30.エディブルフラワーの魔法
一週間後。
ディアナは新しいピンクの花を摘み、そうっと口に含んだ。
今度のは、かいわれのようなピリリとした辛みが特徴の花だ。これを食べようとするなら、サラダなどにトッピングすると美味しそうだ。
しかし。
「なるべく保存のきく食べ物にしたいのよねぇ」
前回の飴は、村人には余り好評ではなかった。
これも一応飴にしてみた。青い花のミントのような味の飴の中に、ピンクの花だけ取ってつけたように浸す。
青い花とピンクの花のキャンディ。
とても可愛らしいが、売れなければ意味がない。
「サラダで出すなら、喫茶店でも始めないとダメよね……」
そこに朝の農作業を終え、レオンが帰って来た。
「ああ、それも飴にしたの?」
「ええ。だけど、何か違うのよ」
「ふーん。何が?」
「この花は飴に閉じ込められるべきじゃないわ。味からして、サラダとかお酢とかに合うのよ」
「でも、売るなら保存のきくものがいいよな」
「レオンもそう思う?」
その時。
遠くから、カラカラと馬車の音が聞こえて来た。レオンは窓から身を乗り出す。
「……あ、グスタフ様だ!」
また、何の用なのだろう。
「きっとあの飴をお姉様にあげた感想を持って来たんだわ」
しかし、グスタフは降りて来るなり何やら鉄板をこちらに掲げた。
「ディアナ!これを見てくれ。何かに気づかないか?」
鉄板には等間隔に、コイン大の凹みがある。ディアナはすぐに気がついた。
「ん?まさか、キャンディの型……?」
「そのまさかだ。ディアナ、あの青い花の飴を作って、ありったけ私にくれ!」
「どうなさったんですか急に」
「何って……イルザがとても喜んだのだ!私はあの顔がまた見たいっ」
ディアナは冷や汗をかき、レオンはやれやれと首を横に振った。
「やっぱり駄目だこの人」
「コトの本質に気づいていらっしゃらないようね……」
レオンは空を見上げた。
「いい天気だな。今日は外で話そうか」
「あら、いいわね。テーブルを表に出しましょう」
グスタフに紅茶を出すためだけに、二人はダイニングセットをえっちらおっちらと運ぶ。グスタフはその様子を眺め、何事か考えている。
「……私も手伝おう」
グスタフの言葉に、ディアナとレオンは意外なことが起こったと顔を見合わせる。
三人はそれぞれの椅子を手に、樫の杯で青空の中紅茶を嗜んだ。
「……懐かしいわ。ハインツ邸の庭でも、よくこうやって紅茶を飲んだものよ」
ディアナの言葉に、グスタフは目を丸くした。
「……初耳だな」
「そうですか?姉とはこのように外に出てお茶はしないのですか」
「考えたこともなかった。イルザも、言ってくれればいいのに。あと……」
「はい?」
「前に私がやった食器セットで飲まないのか?まさか、もう売ってしまったのか」
「いいえ。そんなことは……ただ、あんな高級な食器のセットは田舎の風景にはマッチしないかなーと思いまして」
「ふむ、なるほど」
グスタフは風にそよぐディアナの小さな花壇を眺めた。
「ほう。あれが、君の育てているエディブルフラワーか」
ディアナは顔を上げる。初めて聞く言葉だった。
「エディブルフラワー?」
「ん?なんと、君はあの言葉を知らんでこれを育てていたのか?」
「はい。父はただ、これを〝食べられる花〟と名付けておりましたので」
グスタフはフンと鼻を鳴らす。
「君の父上はそういうセンスに疎かったからな。いい機会だから教えておいてやろう。エディブルフラワー、つまり食べられる花という造語だ。遥か極東に、花食の文化を持つ国があるのだと言う。その国では食事の外見も気にするらしくてな」
「へー。進んだ文化があるものですね」
「色んな業者が咲いた状態で輸入しようとしたが、これが上手く行かなかった。これは憶測でしかないが、君の父上は仕方なく種で輸入したのだろう。気候の違う地で種を発芽させるのは一苦労のはずなのだが、なぜかこの丘でこれは咲いた。それを君が使っているというわけなのだな」
「はい。父は〝この花が世界を変える〟と」
「ほー。それは言い過ぎだが、まあ確かに食卓を変えそうではあるな。見た目に美しい」
グスタフはピンクの花の入ったキャンディを眺め、ため息をついた。
「私だって、飴を与えていれば妻の気を引けるなどと思うほど馬鹿ではない」
農民夫婦はどきりと胸を鳴らした。
「だが、気が引けるものが見つかって、おかしなぐらいはしゃいでしまっている自分がいるのだ」
ディアナは段々、グスタフがいじらしくなって来た。ここまで愛しても報われない、愛されても無頓着という悲しい夫妻が世の中にいるであろうか。
「……どうせ、食べずに持っていてもしょうがないものです。今日は沢山お花のキャンディを持って帰るといいですわ」
「すまないな」
「ところでこの鉄板、使わせていただいていいのでしょうか?」
「ああ、君のために業者に作って貰った特注品だ。是非使ってくれ」
「ありがとうございます。では、早速作って来ますね」
ディアナは鉄板を持つと、いそいそと小屋に戻った。レオンが義兄に問う。
「グスタフ様は、イルザ様に何か作ってあげたことはないんですか?」
「私がか?私のような素人がこさえたものなど、イルザは喜ばないだろう」
「あの……何か難しいことをお考えのようですが、そんな特別なものでなくてもいいんです。例えば、あそこにある花を摘んだり──」
「花、か」
グスタフは日がなリースを見ていた妻の姿を思い出した。
「そういや、私は花を摘んだことすらないな」
「沢山持ち帰るといいですよ。あの裏山は畑には向かないですが、野草と花の宝庫なんです」
「ふーん。ちょっと行ってみるか」
ディアナは小屋の中で、せっせと飴づくりに励んでいた。
凹みに油を塗って、次々に溶かし飴を入れて回る。
「す、すごい。めちゃくちゃ効率的にキャンディが出来るぅ!」
青い花とピンクの花のキャンディが昼の光を受けてキラキラと、冷え固まる時を待っている。