39.兄弟への嫁の算段
一方その頃、午後のリップス村温泉宿では──
「イルザ様たち、今頃どうしてるかな」
ディアナとレオンは相変わらず退屈な時間を過ごしていた。食べること以外、本当にやることがない。
「あー、早く帰って牛の世話がしたい」
「たまにはゆっくりすればいいのに」
「ゆっくりするにしても、ここまでやることがないのも辛いよ」
「そうねぇ……あ、そうだわ」
ディアナは裏庭を眺めた。
「あそこに赤いバラがあるの」
レオンはディアナの背後から共に窓の外を覗く。
「あれでシロップを作らせてもらえないかしら」
「キッチンを借りるのか?」
「時間が勿体ないもの。この時間を利用して、アイデアを煮詰めるの」
「シロップだけに?」
「ふふふ。そうね」
「剪定ついでに貰えないか、頼んでみるよ」
ディアナとレオンは階段を下りて行って、執事を探す。エントランスで彼を捕まえると、料理長にバラの件を言伝るよう頼んだ。
「我々は庭で待っていると伝えたわ。ちょっと植物の様子を見に行きましょうよ」
ディアナはレオンと連れ立って歩く。ふわりと庭への扉を開いた途端、二人はどきりとして固まった。
庭に先客がいる。
ゲオルグだった。
そういえば、以前もこの男は裏庭にいた気がする。ディアナは我先に義兄へ声をかけた。
「お久しぶりです、ゲオルグ」
ゲオルグは少し驚いた表情でこちらを振り返る。
ディアナもレオンもあれ以来、彼に対しては特別な感情を持っていた。
「……お前ら。どうしてここに」
「あの!先日はありがとうございました!」
ディアナの勢いに、ゲオルグは何かを誤魔化すように咳払いする。
「勘違いするな。決して貴様らのためにレオンを促したわけではない」
何となく予想出来ていた反応に、ディアナは少し頬を緩める。
「我が一族に唯一来た嫁をここで逃したら、老人になった我々を介護する女がいなくなると思ったんだ。介護要員を確保しておくために、お前を引き止めただけだ」
レオンは少し拍子抜けしている。ディアナはふとゲオルグの手に視線を落とす。
彼の手に握られていたのは、白いバラの束。
(お花を摘んでいたのかしら……)
意外な取り合わせにディアナは鼻白む。ゲオルグはその視線に気づいたのか踵を返すと、その花束を別れの合図のように上方に掲げながら去って行った。
呆然と彼を見送る二人の元へ、執事がやって来る。
「キッチンをお使いになってもいいそうです。但し、三時まで。バラの花はつぼみ以外ならむしっても構わないとのことでした」
「ありがとう。じゃあ早速バラの花を集めましょう」
ディアナはバケツを取りに行く。レオンはバラをむしりながら、じっとそれを眺めて考え込んでいた。
調理場にある砂糖と瓶を拝借し、ディアナはバラを砂糖水で煮詰めた。
鮮やかな紅色が砂糖水を染め、むせるような香しい匂いが調理室を包む。
「あんまり取れなかったけど、ここまで色と香りが出るならこの分量で十分ね」
レオンは横でずっと黙っている。
「……どうしたのレオン?」
レオンはハッとした。
「いや、何でも……」
「そういえば、ゲオルグったら柄にもなくバラの花なんか摘んでたわね?誰かにあげるのかしら」
レオンは考え込んでいる。
「ディアナ」
「何?」
「ラウラって知ってるか?」
ディアナは顔を上げる。
「ええ……知ってるわ。私達の結婚式に来てたわね」
「……そうか。何か話したりしたか?」
「いいえ。あ、でも」
「でも?」
「ゲオルグにワインをぶっかけてたわよ。あの時、私、ビックリしちゃった」
レオンは再び考え込む。
「……だよな」
「ん?一体どうしたっていうのよレオン。ラウラさんとゲオルグって何かあったの?」
ディアナが尋ねると、レオンは周囲を憚ってからその耳に打ち明けた。
「ラウラは兄貴の、昔の恋人だ」
ディアナは頷いた。
「ああ……やっぱりそういうことなの」
「そのことを急に思い出したんだ。ラウラはバラが好きだったから」
「へー。どうして別れちゃったのかしらね」
「色々あったんじゃないか?理由は知らない。でも」
レオンは声を落とした。
「多分ゲオルグは、まだ……」
ディアナは目を閉じる。
「俺みたいになるな──か」
「きっと、ラウラを突き放したのは兄貴なんだ。もしそれが、俺と同じ理由だとしたら」
「ん?理由?」
「幸せに出来ないと思ったってことだよ」
「ああ、そうね。何でそう思ったのかしらね?身分の違いもないのに」
「前から、そこがちょっと引っかかってるんだ。どちらにせよ、兄弟に嫁が全く来ないのは大問題で」
ディアナは顔を上げた。
「どうして?」
「さっきもゲオルグが言っていた。もし俺の兄弟が全員死ぬまで独身だったら、俺たちにめちゃくちゃな負担になるだろ?」
「……うん」
「その。出来れば……憎い兄弟と言えども、全員に嫁が来ればディアナの負担が減るなーって、常々思っていて」
「確かにそうね」
「変な話、俺たちもこうやって生活出来るようになったし、あいつらに嫁の世話をしてやってもいいんじゃないかって思ってる」
「なるほど。でも、この村全然若い女性がいないわよね?」
レオンは額を押さえた。
「……そこなんだよなぁ」
「魅力や活気ある村にしないと、女性は市街に吸い取られて残らないわよ」
「何とかならないかな」
「うーん、さすがに難しいわね、我々の力だけじゃ」
ディアナは煮沸済みの瓶にバラの花のシロップを注ぎ込む。
その時だった。
玄関が開き、声が聞こえて来る。
「ゲオルグは字が読めないから、騙すのは簡単だよ」
思わず鍋を取り落としそうになる。レオンは顔を上げ、聞き耳を立てた。
「帳簿をだいぶ誤魔化しても、あの調子だ。態度だけでかくて取り繕ってプライドを保つのに必死でよ」
ディアナは慌てて瓶に蓋をし、調理場の扉に貼りついた。
「おかげで小麦が途切れることがねーぜ。あはは」
調理場の扉が開かれる。
ディアナは入って来た料理長と対峙した。料理長は彼女のお出ましに青ざめ、慌てて口をつぐんだ。
ディアナはにっこりと笑いかける。
「料理長。そのゲオルグのことで、ちょっとお話が……」
ディアナの背後で、レオンが睨みを利かせていた。
料理長と人夫はレオンの視線から逃れるように互いを見交わすと、万事休すとばかりに肩を落とした。




