7.新しい巣箱①
7.新しい巣箱①
家に帰った豊太は早速、貰った巣箱の手入れをし始めた。
長い間倉庫に仕舞いっ放しだったそれらは、非常に埃っぽかった。絞った布巾で丹念に拭きながら、甚右衛門に教えて貰った通りに組み立てる。手作りだというそれは歪みもなく綺麗に揃った。釘を使わず升のように組まれた巣箱はとても美しい物だ。
「……ええと、下は巣門のあるやつ……これで、次ぎが継箱。んでスノコの付いたこれを載せて、で最後に蓋と」
そして出来上がった巣箱は三段重ねの重箱のような見た目だ。
「……いいじゃないか」
まさに蜂の巣箱といった趣を感じる。
蓋を取って中を覗くとスノコ、そしてその下の空間には針金が縦横と通っているのが見える。蓋のある箱と継箱と合わせて二重になっている。
「これで蜂の巣を支える……って言ってたな」
継箱とは要するに、蜂の巣が大きくなった時に重ねて箱を大きくする追加の箱だ。マンションの階を増やして入居者を多く収容できるようにするという感じだ。
そして一番下は小さな溝のある木箱。その溝が巣門と呼ばれるものだ。
「んで、あそこから蜂が入ると」
取り敢えず完成。
これで俺はようやく、本当の養蜂家への一歩を踏み出したのだ。
外を見ればもう日は暮れていた。
「持っていくのは明日にするか」
この年になると夜更かしは体調不良の元なのだ。
*
小屋の奥の鍵を開ける。
「うっ……この目がくらむのは慣れないな」
木戸の開く方向は丁度東向き。なので朝日が尚更にきつい。
目が慣れるとそこは何時もの不思議な世界。色とりどりの花が咲く異世界の花園だ。空には朝日が昇り、世界から影を追い払おうと張り切る様に、万物に日差しを届けんと朝霧を押しのけている最中だ。
「……んー家の田舎と勝るとも劣らない空気の清浄さ」
「そう?」
「どわぅ!!」
びっくりしたびっくりした。
隣には何時来たのか、俺と同じような恰好で、つまり大きく深呼吸をするように両腕を開いて胸を反った体勢の姫が居た。
「あ、朝早いね……」
「うん」
あ、ちょっと自慢げ?
俺は当たり前の様に小屋に訪れた少女に問いかける。
「……お家の人にちゃんと出掛けるって言った?」
「?」
う~ん不思議ちゃんなのは変わらない。しかしこの少女は本当にただの不思議ちゃんなのだろうか? ……ハ! もしかしたら蜂を操る魔法少女か。
「あのさあ……前にサヨナラした時さ?」
「?」
「なんか蜂がブワ~ってなって、姫ちゃんが消えたように見えたんだけどね?」
「うん」
「……」
あ、しっかり自慢げ。
「……え~と……凄い手品だね?」
「ふふっ!」
ふんす、といったご様子。どうやら手品だったらしい。
いや手品でも凄いな。いや感心している場合ではないが。
「あ、持って来たよ」
「お菓子!」
「……ごめん、お菓子じゃないんだ」
「……うん」
うわ……物凄い落ち込み様に、お兄さん凄い悪い事しちゃったみたいな気になっちゃう。
「また持ってくるから、ね」
「うん……」
気を取り直して、小屋に置いていたソレを運び出す。もちろんバラして一つずつだ。
「……これは……スバコ」
「そうそう。知り合いがくれたんだ」
姫は目の前で組み上がっていくソレを興味深そうに眺め出した。先程のお菓子をねだる、年相応の子供の振る舞いは微塵もない。周囲を周りながら真剣な表情で新しい巣箱を観察しだした。
これには豊太も驚く。この少女は間違いなく養蜂家の専門家だ、と彼が先走って確信するに至る。それほどの真剣さが目の前の可憐な少女には確かにあった。
「……いい」
「いい感じってこと?」
「これなら子達が分れて住める」
姫ちゃんの言う「子」とは間違いなく蜂達のことであろう。それほどまでに蜂を愛しているんだな。
「よっしゃ、早速設置しよう」
コンクリートブロックなら既に持ち込んでいる。それに載せていくだけで完成だ。
「でも場所を変えて欲しい」
「場所?」
コンクリートブロックの置かれた場所を見る。平らで小屋から近いし日当たり良好。何の問題もない様に見える。
「あの木の下において欲しい」
そう姫ちゃんが指さすのは、俺が彼女と出会った場所。あの蜂が群れる巨木だった。
「あそこなら子達も不安がらない」
「……なるほど」
納得してみたがよく分かってはいない。だがこの子がそう言うのならそうなのだろう。彼女の言葉には一切の迷いや淀みがない。だからそう思えた。
「よし、じゃあ運ぶか」
「……手伝う」
そう言って姫ちゃんはブロックを持とうとする。
「いやそれは重いから俺が持つ」
「……でも」
「姫ちゃんはこれを持って」
「これ?」
俺が渡したのは石鹸のような蜜蝋の塊だ。女の子に重い物を持たせるわけにはいかないからな。
「……いい匂い」
「そう?」
「うん」
姫ちゃんは俺に付いて、小屋と木の間を往復する間。ずっと蜜蝋を嗅いでいた。
*
「いよし!」
形になった巣箱を満足げに眺める。場所は巨木の影になる平らな場所。ブロックで地面を少し叩くだけでいい塩梅になった。
名前は重箱式巣箱。今まで設置していた西洋ミツバチの巣箱よりのっぽである。幅自体はそれよりも小さいためなおの事そう見える。
構成は下から順に、底板、巣門枠の付いた基台、継箱、蓋付き巣箱の二階建てだ。そして、その上に屋根を置いて、重しにそこら辺の石を載せた。……巣門枠はホテルのフロント的な位置付けだから二階建てで合っている筈。
甚爺さんに聞いて分かったのだが、よく見る屋根の部分はトタンではなく、載せているのは畔シートと呼ばれる物だったらしい。それも少し貰えたので替えてみたが、なるほどテレビでよく見るやつそっくりとなった。
「どうだ、いい感じじゃないか!」
「うん、いい感じ」
俺は調子に乗って姫ちゃんに聞きかじりの知識を披露した。甚右衛門爺さん直伝だ。
しかし蜜を採取する段階になって言葉が鈍る。蜂を愛する少女の前では言い出しにくい話だったからだ。
「……でもこのタイプは蜂蜜を採取する時に上から巣を切り離さなきゃならないらしい」
「それは困る」
「まあ蜂からすれば堪ったもんじゃないな」
「……じゃあこうする」
「ん?」
「上の箱に蜜を貯めて、その下の箱で子供達を育てる」
「そりゃあ便利でいいな……」
そうであれば、蜜を採る際は上の箱の中だけ絞ればいいのだから。まあ現実はそう上手くはいくまい。
「ずっとそうやって来たから問題ない」
「? なるほど?」
「うん」
姫ちゃんが言うなら問題ない。そんな気がした。
まあ後でわかった事だが、蜜蜂の習性として巣が大きくなってくると上側に蜜を溜める“貯蜜圏”を。下側に幼虫を飼育する“育児圏”を形成する。つまり姫が言ったのは蜜蜂の当たり前の習性だったのだ。
「あ」
「ん?」
「新しい子達が入ってく」
「……本当だ」
気付けば見慣れぬ物に興味を引かれた蜂が数匹いるだけだった巣箱に、多くの蜂達が群がり始めていた。
「新しいお母さんバチが入って行ったからもう問題ない」
お母さんバチとはつまり女王蜂の事だろう。
「……上手くいったんだな」
感慨深い思いが胸をジンと熱くする。奇妙な世界で花畑を見つけ、簡単だと思って思いつきで始めた養蜂だった。しかし上手くいかなかった。
だが姫と名乗る少女の助言と、甚右衛門さんの惜しみない提供でようやく形になったのだ。嬉しくて、有難くて仕方がない。
「ありがとうな」
「ん」
今度、姫ちゃんにも甚爺さんにも蜂蜜を持っていこう。
「ありがとう」
「ん?」
唐突だ。何故姫ちゃんが俺に感謝の言葉を?
「このままだったらこの子達は居なくなっていた」
う~ん……養蜂が失敗していた、という事だろうか。
「まあ、お役に立てて何よりだ」
「うん」
豊太と姫は、しばし無言で蜂達が巣作りに励むのを眺めるのだった。