25.初めての夜
すっかり夜になってしまったが、ディアナはレオンと共に山小屋に帰ることにした。
イルザが火を灯したランタンと、焼きたてのパンを詰めた袋を持って来てくれる。
「ディアナ。元気でやるのよ」
「お姉様……ありがとう」
「レオンも、妹をよろしくね」
「はい……色々ご迷惑をおかけしました」
「そんなこと言わないで。ディアナが選んだ人だもの、きっと大丈夫だわ」
ディアナが先に愛馬レギーナに乗り、レオンがその後ろにまたがる。
「さようなら」
「さようなら、お姉様……!」
イルザは二人の姿が見えなくなるまで手を振った。
その手をどこか寂し気に下ろし、彼女が宿のエントランスに戻ると
「イルザ」
グスタフが深刻な顔をして待ち構えていた。イルザは不安げに眉をひそめる。
「……話がある」
久しぶりに二人で馬に乗り、ディアナは遠慮なく手綱を持つレオンに寄りかかって甘える。レオンもディアナの額に頬を寄せた。ランタンが照らす夜道は、星空とあいまってどこか物悲しい。
「ねぇ、レオン」
ディアナが尋ねた。
「どうして私があの温泉宿で泣いているって分かったの?」
レオンは少し気まずそうに答えた。
「……ゲオルグが、そう言っていたんだ」
ディアナは目を丸くする。
「……ゲオルグが!?」
「ああ。あいつ、わざわざ俺の小屋へそのことを言いに来てさ」
「……どういう風の吹き回しかしら?」
「それは俺にも分からん。ただ……」
「ただ?」
レオンは少しためらってから言った。
「あいつ……〝俺みたいになるな〟って言ってた」
ディアナはじっと何事か考える。
「ゲオルグみたいに……?」
「これは憶測だけど、あいつも女を泣かせたり、不幸にしたことがあるんだろう」
ディアナは、村の広場でワインをかけられたレオンの長兄の姿を思い出していた。
「……後悔するようなことがあったのかしらね」
「きっとそうだな。ところでディアナこそ、あの時あの宿で兄貴に何て言ったんだよ」
ディアナは少し顔を赤くした。
「べっ、別に……」
「教えてくれ、頼む」
「うぅ……その、私……レオンが大嫌いだって言ったの」
「……は?」
「……追い出されたから」
レオンは静かにその言葉を咀嚼し、ふと得心したように頷いた。
「ゲオルグめ……あいつああ見えて、意外とそういう女心みたいなの、ちゃんと勘づくんだな」
それを聞いてディアナは思わず笑う。
山小屋に無事到着したディアナは、我先に小屋に入って蝋燭に火をつける。レオンはレギーナを再び小屋に繋ぐと彼女に尋ねた。
「ディアナはもう夕食は食べたか?」
ディアナは首を横に振る。
「いいえ、まだ。でもレオン。私、あまりお腹が空いていないの」
ディアナはレオンの真正面に立つと、何かを待つように彼を見上げた。
レオンはきょとんとしてから微笑んだ。
「……俺も」
「胸がいっぱいになって、お腹もいっぱいなんだわ、きっと」
「そうだな。同じだ」
レオンはディアナの頭をくしゃっと撫でると、その額を肩に引き寄せる。
「おかえり」
「ただいま」
ディアナはレオンの背に腕を回した。しばらく抱き合って、二人はようやくほっとする。
「ねぇ、レオン」
「……何だ?」
「……ベッド、行こう?」
レオンは少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑んで頷いた。
二人で寝るには小さすぎるベッド。
けれど窮屈なその体勢を、ディアナはずっと夢見ていたのだ。
レオンが遠慮気味にディアナを組み敷いて、その唇にそうっと柔らかなキスをする。
「……ねえ、レオン」
「……何?」
「さっきあなたがお姉様の前で言ってたことって、本当なの?」
レオンは熱っぽく妻の耳元で囁く。
「……本当だ」
「ハインツ邸の庭で話しかけた時、ちっとも返事をしてくれなかったじゃない」
「それは……」
「それは?」
「ディアナが高嶺の花過ぎたからだ。気安く話しかけるのは失礼だと思ったから」
「……私、ずっと話しかけられたかったのよ?」
「そうは言ってもね……」
「……うん」
「ディアナへのそういう感情は……劣情だと思って、抑え込んでいたんだ」
「そんな……その気持ち、劣ってなんかいないわ」
「その当時はそう思っていた」
「……そっか」
「ディアナ」
「何?」
「触っていい?」
「……いいよ」
「…………」
「…………」
「急に、そんなところ──」
「ダメだった?」
「……いいけど」
「…………」
「ねえ」
「…………」
「……もう一回、キスして」
「…………」
「レオン」
「うん」
「ずっと一緒だからね」
「……ディアナ」
「もう、放したりしないで」
「絶対に放さない」
「……ありがとう」
ディアナは汗ばんで行くレオンの体を引き寄せる。
夢の中を漂っているような、不思議な感覚がディアナを包んでいた。
全てが終わった二人は狭いベッドで手を繋ぎ、興奮よりも安堵が勝って目を閉じる。
気がつけば彼らは、翌朝まで泥のように眠りこけていた。




