41.人生を切り拓く娘
ディアナとイルザは裏庭に出て、午後のティータイムに勤しんでいた。
「どうだった?山小屋暮らしは」
妹の問いに、姉は簡潔にこう答える。
「住まうには最悪だけど、愛を育むには最高ね」
ディアナはその言葉を咀嚼する。
「愛を育む……?」
「不自由だから、夫婦で協力する必要が出来るということよ。我々のように、召使いに何でもやらせる暮らしぶりでは、そのような機会には恵まれないものだから」
「ああ、それは本当に……そうね」
「グスタフって何も出来なさそうな見た目じゃない?けど、あの何もない小屋で、生活のあれこれをどんどんやってくれるから驚きだったわ。何でも寄宿舎に住んでた時、大体のことは出来るよう躾られていたんですって!そしたら、何だか頼りがいがあるように思えて来たの。私のために、こんなに頑張ってくれる人だったんだわって、ようやく感じることが出来て」
饒舌に語る姉だったが、妹からすると、あんなに豪華な暮らしをさせてもらっておいてからなかなかの言い草だと思う。だが。
(仲が良くなったみたいで、良かったぁ……)
今となっては素直にそう思う。懸案がひとつ解決して、ディアナはほっと息をついた。
「だから……」
イルザはにっこりと微笑んだ。
「あのおうち、頂戴?」
ディアナは刮目する。
「え!?」
「金貨10枚でどう?」
「ええええええ!?何を言い出すのよお姉様……!」
と、そこに、ちょうどグスタフとレオンが何やら話しながらやって来た。イルザは夫を振り返ると、明るい口調で続けた。
「ああ、ちょうどいいところに来たわグスタフ!ねえ、ディアナの小屋、買い上げませんこと?たまに牧歌生活をする借宿として」
グスタフは呆気に取られる。ディアナはここぞとばかりに反論した。
「お兄様、そのような大金が、農民の我々に動くのはよろしくないかと……」
グスタフは頷いた。
「ああ、本当にその通りだな。イルザ、妹の迷惑になるようなことはやめろ。大体この前も説明したが、造幣局が焼けて、今貨幣が足りていないのだぞ。だから……」
ディアナも納得の笑顔を見せるが、グスタフが次に告げた言葉で全てが崩れ落ちる。
「ディアナ達に無償で新しい家を建ててやろう。小屋は増築し、我々の別宅とするのだ」
ディアナは青ざめてよろめいた。それを横ではっしと支え、レオンが言う。
「……待ってくれ。あれは俺の土地だ。土地主の許可を取ってから、そういう算段をしてくれ」
まともな人がいて助かった。イルザもグスタフも不満げに口を尖らせる。ディアナはレオンに笑顔を振り向けてから、しかと姉の目を見据えて言う。
「我々の家は我々で働いて買うわ。こちらが家を建てた暁には、小屋を譲ってあげてもいいけど」
「あらディアナ、遠慮してるの?」
「……いや、そういうことじゃないのよ。自分の人生は自分のお金で買うわ。他人に買って貰うものじゃない。そこをはき違えると、お姉様のように人生でつまずくことになるんだわ。今回のことで、よーく分かりました」
ね、とディアナがレオンに促し、彼も頷く。
「幸い、ディアナと結婚してから稼ぎも増えた。もうひと踏ん張りで、家を建てられそうなんだ」
「あら、そうだったのね。私ったら……妹を見くびっていたようだわ。悪い癖ね」
「そうよ、お姉様はすぐそうやって決めつける悪い癖がある。治してほしいところよ。ね、お兄様?」
グスタフは苦笑いで頷いた。
「まあ、私も親から引き継いだ資産をもとに暮しているものだから、さっきの言葉は心に刺さりまくったが──」
「あら、そうでしたの」
「何だかディアナ、君を見てるとほっとするよ。戦乱で色んなものを失って私も心を病みかけていたが……君のように一から全てを始めた女が自力で道を切り開いて行くのを目の当たりにすると、この世界も捨てたものじゃないと思えて来るんだ」
ディアナは手を横にはたはたと振った。
「そんな大袈裟な」
「大袈裟ではない。そうだろう、レオン」
レオンはにかりと笑った。
「それに関しては俺も全く同意見だ。誰しも失ったものにばかり目が行くが、ディアナは違う。前しか見えていないんだ、怖くなるほど」
「あら?どうしたのみんな。持ち上げたって私からは何も出ないわよ」
「うふふ。ディアナの向こう見ずなところは、きっとお父様に似たのよ。父、アウレールに」
グスタフはすぐに真面目な顔になる。
「ハインツ商会か……最早資金回収は不可能だな」
ディアナは頷いた。
「でもみんな、命があったのは幸いだわ。私、思うの。後悔しない人生が送れたら、万々歳だと思う。例え貧しかったとしても」
レオンは何事かじっと考えている。
「……あの、ディアナ」
「え?」
「……あのことを、グスタフ様に」
「あっ、そうだったわ!」
ディアナはグスタフの前にずいと進み出た。
「お兄様、料理番の帳簿をご覧になったことはありますか?レオンの兄、ゲオルグの小麦なんですが、彼が字の読めない病気にかかっているばかりに、料理長によって不当に安く取り引きされていたのです」
グスタフは眉をひそめる。
「それはチェックしていない。さすがに私はこの宿のオーナーではないのでな。ところで……レオンの兄が、字の読めない病気だと?」
「はい、そうなんです。きちんと確かめたわけではないのですが、兄のゲオルグは学校に通いながらも字の読み書きが最後まで出来なかったらしいのです。けれど複雑な話は理解しますし、計算も空なら出来るらしくて」
「ああ……もしかして彼は分裂王朝のきっかけになった病にかかっているというのか?」
「はい。多分、そうだと思います」
「それは大変だ。私の通っていた寄宿舎にもいたぞ。クラスにひとりはいるんだ、ディスレクシアだな」
レオンは聞き慣れない病名に顔を曇らせる。
「ディスレクシア……?」
「ああ。知能に問題はなく、字だけが読めない病気だ。聞いたことはないか?」
「ないです」
「ないか……」
グスタフは、ようやく椅子にどかりと座って紅茶を飲んだ。
「……それは、治してやらないといかんな」
「治るんですか!?」
「ああ。完全に一般人と同程度とは行かないが、ある程度までなら治せるはずだ。教師のやり方を見ていたから、やり方も大体知っている。でも非常に……もう、本ッ当に苦労するから、そのためには彼の治す意志というのが必要なのだが……」
ディアナとレオンは顔を見合わせた。
それから、ため息をつく。
──説得できる気がしない。




