14.挙動不審のレオン
小屋に帰るなり、レオンが言った。
「ディアナ。夜はひとりで眠れるか?」
ディアナはきょとんとする。
「へ?」
「今日から俺、あっちの牛小屋で寝ようかと思って」
ディアナは怪訝な顔で尋ねる。
「出来るけど……何で?」
レオンは視線を下に落とすと、なぜか顔を赤くした。
「……別々で寝たい」
「ふーん。でも、レオンが牛小屋臭くなるわね?」
「臭かったら、温泉にでも浸かって来るから」
そこまで言われては、ディアナも何も言えない。
「いいわ。ちょっと不安だけど」
「ありがとう」
レオンはなぜかほっとした表情を見せた。
「朝はこっちに来る?」
「ああ、行くよ」
「さっき見たら、鶏が卵を産んでたの。夕飯は、目玉焼きにでもしましょうか」
「助かる」
ディアナは会話を続けながら、食事の準備をする。
レオンが傍で火を起こす。いつもの二人の調理風景だった。
ディアナはじゃがいもが煮える鍋を見つめながら、ふと思った。
この生活を、ずっと続けたい。
愛する人と、例え愛されることは叶わなくても、一緒にいたい。
レオンは料理が終るまでの束の間の時間、いつもディアナが寝ているベッドの上でうとうとと眠るのだ。その寝顔も、ディアナにはたまらなく愛おしい。
彼女はベッドに近づくと、その無防備な顔を覗き込んだ。
そうっと手を伸ばし、頬に触れる。
と。
レオンがうっすら目を開けて彼女の手を握り、自らの頬にあてがった。
ディアナは驚くが、レオンは何かを乞うように彼女を眺め、じっとしてる。
しばらく膠着状態が続いていたが急にレオンは何かに気づき、がばっとベッドから起き上がった。
「うわっ……ディアナ!」
「あら、何だと思ったの?」
「夢かと……」
「現実よ」
「おっ……俺、変なことしなかったか?」
「してないけど……」
「そっか……良かった」
ディアナはレオンの頬の感触を思い出し、目をこする。レオンは真っ赤になって額の汗を拭っている。
ディアナは一瞬でも彼に体を求められたことが、たまらなく嬉しかった。
「出来たわよ。一緒に食べましょう」
目玉焼きと、マッシュポテト。
産みたて卵は黄身を高くして、ナイフで割られる瞬間を待ちわびている。
二人はナイフで黄身をざくりと切る。
同じタイミングでとろりと半熟の黄身が流れ出し、二人は微笑み合った。
三日後。
人夫が馬車に乗せて、小麦粉とワインと野良着を持って来た。
ディアナは早速野良着に着替える。
白いシャツ。生成りのサロペット。
どれも丈夫な麻でしつらえてある。
「わー!動きやすーい!」
「良かったな、ディアナ」
ディアナは花の周囲の雑草を抜きながら、くふふと笑う。
「これでまた作業が捗っちゃう」
「……早く咲かないかな。アウレール様の言っていた花」
「きっと咲くわ。そしたらレオンはお金持ちになっちゃうんだから」
「……そう」
「レオン商会の親分になるといいわ」
「面白いことを考えるな、ディアナは」
彼女は半分冗談、半分本気だった。
(そしたら、レオンの本当のお嫁さんになれるもの)
「そしたら、本当に嫁に来れたりして、な」
ディアナは同時に同じようなことを言い出したレオンをぽかんと眺める。その視線に気づいたらしく、彼は表情を無にするとふいと視線をそらしてしまった。
「……冗談だ」
レオンは立ち上がった。ディアナも顔を赤くして立ち上がる。
最近、レオンの様子が変だ。
何かこそこそとしているし、顔色がころころ変わるようになった。
式を明日に控えているからだろうか。妙な緊張感をしょい込んでいるように見える。
二人は小屋に向かって歩き出す。
「いよいよ明日ね」
「……そうだな」
「夫婦になるのね」
「……偽の、な」
(どんな式をするのかしら。牧師を呼ぶって言ってたけれど)
村の中心部の広場へ昼に集合するということ以外、何も分からなかった。
ディアナは姉イルザとその夫との結婚式を思い出していた。
イルザは隣国の首都の一番大きな聖堂で、絢爛豪華なオートクチュールの真っ赤なドレスを着せられて、輝かしい宝石を胸に散りばめ牧師の前に夫との愛を誓う。
相手はそれまで会ったこともない、金髪の太りまわった男。
イシュタル商会の次期経営主、グスタフ。
姉夫妻は、まごうことなき政略結婚だった。
ディアナ自身もクリーム色のシックなドレスを着せられ、姉の式を眺めていた。
聖堂での誓いの後は、世界中から輸入した食材を用い、この世で一番豪華な披露宴が催された。繰り返される楽団のけたたましい音楽、はしゃぐ招待客。
そんな中、姉イルザの顔は徹頭徹尾何らかの決意、何かを振り切るような精悍な表情に満ちていた。そのどこか物悲しい光景が、ずっとディアナの頭の片隅にこびりついている。
(私は明日、どんな顔をしてレオンの前に立ってるのかな)
自身の着ている真新しい野良着を見つめ、ディアナはそんなことを思った。