9.『ホームセンターみずや』再び
9.『ホームセンターみずや』再び
「……あれ?」
気が付くと日が暮れていた。
月が辺りを白く照らし、不思議な光が宙を舞う。それは昼とはまた違った幻想的な光景だった。
「……月が二つあるじゃん」
寝転んだ状態だったから直ぐに気付いた。はいここは異世界確定。異世界確定である。
星の海に浮かんでいるのは白い月と、その横に並ぶ小さな緑色に光る月。特に白い方の月は地球のものよりも近くに見えて押しつぶされそうな迫力がある。
「ん?」
身体の側面が温かな何かに包まれている事に気付き視線を降ろすと、そこには俺に抱き着いて眠る姫ちゃんの姿があった。
「……」
「……んう……豊太?」
「お、おはよう」
と言ってももう夜だが。
時間を確認すると午後7時頃。どうやら日頃の養蜂生活で疲れが溜まっていたらしい。昼頃にこっちに来たのだから大体4時間位は寝ていた事になる。
「おっと帰らないと」
「うん」
寝ぼけているようだが返事だけはいい。
「じゃあまたな」
今度来るまでには巣箱の増産を始めなければならない。やることが一杯である。誰だ、日本ミツバチは飼育するのが簡単だって言ったやつは……俺だ。
立ち上がり体に付いた草を払う。木から小屋までは遠くない。そして小屋を抜ければ直ぐ家だ。ああ、なんて便利な養蜂園なんだろう。
「……」
「……」
俺が歩き出すと姫ちゃんも付いて来る。しかしこの子は一体何処に住んでいるのだろう?
*
「……あの、姫ちゃん?」
「?」
姫ちゃんは家まで付いてきた。今は俺と一緒に夜夜ご飯を食べている。
献立は特性ナポリタンとトースト。飲み物はインスタントなコーンスープだ。
「美味しい」
「……それは良かった」
もしかして姫ちゃんはこのまま居座るつもりなのだろうか。
ああもう結論から言ってしまおう。姫ちゃんはこれから、居候とでも言うべき存在になる。
しかしこの時の俺は絶賛ニート中。それは収入がないという事。これは早急に巣箱量産計画の実行に移らねばならない、と考えるに至るのは容易い結果だった。
それが養蜂家としての大いなるスタートになると、当時の俺はもちろん知らない。
*
「ごちそうさまでした!」
「? ……ごちそうさまでした」
「はいお粗末様」
姫ちゃんに手伝ってもらって食器を片付ける。
すると姫ちゃんが胸元をゴソゴソし始めた。
止めて、その行動はお兄さんドキドキしちゃう。
「お礼にこれ」
「あ、ありがとうございます! ……これは?」
貰ったのは大きな葉っぱを丸めた物。
「蜜持って来た」
「おお! それは嬉しい!」
なんと姫ちゃんは木のウロから採取した蜂蜜を葉に包んで持って来てくれたのだ。なんと嬉しいサプライズだ。こんな事をされたら、自分の巣箱から採取するまで我慢ようとしていた事など忘れてしまった。
今日は食後にコーヒーを飲もうとしていたが作戦変更。紅茶を用意する。
「お菓子!」
「いや、ごはん食べたばっかだから……」
という事でもちろんお茶請けはなしだ。
「……」
本当にこの子はお菓子が好きだな。
俺は紅茶に持って来てくれた蜜を垂らす。姫ちゃんも倣うようにそうした。
さて、俺が育てている蜂達の蜜の味。ここで試させてもらおう。
「……なんだこれこれ」
「?」
違う、全然違う。紅茶との相互作用なのかとも思って、葉っぱに付いた蜜を舐めてみる。
「……しゅごい」
「しゅごい」
真似しなくていいです。
豊太の少ない語彙では分かりようもないその蜂蜜の味。それは例えるならばカンロ飴のコクであり、熟した柿の奥深さであり、爽やかな朝露のようであり、和三盆のような年季であり、高級な香水のしつこくない華やかさであり……。まあ言うなれば、蜂蜜それ自体が完成された一つの甘味として、筆舌に尽くしがたい美味さだったのだ。
「気に入ってよかった」
「……ペロペロペロペロ……ハッ、俺は一体何を???!?」
気付けば俺は葉っぱに残った蜜を一心不乱に舐めていた。
そんな俺を微笑まし気に見つめる美少女。恥ずかしい。
「……凄い、凄いぜこの蜂蜜は……」
売れる。売りたくないけどこれは売れる。これは使用、鑑賞、保存、販売用とたくさん集めなければならない。
そしてそれには巣箱の増産が必須である。
「――ということで、俺は明日ホームセンターへ行くことにする。姫ちゃんはお留守番していてくれるか?」
「ほおむせんたあ?」
「色んな道具が売っているお店……って言ってら分かるかな」
「お店は知ってる……お菓子も売ってる?」
「いやそれは……いや売ってるわ、売ってる」
近所の『ホームセンターみずや』はドラッグストアよろしく、最近は色々な物を販売しているのだ。
「じゃあ私も行く」
「えッ”?」
兄妹と言い張れる歳の差ではあるが、警察官に職質されたら不味い状況に陥るのは想像に難くない。田舎であるから噂なんかもあっという間に広がるだろうし、俺は現在ニートである。
そして姫ちゃんに戸籍など存在しないであろうし、幼いながらも日本人離れした美貌の持ち主。そんな二人組は悪目立ちしまくるであろう。
……やはり危険は冒せない。
「え~と姫ちゃんにはやっぱり留守番を――」
「……」
うっ……な、何という目を向けるのだぁ。ざ、罪悪感で殺される……。
結局豊太は折れた。
連れて行くための準備として先ず姫の服をどうにかする必要があった。現在は冬。彼女の姿は白いワンピースに麦わら帽子という季節外れの恰好なのだ。暖房の効いた屋内はいいが、外出には向かない。
そのため豊太は亡くなった母のタンスを漁り、それっぽい格好に仕立て上げることにした。姫が着方が分からないと裸同然で現れるなど、すったもんだの末。どうにかそれらしい格好になった。
「……どう?」
「まあ全体的にオバはん感が凄いがいいじゃないか」
お袋の背が低かったのが幸いした。姫ちゃんの見た目は小学生高学年くらいだが、身長はそこそこある。彼女がスレンダーなせいで、少し横幅が余っているが冬着なのだ。ダボダボしていても着ぶくれだと思えば違和感はない。
「……そういう事じゃない」
「そうだな、蜂蜜が俺を、俺達を待っているぞ。早速行くか!」
「……豊太は人として劣っていると言われたことはない?」
「……ニ、ニートじゃないし、休職中なだけだしッ」
翌朝。こうして二人でホームセンターへ向かうことになったわけだ。
***
「ささ、着きましたぞ姫!」
「それなに?」
突然辛辣なことを言われたメンタル最弱な俺は、車中で姫ちゃんに姫プ的よいしょ術を実行してみた訳だが。結果は芳しくない。というか車と外から見える景色に興奮仕切りで、俺の話をあまり聞いてくれてはいなかった。
まあ異世界からこちらへ来た人間だったらこうもなろう。俺だってあの延々と続く花畑の光景を見て感動に打ち震えたのだから。
「ここが?」
「そ、ホームセンターみずや」
地域密着型とでも言うのだろうか。実際、県外では見た事がない。
「お、人魚焼きの屋台が来てるじゃん。帰りに買って帰ろうか」
「にんぎょやき?」
「ああ。出来立ては外はパリパリ、中はホコホコで美味いんだ」
「じゅるり」
しかし俺達の目的は巣箱の作成に必要な材料の購入。あまり無駄な買い物は厳禁である。
「ささ、行きましょうぞ姫」
「まだそれやるの?」
目指すは木材売り場だ。
「さてさて……ぶ厚い板はあるかな……」
前回から間を開けずに二度目の来店もあって、目当ての棚に最短で辿り着く。
「だが何がいいのか……甚爺さんにもっと詳しく聞いておくんだったか」
杉、ひのき、松、ケヤキ。ツーバイ材に、無垢材、集成材と色々ある。扉を作る時は店員さんに言われるがまま適当に選んだが、今回は巣箱に使う木なので慎重に選ばねば。
「何かお探しですか?」
噂をすれば影。前回も世話になった店員さんが、ウロウロと眺めていた俺に気が付いたようだ。
「えーとですね……蜂の養蜂に使う巣箱を作りたくて材料を探しているんですが……」
と、取り敢えず聞いてみる。
「蜂の巣箱ですか……私は詳しくないので……でも接着剤を使った集成材や合板は使わない方が良さそうですね」
「……なるほど」
確かにナチュラルな素材である方が蜂には良さそうだ。蜂は匂いに敏感なようだから、組み立てる際も接着剤は使わない方がいいだろう。
流石ホームセンターみずや。分からないなりに的確なアドバイスをくれる。
「……この木良い匂い」
「ん?」
「あら」
俺は姫の奇行を目にして、店員さんは可愛い物を見て、同時に声を上げた。
「妹さんですか?」
「いやハッハッハ、姪御ですよ。付いていきたいと駄々をこねてね」
俺と姫は血が全く繋がっていないと断言できる見た目の差がある。ならばと姪とすれば、少しでも疑われにくくはなるだろうとの考えたのだ。
「可愛いですね」
とニコニコの店員さん。こっちはバレないか冷や汗ものだ。
「どどうしたんだい姫ちゃん?」
この時、姫という日本でも通用する名前であったことに感謝した。髪も目も黒だから遠目からは間違いなく日本人だしな。
「いい匂い」
「ん? ひのきか……高ッ」
板に鼻を当てスンスンとしていた姫の、その板の値札を見て絶句。これ一枚で三千円だと……厳しい。そして試しにと持ってみたら重い。丈夫そうだがこれでは作業も大変そうだ。
「……別のにしよう」
「……じゃこれは? これもいい匂い」
もう一つは杉だった。貧乏なDIYには嬉しい木材。どんな物にも使われ軽く、そして安い。
「これにしよう、これにしよう。店員さん、これって切って貰うことは出来ますか?」
「はい出来ますよ。どの長さで切りましょうか?」
「え~と」
俺は持って来たメモ帖を確認する。甚爺さんお手製の巣箱の寸法を測っておいたのだ。
豊太のメモにはこんな風にで書かれている。
継箱:縦150mm、横265mm、厚さ35mm。内寸が230mmになるように!
天板:縦横265mm 合板可 スノコとの隙間は10mmくらい。 アミは蜂が通れない目で!
スノコ:隙間は6mm~9mm フタとの隙間は10mm 合板不可!
巣門枠:隙間は6~9mm (継箱に穴開けでもOK)
*木の年輪の中心側を外にする。木ネジはステンレス製。
甚右衛門から聞いたこと、貰った巣箱を計測した数値が事細かく書かれている。豊太は案外几帳面なのだ。
「はい、その長さで……はい」
店員と採寸を決めた後、他にも必要な物を揃えていく。木ネジ、金網、針金、あると便利そうな道具、中々に出費が痛い。
だがこれであの蜂蜜が手に入るのだと思うと財布が軽くなるのなんて気にならない。
この調子で俺は買い物かごの重さを増やしていった。
*
「こんなもんかな……あれ?」
何時の間にか姫が居ない。お菓子コーナーか?
棚の間を順次覗き込んでいくと、
「あ、いた……あれ、あの子は……」
姫が誰かと会話している。そしてその顔に俺は見覚えがあった。
「蜂川さんとこの……」
「あ、貴方……」
顔を見合わせるがどちらも名前が出てこない。
「俺は香具内豊太」
「私は蜂川香澄」
と再び自己紹介となった。
「豊太」
と駆け寄る姫の手には白砂糖。雑貨コーナーに置かれていたものだろうか。
「どうしたんだそれ?」
「買って」
「……まあいいけど」
お菓子と間違えたのだろうか?
「ちょっと貴方。姫ちゃんとどういう関係なの?」
そう言って俺を睨むその顔は、性犯罪者を憎む正義の思いで人を殺せそうだ。くそう、そうだよね、普通そう見えるよね。
「姪だ姪」
「……本当に?」
嘘だけど、恐らくワンタッチで警察に繋がるのだろうその手に掛けている携帯端末をどうか降ろしてください。
「本当」
と姫の方から助け舟。ナイスである。後姫様ごっこした後だからか、姫ちゃん呼びより「姫」と呼んだ方がしっくりくる。
「だよな、姫」
「うん」
口数は少ないが、頭は良い。この小さな相棒は、こういう時も頼りになる。
「……分かったわ」
悔しそうに携帯端末、俗にいうスマホをしまう。何故俺は蜂川家のお嬢さんにこんなに警戒されているのだろうか?
「え~と蜂川さんは姫に何か?」
「……迷子だと思ったのよ、悪い?」
「それは手間を掛けたみたいで、ありがとう」
悪い子ではないようだ。
「甚爺さん……甚右衛門さんはお元気ですか?」
「煩いぐらいよ」
……会話が続かない。
どうしようか、相手も俺を嫌っているようだしさっさと別れようかと思い始めたその時に、蜂川さんの持っているカゴの中身に気付いた。
「……それは、蝶番?」
ドアの開閉に用いる金具だ。俺が小屋に扉を付けた際に買ったものよりも、もっと小さなものだ。
俺のその呟きが聞こえたのだろう。彼女は何故か自慢げにこう話した。
「いい感じの洞のある木が手に入ったから……」
「……そう」
俺には何に使うのか理解できない。
「ふっふっふ……まあ養蜂初心者に毛が生えたくらいの貴方には分からなくても仕方ないか」
やれやれと言った様子で首を振る。……これは悔しい。
考えろ、考えるんだ俺。
洞の開いた切り株……養蜂……花畑で見た木の洞から蜂蜜が垂れる光景。なんだ、彼女は答えを言っているじゃないか。
「洞の開いた丸太で蜂を育てるのか!」
「ふっ……そうよ」
答えを当てて満足、当てられて満足。ウィンウィンの関係だ。
「で、その蝶番をどう使うんだ?」
「丸太状にしたその上に、巣箱を作ろうと思っているの。その箱の横に覗き穴を取り付けようかと……」
と自慢げには話す蜂川さんは、ふと何かに気付いたかのように顔を赤くする。
「……素人になに話してんだろ私」
「いや参考になるよ。なるほどね、そうすれば採蜜が楽になるんだな」
「ま、まあね!」
「……でも覗き穴は巣にくっついて開かなくならないか?」
「それはちゃんと対策として――」
「香澄、もう買ったのか……君は……」
「あ、どうも」
後ろに居たのは蜂川さ、香澄ちゃんのお兄さんの隆一郎くんだった。恐らく彼は俺より年下、20代始め頃だろうか。
「あんたは確か――」
「甚右衛門さんにお世話になった香具内です。その節は急に出向いてご迷惑をお掛けしました」
「ああ……爺さんから聞いたよ、養蜂を始めるんだって?」
「はい」
どうやら彼は俺のカゴの中身に気が付いたようだ。
「貴方こんなに買って、箱を自作するの? まだ気が早いんじゃないの?」
香澄ちゃんもその中身から俺の意図を理解したらしい。
「ええと、まあ準備はした方がいいかなと」
今は2月中旬。蜂が巣を作り始めるのが三月中旬頃らしいから、箱を作り始めるなら遅くはない。しかし香澄ちゃんが言っているのはそういう事ではないだろう。つまり貰った巣箱は設置したとしても空っぽなのが常識なのだ。
しかし俺には異世界花畑がある。その常識は通用しないのだ。
「まあいいけど……」
「それで買うものもう選んだか?」
「うん」
「じゃあ行くか。じゃあ香具内さん」
「はい、お連れさんを引き留めてすみません。甚右衛門さんにもよろしく言っておいてください」
「わかりました」
「あ、お兄ちゃん待ってよ」
兄弟はレジの方へと去っていく。いいなあ……妹。一人っ子だったから、兄弟とか憧れたなあ。
「豊太」
「……おう」
そうだな。俺には姫が何時の間にか居たな。これはもう妹が出来たと思ってもいいな。
「お菓子」
「……人魚焼き買っていくか」
帰りに買った人魚焼きは姫にも好評だったとさ。
しかし蜂川さんの家から遠いあの店に、何故あの兄弟が居たのだろうか?
それはまた後に判明することになるが、その時の俺には大した意味は無かったのだ。