13.始動! 香具内養蜂園
13.始動! 香具内養蜂園
豊太は甚右衛門の一声で、養蜂家として本格的に始動する事になった。
先ず彼は不規則な睡眠を改善した。朝起きて夜寝る。単純なことだが不摂生な生活を続けていくと次第に狂っていくのもまた事実。姫の教育上でも重要だと判断し実行に至ったのだ。何事も長続きさせるには規則正しい習慣が大事なのだとは豊太の弁。
だが養蜂家とは蜂という昆虫と花々という会話できない者達と試行錯誤しながらする仕事である。暑さ寒さなどの自然環境にも影響を受ける。本来ならば非常に不安定な職業なのだ――本来ならば。
姫という蜂と意志疎通ができるという謎の少女。そして日本ミツバチに酷似しながらそれ以上に美味な蜜を大量に蓄える異世界の蜂。そして無限に続くともいえる花畑。
それらと出会えたことが、豊太という初心者が養蜂家としてやっていける以上のアドバンテージを与えているのは間違いない。
豊太は姫の要望通り巣箱の増設を始めた。
近所のホームセンターの常連客となり、巣箱を作りにも次第に慣れて制作速度も上がる。出来上がる前には、再び設置した巣箱の蜜が溢れそうだと姫から知らされて二度目の蜜の採取。これも一度目よりも上手くなっている。
そして設置。また蜜を採り。更に巣箱を作り……と繰り返して今や並ぶ巣箱は3箱になった。
「なんか蜂蜜を舐め出してから調子がいいんだよね」
新たに追加した巣箱の様子を確認しながら大きく伸びをする。養蜂家業は今のところ順調だ。それもこれも体調万全、心身ともに健康なお陰だ。
「……そうなの?」
「俺、腰痛持ちだったんだよ。ツッコまれるから言わなかったけど」
「……おじいちゃん臭い?」
「そうそうそんなツッコミ……ってなんでやねん」
ノリツッコミの切れも素晴らしい。まさに若返ったようだ。
甚爺さんからその後の連絡で、蜂蜜を詰める瓶とそこに貼るシールを手配してくれることになった。右も左もわからない俺に至れり尽くせりである。シールのデザインは香澄ちゃんがするらしい。これまでも蜂川農園のデザイン担当をやっていたそうで「期待していい」と甚爺さんは自慢げに話した。
「蜂達も凄い喜んでる」
「蜂蜜定期的に横取りされるのに?」
「住む場所が出来たから」
「ふ~ん……この木のだけ洞じゃあ足りなかったのか」
「そう。ここは花は一杯あるけれど、住める木が少ない。住める場所が増えればもっと蜂は増える」
確かにこれだけ広大な花園が広がっているのだ。蜂がどれだけ増えても空腹になる事はないだろう。しかし蜂が満腹になりそれ以上増えようとしても、住める場所が少なくこれまでは巣の取り合いになっていたのかもしれない。
「じゃあもっと巣箱を作らないとな」
「うん」
こうして俺の養蜂は順調に進み始めた。
***
ここで仕入れた知識を一つ披露する。
蜂蜜を販売する場合、保健所への届け出は必要だが“販売許可”や“製造許可”、免許等は必要とされない。販売する容器に「名称」「原材料名」「内容量」「賞味期限」「製造者名」を記載し、次の一文を加えるだけでいい。「はちみつは生ものです。一歳未満の乳児には与えないで下さい」。
ちなみに、これは幼い子供が蜂蜜を食べると乳児ボツリヌス症にかかる事がある為だ。ボツリヌス菌は土壌中に存在する一般的な細菌で、大人が摂取する場合は問題がない。しかし体内の腸内環境がまだ整っていない乳児には危険なのだ。これは加熱処理された蜂蜜も同様に危険なので気を付けておきたい。
そして豊太の場合は製造者、販売を蜂川農園が行うことが決まっている。
彼は販売を請け負ってくれることになった蜂川家へ、今あらためて感謝することになる。
「ここにハンコお願いします」
「……はい」
「ありがとうございましたー!」
「……まじか」
俺は蜂川農園から送られてきた荷物に愕然とする。
それは大きな段ボールが二つと普通くらいの大きさの物が幾つか。恐らく言っていた蜂蜜を運ぶ容器なのだろうが思っていた以上にデカい。
取り敢えず一番大きな段ボールを開封してみると、綺麗に梱包された銀色に輝く円筒形の容器が現れた。
「えーと……圧縮製蝋器?」
説明書を流し読みするに、「蝋」と書かれているがこれは巣をハンドルを回し押しつぶして蜜を採取する装置のようだ。
「つまりこれはにごり蜜を採る為の機械かな?」
もう一つの大きな段ボールを開ける。六つの金属製の箱が詰められていた。
「これは……一斗缶?」
なんと蜂蜜を入れる為の一斗缶のようだ。側面には「蜂蜜」とでかでかと手書きの赤い文字で描かれている。こんな用途にも一斗缶が使われていたとは驚いた。しかし思えば食用油もこれで売られていたな。
残った中型の段ボールも開ける。
中には幾重にも重ねられたザルが。これは蜜を漉すものだった。これなら漉す時間も短縮できて、奇麗に漉せそうだ。
そしてもう一つの段ボールには大小の瓶が詰め込まれていた。
一つを手に取ってみる。側面には「豊太のはちみつ」と書かれた文字と、パステルカラーで描かれた可愛らしい蜜蜂が手を振っていた。
「これが香澄ちゃんのデザインか……やるなあ」
短時間でこんなものを作れるのか……最近パソコンがあれば、は家でも簡単にこうした物が作れる時代なのだが、それでも本業顔負けだ。
「それにしても『豊太のはちみつ』って、なんか恥ずかしいなあー」
「豊太うれしそう」
「どぅえ!?」
危ない……瓶を落とすところだった……。後ろを振り向くと、何時の間にそこに居たのだろうか、姫が肩越しに瓶を覗いている。
「なんか入ってる」
「ひめぇ……ん、手紙か?」
姫は瓶の隙間から紙を見つけたようだ。
「なになに……『この瓶はサンプルです。あと養蜂ならば私の方が先輩なので分からない事があったら教えてあげます』だって」
この可愛らしい筆跡は恐らく香澄ちゃんだろう。こっそり忍び込ませたのかな?
「この蜂かわいい」
「蜂蜜を運ぶときにでもお礼するよ」
「それがいい」
「あ、後『たれ蜜とにごり蜜のどちらが入っているか分かるようにしてくれとおじいちゃんが言ってました』か」
俺の仕事は蜜巣、蜂蜜の詰まった巣から蜜を採取して一斗缶に詰め、それを蜂川農園に運ぶまでだ。それから蜂川農園が瓶詰めし、出荷するという流れになる。
つまり俺は製造者で、蜂川農園が販売者となるわけだ。
「さ、作業を始めるか!」
「うん、手伝う」
俺は蜂川家の贈り物を手に心機一転、先ずは器具を洗浄することから始めるのだった。
*
器具置き場は小屋にすることにした。
巣箱から近く、人の目に付かないこの小屋は作業場として絶好だ。忘れがちだが俺の養蜂は異世界の蜂と土地を利用している非常識なものだ。売りに出すことになったとはいえ、出来るだけ知られないようにするに越したことはない。
「この巣箱は採り時」
蜜の採取時期は姫の独断で決定する。もちろんそれには異論はない。姫の選んだ巣箱は間違いなく蜜が満杯で、蜜巣には全面蜜蓋で覆われている。
蜜巣とは蜜の入った巣のこと。蜜蓋もそのまま蜜巣にされる蓋のこと。しかしこれはかなり重要なのだと最近の俺も理解している。
蜜蜂は花の蜜を吸って巣に溜めるが、採れたての蜜はまだ“はちみつ”とは言えないものなのだ。花から採ってきたばかりの蜜は水分を多く含み、腐りやすく味も風味も薄い。
蜂達はその蜜を羽で扇いで水分を抜くのだ。そうしてじっくり乾燥させたものが独特の粘りと風味を持つ“はちみつ”となる。そして蜂達は出来上がった蜂蜜の入った蜜巣に蓋をする。
だからこそ蜜蓋の閉まっている巣の量が多い程、その蜂蜜は濃厚で質が良いとされるのだ。
「おお……すっごいギッシリだ!」
「むふん」
俺は姫の指示通りに巣箱を開けるだけで最高の蜜に出会える。なんて養蜂家冥利に尽きる能力であろう。まさに姫様様だ。
手際よくワイヤーで切り離した巣を、何時ものプラスチックの箱に浮かせて入れる。この原始的な採取方法これは日本ミツバチに倣った飼育方法である限り仕方がない。
最高級と謳われる『たれ蜜』の定義は、巣から自然に垂れた蜜なのだから、人間が出来ることは巣に切れ目を入れる事だけ。後は重力に任せる事しか出来ないのだ。
もちろん待っている間にやることは幾らでもある。一つは以前も行ったように回収した巣箱分、新しく継箱を巣に追加すること。これは今も姫に持ち上げて貰っている。しかし今の俺なら腰も調子がいいし行けそうな気がする。今度試してみようか。
そしてもう一つの仕事として、巣箱の一番下の台にしている板にこびり付いたゴミを剥がして綺麗にすることだ。
これを怠るとダニが湧き、蜂は巣から逃げてしまう。忘れないようにしなければならない作業だ。
「よし……そろそろ良さそうだな」
実は蜜を採っている巣箱はもう一つあったのだ。これは既にたれ蜜採取のために置きっ放しにしていたものだ。
ケースに溜まったたれ蜜は漉し器に掛けて一斗缶へ詰める。蓋をして缶に『たれ蜜』と書けば完成。
「……出来た」
「お~」
姫の気の抜けた合いの手すら気にならないくらい俺は感動しているぞ。本当だ。これこそが『豊太のはちみつ』第一号になる一斗缶なのだ。
「で、この残った巣をばらして、圧縮製蝋器に詰めて……」
「私がやりたい」
「お、じゃあ姫たのむ」
この圧縮製蝋器は上のハンドルを回す必要がある。つまり人力。俺より力の強い姫なら打ってつけの仕事だ。
「ふ~ぬ~」
気の抜ける掛け声ではあるが、ハンドルはしっかりと回っている。次第に弁から蜜が垂れ始めた。
「おお……凄い出るな」
人力とは違い機械の力は均等に圧力を掛け、巣から蜜を絞り出している。
「しかしこの装置の名前は圧縮製蝋器……蜜蝋を作るために蜜を抜くのが本来の働きなのか?」
「豊太、蜜蝋ってなに?」
「蜜蝋ってのは、えーと蜂の巣から採れる蝋だよ」
「蝋ってなに?」
「え、そこからッ!? ……ろうそくに使われている白いやつだ」
俺にはそれぐらいの知識しかないぞ。
「ああ、それなら知っている」
知っているらしい。
しかし姫は一体どういう生活をあの世界でしてきたのだろうか? 浮世離れした正確ではあるが、頭が悪いわけではない。それに知識欲は豊富で家でTVを見ていたり、棚に並べた本を端から順に読み漁っている。日本語が読めるのだろうか?
「姫の知識って何処から仕入れたものなの?」
「……人生」
う~ん深い言葉だ。
こうして雑談しながらも俺達は作業を続けるのだった。




