48.ゲオルグの馬鹿
目の前で何が起きたのかいまいちつかめていないラウラを見て、ディアナは彼女ではなくダニエルの方へ話を向けた。
「あの、ダニエル……ちょっといいかしら」
「……ディアナ。いいところだから邪魔をするな」
「そうではなくて。実は、ラウラさんは耳が聞こえないのです」
それを聞くや、ダニエルはやにわに立ち上がり、ディアナにずいと詰め寄った。
「それは本当か……!?」
「はい。ですから彼女に口でいくら語りかけても無駄です。字を書かないと」
「そうだったのか。てっきり彼女はぐいぐい来る私に戸惑っているのかと」
「……自覚はあったのですね?」
「そうか。ならばここは、一度引き返すとするか……」
ラウラは不安げに二人の会話する様子を注視している。
ダニエルは何か書くものを手に入れるために、作業場へ戻って行った。
ディアナはその背中を見送ってから、地面に書きつける。
〝彼はダニエルさん。ラウラに恋をしたんですって〟
その文言を見るや、ラウラはぎょっと顔を引きつらせた。
「そんな……困るわ。だって私……」
ラウラが言葉に詰まる。ディアナはその詰まった理由を想像し、胸が切なくなった。が、構わないとでも言うように、続け様に伝える。
〝ダニエルは美術商。とてもお金持ち〟
「……そうなの」
〝手紙を書いてまた来るって言ってた〟
「うーん。逃げ帰るのも悪いかしら」
〝それはラウラの気持ち次第〟
ラウラは悩まし気に自らの頬をさすり、気合を入れるように、フーッと腹から息を吐いた。
「……そうね。少し、待っていてあげようかしら」
〝話してみる?〟
「……ぱっと見、悪い人には見えなかったから」
第一印象は良かったようだ。ディアナはこの前の一件があったばかりで、彼女の身にこんなことが起こるとは予想もしていなかった。
そう、ラウラはこんな村の片隅で引きこもっているような女ではない。
ディアナでさえ富豪や貴族の間で見たことのないくらい、彼女は妖艶で、美しい女なのだ。
彼女の耳が聞こえないぐらいダニエルには何の障害でもないだろう。大商会の奥方ともなれば、全て召使いが世話してくれる。本当に、仕事といえば夫の最高級のアクセサリーとして振る舞うだけなのである。
ディアナは想像してみる。
ダニエルとて世間の女性たちが放っておかない絶世の美男子。その隣にこのラウラが立てば、その存在感たるや大輪の花のごとく社交界を席巻するであろう。
幸いどちらも字が書ける。意思疎通は心配ない。
ただ──
(……ゲオルグは)
ディアナはどうしてもその考えを頭から抜き去ることが出来ない。
(あの偏屈男……本当に馬鹿ね)
ディアナは苛々して来た。と、そこへ。
「おーい、ディアナ?」
いきなり声をかけられ、彼女はおっかなびっくり背後を振り返る。
レオンが立っていた。
「一旦休憩だって。あのレモンの砂糖漬けはどこへやった?」
「ああ、それなら荷物の中に……」
二人が話していると、ラウラはふいにベンチを立った。
レオンはそれでようやくラウラに気づいたが、彼女は目も挨拶も交わすことなく彼とすれ違って去って行く。
「……何だ、あれ」
「……さぁ。私にはちゃんとお話してくれたんだけど」
「ふーん。ま、何となく分かるよラウラの気持ち。実の兄弟で似ている俺を見ると、先週のことがあったばかりで色々気まずいんだろうな」
ディアナ達は広場に戻って行って、レモンの瓶を取り出した。
レンガ職人の間に入り込み、蓋を開けて中身を勧める。
「これ、レモンの砂糖漬けです。良かったらどうぞ」
キートンが真っ先に応えた。
「じゃ、ひとついただこうかな」
「はいどうぞ」
親方が食べ始めたので、職人も遠慮がちにレモンを受け取って回し食べて行く。
その輪の後方に、ラウラの姿があった。
少し顔色が悪い。
ディアナが気になってそちらの方を見ていると、ぽたぽたと雨が顔に降って来た。
「……あ、雨だわ」
するとやにわにキートンが青くなり、その目が娘の姿を探し出した。
「おいラウラ。今日はもういい、今すぐ馬に乗って帰れ」
ラウラは父親の勢いに少し怪訝な顔をして見せたが、職人が何か字を地面に書きつけたのを見ると、頷いて輪から外れて行く。
その場にいた全員が見送って、ラウラはバラ園から馬で走り去って行った。
「……過保護だな、親方は」
古株の職人がそう言って、周囲は笑った。
「うるせぇ。あの子が耳を悪くしたのは、雨に降られて熱を出してからなんだ」
キートンはそう言って、レモンの皮をぺっと地面に吐いた。
「それもこれも、あのゲオルグのせいだ。あいつがよりによって雨期にうちの娘を遠出なんかさせたから」
レオンが少し親方を睨みつけるようにして押し黙る。それを見てディアナは慌てた。
「まあ、そうだったんですね?こちらからも謝らなければいけませんね」
「おおっと、お嫁さんはそんなこと気にしなくていいんだよ。悪いね、気分に任せて無駄話しちまって」
「ところで、雨が降ったら作業はどうなりますか?」
「小雨なら続行だ。大雨になったら帰ろう」
レオンは所在なげにふーっとため息を吐く。ディアナはそうっとその背を支えた。
一触即発かと思われた中、呑気に手紙を持ったダニエルがやって来る。
「……あれ?ラウラさんはどうした」
キートンが立ち上がって答える。
「雨が降って来たから家に帰したよ」
「何?……そうか、そうだな、それがいい。ではキートン、父であるあなたにこの手紙を託そう」
キートンは頭に疑問符を浮かべたまま、ダニエルから手紙を受け取った。
「手紙?」
「それをラウラさんに渡してほしい」
「ベルツ商会の御曹司がうちの子に何の用だ」
「何って……」
ダニエルはバラ色の頬で答えた。
「あなたの娘へのラブ・レターだ」
ディアナとレオンは真顔になったが、キートンの目の色がさっと変わる。
「ラウラが……ダニエル様と!?」
「ああ、そうだ。無論、私は本気だぞ。キートン、あなたに託したのが何よりの証拠だ」
キートンは武者震いのように手紙を持つ手を震わせた。
「これは……不憫なラウラにも、ついに幸運が」
ディアナとレオンはさもつまらなさそうに互いに視線を交わす。
もちろんお互いの心の中は一致していた。
(あーあ……ゲオルグ)




