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第四章.エディブルフラワーの魔法

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38.イルザとグスタフの牧歌生活

 次の日の朝、イルザが目を覚ます頃にはグスタフが朝食の準備をしていた。


 小麦粉に卵、牛乳、砂糖を混ぜ合わせてフライパンで焼いているのだ。


 イルザも何もしないわけには行かず、のっそり起きて行って井戸から水を汲み、湯を沸かす。


 棚から妙に真新しく美しいティーカップを取り出し、紅茶を淹れる。


 差し向かいの食事。


 しっとりとしたパンケーキの美味しさに、イルザは何度も頷いた。


「何でも、産みたて搾りたてを使うと美味しいわね」

「やはり街で食べるものは、運んでいる最中にどうしても鮮度が落ちるからな」


 ふとイルザは思う。


(食事の内容について夫と話したのなんか、初めてじゃないかしら)


 手の込んだ料理など、いくらでも食べて来た。


 けれど自らが動き、調理し、並べることなどなかった。


(普通の村人は、きっとみんなこんな生活を営んでいるのだわ)


 そう考えると、自分達の方が変わった生活を営んでいるのだということに気づく。


(そしてこういう朝を迎えているのが、普通の夫婦なのだわ)


「私が薪を割る」


 イルザは顔を上げた。


「お前は何もせず、楽にしていればいい。粗末なベッドで疲れたろう」


 疲れているのは、床で寝ていたグスタフの方だろうに。


 イルザは、心の奥底がじわじわと熱くなって来るのを感じていた。


「……私も、何かしますわ」

「力仕事ばかりだぞ。お前に出来るわけがない」

「あなたにばかり負担をかけるのはよくありませんもの」


 グスタフがぽかんとイルザを眺める。イルザは微笑んだ。


「他にはどんな仕事がありますの?」

「レオンが言っていたのは、水やりと掃除と牛のブラシがけ……」

「それ、私がやりますわ」

「大丈夫か?」


 イルザは頷くと席を立ち、豪奢な絹のドレスからペチコートを引き抜いた。ハイヒールもぽんぽんと脱いで、近くにあったディアナのサンダルに履きかえる。グスタフは呆気に取られた。


「これでいいわ。じゃあ私、先に井戸へ行ってますから、食べたお皿を持って来て下さいね」


 グスタフは無言で頷き、紅茶を口へ運んで小屋の中を見渡す。


 雑多にぶら下げられた籠と鍋。粗末な瓶にきゅうきゅうに活けられた生花。壁に引っ掛けられた二着の作業着と、手を拭く麻布。


 使うべきものが使うところにあり、愛でるべきものが愛でる場所にある。


 グスタフは呟いた。


「……私達は持ち切れぬほど、持とうとしてしまったんだ」


 物がなければ、互いを頼るしかない。


「持てば持つほど、人との関係性が薄まるのかもしれないな」


 彼はなぜディアナがレオンを欲したのか、この小屋にその答えが全てあるような気がした。


 イルザが外で皿を洗っている音がする。グスタフはその音に、今までにない安心感を得ていた。


 グスタフは空になった皿を持って立ち上がる。イルザに皿を託し、小屋の横に薪割用に積み上げられた木々を切る。


 この石だらけの乾いた土地には、何もない。近くに家もなく、鳥のさえずりのみが聞こえる。


 作業ばかりしているので、話し声もしない。だが互いの立てる生活音で、互いの存在がくっきり浮かび上がって来る。


(あれほど他人との会話に飢えていたのは、何だったのか……)


 黙々と作業すればするほど、自分の中に言葉が蓄積されて行く。


 作業を積み重ねれば積み重ねるほど、満足感が湧き上がる。


 それはイルザも同じだった。


 誰かがやってくれる仕事。それを自分がしている時、意外と面倒には思わなかった。


 自分のため、相手のためだったからだ。


 これが不特定多数に向けた作業だと、疲れも生じるであろう。しかし二人だけに向けられた仕事である場合、むしろ自分を誇らしくさえ思うのだった。


(私ったら、誰かのために手を動かしたことがなかったんだわ)


 街でやる手作業と言ったら、手紙を書くぐらいしか正直なかった。口を動かす仕事は多々あったが。


(……口だけ動かしていても、空しいのは当たり前よね)


 皿を拭いて食器棚に戻す。踵を返し、今度は小さな畑に水をやる。


「あら。白い花が咲いてるわ」


 ディアナのエディブルフラワーの畑に、見たことのない白い花が咲いていたのだ。


(帰ったらディアナに教えてあげなくちゃ)


 そんな時。


 遠くから、男がひとりやって来た。栗色の髪の大きな男で、がっちりと固太りしている。その手には玉ねぎが束ねられていた。イルザが歩いて行くと、その青年は驚いてこう尋ねた。


「あれ?ディアナとレオンは……」

「こんにちは。私、ディアナの姉です。街から逃げて来ましたのよ」


 大男は得心したように頷いた。


「お、道理で似ているわけだ!二人はどこへ行ったんです?」

「ええっと……ちょっとリップス村まで出ておりますの」

「ああそう。申し遅れましたが、俺はレオンの兄のフリッツです。玉ねぎが多く収穫出来たんで、おすそ分けに来たんですよ」

「あらありがとう。ちょっと待っていてね」


 イルザは小屋に戻ると、砂糖を瓶に詰めてやって来た。戦時下で村では物々交換をしていると聞いていたからだ。


「うちからもおすそ分けです。良かったらこのお砂糖、使って下さいな」

「ああ、こんないいものを助かります。後日もう一山玉ねぎをあげなくちゃね」


 フリッツは玉ねぎをイルザに手渡すと帰って行った。


 グスタフがやって来る。


「おお、玉ねぎじゃないか」

「とてもいい香りだわ。新玉ねぎよ。お昼はこれを輪切りにして、ソテーして食べましょう」


 ふと二人の間に沈黙が訪れる。


「……何て言えばいいのかしら」


 イルザがぽつりと感慨深く呟いた。


「私、今、なぜかとても幸せなの」


 グスタフも頷いた。


「私もだ」


 幸福な沈黙と、鳥のさえずり。


 二人は互いにもたれ合うと、玉ねぎを抱えたままそっと互いに口づけた。


 唇を離してからイルザは呟く。


「あなたとなら私、何があってもやって行けるわ……ここに来てようやくそう思えたの。あなたは私のために、何でもやってくれる人」

「イルザ……」

「あとは痩せてくれれば言うことないんだけど」


 グスタフがぎくりと顔をこわばらせ、イルザが笑う。


「……お願い。そうすれば、もっとあなたを愛せる気がするから」

「うーん。やるしかないか……」


 イルザの夫への愛情が、ゼロから1になった瞬間であった。


 グスタフとイルザは玉ねぎを分け合うと、それらを吊るすために二人、軽い足取りで小屋へと戻って行った。


 暖かい食卓を得るために。



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― 新着の感想 ―
[一言] いい話だ。
[良い点] 大好きです [気になる点] つづきが気になって拝読がとまりません [一言] 読ませて下さり、ありがとうございます
[気になる点] 「通りで」→「道理で」 [一言] 偶然見かけて現在一気に読み進めているところです。 派手な力や展開がなくて優しい世界なのでなんというかほっとします。 すてきなお話をありがとうございます…
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