28.グスタフの想い
「探す手間が省けた。この先の丘を山の手前まで行くと君たちの家があると、パブスト村で教えてもらって」
初夏の陽気に、太ったグスタフは額の汗をせっせとハンカチで拭った。
「……ここに人が集まってるのが見えたが、ここは何だ?」
「ここ、温泉が出る小屋なんです」
「ほー、こんな辺鄙な場所にも温泉が湧くのか……」
「……ところでお兄様、私達に一体何の用なんですか?」
グスタフは言葉に詰まる。
無理もない。姉妹の縁を切れと一度は言ってしまった手前、ディアナに色々と悪い方へ勘繰られてしまうのは。
グスタフはなぜか少しムキになって答えた。
「そ、その……義妹がどのような生活をしているのか、見ておく必要があると思ってな」
「……なぜですか?」
「いいじゃないか。そういう気分だっただけだ」
少し険悪な二人の間に、レオンが気を使って入り込む。
「こんなところじゃ何ですから、うちまで来たらいいですよ」
グスタフは助かったとばかりに笑った。
「そうか。じゃあ、行くとしようか」
グスタフが馬車に乗り込み、ディアナとレオンが先導するように馬に乗って歩き出す。
「……どういう風の吹き回しかしら」
「さあね。けど、義妹の生活が気になるという気持ちも分かるけどな」
「うーん……」
日が傾いて来た。一行は丘の上、山際の手前でそれぞれ馬を降りた。
グスタフは馬車から降りるなり、きょろきょろと辺りを見回す。
「ん?家はどこだ……?」
「こちらですわ」
ディアナが指さした方向には、小さな小屋。
グスタフは驚くと言うよりは青ざめてその小屋を見つめる。
「これが、家?」
「はい……」
義兄の手前、レオンは申し訳なさそうに苦笑いした。
グスタフは恐る恐る中に足を踏み入れる。
何もかもが整然と並べられた小屋を隅々まで眺め、彼は精巧なミニチュアでも見るような難しい顔をして息を止めていた。
「紅茶をお入れしますわ」
ディアナがマッチを擦り、台所に火を起こす。
ひしゃげた鍋に井戸水を沸かし、慎重に沸騰させる。
茶葉と共にポットに入れ、しばし温める。
グスタフは神妙にテーブルについている。
目の前の樫の椀にとくとくと紅茶が注がれた時、ようやくグスタフから肩の力が抜けた。
ディアナが砂糖の瓶を置くと、彼はその中からスプーン二杯ばかりを紅茶に入れた。
「ふむ……紅茶を砂糖入りで飲む余裕はあるのか」
「紅茶は村で結婚をお祝いして、いただいたものです。我々が買ったわけではありませんわ」
「そうか」
グスタフは紅茶に自分の顔を映している。
その背中が哀れなほどに侘しくて、思わずディアナは尋ねた。
「お兄様、どうなさったの?様子が変よ」
ディアナとレオンも狭いテーブルを囲む。グスタフは少し乞うような視線をディアナに向けた。
「お前はこの結婚生活で満足か?」
二人はぽかんと口を開けた。
「は、はい……満足ですが」
「君はかつて、ハインツ商会で何不自由ない贅沢な暮らしをしていた。そこからこのどん底みたいな生活で、しんどくならないのか?」
レオンが隣で少ししょげている。ディアナは慌てて訂正した。
「しんどくなんて、なりませんわ。私、あのお屋敷で暮らしている時の方が、とっても暗い気持ちでしたもの」
「ほう。それはどうしてだ?」
「そ、それは……」
姉の結婚を見ながら、あなたみたいな太りまわった口賢しい男と結婚するという将来に絶望していたからです──などと、言えるはずもない。
「そ、そうだわ。私レオンを好いてましたので、それ以外の男と結婚するであろう未来に絶望していたからですわ」
嘘は言っていないはずだ。レオンは隣で少し機嫌を直した。
「そうか。好きな男が──」
そう声を落とすと、グスタフは覚悟を決めたように顔を上げた。
「なあ、ディアナ」
「何ですお兄様」
「愛されるには、一体どうしたらいいんだ?」
夫婦はその問いに固まる。
「お、お兄様……」
「イルザは私を愛していなかったらしいのだ」
ディアナは以前交わした会話を思い出す。
「私はイルザを愛している。あれ以外を妻にするなど、考えたこともない。それなのに、彼女は私を伴侶とすることを、お務めだと」
ディアナは急に義兄を気の毒に思った。自分も同じ立場であったら立ち直れない自信がある。
「それで、何が不満か聞いてみたのだ。そしたらイルザの奴、何て言ったと思う!?」
グスタフはすがるように前のめりになる。
「さぁ……って言ったんだよ」
「?」
「好きなところも嫌いなところもない。つまり彼女は、私に微塵も興味がないんだよ!」
「!」
「私が何をしようと彼女の気を引くことは出来ないんだ。彼女を輝かせる宝飾品も、服飾品も、屋敷も、何もかもを与えても、さぁ……という、あの悲しい一言で終了だったんだ!」
レオンが密かに戦慄している。
「そこでだ。妹の君なら、イルザの気を引く方法を知っていると思って……恥ずかしながら馳せ参じたというわけなのだが」
「それは……我が姉ながら申し訳ありませんでした」
「いや、君が謝る必要はない。彼女へのプレゼントは、私が好きでやっていたことなのだから」
ディアナは頭をひねると答えた。
「多分、生活をする上での不満はないのですわ。気になったのは、先程からお兄様はモノの話ばかりなさっている。多分お姉様の愛情を得るために、モノばかりを与えて来たからではないですか?」
「そうだな、基本的には」
「きっとお姉様は、物ではなく心を欲しがっていると思いますわ」
「でも彼女は私に興味はない。それに、私の心をどうやって与えればいいのだ?」
ディアナは少し動揺する。とても難しいことを問われている。
ふとレオンが口を開いた。
「ディアナ。さっきの飴はまだあるか?」
ディアナは顔を上げる。
「ええ、あるわ」
「それ、イルザ様にもあげよう。グスタフ様に持って帰ってもらえばいい」
彼女は首を傾げた。なぜ急に、レオンはそんなことを言い出したのだろう。
「飴だと?何の話だ」
ディアナは籠の中から瓶を取り出すと、グスタフに差し出した。
グスタフは目を皿のようにして、青い花の閉じ込められた珍しいキャンディを見つめた。
「ほぉ、これ、ディアナが作ったのか?」
「はい。少しハッカのような味がします」
「……面白いな」
「お好きなだけ差し上げますわ。いくつご入用ですの?」
「では三つほどいただこうか」
ディアナはオーガンジーのハンカチにキャンディをくるむと、その口をリボンでぎゅっと縛った。
「これをお姉様に渡して下さい」
「ありがとう。ああ、そうだ。先にお代を渡しておくか」
グスタフは御者に言いつけ、木箱を持って来させた。
木箱の中身は、揃いのティーカップとワイングラスだった。
「お、お兄様?これは……」
「また来るだろうから、それを置いといてくれ」
「へ!?」
グスタフはにやりと笑う。
「勿論、売ってしまってもいいぞ」
「……先程の言葉を聞いたらさすがに売るわけには」
「また来る」
「……」
思いがけない展開に、ディアナは呆然とする。
グスタフは再び馬車に乗り、帰って行く。レオンはどこか全ての問題が片付いたようなスッキリした顔をして、ディアナに寄り添い義兄を見送った。




