36.山小屋とイルザ
狭い山小屋に、三人も寝る場所があるだろうか。
山小屋に着くなり、そのディアナの疑問に応えるようにレオンがのたまった。
「俺、今日は牛小屋で寝るよ」
ディアナとイルザは意外な申し出に、互いを横目で見交わす。
「ところでうちには今、食料がじゃがいもと小麦粉しかないけど大丈夫ですか?」
問われたイルザはぎくりとしてから、そろりと小屋の中を見渡した。
「じゃがいも?小麦粉?」
「ああ、ミルクもありますよ。牛から直接絞って下さい」
「!」
「卵は朝食べちゃったからなぁ……」
レオンが頭を掻きながら小屋を出て行く。イルザは次第に青ざめて言った。
「……ディアナ。今の、本当なの?」
ディアナは苦笑いで頷いた。
「まあ……何て可哀想なの。あなたはそんなに貧しい暮らしを……」
「そんなに可哀想がらないで。私、レオンと暮らせて幸せなんだから」
「……あなたって子は、姉を心配させまいと必死なのね」
またイルザの、人の話を聞かずに突っ走る悪い癖が出始めた。ディアナはため息を吐きながら続ける。
「あのね、工夫をすれば大丈夫なのよ。小麦粉からペンネを作ったり、卵と合わせてパンケーキにしたり」
「工夫……?」
「そうよ。お姉様は生まれてこのかた創意工夫をしたことがなさそうだもの。いい機会だわ、せっかく山小屋に来たんだし、何か作りましょうよ」
イルザはうなだれる。ディアナは台所に佇むとどかりと小麦粉をボウルに入れ、水で練り合せ始めた。
「さあ、種は出来たわ。これを薄くのばして茹でれば、それなりのマカロニになる」
イルザはそれを受け取ると渋々といった調子で、粘土遊びのようにその生地をラザニア風に薄くのばし始めた。
意外と手際よくやってのけるので、ディアナは安心してその仕事を姉に任せ、牛小屋へと向かう。
レオンが牛の乳を搾っていた。
「ねえ、レオン」
「……何だ?」
「お姉様ったら、一体どうしたっていうの?」
レオンは搾乳を終え、牛乳入りのバケツを持つと振り返った。
「グスタフ様と喧嘩したらしいんだ」
ディアナはぽかんと口を開ける。
「喧嘩?」
「俺も詳しい会話の内容は知らない。けど、俺が見た限りではイルザ様が一方的に怒鳴っていて」
ディアナは顎に手を当てて考えた。
「そっか、喧嘩……」
「あーあ。せっかく今日はディアナと……」
「待って。これってチャンスかも知れないわ」
「え?」
「お兄様とお姉様夫婦のことよ」
ディアナは肩をすくめて笑う。
「お姉様、グスタフにようやく言いたいことが面と向かって言えるようになって来たんだわ。前と比べて、大きな進歩なのよ」
「へー、前は言いたいことが言えない仲だったのか」
「ええ、姉は何でも我慢して来たって言ってたわ。グスタフも妻のことが分からないって悩んでたじゃない」
「そういえばそうだったな」
「契約で結ばれただけの夫婦関係が、ようやく動き出したのかもしれないわ」
「とは言っても、いい方に転がるかは別だろ」
「そこなのよねぇ」
ディアナが唸った、その時だった。
「……ディアナ、あれ」
レオンが指さした方向に。
「グスタフの馬車だわ!」
イルザを追って、グスタフが来たのだ。ディアナは興奮し、ぴょんぴょんとその場で跳ねた。
「あら、とってもいい展開じゃない!」
「グスタフ様、妻を迎えに来たんだな」
二人は牛小屋から出た。グスタフがどこか神妙な顔をして馬車から出て来る。
「ディアナ、レオン……」
グスタフは言いながら、何か静かに思案している。思ったより慌ててはいない。
「お兄様、姉を迎えに来てくれたのですか」
グスタフはその問いに、どこか歯切れ悪くこう答えた。
「いや、迷っている」
ディアナは目を見開いた。
「連れ帰ったら、意味がない。同じことの繰り返しになる」
夕暮れ時の悲しさとあいまって、三人同時に肩を落とす。
「イルザはこう言ったんだ。あなたには情熱がない。太りまわって容姿のことも気にしないし、妻を愛していると口では言うが、何も行動が伴っていない、と」
義兄がそう口にした瞬間、ディアナにあることが閃いた。
「そうだわ。お兄様もこの小屋で暮らしてみませんこと?」
グスタフとレオンは同時に顔を青くする。
「ディアナ、君は何を言って……」
「ディアナ、これ以上小屋に入らないって……!」
声も揃って、少し気まずい空気が流れた。
ディアナはにっこりと二人に笑いかける。
「心配はいらないわ。レオン、私達は温泉宿へ行きましょう。お姉様夫婦と、居住を交換するの」
レオンは、より眉間の皺を深める。
「牛や畑を置いて行こうってのかよ!」
「あら、大丈夫よ。私に出来てお兄様に出来ないことはないわ。レオン、説明してさしあげて」
「ちょっ……グスタフ様の意見も聞いてから」
レオンはそう言ってグスタフに拒否回答を促したが、
「ふむ。ディアナ。さては、何か考えがあるのだな?」
などと意外にも乗り気である。レオンは愕然とした。
「情熱と行動は、不自由な中からしか発生しません」
ディアナは微笑みを絶やさずに言った。
「ですから、そのような情動は何もかも至れり尽くせりで育って来た我々には不足していて当然なのです。一度農民の生活をしてみて下さい。何か発見があるかもしれませんよ」
グスタフは頷いた。レオンは困っている。
「農民生活をしている君が言うのだから、そうなのだろうな」
「おいおいグスタフ様……」
「よし、やってみよう。三日ぐらい小屋を貸してくれ」
「いいですわ。三日後、また私たちはここへ戻って来ます」
「ああああ……」
「さあレオン。お姉様に勘づかれない内に、一通りお兄様にお教えして。お兄様だって、やれば出来るはずよ」
レオンは渋々といった調子で義兄を案内する。井戸の位置と水やりの箇所、搾乳の方法──全て伝えると、グスタフは御者に何ごとか言い置いて行く。
「新しい部屋を用意させた。たまには仕事をせずにのんびりするがいい」
グスタフの好意に甘え、ディアナとレオンはイルザに別れも告げず馬車で温泉宿へと出立した。
馬車の中でレオンは呟く。
「……不安だな」
「大丈夫よ。みんなグスタフを侮り過ぎているわ。かつての私だって今の生活をしてみたいなんて言おうものなら、そんな生活は無理だときっとみんな否定したと思うし」
「んー……まあディアナの思いつきは、今のところ百発百中で成功だもんなあ」
「三日だから、ご夫婦揃って飢え死ぬってことはないと思うわ」
「あああ心配だな……」
レオンはしきりに馬車の窓から丘を眺めている。
ディアナはようやく二人きりになって安心すると、レオンの肩にのんびりともたれた。




