43.怒りの正体
ディアナはレオンの背中でずっと思案していた。
(ゲオルグの怒りは、自分への怒りなんだわ)
ディアナは想像する。文字の読めない劣等感、親からの同情。呑気な兄弟たち。長男の重圧。
(でも、だからこそ、グスタフの言っていた治療とやらを受けて欲しい)
ディアナは手元の、バラのシロップを見つめた。
(……そうだわ)
ディアナはレオンから体を離すと、前へ進み出た。
「おい、ディアナ……」
「ゲオルグ。これ、バラの香りのシロップなんです」
差し出したのは、真っ赤に透き通るシロップだった。
「あの花と一緒に、ラウラさんにあげてください」
ゲオルグは目を見開く。思わぬ話に、気持ちの整理がつかないようだ。
「……は?何だ急に」
「レオンから聞いたんです。ラウラさんはバラがお好きだったと」
「ふざけるな……キューピッド気取りか」
「はい、そうです。私、今からゲオルグとラウラさんの愛のキューピッドになりますわ」
ずいと差し出された瓶に、ゲオルグは鼻白む。
「馬鹿を言え……俺はもう帰る」
「じゃあいいわ。私今からこの瓶に、〝愛しのラウラへ。ゲオルグより愛を込めて〟って書いて、あの花束の横に置いておくので」
「貴様……」
「なら、あなたはどうしたいんですか」
ディアナはつっけんどんに尋ねた。
「字が読めない、書けないあなたには、誰かの援助が必要なの」
「……」
「それを拒んで来たから、耳が聞こえなくなってしまった彼女に何も伝えることが出来なくなって、会えなくなってしまったんじゃないの?」
「……」
「私、縁あってレオンの元に嫁いだわ。だから愛する人の兄弟にだって、幸せになって欲しいの。それがどんなに偏屈で、馬鹿で、言う事を聞かない、視野の狭い男だったとしても」
後半は純粋に悪口である。ゲオルグはしばらく瓶を眺めていたが、ふとそれを突き返す。ディアナはしょぼくれたが、彼が次に言ったのは思いもかけない言葉だった。
「お前なら……」
ディアナは顔を上げる。
「あの小屋に行って──ラウラにお届け物ですと、その瓶をあそこの家の親父に渡してほしい」
途端に、ディアナは舞い上がる。
「えっ……は?」
「誰からのものだと聞かれたら、普通にレオンの妻のディアナだと言ってくれ。ご挨拶の品でも、誕生日プレゼントでも、何でもいい」
そうだった。ゲオルグはラウラの父親に追い返されていた。仲が悪いのだろうか。〝お前のせいで〟と罵られていたが、一体過去に何があったのだろう。ディアナが挨拶回りをすれば、確かにラウラに目的のものを手渡せるが。
「あと──代筆を頼む」
ディアナは紙と鉛筆をいきなり手渡され、どきどきと胸を鳴らす。本当に、愛のキューピッドではないか。隣のレオンも、急な展開に心がついて行っていないらしく、慌てふためいている。
ゲオルグは静かに息を整えると、こう言った。
「いいか?こう書いてくれ──俺は字の読み書きが出来ない病気にかかっている。今までのラウラからの手紙も、無視していたのではない。読めなかっただけだ。長い間苦しめて済まなかった。これは、そのお詫びだ」
……これでは詫び状だ。ディアナは少しむずむずした。思っていたのと違う。
「あ、あの……愛を伝える手紙じゃないの?」
「違うぞ」
「じゃあ、これは一体」
「謝罪の手紙だ」
ディアナは悟った。
この難儀な性格が更に輪をかけて事態をややこしくしている。
「……愛を伝えなさい、愛を」
「馬鹿を言え。繋ぎ止めるのは可哀想だ」
「えええええ……」
「文字の読めない男なんかに囲われたら不幸だ。ラウラは心を病んでいるから、いきなり別れは告げられない。ショックで死んでしまうかもしれないからな。ずるずると時間だけが過ぎてしまったが、そろそろ潮時なんだ」
「兄弟揃って全く……ゲオルグ。あなた、一体何をどうしたいの?」
「ラウラと別れたい」
「ラウラさんを愛してるんじゃないの!?」
「そうだ。だからこそ、別れなければならない」
ディアナはくらくらした。
「あのね……だからこそ、あなたが文字を読めるようになれば万事解決なんじゃない」
ゲオルグは怪訝な顔をしている。
「文字を読んで書けるようになれば、経営も安定する。ラウラさんと筆談だって出来る。そうなれば意思疎通が図れて、幸せになれるわ」
しかし彼は首を横に振った。
「どんなにやっても駄目だったのだ。今更勉学しても無駄だ」
「だからその病を克服するには、通常ではないやり方が必要なのよ。村でやったのとは違う勉強方法が」
そう言いながら、ディアナの手は淀みなく紙を走り続けていた。隣でそれを覗き込んだレオンは顔を赤くする。
「おいおい、ディアナ……」
「じゃあ、このシロップをラウラさんに届けて来ますからね。こんな内容なんか書いて、もうどうなったって知らないんだから!」
ディアナは森の中の小屋へと急ぐ。レオンはレギーナの勒を引いたまま待つが、ゲオルグは馬に乗るととぼとぼと森を出て行った。
ディアナは小屋の扉を叩く。
「……はい」
これまた気難しそうな白髪の痩せた男性が扉を開けた。ディアナはつとめて元気よく振る舞う。
「あの、こんにちは……私、このたびレオンの妻になりました、ディアナと申します。結婚式でご挨拶出来なかった方のおうちを、本日一軒一軒挨拶回りさせてもらってますの。よかったら、これどうぞ」
ディアナの籠の中には、紙に包まれ口を麻紐で閉じ、それぞれに名前を書いたシロップの瓶詰がふたつ。
「こちらをお父様に……こちらをラウラさんに」
男性は遠くに浮かぶレオンの姿と近くのディアナとを交互に眺め、頷いた。
「あんな遠くからこんなところまで、わざわざありがとうよ」
「いいえ。ところでラウラさんのお姿が見えないようですが、留守ですか?」
「ああ、あいつは耳の病気で……いつも夕方には疲れて眠っちまうんだ」
「そうなんですね。このシロップを舐めて、元気を出して下さい」
「ありがとう、お嬢さん」
扉が閉められる。
ディアナを出迎えたレオンは、呆れたような顔で妻に問う。
「あんなこと書いて……平気か?ディアナ」
ディアナは不敵に笑って見せた。
「ふん。これは恩返しでもあるし仕返しでもあるわ。レオンといいゲオルグといい、本当にひねくれ者なんだから」
「仕返し……?」
「まあいいわ。帰りましょう。とにかく、ゲオルグに文字を読みたい、書きたいと思わせることが大事なのよ。あの手紙が、きっかけになるといいんだけど」




