21.異世界急速接近②
21.異世界急速接近②
「この度の施し誠に感謝する。なにか恩を返したいのだが……何分旅の途中、路銀も尽きた状態ゆえ……」
「いえいえ、旅は道連れ世は情け。情けは人の為ならずと言うではないですか。お気持ちだけで十分ですよ」
「……有難い」
マグアギナさんは深々と首を垂れた。
……しかしなんで俺達は彼女の話していることが理解できるのだ? そういえば姫の時も問題なかった。しかしあれは彼女が日本人だと勘違いしていたからだで、事実姫は初めから日本語を喋っていた。
俺は姫に小声で話しかけた。
「なあ」
「ん」
「なんで俺達は彼女の言葉が判るんだ? ここは異世界なんだろ、おかしいじゃないか」
「私の加護」
「マジで!?」
「草花の意思疎通方法を模倣した伝達能力」
「……わからん」
まあ魔法だな。それで説明は事足りる。証明終了。
「それで、マグアギナさんは何処からいらしたのですか?」
そう尋ねるのは、手帳とペンを持った隆一郎だ。その目をらんらんと輝かせている様は彼の興味が彼女自身からその背景に移った証左であろう。
「うむ、ご馳走になったからには真摯にお答えしよう。私はここから遥か北、アナモリの町から前人未到の森、険しい山々……長く険しい冒険だった……だが、私はようやくこの草原へと足を踏み入れることが叶ったのだ!」
「なるほど……その行程はどの程度の期間を要しましたか?」
「う~む……季節が一巡する程度かな?」
「……一年ですか。この世界の一年がどれほどの長さかは解りませんが、長い道のりですね」
手帳に目を落としていた隆一郎は悩まし気に頭を掻いた。
「え、ということはマグアギナさん。この場所は辺境も辺境ということですか?」
「その通り……なのだが、まさか人が住んでいるとは思ってもいなかったぞ? まあそのお陰で私はこうして生き長らえることが出来た……感謝する」
「あ、それはまあどうも」
しかし見たところマグアギナさんは元気そうに見える。
「本当だぞ? 食料は底を突き、引き返すことも出来ない。一流の冒険者とは己の死期を事前に悟れるものなのだ」
なるほど。にっちもさっちもいかない状態だったという事か。
話をして喉が渇いたのだろう。マグアギナさんはお茶を一口飲んだ。
俺はそれで気付いた。ああ、舌で舐めていたのは呑むことが出来ないからではなく、警戒していたのだ。
「ではアナモリ? の町というのはどういう所なのですか?」
隆一郎は渇望するかのように知識を求める。
それに未知の種族であるリザードフォーク、そしてマグアギナと名乗った存在は、不快な顔をすることはない。それどころか自らの知識を分け与えることが喜びであるかのように、話を続ける。
それはまるで、子供に寝物語をねだられてベッドの側へ膝をつく母親のような雰囲気さえ感じるのだ。
「どういう所……か。まあ中々に騒がしい町だな」
「騒がしい? 今までの話からすると、辺境に位置する町だと思うんだが?」
俺はそう尋ねた。
「その通りだが、アナモリはそこらの寂れた村とは大いに違う所がある」
「……それは?」
「未開の更に先があること……黄金郷へと至る道程に最も近い町であるからだ」
「黄金郷ですか!?」
隆一郎のテンションがマックスだ。
「えーと、その『おうごんきょう』を目指して冒険者が集まるんですか?」
と香澄ちゃんがおずおずと質問する。
「いや、そんな者は少人数。それこそ酔狂な私のような者だけだ」
「あれ? そうなんですか?」
それでは賑やかな町の理由にならないではないか。
「集まるのは採掘者だ。アナモリの名は多くの採掘者によって穴だらけになった森に囲まれているからなのだ」
黄金郷の伝説が残る地に最も近いアナモリの町は、そのお零れに預かろうと多くの採掘者が集まり、それを目当ての商人が集まりを繰り返し大きくなった町なのだそうだ。
その範囲は次第に広がり、以前は森であった掘りつくされた場所にも町は拡大し、今や非常に凹凸の激しい町へと変化したのだという。
「古い歴史の残る……複雑な町並……イイ」
隆一郎はうっとりとしている。
「そして――」
「そして!?」
「時の領主が、黄金郷伝説と採掘の歴史を売りにして一大観光地へと変貌させたのだ!」
――場が静まった。
「か、観光地……」
「一気に異世界のイメージが崩れますね……」
俺達が想像している以上に異世界とは発展しているらしい。
「私の一押しは土産物屋の『銘菓鉱石まんじゅう』だな。一度食べたらポリポリ感が病みつきになるぞ。私の好物だ、鉱物だけにな!」
ハハハとマグアギナは男らしく笑う。
何とも言えない表情になっている隆一郎と、ポカンと男らしいトカゲ顔を眺めている香澄ちゃんを尻目に、俺は姫に耳打ちをした。
「異世界ってどれぐらい発展しているんだよ?」
「……500年くらい前の話でいいなら。……聞く?」
「……いやいいです」
五百年もあったら江戸幕府もあっさり開国して宇宙に跳び出しちまうよ。
なんという事だ。姫は引き籠りも真っ青な世間知らずのお姫様だったらしい。まあ精霊や神なんてそんなモノだとも言えるといえば言える。
「だがこうして私は伝説を確かめる為に、世界の最南端にあると謂われる黄金郷に向かっている。酔狂な冒険者の一人として」
そう語るマグアギナの目は真剣なものだ。伊達や酔狂で自分の命を懸けてここまで来たりはしない。彼女は本気で冒険をし、まだ見ぬ世界を知ろうとしている。
「……解りました。長々と質問をしてしまって申し訳ありませんでした」
「いや、私も楽しかったぞリュウイチロウ。こうして私の冒険話を聞きたがるのは子供か酔っ払いくらいのものだったからな」
「そう言ってもらえると有難いです」
マグアギナと隆一郎はがっしりと握手を交わす。
二人には友情が芽生えた……のだろう?
「では私からも聞きたい……貴方達は何者だ?」
キタ。聞いてほしくない疑問。
さて、どう説明しようか?
「我々は香具内養蜂園の従業員」
「え”」
「ここで養蜂をしている」
姫が突然、普通に身の上を語りだす。いや、嘘は言っていないが大丈夫か?
「ヤシナイようほうえん? それはなんだ?」
「蜂を飼育して蜜を採っている」
「蜜……はちみつか!?」
「そう」
「み、見せてくれないか! その『ようほうえん』とやらをッ!?」
「……豊太、どうする?」
「どうするって……どうしよう?」
*
まあ隠すような物でもないという事で、事業主である俺の決定でマグアギナを外の巣箱へと案内することになった。
隆一郎は俺に警戒することを進言したが、マグアギナの熱心な懇願と、香澄ちゃんの説得により結局は折れた。
俺自身も問題はないと思う。
彼女も秘密があるなら守ると誓った事もある。それよりも俺にはマグアギナが悪人には見えなかったのだ。
少し歩いた先にある、巨大な木の根元に香具内養蜂園はある。巣箱が6つの小さな養蜂園ではあるが、これからまだまだ大きくなる。
「ここだよ」
「……これが? ようほうえんという物か?」
マグアギナは並んだ箱を見てキョトンとしている。しかしこうして並ぶとデカい。身長は目測で2メートル近いのではないだろうか。
「……マグアギナはそもそも養蜂というものを知っているのか?」
「知らない……だが、蜂蜜が甘美な物だということは知っていた」
「? 変な言い方だな」
「私自身が摂取した訳ではないからな」
マグアギナは幼い頃。群れで最も年老いた生き字引から、その秘薬の話を聞いたのだそうだ。
――はちみつ……それはあらゆる秘薬の頂点であると同時に、あらゆる甘味の女王でもある――
「――と……幼い頃よりその話を一度たりとも忘れた事はない」
私は甘い物が大好きなのだ、と話の締めに告白し、照れ笑いのような声を出した。
大袈裟な話である。いや、俺も蜂蜜が好きだ、大好物だ。だがしかし、秘薬の頂点ではない。甘味の女王は認める。
「マグアギナさん。蜂蜜はそんなに貴重な物なのですか?」
「それは当たり前だ! 蜂とは恐れられるもの。その蜜を巣から獲ようなどと考える輩は命知らずの馬鹿か、超一流の冒険者だけだ!」
どういう事だと俺と隆一郎は目を合わせる。やはり異世界産の蜂とは個体差が激しい物なのだろうか?
「じゃあ食べてみます? 豊太さんいいよね!」
その話を分かったののか分かっていないのか、香澄ちゃんはそう提案した。
「ああいいよ。今日採ったやつが家に――」
最近は小屋の建築があったこともあり、作業は全て家でやっている。
それも今日まで。あの小屋に機材を持ち込めば、香具内工房の完成だ。
そうして家に戻ろうとしたのだが。
「問題ないチョットだけならこの子達に集めてもらえる」
そう言うと、いつの間にか手に持っていた葉っぱを目の前にかざした。
「……な、なんだ!?」
「わあ!」
「これは凄い」
「姫はやっぱりカッコイイ!」
「ふふむ」
蜂達が巣箱から飛び出し、姫の手に乗った葉に集う。そして気付くと葉の上は黄金色の蜂蜜がたっぶりと溜まり綺麗に輝いていた。
「……な、今の虫は?」
「え?」
何を言い出すんだこの人は。
「いや蜂ですよ蜂」
「は、蜂!? あんな小さなものがか!!」
「小さいって……まあ日本ミツバチみたいに小さいですが……」
あ、気付いた。……なんか嫌な予感がする。
異世界といえばよくあるのが主人公を阻む異形の存在。モンスターとか魔物だ。もしかして……いや考えないようにしよう。
「ん」
「……あ、ああ姫殿。頂きます」
マグアギナはそっと渡された葉を受け取り、しばしそこに溜まった液体を眺めると、おもむろにその長い舌でペロリと舐めた。
その時不思議なことが起こった。
「え!?」
「こ、これは――ッ!!」
マグアギナの身体が淡く黄金色に輝き出したのだ。
「美味しーーい!!」
しかし感涙している間にその光は弱まり、そして元に戻った。
「い、今のは――」
「姫殿ッ! こ、これが蜂蜜なのですかッ!? こ、こんな……こんな甘美な物がこの世にあったとはッ!」
「お菓子にするともっと美味しい」
「おかし……焼き菓子ですか! な、なんと贅沢な……ひ、秘薬の頂点とも呼ばれる蜂蜜で菓子を作るとは……し、しかしぃ……蠱惑的な響き……きっと鉱石まんじゅうなど足元にも及ばぬただの石くれと化すのは間違いない……ああ!!」
さきほど光っていたマグアギナが、葉をベロベロと舐めながら地面でグネグネとのた打ち回るという器用な事をやっている。
「なあ隆一郎。今光ったよな?」
「興味深い……え、光った、ですか? ……何がです?」
あれ? これはどういう事だろう。
「ねえ香澄ちゃん。今マグアギナの身体が光って見えたよね?」
「……ふーん。お兄ちゃんもそうだけど、豊太さんもそうなんですか。そうですよね、マグアギナさんスタイルいいですもんね。あんな地面で……その、ポーズをとったらそういう風に見えちゃいますもんね!」
え、いやいや確かにマグアギナはアスリート体型かつ尻尾のせいか良い形のお尻をしているのが寝転んだせいと、尻尾のお陰でローライズなパツパツの革のズボンから判る……が、流石に顔が爬虫類だ。そんな目で見れる訳がない。そう訳がないのだ。
「いや、そういう事じゃなくて……え、『お兄ちゃんも』?」
「ふん」
何故かへそを曲げてしまった。いやそんな邪推し過ぎなねえ……ねえ?
「おい姫、姫は――」
「私をココに置いて下さいませッ!!」
土下座。異世界土下座だ。流石異世界、日本文化にも造詣が深い。異世界とはそういうものと相場で決まっているのだ。
ではなく。俺が姫にあの光について尋ねようと声を掛けたその時。マグアギナが地面で姫に頭を下げたのだ。
「マ、マグアギナ……?」
「黄金郷を私は見つけた。見つけました! そう、ここです! この『ヤシナイ養蜂園』に在ったのです!!」
姫の顔を見上げるその目は真剣だ。さきほど小屋で冒険者の矜持を語っていた時よりも真剣だ。
「何でもします! メイドのように忠実になります! ゴーレムのように働きます! ですからその蜂蜜をッ! 蜂蜜を今一度頂きたいのですッ!!」
ゴーレムも居るのか……。いやそういう事じゃない。
「姫殿ッ……いや姫様ッ!! どうか、どうかこのみすぼらしいトカゲめに慈悲を……ッ!」
あ、姫様は禁句だぞ。様付けすると姫は大層不機嫌になるのだ。
「……マグアギナ」
「ハイッ!! 私めの事は――」
「……豊太」
「――ハイ?」
「ここの主は豊太」
「豊太……」
「決定権は豊太にある」
あ、俺に丸投げしやがった。
「豊太……豊太殿……いや、豊太様……」
ううっ……じりじりと土下座の恰好でにじり寄って来るのは怖い!
なるほど、俺に振ることで日頃からかっている俺とマグアギナの一石二鳥を狙ったのか! ……姫……恐ろしい子!
「どうかこの卑しいトカゲめにお慈悲をッ!!」
「リザートフォークが自信をトカゲと卑下するのは余程の事。本来彼等をトカゲと呼べば殺されても文句は言えない」
こんな時にいらないトリビアどうもありがとう。
「この体も尾も全て貴方様の所有物です。子も産めというなら生んで見せますッ……どうか、どうか……ッ!」
隆一郎は「興味深い」と他人事。香澄ちゃんが「サイテー」ときついお言葉。
……違う、違うんです。俺はやってない。俺は何もやっていないんです。
「マグアギナ……取り敢えず頭を上げて――」
「ハイッ!!」
ううっ……なんて希望に満ちた綺麗な目をしてやがるんだ。
「……保留で」
「なぜですかーーーッ!! 私はこれでもヒューマンにも人気があるんですよーーぉ!!」
「ギャーー!!」
「ひ、ひどい! 悲鳴を上げることはないじゃないですかぁーー!」
飛びかかられた豊太はそのままひっくり返った。細長い舌がペロペロと顔じゅうを舐め回し、腕は背中に回されがっしりと掴んで離さない。脚は彼の股を裂くようにうごめき蛇の様に絡まる。
「キャババッツゥ! く、くすぐったいッ……から……やめッ!」
「どうです興奮してくるでしょうそうでしょう! でしたら――」
「だめ」
「キュー!!」
甲高い悲鳴を上げてマグアギナは吹っ飛んだ。顔を上げるとそこには両手を突き出した恰好の姫が。
助けてくれたのか……おおなんて優しいお方なのだ姫様は。
蜂川兄妹といえば、一人はこちらを見ながら「どうぞ続けて下さい」と言ったきり、手帳に勢いよく何かを書き込むばかり、もう一人は無言で口を押えて此方を凝視したままだ。この兄妹は駄目だ。
「た、助かったよ姫……」
「次のおやつは手作りドーナツ」
ち、ちゃっかりしている。だがそれぐらいならネットでレシピを探せば何とかなるか。
姫はホットケーキを食べて以来、市販品よりも家で作った菓子が好きになったらしい。たまにこうやって催促してくるのだ。
それはさておきだ。
目の前に居る吹き飛ばされて首を垂れているマグアギナを何とかしよう。
「マ、マグアギナは黄金郷を探しているんでしょう? それはどうするんです?」
「ここだ! ここが黄金郷だったのだ、私にとっての!」
「それじゃあ幾らか蜂蜜を差し上げますので、それで――」
「それでは貰った物が無くなったら絶望しか残らないではないかぁーー!」
どうしよう。これは重症だ。
「ちょっとお二人さん」
こういう時は一人で考えるのはよくない。三人寄れば文殊の知恵、という訳で蜂川兄妹に手招きして部屋の隅に集まった。
「何とかマグアギナを諦めさせられないか?」
「何故この世界に精通する人物を追い出そうとするのです?」
「雇ってあげればいいんじゃないかな?」
「……え」
どうやら二人は彼女を此処に置いておくのに賛成らしい。
「しかしだな。俺達は此処とは違う世界から来ている立場なわけで、そういった境遇を知られるのは不味いんじゃないかな?」
「……豊太さん。貴方は物語の主人公によくある秘密主義に毒され過ぎているのではありませんか?」
「……慎重だと言ってくれ」
「扉は鍵でも閉めて置けば問題ないでしょう」
「それは……まあ。しかし姫も彼女をここに居させるのに賛成ではないようだし」
「違います。姫さんは豊太さんを信頼し全権をゆだねたのです。香具内養蜂園の主としてです」
「……むう。では俺は社長としてマグアギナを雇うのは問題が起きると反対するぞ」
「その反対理由が元の世界とのいざこざを警戒しての事なら要らぬ心配であると思います」
「そうよ可哀想じゃない」
流石の兄妹だ。息が合っている。
「よく考えて下さい。この場合は私達の方が優位な位置に居るのです。世界を通り抜ける扉は姫さんが管理していて許可なく出入りできるものではない。そしてこの丘陵地帯は世界の果てと言えるほどの辺境に存在するとマグアギナさんからもたらされた情報で判明しました」
「……続けてくれ」
「つまり我々は問題が起これば即座に元の世界に逃げることが出来ますが、彼女は見捨てられれば野垂れ死ぬしかない。これは非常に高圧的な雇用契約を結ぶチャンスです」
「お兄ちゃん……それはちょっと」
……俺は隆一郎の言葉に感銘を受けた。それは彼は雇用主としての目線でこの件を語ったことにだ。
隆一郎は蜂川農園の跡取り息子だ。それ故、両親からは人を使う者としての心構えを学んできたに違いない。
その上で彼はこう判断したに違いない。「マグアギナは優良物件である」と。
「分かった」
「え、豊太は何が分かったの?」
「マグアギナを雇うことにするよ」
「それは素晴らしいです! これでこの世界の事をもっと知ることが出来る!」
本音が駄々洩れであるが隆一郎の言うことは一理ある。
俺はマグアギナに近づく。
姫は彼女を慰めでもしていたのだろう。床で首を垂れて座り込んでいる彼女の肩をポンポンと叩いていた。
「決まったよマグアギナ」
「……出来れば樽一杯でお願いしたい」
拒絶されると思ったのだろう。マグアギナは弱々しく呟いたのは蜂蜜の量の事だった。
「いやいやいや」
樽一杯はいくら何でも多すぎるだろっ。
「マグアギナ、君を採用することにした」
「……それはつまり」
「此処で働いてもらう」
「やりましたッ! 感謝する! お礼にこの体を如何様にもッ――」
マグアギナは飛び上がって喜ぶ。尾っぽの力も使ったその跳躍は天井に頭をぶつけんばかりで面食らってしまった。
「ゴホン……いかようにもしていいんだな? 言質は採ったぞ」
「は、初めてだから優しくしてくれ……」
「さいてー」
香澄ちゃんの合いの手が辛い。違うんだ、このやり取りはお約束というやつなんだ。
「……先ず君には仕事を覚えてもらう」
「仕事……ようほうえんというやつか?」
「そうだ。ここで寝泊まり、三食昼寝付き。だが朝も早いし、夕方からも仕事がある。辛いぞ?」
「……その条件なら冒険者家業の方がよっぽど辛いが……分かった」
それから詳細は省いた養蜂のイロハを教えた。基本的な仕事は三つ、蜂箱の追加、蜜の回収、蜂箱の掃除。言ってしまえばこれだけだ。
マグアギナは素直に頷きながら聞いている。
そして次に話すのは最も重要なことだ。
「マグアギナ。此処にいる俺達はこの世界の住人ではない」
「……?」
ピンと来ないのか、マグアギナは小首を傾げる。うーんそりゃそうか。それで理解できるのは日本人くらいか。
「つまりですね、マグアギナさん。我々はこの姫さんに遠い世界から此処に召喚されたのです」
「私もー」
「召喚……姫殿は魔法使いであったか!」
「ん? 魔法使いは召喚魔法が使えるのか?」
「私は見た事はないが、宮廷魔導士や高名な魔法使いは人知を超えた力を行使できると聞いている。……しかしなるほど、別の世界から……ならば合点がいく」
「ガテン……ってなにが?」
「うむ、香澄殿。貴殿たちはその存在が異常なのだよ。先ず服装。そんな綺麗な布など見た事がないし、裁縫も見事。そしてこの家。外観は少し奇妙な小屋だが高級なガラスがふんだんに使われ、しかもクスミや歪みが一切ない。こんなガラスは見た事がない。そして、そしてエビフライ! あんな素晴らしい料理がこの世界にあったのなら私が見つけていない筈がない!」
「あれって冷凍物だよね?」
「そうですね」
まあ知らぬが仏と言うし。
「私も始めにこの建物を見つけた時は驚愕と共に警戒したのだ。しかし行き倒れるのも時間の問題だった故、こうして尋ねたのだ」
それが正解だったと男らしく笑うマグアギナだが、なるほど。隠そう隠そうと思っていたことは大抵が警戒をもって疑われる原因になるということだな。
「んで、雇用期間と給金だが……期間は相談として、給金はこっちのお金を俺は持ってないんだよな……」
「三食付くならそれでいい」
「いいのか? 現物支給という手もあるぞ」
「ならばエビフライを」
「いや腐るし」
「……ならば蜂蜜でどうか? あれだけの味なら王侯貴族も引く手数多だろう。大いに価値がある」
「それならこっちも有難い」
少し計算しよう。
こっちの給料の相場を知らないので地元の初任給を蜂蜜換算で考えよう。月16万としてうちの蜂蜜は高級だからキロ2万。計算すると月8キロか……多いのか少ないのか悩む量だ。
「ってことで月8キロ――」
「金貨一枚と換算すると月に小瓶一つでいい……8つは流石に貰い過ぎだ」
いやキロだから。
「……ちなみに小瓶の大きさはどれぐらいですかね?」
するとマグアギナは足元に置いてあった自身の袋を漁り始める。
「まっていろ。確か空のやつを残して……あった」
トンとテーブルに置かれた瓶は小指ほどの高さ、太さの小さな物だった。
「失礼……これで金貨一枚ですか?」
隆一郎は瓶を取りしげしげと眺めて質問する。
「済まない。それ以上小さい瓶が無いのだ」
「マジか」
「……分かった! 二月に小瓶一つでいい」
そういう意味ではないのだが……。
「隆一郎、ちょっと。姫もこっちへ」
「はい」
「うん」
「私はのけ者?」
隆一郎を部屋の隅に呼び作戦会議だ。香澄ちゃんは呼んでいないけど付いてきた。
「どう思う?」
「先ず考えられるのが、マグアギナさんが世間を知らない場合です。これは冒険者という職業柄有り得ません。ですから他の理由。一つはこの世界の金の価値が、我々の世界よりも非常に低い可能性です」
「要するに金貨の価値が500円くらいしかないかもしれないって事ね」
「それは多分ない」
「姫はどうしてそう思う」
「私がこの地に来る以前も人は金貨で物のやり取りをしていた」
「つまり金が以前からそれなりの価値を持って流通していた訳か」
「金は時代が進むにつれ通貨と比して相対的に価値が上がるものです。そう考えれば現在でもそれなりの価値があるでしょう」
「なるほど」
「次の理由としてこの世界は蜂蜜自体が希少である可能性です。希少価値はそのまま値段に直結します。それが消耗品なら尚更です。これはマグアギナさんの反応から間違いないでしょう」
「この世界は蜂蜜が希少である……か」
そういえばマギナギアが初めて蜂蜜を食べたと言っていた気がする。命知らずの馬鹿か、超一流の冒険者だけだと。
この世界の蜂はそんなに危険な生き物なのだろうか? 姫が我が子同然に可愛がっている花畑に生息する蜜蜂は、なまじ時折光る以外が日本ミツバチに酷似しているせいか想像が働かない。
一体この世界の養蜂家達はどんな方法で蜂蜜を採取しているのだろう。
「以上を総合して解釈しますと、この世界では蜂蜜は非常に希少で同量の金貨に相当する価値があると判断できます」
「ではどれぐらい蜂蜜をあげればいいだろうか?」
「8キロは流石に換金不可能なこの環境では持て余してしまうでしょうし、彼女の言い分通り、月に小瓶一つでいいのではないでしょうか。一生ここで働くのでもないでしょうし、ここには労働基準法も存在しないのですから」
「お兄ちゃんって時々サラッと怖いこと言うよね」
「もちろん蜂川農園は法を守った健全な会社ですよ」
「お、おう」
まあ隆一郎が言うのならそうなのだろう。……笑顔がちょっと怖いけど。
「話し合いは済んだか?」
「ああ、待たせてしまってすまない。月に瓶一つで手を打とう」
「……よかった。これからよろしく頼む」
俺はマグアギナと握手をした。
これで彼女は晴れて香具内養蜂園の住み込み従業員と相成ったのであった。契約書はおいおい用意しよう。
「あと最後に聞きたいんだが」
「なんだ雇い主になって私の身体に興味が出てきたか?」
「いや違う。君の種族は蜂蜜を舐めると発光する習性があったりしないかと思って」
「……???」
光ったのはマグアギナの性質なのかもしれない。




