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第五章.ゲオルグと薔薇の君

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45.引き裂かれた二人

 包み紙に大嘘を書いたことの是非はともかくとして、結果的にラウラと接見することは叶った。食卓には、筆談用の紙と鉛筆。それから紅茶が置いてある。


 ディアナは筆談で言葉を交わすことにする。まず最初に沈黙を破ったのは、ラウラだった。


「ゲオルグが字の読み書きを出来ないというのは、どういうことですか?」


 ラウラはかつておばさま方から「精神を病んでいる」と言われていたが、そんなことはなかった。実に冷静に、状況を掴み取ろうとしている。


〝字の読み書きが出来ない病気ではないか、ということです。かつて隣国の王がかかっていた症状と一緒です〟


 ラウラはそれを見るやとたんに青ざめる。その歴史を、どうやら知っているらしい。


「……私が送った手紙に、彼から何もお返事がなかった理由が分かりました。少しほっとしました」


 そう。ゲオルグは意図的に彼女の手紙を無視したわけではないのだ。ディアナはうずうずと期待に胸を膨らませる。この誤解が解ければ、復縁の可能性だってあるはずだ、と。


 しかし次に彼女が発した言葉は、思いもかけないものだった。


「ならばこれでようやく、彼を諦められそうです」


 ディアナは愕然とする。それはレオンも同様だったようで、ぽかんと口を開けていた。


「字が読めなければ、私達、会話も成り立たないですものね」


 ディアナは慌てて首を横に振る。怪訝な顔のラウラの前に、ディアナは再び文字を書いて紙を差し向けた。


〝大丈夫です。字を読む訓練を適切に行えば、ゲオルグも字を読めるようになります〟


 その文字列を目にしたラウラは、なぜか悲し気に微笑んだ。


「もう、いいんです。私、知っています。かつての隣国の王はその後も大変に苦しんだのです。一生かけて字と向き合い続けた。私のために彼にそのような苦労はして欲しくないし、こんな二人が一緒になったところで、周りに迷惑をかけることは分かり切っていますから」


 ディアナは尚も首を横に振り続ける。


〝文字が無理なら、私が橋渡しを〟


 そこまで書いたディアナの手を、ラウラは自らの手でそっと止める。


「彼を支えられるのは、きっと私ではなかった。それだけのことなの。レオンのお嫁さん、もう気になさらないで。彼にどうかお伝えください。もう私なんかを追わないでと」


 ラウラの黒い瞳には、悲しいほどに強い決意がたたえられていた。


 ディアナは沈痛な面持ちでうつむいた。自分の手紙が、結果この二人を決別させる最後の一手になってしまったのだ。


「では、これにて失礼しますわ。あ、そうそう……」


 ラウラは悲しみに歪みそうな顔を、努めて笑顔に整えるとこう言った。


「赤いバラのシロップ、とても美味しかったです。今度は是非、お金を払って買いたいわ」


 ディアナは頷きながら目をこする。


 ラウラは足早に小屋を出ると外に待たせていた馬に跨り、全てを振り切るように軽快に走り去って行った。


 山小屋に静寂が戻って来る。


「……ダメだったな」


 椅子に腰を下ろしながらレオンが言う。ディアナは紅茶の入った椀を持ったまま、呆然とその水面を眺めていた。


「むしろ、余計なことをしたんじゃないか?」

「……」

「やっぱり無闇にあんなことを書くべきじゃなかったんだ」

「……」

「ラウラさんにはラウラさんの人生がある。引き止めるのはやめよう。あっちがそう判断したならしょうがない。このことは俺から兄貴に伝えておくから」

「……ごめんなさい」

「まあ、いい機会だったんじゃないか。字が読めない男と耳が聞こえない女なんて、一緒になったところで無事に生活を送れるとは到底思えないし……」


 幾度となく思いついたことを行動に移して来て、何もかも上手く行っていた。その事実に奢り高ぶり、ディアナは強引に何もかもをやり過ぎたのだ。人の人生の一番大事な部分を他人がひっかき回したらどうなるのか、まるで理解していなかった自分自身に彼女は戦慄する。


 テーブルに震えて突っ伏したディアナの背を、レオンが慰めるようにさすった。


「……俺、ちょっと今からゲオルグのところに行って来るよ」


 くぐもった声でディアナは呟いた。


「……私も行くわ」




 全てを聞いたゲオルグは、やはりいつものポーカーフェイスを崩さなかった。


 彼は静かに頷く。


「……やはりな」

「ごめんなさい、ゲオルグ。私……」

「謝らないでくれ。余計みじめになる」


 ディアナは青ざめながら首を垂れる。


「私が余計なことをしたから……」

「いいんだ。こうなることはずっと前から分かっていた。時期が遅く来るか早く来るかの違いしかない」


 珍しくゲオルグが他人を慰め始めたので余計に事態は深刻さを増す。レオンは打ちひしがれるディアナの背を、ずっとさすり続けていた。


「ゲオルグ……」

「分かったらとっとと帰れ。もうここに用はないだろう」


 ディアナとレオンはすごすごと屋敷から退散した。乾いた音を立てて扉が閉められ、ディアナはしょぼくれる。


「……今回は残念だった。こういうこともあるさ」

「……ごめんなさい」

「ゲオルグには、耳も聞こえて字も読める嫁が必要だったんだ。そういう人なら、兄貴の不得意分野をカバーしてくれるだろ」

「……そうかしら」

「だから、今回は縁がなかったってことなんだよ。早いか遅いか。兄貴の言った通り、本当にそれだけだ」


 今度は末弟から慰められている。しかも、薄曇りだった空からは雨が降って来た。ディアナが更に落ち込んでいると、遠くから馬のひづめの音が近づいて来る。


「おーい!そこにいるのはディアナとレオンじゃないか!?」


 聞き覚えのある声に、二人は振り返る。


 漆黒の馬に乗って現れたのは、美貌の美術商ダニエルだった。

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