3.レオンの諸事情
干し肉のだしが効いた、新じゃがいものスープを二人で食べる。
差し向かいの小さな食卓。からっぽだった腹と心が満たされて行く。
ディアナは思う。
今までさんざん美食狂いをして来たけれど、案外こんなものがこの世で一番美味しいかもしれない、と。
でも流石に毎日これでは飽きそうだとも思う。
「……どうですか?」
レオンが遠慮気味に尋ね、ディアナは自身を納得させるように頷いた。
「とっても美味しかったわ」
「良かった。口に合わなかったらどうしようかと」
ディアナはそうっと彼の鈍色の瞳を見上げる。
彼はとても嬉しそうに微笑んでいた。ディアナは真っ赤になって、表情を悟られまいと下を向く。
こんな風にレオンに見つめられるのは初めてだったのだ。
ディアナはスープをたいらげると、ことんとスプーンを古びたテーブルに置く。
「ごちそうさま」
「お嬢様はまたベッドにいて下さい。片付けておきます」
「ありがとう、レオン」
ベッドに腰掛け、皿を持って外へ出たレオンを見送る。
ディアナは改めて、この小屋を見回した。
飾り気のない、男のひとり暮らしの小屋。そこかしこから隙間風が入って来る。そのたびに、小屋はきしんだ音を立てた。
ディアナはふと、後頭部に触れる。
後頭部はべとべとしていた。脂汗と血の匂いが混じって、何とも言い難い不快さだ。
ディアナはうろうろと風呂を探す。
しかしそのようなものは、この小屋にはなかった。
ディアナはそっと外へ出た。
そして、その景色に目を奪われる。
広大な石交じりの土地。すぐ小屋の裏に迫る小さな山の斜面。山は野生の木々と色とりどりの花で溢れ返っている。牧草が懸命に石の合間に細々と生えているが、放し飼いの二頭の牛が、根こそぎほじって食べようとしている。近くに納屋と牛小屋。かなり遠くに、他の家がぽつぽつと点在しているのが見えた。それらを輝かせる朝の光。
レオンは井戸のそばで皿を洗っていた。
「……レオン」
「お嬢様。寝てなきゃダメでしょう」
「ここって、お風呂はある?」
レオンは少し面倒そうに目をすがめた。
「ありません。貧民の家なんかにそんな贅沢品」
「頭がべとべとするの」
「……ああ」
レオンは立ち上がった。
「なら、いい場所がありますよ」
「本当?」
「この丘を降りた場所に、公衆浴場があります。温泉が湧いているんです」
ディアナは目を輝かせる。
「温泉!?」
「はい」
「行きたい!なかなか温泉になんて入れないわよ」
「市街地の人はそう思うんですかね?オンボロ浴場ですが、それでよければ」
「行きたい!行くわ!」
「……馬に乗って行きますが、お体の方は大丈夫ですか?」
ディアナは頷いた。レオンは小屋の傍らに目を向ける。
小屋の隣には、共に戦火を駆け抜けた愛馬、レギーナが繋がれていた。
「じゃあ、ちゃっちゃと行ってしまいましょう。体を拭くものを持って来ます」
ディアナは先にレギーナに乗り、レオンを待つ。遅れてやって来たレオンは、ディアナの後ろに乗ってから手綱を握った。
気を使って安静に、レオンは馬を歩ませる。頭の傷に障らぬようにしているのだろう。
ディアナは今までにない胸の鼓動を感じていた。この間までは何とも思わなかったのに、彼と密着していると思うと恥ずかしさで汗が噴き出る。
ディアナは前よりも、彼のことをもっと知りたいと思った。
「レオンはここで、ひとりで暮らしているの?」
「はい」
「ご両親やご兄弟は、近くにいないの?」
「遠くにいます。この土地をあてがわれたので、私はここに住んでいるんです」
「えーっと、ご両親にこの土地を貰ったのね?」
「ああ、説明が抜けていました。私には兄が四人います。私は五番目。父母はもうこの世にいないです。生前、父が死の間際にそれぞれに土地を残すと遺言しました。それで、私はここに住むことになったんです」
「へー、優しいお父様ね」
レオンは何やら気まずそうに黙り込んでしまう。二人して正面を向いているので、互いの表情が見られずディアナは急に気がそぞろになった。
沈黙の中、馬は進む。ディアナが耐えきれず口火を切ろうとしたところに、レオンが急にこんなことを言った。
「俺はいらない子なんです」
ディアナは思わずレオンを振り仰ぐ。
「いらない子に、いらない土地を寄越したわけです。ここは一番痩せた辺境の地なんだ」
レオンの瞳が、どこか濁っている。ディアナはそれに気づいて努めて明るくとりなした。
「そう?とってもいい場所じゃない」
「……」
「温泉も近くにあるし!」
「……」
「私、ここ、好きだなぁ」
「……お優しいんですね、お嬢様は」
皮肉をぶつけられ、ディアナは固まる。が、間をおかずにレオンが珍しくくつくつと笑ったので、ディアナはほっと胸をなで下ろした。
「そう、お嬢様は優しすぎるから──たまに、辛いんです」
ぽつりとレオンが声を落とす。ディアナは眉をひそめる。
「?……それって」
「あ、あの小屋です」
彼の指さした先に、白い煙がもくもくと漂う小屋が見えた。話を遮られて少し気を削がれたが、その硫黄の香りをかぐと、ディアナにもむくむくと元気が湧き出て来た。
「ああ、温泉の匂いだわ!」
「今は誰もいなさそうですね。急ぎましょう」