15.結婚式当日
結婚式当日の朝。
晴れ渡る空の下、ディアナとレオンは少しの荷と共に、愛馬レギーナに乗って丘を下っていた。
どちらも、朝から言葉が少ない。
お互いの緊張が、お互いに痛いほど伝わって来ている。
ディアナがふと尋ねた。
「レオンって、女の子とキスしたことある?」
レオンは少し唸ってから答える。
「物心ついた時からは、ない」
「そう」
「……」
「誓いのキスは大丈夫?」
「……多分」
「そう……」
話はそこで終わってしまった。
村の中心部に近づいて来ると、何やら村は騒がしく湧き立っていた。
レオンが何かに気づいて手綱を引き、レギーナの足を止める。
遠く見える村の広場に、花々が活けられている。既に村人が詰めかけ、酒の樽が次々開け放たれていた。
ディアナは青ざめてレオンの手をぎゅっと握る。
レオンはディアナの耳元で囁いた。
「大丈夫。何かあったら、俺がどうにかするから」
「……うん」
「ディアナは何も喋らなくていい。村のこと、何も分からないだろ」
「うん」
「ただ、ここで人の名前と顔は覚えよう。結婚式をすると、大抵の村の重要人物が出揃う。ディアナはそれに集中していてくれ。村での生活に必要なことを、今日覚えて帰ろう」
「分かったわ」
「いないとは思うが、もしも令嬢だったディアナを知る人物が出て来たら、体調が悪いふりをしてくれ。俺が君を引っ込める」
「ありがとう」
「……心の準備は出来たか?」
ディアナは不安げにレオンを振り仰ぐ。
レオンは努めてこちらに笑いかけてくれていた。
ディアナはその心配りに勇気づけられ、よりレオンを頼もしく思った。
令嬢は前を向く。
「出来たわ」
「よし、行くぞ」
二人は残りの丘を、何かを振り切るように駆け下りた。
主役たちの登場に、村の広場からまばらな拍手と歓声が起こる。
広場の前にはゲオルグとハンスが待ち構えていた。
二人は馬を降りる。
「ディアナさんはそちらで、服を着替えましょう」
レオンがこちらを振り返りながら、ゲオルグの後について行く。
ディアナは民家の一室で野良着を脱ぎ、女性達にドレスを着せてもらう。
久しぶりの感覚に懐かしさを覚える。かつてあのハインツ邸で、侍女らに服を着せてもらっていたことを思い出したのだ。
少し横幅を広く取った革のコルセット。生成りのふんわりしたロングスカート。首元まで編み上げる、ハイカラーの白いレースブラウス。
質素だがようやく村娘の一員になったような気がして、ディアナは鏡をまじまじと見る。
着替え終わると、ハンスがやって来た。
「どうです?どこか動きにくい箇所などはありますか?」
「いいえ。驚くほど動きやすいです」
「なら、良かった。都会ではどうか知りませんが、この村では少しゆるい服が流行ってるんです。それは婚礼衣装ですが、普段着に持って帰っていいですよ」
「ほ……本当ですか!?」
「はい。ディアナさんは戦火から逃れて来たということですから、着の身着のままだったわけでしょう。ワードローブにどうぞ」
「ありがとう!」
ディアナはにっこりと笑った。それをじっと眺め、ハンスが言う。
「君は本当に、いいお嫁さんだね」
ディアナはぽかんと呆ける。
「多分──僕たち兄弟は今、君の夫に罪滅ぼしをしている」
少し重たい空気が場を支配した。
「親父の命令とはいえ、みんなでよってたかってレオンを酷い目に遭わせた。ああいうの見ると、自分の心が面白いほど歪んで行くのが分かる。大人になって成長して、その歪みに皆気がついた。でも、どうしたらいいのか分からないんだ」
ディアナはそれを聞くと、にこりと笑った。
「何もしなくて構いません。なるべくレオンをそっとしておいてあげてください」
ハンスは目を見開く。
「レオンは、あなたたちのことを思い出すだけで辛いの。あなた方の自己満足にはもう付き合いきれないと思いますわ」
ディアナは呆然とするハンスとすれ違いながら、心を強く持って民家の扉を開けた。
その向こうにはいつもの野良着のレオンが待っていた。
ディアナは彼の前でくるりと一回転する。
「どう?」
レオンは首を傾げるように笑う。
「似合ってる」
ディアナがレオンの元へ歩き出すと村の子供が二人やって来て、それぞれ花冠とブーケを渡してくれた。レオンは笑って花冠を受け取り、ディアナの頭にすぽっと被せる。
ディアナは花冠とブーケに使われている青い花に見覚えがあった。
「あら?これ、レオンの裏山の……」
レオンを見上げると、彼は満足げに頷いた。
「そうだ。今朝、俺が作った」
「……そうなの!?」
ディアナは驚きに顔を赤くする。そして感じ入るように花束に顔をうずめて香りを嗅いだ。
「いい匂い……」
「そうか?牛小屋で作ったんだけど」
「も、もう……!」
「ははは」
レオンがふざけるように、ディアナに肘をつき出す。
ディアナは幸せの予感にくらくらしながら彼と腕を組み、広場の中央、牧師の元へと歩く。
聖書の教えを聞き流し、すぐにその時は来た。
「では、誓いのキスを」
ディアナはどきどきとレオンを見上げる。レオンは至って真面目な表情でディアナの花冠を少し上へ上げると、彼女の火照った頬に触れた。
レオンの顔が近づいて来る。
彼はディアナの唇を塞ぐように、そっと口づけた。
ディアナは溶けてしまいそうになるが、彼の腕にしがみつくようにして、何とか踏ん張って立つ。
広場には祝福の拍手がパチパチと鳴り響いた。
唇を離した時、ディアナは真っ赤になっていて、レオンは意外にも微笑していた。




