した。
「ねえ、これ、全部下さらない?」
男たちは驚愕した。
「お嬢ちゃん、それってまさか……金!?」
「そうよ。私の全財産なの」
レオンが耳元で囁く。
「いいんですか?あれ、元々はお嬢様のものなんですよ?」
「あら、背に腹は代えられないわ。買いたくなっちゃったの。私のお金なんだから私が自由に使っていいでしょ」
デニスの丸い顔が、更に丸くなる。
「ええ、いいですともいいですとも!」
「リヤカーごとお譲りいただける?運んで帰るわ、レオンが」
「え……俺……?」
「勿論です。こんなボロでよければ」
盗品なぞ、もともと原価があってないようなものなのだ。
あっという間に取引は成立した。
「いいところで買えたわ。さ、レオン持って来て。私はレギーナに乗って帰るから」
言うなり、ディアナは芦馬に乗って軽快に走り出す。レオンは兄弟や村人の視線に惑いながら、言われるがままリヤカーを引いて、自らの小屋までの悪路を歩き出した。




