34.暇は無味無臭の劇薬
ディアナが白いアイアンベンチに腰掛けると、まるで尋問するかのように女性たちがそれを取り囲んだ。
メイドが気を利かせて、白ワインに合わせて適度につまめるチーズの盛り合わせと海鮮のカナッペを持って来てくれる。空腹のディアナはそれらを一口で頬張り、何とか空腹をしのぐ。
「ねえ、どうして農家にお嫁なんか行ったの?とっても苦労しているんじゃなくて?」
貴族の娘が尋ねる。ディアナは首を横に振った。
「そんなに苦労はありません。夫がとても良くしてくれますので」
「へー。でも、何もかも自分でするんでしょう?」
「はい。けれどそれも全部初めてのことですし、物珍しい毎日を送って飽きることがありませんわ」
「あら、いいわねぇ。私達、この田舎暮らしには既に飽き飽きしてるのよ」
ディアナは、悩まし気に肩を落として見せる貴族の娘たちを眺め渡す。
「飽き飽き、ですか……?」
「だって何も娯楽がないじゃない」
「あら。娯楽ならありますわ。乳しぼりに料理にチーズ作りに……」
すると貴族の娘たちは笑い出した。ディアナはきょとんとする。
「何か笑うところあります……?」
「そんな面倒ごとはごめんだわ。疲れることはしたくないの」
ディアナは首を捻った。
「でも、きっとやってみたら楽しいわ。皆さん、食わず嫌いをしているだけです」
「そうかしら?農家の嫁って、ずーっと何かしら仕事をしていないといけないんでしょう?」
ディアナはふと考えた。
過去の自分がもし彼女たちと同じ状況であったなら、きっと同じことを言っているに違いないのだ。
過去と現在で違うことといえば、レオンの存在だ。
ディアナはようやく原因を突き止め、意気揚々と答えた。
「その仕事も、愛する人との暮らしだと思えば何も苦にならなくなりますわ」
しんとその場が静まり返った。
ディアナはハッとする。
貴族の娘たちは一様に薄暗い顔になっていた。何か気に障る言動をしたらしい。ディアナがマズいと思った時、助け舟が入った。
「ねえディアナ。さっきの百合の入ったビンは何?ちょっと見せて欲しいわ」
イルザだった。妹は姉に心から感謝し、慌てて懐から瓶を取り出した。
「あ、これね。百合の花のティンクチャーです」
庭の一角からふわりと緊張が解け、女性たちがやにわに騒ぎ出した。
「あら素敵。それもあなたが作ったの?」
「はい。裏の山に群生している百合で作りました。水に解いてルームフレグランスにしてもいいですし、バスソルトに混ぜてご使用になっても百合の香りが広がって清々しいんですよ。あと二週間すればもっといい香りになりますが、今この一週間目でもいい香りがするので宣伝ついでに持って来たんです」
「ちょっと嗅がせて?」
ディアナが瓶の蓋を開けると、初夏の山の芳香が辺りにふわりと広がった。
「ああいい匂い」
「予約制でお作りしておりますわ」
「田舎には香水が売ってないからちょうどいいわね。おいくら?」
「ひと瓶、銀貨三枚です」
「あらお手頃じゃない。ひとついただくわ」
「私も」
ディアナはようやく満面の笑みを見せた。
「ありがとうございます!」
「三週間後、またこの宿に来てくれるかしら」
「喜んでお伺いいたしますわ」
「じゃ、またね」
女性たちは立ち上がると、今度はレオンの方へ歩いて行って何かと聞き出そうとしていた。ディアナがそれをぼうっと眺めていると、イルザが隣に座って来て妹の腹を肘で小突いた。
「何よお姉様」
「あなた今、あらぬ反感を買うところだったわよ。新婚で舞い上がる気持ちは分かるけど、ちょっとお気をつけあそばせ」
「……反感ですって?」
「まあ、鈍感ね。あの娘たちも、全員結婚したばかりなのよ」
「?」
「だーかーら。あの子たちも私とグスタフ状態だって言ってるのよ」
ディアナは今更になって背筋が凍る。
「まぁいいわ。ちょっと見て、あれ」
ディアナは姉の指差す方を向いた。
ダニエルがワインを持ちながらグスタフと何やら話し込んでいる。
「ダニエル……とっても素敵よねぇ」
「……お姉様?」
ディアナは姉の肩をがしりと掴んだ。
「……何よ」
「そのような視線をダニエルに向けるのはもうやめて。グスタフはお姉様の前では言わないだろうけど、本当は気にしているの。お姉様の気があのダニエルに移ってしまうんじゃないかって」
イルザは目を見開く。
「グスタフったら大袈裟ね。ちょっと目の保養をしているだけじゃないの」
「だから、そういうのがグスタフを傷付けるのよ。あの人はお姉様を心から愛していらっしゃるわ。そんなのはあんまりだから、ちょっとはその〝目の保養〟とやらを控えてよ」
するとイルザは急にしおらしくうなだれた。ディアナは眉根を寄せる。
「……お姉様?」
「私だって、愛せるものなら愛したいわよ」
ディアナの目には、食べ物や花々に彩られた姉の周囲の景色が、とたんに褪せていくように映った。
「グスタフを愛せたらどんなに楽か。けど私、男の人を愛したことがないし、男の人の愛し方を知らないわ。そう。ずーっと知らないのよ」
ディアナは胸ぐらを掴まれたように青ざめ、つばを飲み込む。
「だから外見を愛でるしかないの。だから、何かを買って貰うしかないの」
ディアナは姉の苦悩を共に感じ、目をこすった。
「私、グスタフが羨ましい。愛する女を妻に出来た夫が羨ましい。たまに私、グスタフを妬むことさえあるわ。もう私、どうしたらいいか分からないの」
「……お姉様。その気持ち、お兄様に伝えたこと、ある?」
「ないに決まってるじゃない。言ったら余計に相手を悲しませるだけよ」
「そうかしら」
「……ディアナ?」
「私がグスタフだったら、今の話をして欲しいと思うわ。胸の内を明かして、少しでも伴侶に楽になって貰いたいって思う」
イルザは苛々した様子で立ち上がった。
「……私が何を思っていようが、私の勝手でしょう?」
遠くで、レオンが貴族の女性の帽子を受け取り、それを花で飾る実演を始めている。イルザは立ち上がり前へ進むと、グスタフに何事か伝え宿の中へと消えて行った。グスタフも慌ててその後を追って宿へと消えて行く。
ディアナは急に怖くなった。自分が口を挟んだことで、何かが急激に変わらなければいいが。
ひとりきりにされてしまったダニエルが、ディアナを見つけてこちらにやって来た。
「……ご夫婦で宿に戻られるとのことで、置いて行かれてしまった」
「そうですか……二人は、何と?」
「イルザ様の具合が悪いのだそうだ。ああ、次の相談なんだが……」
ディアナは目を見開く。
「へ?も、もう?」
「何をためらうことがある。もっと、花の創作料理は作れないか?思った以上に好評だったんだ。次のクライアントに繋げるチャンスが来ているぞ」
ディアナは頭を切り替えると、腕組みをした。
「そうね……ずーっと、やってみたかったことがあるんですが……」




