10.最初のハチミツ①
10.最初のハチミツ①
「豊太、そろそろ蜜が採れそう」
姫がそう言いだしたのは、帰宅して作業を開始しようかという所だった。
「……まじで?」
「まじで」
どどどど、どうしよう。まさかこんな早くに採れるとは思っていなくて、なにも準備していないぞ!
いや、甚爺さんが言うには「日本ミツバチは大した道具が無くてもおっけ~」らしい。貰った道具に必要な物もあった筈だ。
「よし、そろそろ飯の時間だから食べたらに行こう」
「うん」
早速、準備を始める前に夕食の用意をする。姫という居候が何時の間にか出来ていたので有り合わせというのも寂しい。寄ったスーパーで買った食材で簡単な物を作る。今日はオムライスだ。
作るのは簡単。冷凍野菜と鶏肉を炒めて、固形コンソメとケチャップ入れてさらに炒めて、炊いておいたご飯を混ぜて、卵を溶いてかき混ぜながら固めて、チキンライスの上にぶちまける。これで完成。
「美味い」
「そうか、おかわりもあるぞ」
まあ見た目は最悪だが、味が良ければ全てよし。
*
その後は養蜂道具を詰めた鞄と、その他道具を持って小屋へと向かう。もちろん姫も一緒だ。
「さて、着替えようか」
姫には何時ものワンピ姿になって貰い、俺は重装備になる必要がある。
そう、養蜂家にとって決して避けられない事。それは蜂に刺される危険があるという事実。痛みが嫌ならば蜂に刺されないような装備が必要なのだ。
用意するのは、網が付いた帽子、合羽、ゴム手袋、長靴、以上。
網が付いた帽子は蜂川農園の甚右衛門、通称甚爺さんのお下がりだが、それ以外は家で用意した物だ。
全てを着込み、手袋と長靴の間をガムテープでふさぐ。多分これで大丈夫、なはず。
「その恰好は変」
あんまりな意見を述べたのは姫だ。その姿はワンピースと麦わら姿に戻っている。着替えが速いな。
「これがないと蜂に刺されて危険なんだ」
異世界の蜂だ。どんな毒かもわからない。とは言いつつこんな防護服を着たのはこれが初めてではある。
なんだか姫と居ると、そんなに蜂が怖くないのだ。不思議な気持ちであるが、これから行うのは採蜜。指される可能性が高い作業だ。
「……そんな物なくてもあの子達は豊太を刺さない」
「う~ん……姫にそう言われると安心だけど、用心に越したことはないからね」
「……刺さないのに」
姫は不満げ。しかし用心として姫は尚更近づけるわけにはいかない。防護服は一着しかないのだ。
「俺が作業している間。近づいちゃ駄目だよ」
「……危なくはない」
「いや、蜂達も興奮するからね」
姫はさらに不満げ。いざとなったら俺の服を着せて離脱させよう。
「まあ、日本ミツバチは大人しいと言うし……異世界ミツバチだけど」
似た生態であることを祈ろう。
そんなこんなで、準備が完了した俺達は小屋から花畑へと向かったのである。
***
花畑は何時もと変わらず、夕焼けが花々を美しく照らしている。しばしその光景をぼんやり眺めるのも何時もと変わらない。
「……現実離れした感覚になるな~」
「早く早く」
「ハッハ、そんなに急かさなくても蜂蜜は逃げないよ」
「違う、溢れそう」
「なぬッ!?」
それはいけない、直ぐ行こう。
*
辿り着いた巨木の下。仕掛けた巣箱は一件変わりなさそうに見える。蜂達もブンブンと元気よく飛び回る。
言いつけ通り、姫は離れた場所で待機している。
「さて……中の様子はどうだろうか?」
上の重しにしている石を降ろし、屋根の畔シートも外す。そしてようやく蓋である屋根板を外した。だが、そうしてもまだ巣は見えない。蜂の巣がくっついているスノコを外す必要があるのだ。
先ず、スノコと箱の間にナイフを入れる。出来た隙間にワイヤーを通し、スノコと蜂の巣を切り離すのだ。その為の道具ももちろんお下がり。本当に甚爺さん様様である。
そうしてようやく準備が完了。中の様子はこうして開いてみないと分からないから、ドキドキの瞬間である。
香澄ちゃんが除き穴を作ると言っていた事をふと思い出す。なるほど、こういった時に重宝するのだろうなと気付いた。
「さて……御開帳」
ゆっくりとスノコを取り外す。蜂を驚かせないようにゆっくりと。それは甚爺さんに教えられたものではない。蜂という小さな命を扱ううえで自然に労わる動きとなっていた。
「……おお!」
蜂の巣は板状に何枚も並んだ状態で詰まっていた。スノコから切り離したことで、その巣の天辺をまるで輪切りにしたように巣の断面が見えた。
「この黒さ、そして照り……間違いなく蜂蜜だ!」
巣には蜂蜜がたっぷり詰まっている。隙間を確認すると殆どの六角形の部屋に蓋が閉じられている。その名前を蜜蓋というらしい。
蜂は蜜が満杯になると部屋に蓋をして保存するのだそうだ。それ以前の蜜は水分が多く、その状態の蜂蜜が多いと腐りやすい。
だから蓋の閉まった部屋の蜜は採り頃の合図でもあるのだ。
「さっそく頂きます!」
「どう?」
「おぐぇ!」
気付くと隣に姫が居た。
「あ、危ないから! 刺されちゃうから!」
「大丈夫」
慌てる俺と対照的に、彼女は何時ものすまし顔である。
すると姫は手を中空にかざした。蜂が一匹その手に停まる。
「……ほら、大丈夫」
「……」
蜂は白く小さな手の平の上に大人しく停まっている。
「豊太に挨拶して」
その声が届いたのだろうか? 蜂はダンスを踊る様にお尻を振りながらクルクルと動く。
「ね?」
「ね、と言われても……」
「むう……豊太は頭が固い」
元来俺は現実主義である。異世界に訪れようとも「ステータスオープン」なんて叫ばないし、モンスターを倒してレベルを上げようなどと思わない。
つまり今目の前に居る少女も『蜂が怖くない不思議系怪力貴族令嬢』という線をまだ捨てていないのだ。
「姫は蜂と意志相通が出来るの?」
「うん」
「う~ん……」
本当なのだろうか?
そうだ。
「じゃあさ、蜂達にこの一番上の段の巣箱を切り離すから退いてくれないか聞いてくれない?」
この要望は重箱式巣箱は上から一段ずつ蜜を回収する仕組みであるからだ。
蜂は上から下に巣を伸ばし、次第に下は卵や幼虫の育成場所。上は蜂蜜の貯蓄場所となる。これによって上の巣である蜂蜜だけが入った巣を回収出来るのだ。
しかしその為には蜂にその巣から離れて貰う必要がある。この時に噴煙器やエアブロアーを用いて蜂を下へ追いやるのだ。
しかし俺はお下がりの噴煙器しかない。中々に手間のかかる作業である。
「という訳でどうかな?」
「お安い御用」
姫はあっさり請け負うと巣箱へと何かを囁いた。いや何も喋っていないのかもしれない。しかし意志の伝達された、会話をした後に感じる不思議な溜息のような静かな空気。それが確かに感じられたのだ。
「ほら聞いてくれた」
姫は俺に巣箱を覗き込むよう促す。
「……おお、蜂が一匹もいない」
「下に降りて貰った」
前言撤回。姫は只の不思議少女ではない。『蜂と会話できる不思議系怪力貴族令嬢』だ!
「すっごい! 助かったよ!」
「むふん」
これはお手柄。蜂を一匹も殺すことなく迅速に作業ができる。
俺は素早く作業を始める。確かこの後は、一番上の巣箱と二番目の巣箱の間を、先程のスノコと同じように切り離すのだ。
ナイフで隙間を作り、その隙間からワイヤーでゆっくりと切り離す。
「……ふう」
これで一番上の巣箱は取れるようになった。
「それからどうするの?」
「こっからはコレを使う」
「透明な箱?」
巣箱がすっぽり入る大きさの透明な箱。これは実は衣類を仕舞う用のプラスチック製のケースだ。買って来たこれを入念に洗った物を使う。
「この箱に、巣箱が下にくっつかない程度の隙間を作る。そのためにこの百均で買ったアルミ製の小さな子物用の網棚を置くっと……」
下には蜂蜜が溜まる算段なので巣箱が蜜に沈まないための工夫である。
「ふむふむ……」
姫が感心しているが、これも甚爺さんの受け売りだ。
「そしてこの長いナイフで切れ込みを入れる」
巣は板状の棚の様な構造をしている。その板一つは中央に壁、その左右に蜜の詰まった部屋、そして一番外側が蓋となっている。
「下に蜜を落とすためにはそれをナイフで壊す訳だが……こう魚を三枚に下ろすように切り込みを入れる」
上から見た蜂の巣の断面は4、5枚の板状の巣が平行に並んでいる様に見える。その板をよく見ると、中央の壁を挟んで左右に六角形の巣がびっしり並んでいるのが分る。
中央の壁と蓋の間、蜜が詰まっている部屋、巣房を破る為にナイフを下まで達するように平行に切っていく。もちろん左右両方にである。正に三枚おろし。中央の壁を魚の背骨に見立てれば解り易いかも。
こうすれば奇麗に蜜が落ちる。これを全ての板状のハチの巣に行っていく。中の見えない針金が引っ掛かったり中々大変だ。しかしそれでも楽しい。
姫もその作業を興味深そうに見つめている。
「もっと真っすぐな巣なら簡単に出来るね」
「そりゃあそうだが、蜂には分からんだろうしなあ」
「今度巣を作る時に言っておく」
「そりゃいい、頼むよ」
「任された」
……姫なら本当に出来るんだろうな。
作業を続ける間にもケースに蜜が溜まっていく。凄い、本当に採れたのだ。俺が蜂蜜を。
今更になって実感が湧いてい来る。
「……凄いな」
「うん」
俺の「凄い」を姫はどう受け取ったのだろう。蜂の働き? 甚爺さんの巣箱? 俺の作業? ……でもどれでもいい。目の前に採れたての蜂蜜があるのだから、それが何にも勝るご褒美だ。
「この自然に溜まっていく蜂蜜は『たれ蜜』と言って、一番高級な蜂蜜らしいぞ」
「ふーん」
という事で早速舐めてみよう。
先ずは功労者の姫だ。指ですくった蜜を差し出す。
「?」
「ほれ舐めてみ」
「うん」
パクリと指を加える。
ペロペロと可愛らしい舌が指をくすぐる。意外とくすぐったい。
「……」
長いだろ。もう蜜舐め切ったろ。何だか恥ずかしくなってきたぞ。
「お、おい! もういいだろ」
「美味しかった」
「そ、そうか」
俺も舐めてみる。……もちろん違う指でだ。
「……美味すぎる!」
「嬉しい」
本当に美味い。何なんだこれは。姫に貰った時も感じたが、本当にただの蜂蜜なのか疑ってしまうほど美味い。今回は自身で採取し採れたてなのもあって更に美味い。もうこれだけで生きていける。
「……ペロペロペロペロペロペロ」
「指無くなるよ」
「……ハ!?」
危ない。トリップして全部舐めつくしてしまう所だった。舐めすぎて指の皮膚がヒリヒリする。
「甘いの食べたらお菓子が食べたくなってきた」
「……ええ……姫は蜂蜜よりお菓子なのか?」
「蜂蜜は舐め飽きた」
「なるほどな。まあ、ここなら舐めほうだいだしな」
姫がお菓子にハマる理由はそれだったのかと妙に納得してしまった。
*
「さて」
蜜が垂れきるのに時間も掛かる。その間にやることをやって置こう。
手にしたのは木材。ホームセンターの店員さんが全部加工をしてくれた品だ。
「また増やすの?」
「いや、これは抜いた巣箱の分だ」
一番上の巣箱を抜かれたのだからその分巣は小さくなる。そのために継箱を追加する必要がある。もちろん以前のように巣箱を持ち上げて下から追加しなければいけない為、これも大変な作業だ。
「穴まで開けて貰ったからな、組み立てるのは簡単だ」
しかも一番簡素な作りの継箱だ。
継箱はそこの開いた大きな升と同じ形状である。先ず固定具で板を抑え、L字状に板を木ネジで止める。そのように順に板を追加して四角形を作るのだ。板の直径はすべて共通なので撃ち間違える事もない。
その次に、中央よりやや上側に開けられた穴に針金を通し十字を作る。これがハチの巣が自重で落ちないようにする為の支えとなる。採蜜の際にこの針金が邪魔になるのだが致し方ない重要な部分である。
「これで完成!」
蜂の巣作成は初めてだが上手くいった。固定具が家の小屋にあったのが良かった。そうでなければこんなに上手くいかなかっただろう。
「姫、また持ち上げてくれるか?」
「うん」
以前の様に姫に持ち上げて貰い巣門枠の上に出来立ての継箱を載せる。蜂を挟まない様にゆっくりと。
後は再び蓋をして、屋根と重しを載せれば完成だ。
「よっしありがと」
「うん」
後は蜜が落ちきるのを待つだけ。
「いったん帰るか」
「うん」
道具を回収し家へと戻る。その際二人はプラケースを左右、仲良く持って帰るのだった。




