9.結婚式の算段とフリッツ(気のいい四男坊)
フリッツは目を爛々と輝かせながら、ディアナに見入っている。
三人は小さなテーブルを囲んでいた。
三つのグラスには、あの藤の花のシロップジュース。
「へぇ。街で庭師のアルバイトをしていて、知り合ったのかぁ……」
嘘は言っていないはずだ。
レオンは咳払いをする。ディアナが何とか設定を取り繕っていた。
「戦乱の中助けに来てくれて、それで結婚を決意しました」
ディアナがニコニコと淀みなく説明する。
レオンはなぜか耳まで真っ赤になっていた。
「やっぱ俺も棟梁に誘われた時、行っときゃよかったかな~」
フリッツはそう言って笑う。ディアナとレオンは乾いた笑みで誤魔化す。
「実はさ、何かと物入りかと思って、うちの鶏を二羽持って来たんだよ」
ディアナは頬を輝かせた。
「ほ……本当ですか!?」
「ああ。結婚祝いにあげるよ。しばらく卵を産むからそれを食べてもいいし、卵を産まなくなったら食っちまってもいいし」
「あ……ありがとうございます!」
ディアナは立ち上がってぺこぺこと頭を下げた。レオンはそれを少し苦い顔で見上げる。
「で、式はいつだ?」
フリッツに問われ、二人の目が点になる。
「え?式?」
「神と村人の前で誓いを立てるのが習わしだろ。牧師と村の人に来て貰って、食事会を催さないと」
レオンは青ざめる。ディアナは慌てて言った。
「あのっ、私まだここに来たばかりですし、式は落ち着いてからでも……」
「善は急げだよ。戦争が激化してるし、この春の時期を逃したらもう出来ないかもよ?」
「で、でも……そうだ。うちには食事会の物資がなくて」
「それなら兄弟で折半して式を出すよ!長男は麦畑と粉屋、次男は仕立て屋、三男はブドウ園とワイン工房をしている。俺は鶏園を持っているから、かなり豪華な式にしてやれるぜ!」
止めるつもりが、逆に話が進んでしまった。
ディアナは己の嘘がどんどん妙な事態へ転がって行くのを止めることが出来ない。レオンに助けを求める視線を向けたが、頼りの彼も頭を抱えてふさぎ込んでしまっている。
「それにさ、レオン。これ、チャンスだと思うんだ」
レオンが顔を上げる。
「……チャンス?」
「そう!兄弟仲直りのチャンスだよ」
途端に、レオンは眉を吊り上げた。
「……俺たちの結婚式を、兄弟仲直りの場に使うって言うのか?」
「ああ。ちょうどいいじゃないか」
「馬鹿を言うな!俺は絶対仲直りなんかしない。お前らには二度と会いたくない。俺には荒地がお似合いなんだ」
「まだ拗ねてるのかよぉ、レオン。気持ちは痛いほど分かるけど、親父と兄貴たちを許してやって欲しいんだよ。皆、行き場のない怒りをついレオンに向けちまっただけなんだよ。みんなあの時は、心が荒んで狂っていたから」
「フリッツは直接悪感情をぶつけられていないからそんなことが言えるんだ。俺の身になってみろ。許せだなんて、到底言えないはずだぞ!お前も兄貴たち同様、無神経に変わりないようだな」
「レオン……」
悲し気に口元を歪めたフリッツと怒りが収まらないレオンの間に、ディアナが割って入る。
「あ、あの。お気持ちは嬉しくいただきますわ。でも……レオンの気持ちもあることですし、あまり事を急がなくても」
ディアナは内心「結婚式」というワードに色めき立っていたが、レオンの手前、顔に出さないよう努めていた。フリッツは腕を前に組み、悩ましげに唸る。
「……とりあえず挨拶は済ませたってことで、今日のところは帰るとするか」
ディアナはそうっとレオンに視線を移した。
レオンはぶんむくれている。
「じゃあ、また来るよ。とりあえず、お嫁さんに会えてよかった。俺から兄貴たちに、ちょっと働きかけておくから」
フリッツはそう言うと、最後だけは笑顔を見せて帰って行った。
ディアナは四男を見送り、レオンの前の席に戻る。
「レオン」
「……」
「お兄様たちとの間で、何があったの?」
レオンはあからさまに苛立って、ディアナを睨んだ。
「ディアナには関係ない!」
ディアナは初めて彼の怒号を受け、怯えてうつむいた。すると、ようやくレオンは我に返る。
「……ごめん」
「……」
彼は何かを堪えるようにぎゅっと目を瞑ると、吐き出すようにこう答えた。
「俺……虐待されてたんだ」
ディアナは顔を上げる。
「え!?」
「俺は幼い頃──父親と、兄達に虐待されていた」
ディアナに向けられるまっすぐな鈍色の視線。余りにも残酷な事情に、ディアナは耳を疑った。
「ど、どういうこと?何で、そんな……」
レオンは視線を下に落とすと答えた。
「──俺を産んだのが原因で、母が死んだからだ」
ディアナは苦悶の表情で胸をおさえる。
「そのせいで、父親は酒乱になった。暴力も振るわれた。だから、兄貴たちも一緒になって俺を虐待したんだ。フリッツだって殴りはしないにしろ、自分の身可愛さにそれを止めもしなかった。近所だって見て見ぬふりだ。ようやく虐待から解放されたのは、父親が死んでから。その遺言でも、俺は僻地に飛ばされるように指示されていた。この温泉と石だけの、農地に適さない僻地に、だ」
ディアナは悲し気に黙した。
「だから、今更顔なんか合わせたくない。あんなやつらに会わず、ここに引きこもってじゃがいもだけ食ってる方がいくらか幸せなんだ」
ディアナは尋ねた。
「ねえ、レオン」
「……何」
「今、あなたの手に触っていいかしら」
「……ああ」
ディアナは手を伸ばすと、レオンの手に触れる。
石とじゃがいもばかり掘っているごわごわと固い手が、そっとディアナの指先を握り返した。