灰色の青空3
「ん……」
アラームと共に認識したのはいつもと同じ朝。機械が動き始めると聞こえだす低周波の騒音。最悪のはずの目覚めが、手の中の温もりで少し和らいだ。
「ハレ、おはよう」
「……起きてたの?」
「五分三十一秒前に起動したの。でも、まだ時間じゃないからハレを起こさないようにしようかなって。それに、すごく居心地がよかったから」
腕の中で満面の笑みを浮かべる少女。その頭を軽くなでてやると、胸元に抱き着いてきた。これでは起き上がれないが、少しの間位ならいいだろう。眠気と闘いながら布団の中でもぞもぞしていると、もう一つのアラームが鳴った。これ以上ゆっくりしていると仕事に遅刻してしまう。
「さ、準備して。これからリエスの仕事をするわよ」
「はーい!」
リエスに譲ってもらった試作型スーツに腕を通す。なぜかサイズぴったりの不気味さがあるものの、着心地は汎用スーツより何倍もいい。
エネルギー備蓄量はこれまでの十数倍、耐衝撃・耐斬撃の剛体素材なのに、絹の様な肌触り。スペック表を引き出してみれば、体温維持管理機能と傷口自動治癒機能までついている。まさに至れり尽くせりの高機能スーツだ。
「流石リエス。凄いわね……」
「着替えたー!」
見つけた時のフリルがたくさんついたドレスではなく、昨日買いに出た新しい服。動きやすさを優先したホットパンツと、汚れてもいい様に深緑のワンピース。肩口までとどくブロンドの髪は緩くふわりと広がっていた。
「よく似合ってるわ」
「えへへ」
「さ、行きましょ」
新しく借りた家は弾道エレベーターの駅からすぐ近く。歩いて五分とかからない距離に空き部屋があったのはラッキーだった。
手続きをすぐに終わらせて、セラの手を引いてエッグに乗り込む。どうやらすべてのエッグが百三十階層には直通しているわけではないらしく、簡易エレベーターを二度ほどの乗り継いで現場に到着した。
「メカニック、ハレです。よろしくお願いします」
「ちょっと待ってくれ、その子は?」
現地で指揮していた現場監督のコンストラクターに挨拶をしたところで、呼び止められた。少女を連れて仕事に来るメカニックなんて初めてだろう。当惑するのも仕方がない。
「御心配なく、迷惑はかけませんので」
「いや、そういう訳には……」
「開発局長のリエスからも許可はもらっているわ。不満なら彼女に聞いて」
「えっと、はい。わかりました」
現場を管理しているのはコンストラクターは、メカニックの私と言い争うには分が悪いとわかっているのだろう。不服な表情を隠さずにいたが、すぐに通してくれた。
「すっっごーい!」
「走ったらだめよ。危ないから」
「はーい!」
セラの動きに目を配りながら、竪穴探索計画の資料をダウンロードする。それを視界に重ねて映し出した。
三ヶ月と十一日前、人類は百三十階層に到達した。そこでは今までにない新たな機械がいくつも発見され、今もなお調査・研究が行われている。
約二ヶ月間の調査で見つかった多くの品には、現在のテクノロジーを大幅に進化させる知識と技術が詰め込まれていることが判明した。そのため一ヶ月前に百三十階層は重点開発階層として認定され、人員と予算がそれまで倍以上つぎ込まれている。今回の第三期増員も改訂計画によるものだ。
同時にハイ・リサーチャーであるリエスを開発局長とし三名のリサーチャー、十名のメカニックが追加で任務に就いた。多くの人材が投入され、二十四時間を交代で調査を行っている。そして一週間前に暫定百三十二階層から相当な深さの竪穴が発見された。
百十三十階層に発見された竪穴は、他のものと区別するために不明の奈落と名付けられた。竪穴の直径はおおよそ五百メートルにも及び、その深さは未だに確認できていない。竪穴探索に放たれた無人機は既に百を超えているが、ある一定深度を越えた無人機は一機すら戻ってこなかなった。
早急に安全性を確保して情報を得るために、不明の奈落調査班は一つの巨大な計画を打ち出した。梯子計画と呼ばれるそれは、ハイ・リサーチャーのリエスが立案した計画。
第一段階として竪穴を覆うように足場となる建造物を建築。
第二段階として竪穴を覗き込めるような高機能望遠鏡の設置。
第三段階として竪穴に侵入するための梯子を建設。
以上の三つをもって、竪穴の調査を行うものとするものである。
少し辺りを見回すと、竪穴の上に組み立てられている巨大なレンズを重ね合わせた望遠鏡が目に入った。つまり現在は計画の第二段階を進行中ということか。
「ふーん、今のところ戦闘があったりしたわけじゃないんだ」
新階層にたどり着くや否や残存機械と戦闘が始まった階層も過去にはあったと聞く。そこらに比べれば、平和なのだろう。リエスがセラを連れてくることを了承したわけだ。それに私と一緒にいれば、万が一にも怪我させるようなことは無い。
「ハレー! こっちこっち!」
「はいはい」
観光気分ではあった。作業中に怪我をした人員はいても、大きな事故は一度も起きていない。敵やそれに類する攻撃的な機械もおらず、ワーカーも他階層からの寄せ集め。反乱を起こすほどの団結力は無い。警戒レベルは納得のゼロ。
油断はしていたし、気持ちは緩んでいた。だからこそ、私はとっさの判断を間違えてしまった。
中心で十字に交わって竪穴を覆う二つの橋。徒歩用に仮設されたその上を、セラと二人で歩いている時に事故は起こった。
それまで眠ったように静かだった竪穴の底で、急に光が点灯した。巨大な地殻変動により、簡易の橋は大きくひん曲がる。咄嗟にセラの身体を掴んで、空に跳んだ。腕が軋むがそんなことを気にしてはいられない。
「ハレ!!」
私はただ走って橋を戻ればよかったのだ。結局のところ、橋が完全に落ちるまでに十分な時間があった。リエスのくれたスーツの機動力があれば、鉄が撃ち込まれた地面にまで間に合ってははずである。それを焦って飛び上がってしまった私は、彼女が叫ぶまで頭上の危機に全く気付いていなかった。
仮説橋の上で建造されていた望遠鏡。不明の奈落の底を覗き込むために創られていた望遠鏡の大きさは、人間一人がどうこうできるサイズではない。データを表示する私の眼には、膨大な質量によって押し潰される未来が見えていた。
「そんな……」
自分目掛けて落下する絶望そのもの。抗うことは容易ではない。それでも腕の中にいるセラだけでも助けようと、彼女の身体を投げようとした。瞬間的に発することができる全てのエネルギーを、彼女を抱えたままの腕に集中させる。
決意を実行に移そうとした直前に、状況は大きく変化した。目に見えるほどのエネルギー体が頭上の望遠鏡を受け止めたのだ。
「対物電磁フィールド!? そんなまさか……!」
指向性を持たせたエネルギーを薄く拡げて、物理的な衝撃を遮断するシールド。理論までは発見されているものの、機械塔都市では未だ運用に至っていない技術のうちの一つ。透明で青みがかった薄い盾が、目の前で展開されていた。重力に引っ張られた望遠鏡の残骸と、エネルギーシールドが反発し、何度も光が爆ぜる。
「んっ! ちょっと、重すぎる……かな……」
少女を支えていたはずの両腕で、いつの間にか少女に全体重を預けていた。私の身体と、頭上の超質量を受け止め続ける少女。一番最初に音をあげたのは、足場にしていた仮説橋だった。
「あっ!」
「セラッ!」
少女を庇うようにその全身を包み込む。足場を失ってなお機能し続けた対物電磁フィールドは、崩落する望遠鏡の質量を辛うじて逸らした。おかげで、押し潰されることは無かったものの、全身を言いようのない浮遊感に包まれる。。
伸ばした手は何処にも届かず、身体はゆっくりと赤い光が明滅する竪穴に落ちていく。風は獰猛に皮膚を削がんと吹き荒ぶ。まるで巨大な化け物の口の中に放り込まれたみたいだ。ただの人間に過ぎない私には、落下に抗う術はない。せめてセラだけでも守れるようにと強く抱きしめながら、私は迫り来る全身への衝撃を恐れて、目を瞑っていた。
「レ……! ハレ……!」
柔らかな衝撃と共に、突然止んだ暴風。誰かに呼ばれる声に目を開けてみると、すぐ目の前にセラの顔があった。
「ハレ……? 無事? 大丈夫、怪我はない?」
「……セラ? ええ、どこも痛めては無いわ」
事故の規模から考えるなら、無傷というのは奇跡に近い。落下物にだけじゃなく、岩壁や廃材にも当たらなかった。運がよかったのではない、彼女によって救われたのだ。
「よかったぁ!」
安堵の笑みを浮かべる少女。その小さな腕の中に抱かれていることに気付き、咄嗟に離れようとした。
「あっ、危ないから駄目!」
「っ……!」
首を傾けて下を覗き込んだ時に息が止まった。伸ばした指先すら見えなくなったと錯覚するほどの深淵。眼下には明滅する赤い光。何らかの機械部品の一部だということだけがかろうじて分かった。頭上を見上げてみると、遥か先に針の孔よりも小さくなった光がなんとか視認出来た。
「ここは……?」
「竪穴の中。結構深いとこまで落ちちゃったみたい」
壁に突き刺さった鉄骨の上に座るセラ。彼女の腕の中は流石にむずがゆく、隣に腰を下ろした。
「飛行ユニットも特殊工具も無いしなぁ」
今回はただの哨戒任務だった。装備も最低限しかないし、ここから素手で登っていくのはきつい。
「通信機能も死んでるみたい。この竪穴の中、面倒な妨害電波が敷き詰められてるの」
「どうやって戻ろうか」
「地道に登っていくしかないかなー。私のエネルギーフィールドを反発させてジャンプしていけば、割と楽に戻れるとは思うけど」
「それは反対。今、上ではあなたのことで大問題になっているはず。そんな中、派手に登場したらもう収集つかないわ。最悪、即座に射殺されるかもしれない」
頭上に拡がっているのは九十度の断崖絶壁。素手で登るのは時間も手間もかかりすぎる。だからといって諦めるわけにもいかない。こんな穴倉の中で一生を終えるなんて死んでもごめんだ。
「百三十層まで、どのくらいあるかわかる?」
「落下速度と時間から計算すると、だいたい二キロくらいかな」
「二キロ……まっすぐ走るだけなら直ぐなのに……。まだ底が見えないなんて、いったいどれだけの深さがあるのよ」
平坦な道をまっすぐ走るだけなら十分もあれば余裕な距離だが、現実はそんな単純ではない。上を見上げているだけでため息が出た。
「ごめんね、私がもっと早く壁に掴まってればよかったんだけど」
「底に叩き付けられなかっただけでも十分助かったわ。ありがとう」
「うん……でも、ごめん。力を使っちゃいけなかったのに」
脳裏に浮かぶのは視界を覆うほどの蒼い光。雷が爆ぜる様な音を響かせながら、大望遠鏡の質量を防ぎ切ったシールド。
「いいわ、おかげで助かったから。でも、これからどうしよっかなぁ」
機械塔都市で実用化されていない力を、あれだけの大人数の前で使ってしまった。もうセラがただの機械人形ではないと報告されてしまっているだろう。いくらリエスが開発局長という現場の最高責任者だろうと、情報を止めるのは不可能だ。
現実的に考えてこれから私たちはどうなるだろうか。無事百三十階層に戻れたとしても、恐らく私は虚偽申告により死刑。セラは危険指定されて最悪の場合はセンチネルと戦闘になるだろう。捕まれば、解剖された後に廃棄されるに違いない。
「ねぇ、セラ?」
だったら手段は一つしか残されていない。呼びかけに応じる彼女に、静かに笑いながら問いかけた。
「逃げちゃおっか」
機械塔都市と敵対して逃げ延びた者はいない。当然だろう。拡大し続ける機械塔都市には、その機能を維持するための優秀な人材が何人もいる。特に都市防衛において最高三役の担う役割は大きい。
都市防衛の要で他を圧倒する性能を持つ戦闘機械、センチネル。近接格闘と調査のスペシャリスト、メカニック。情報解析と開発のスペシャリスト、リサーチャー。
彼らから逃げようとする者は悉く葬られてきた。私が知っているだけでも十数人、自分が手を下したこともある。逃げ切ることなんて到底不可能だ。
「うん!」
それでも、屈託のない笑顔を見て、最初っから諦めている自分が馬鹿らしく思えた。出会って二日の機械人形である少女の為に命を懸けるなんて馬鹿らしい。リエスならそう切り捨てるだろう。
もしかすると彼女を差し出せば、辛うじて死刑を免れるかもしれない。例えそうだとしても、私の中にそんな選択肢は無い。
「じゃあ、外の世界に行こう?」
「外の世界?」
「うん、どこまでも緑と青が続いている綺麗な世界。といっても私の中に残っているのは昔のデータだけだけど。ほら、手を握って」
言われるがままに小さな掌を包み込むようにつなぐ。指と指を織り交ぜて、しっかりと。接点を通して、少女から一枚のファイルが送られてきた。
「ね? すごくきれいなところでしょ」
直接やり取りするまでも無いほどの小さなデータ。それを仮想ウィンドウで開くと、視界を見たことも無い風景が埋め尽くした。緑の木々と、何処までも拡がる蒼い空。鉄と油にまみれた臭いの中に、青臭い風を感じるほどに。風景をそのまま写し込むほどに澄んだ湖に、遠くにはっきりと聳え立つ高い山々。
知識として知っていた大自然。私がその姿を目にしたのは初めてだった。いや、おそらく機械塔都市に住んでいるほとんどの人間は見たことがないだろう。自然の写真はデータとして一切残っていないことになっているのだから。
この機械塔都市で外の情報が手に入らないのは、外に憧れて脱走を考えようとする人間を少しでも減らす為だったのかもしれない。この美しい風景を見れば、そう納得してしまう。
「……うん、行こう。一緒に外の世界に」
「まずは、ここから脱出しないと。何かいい方法はあるかな」
「まっすぐ登るしかないわ。こっちにおいで」
手招きし、セラの身体を背負う。どれほど特殊な兵装を積んだところで、中身はただの少女なのだ。ならば私が護る。どんな脅威からも。
身体を揺らして足場の鉄骨の強度を確かめる。しっかりと壁面を貫いて固定されている鉄骨の一部を叩き割った。
「私だったら、空中に足場を作ることくらい……」
「出来るわね、セラなら。でも、セラの保有するエネルギーは無限じゃないでしょ。こんなところで無駄遣いしてもらうわけにはいかないわ。だから……ちゃんと掴まってて!」
「うん!」
細い手首が首元に回されたのを確認して、長細い鉄骨片を両手に持ち、柱から飛びあがった。上を向く力と重力とが釣り合って、身体が空中に静止する。その状態になった時、両手の鉄骨片に電気を流して磁力を発生させる。壁面のいたるところから生えている鋼鉄の端材と引き合わせ、体を誘導して足場とした。強度のありそうな場所で身体の向きを変え、再び両膝に力を込める。
「せーのっ!」
全身のばねを利用して再び地上へ向かって跳ぶ。そしてまた動きが止まった地点で両腕の鉄くずを利用して壁に張り付く。それを何度も繰り返す。一歩ごとにどれだけ進んでいるだろうか。頭上の光は全く大きくなる気がしない。果てしなく気の遠くなるほどの距離。
「休憩する時は言ってね」
「ありがとう。でも急がないと、きっと逃げる隙も無くなっちゃうから」
「うんっ!」
何度も何度も、同じ動作を繰り返す。不幸中の幸いにして、リエスから貰ったプロトタイプスーツの調子は頗る良い。残りエネルギー残量から計算しても、余裕で登り切れる。昨日このスーツをもらっていなければ、暗い闇の底で諦めてたかもしれない。
「地上に出たらどうするの?」
「そうね、まずは自然を思いっきり堪能してみたいわ。写真にあったようなきれいな湖でたくさん泳いで、木陰で昼寝をするのもいいかも。セラ、あなたは?」
「私は……あなたと一緒だったら何でも楽しめるかな! できるなら、面倒な柵から解き放たれてあなたと暮らしていたい」
「ねぇ、セラ……あなた、本当は何者なの?」
「あれ? 気づいてた?」
背負った少女が浮かべているのは、いたずらな笑み。地上にいた時のセラとは動作も雰囲気も全く違う。別人ではないかと思うほどの違和感がずっと拭えなかったが、話しているうちに疑念は確信に変わった。
「当然でしょ」
前に地下で外の話をした時には全く出てこなかった写真。先程の表情を見れば、どれだけの思い入れがあったのか察することはできる。それが今になって出てきたのは、何か理由があるのだろうと気付いていた。気付いた上で、黙っているつもりだった。好奇心に負けてしまったが。それに、いきなりあなた呼びなんて違和感しかない。
「出来るだけそれっぽくしていたつもりなのだけれど、ヒントを与えすぎちゃったかな。まぁいいわ。私は人間の精神をダウンロードされた機械人形。その存在意義は、人類が暴走しないように見張ること。再び人類が度を越えた技術に手を出した時、それを止めるのが私の役目……だった」
「だった?」
「私の中の基準では、この機械塔都市はもう充分に殲滅対象になっているの。とっくにすべてを破壊して、生き残り一人いない死の空間に変えていたはずなのだけれど」
決して軽い言葉ではない。彼女が持つであろう兵装のレベルを考えれば、機械塔都市を崩壊させることができるであろうことは想像に難くない。
「でもね、私は、そして彼女も人間を滅ぼしたくないと思っていたの。だからずっと地下の棺に閉じこもっていた。彼らに見つかるまでは」
「彼らっていうのは、私が掃除した……」
「そう。あなたが蹴散らした人間。この機械塔都市では、ワーカーと言うのよね。彼らに頼まれて、幾つか武器の起動コードを教えたわ。私が棺の中にいることを上層部に内緒にするという約束と交換条件で」
彼らが本来使用できるはずのない武器を使っていたのは、それが理由か。スイーパーから奪ったとしても、起動コードがなければただの鉄くずである。さして脅威ではなかったからスルーしていたが、今の言葉で納得した。
「それを私が連れだしてしまったのね」
「あの時、あなたに出会って再起動していた私には記憶領域に不具合があったの。本来の指令コードを無視して、強制的に眠りについていた結果」
「思い出したのは?」
「ついさっき、かな。エネルギーフィールドと大質量がぶつかった衝撃が原因で。あそこ、見て。横穴があるわ。少し休憩しましょうか」
セラが指示した場所は、竪穴につながっている大きな空洞。人間が並んで歩ける程度の広さがある。目測した距離感に合うように力を加減して飛び込んだ。地面に腰を下ろして、壁面にもたれかかる。
「ふぅ、意外といい運動になるわね。それで、あなたはどうするつもりなの」
「別に目的はないわ。そんなに警戒しないで頂戴。この娘のやりたいようにさせてあげるつもり。あなたたちが地上を目指すのなら、その邪魔はしないわ。この横穴……風が吹いているわね。通り抜けられそう」
ただのへこみ程度に思って入り口付近で休んでいたが、風が吹いてきているなら何処かに繋がっているはず。もし上の方に出口があるなら竪穴を登るよりもかなり楽ができる。
「何処に繋がっているのかわかるの」
「うーん、どうだろう。軽くスキャンしてみたけど結構広いみたい。よくわからない機械があるかもしれないし、あんまりお勧めしないわね」
「そ、なら普通に壁面登っていきましょうか」
「っ……動かないで!」
焦ったようなセラの声に気圧されて、全身が金縛りにあったかのように動けなくなった。人差し指を口元に充てる動作の意味は知っている。即座に口をついて出そうになった疑問を飲み込んだ。数秒後に脳みそが揺れるような違和感が全身を襲った。
「何……いまの……」
「多分反響定位による動体検知だと思う。この竪穴の中で動くものがないか調べたんじゃないかな」
「私たちの無事を調べようと……いえ違うわね。私たちが無事ではないと証明しようとしてる」
機械塔都市側の視点に立てば、私は既に反逆者だ。未知の技術を持った機械人形を独占していたのだから。落下に巻き込まれて死んでいれば良し、生きていれば取り押さえてセラの情報を吐かせようとするだろう。
「いつ超音波が発せられるかわからなければ、竪穴を登ることも難しいわ。ジャンプしている最中なら避けようがないし。となると一か八か、こっちを進んでみるしかないようね」
通路の奥には明かりが届いておらず、洞窟の先がどのようになっているのか予測もできない。最悪の場合は行き止まりだってあり得る。
「ま、いいじゃない。せっかくだから探検してみれば。少しくらい時間を空けた方が逃げやすくなるかもしれないし」
「私はお腹もバッテリーも減るから、あまり無駄な動きはしたくないのだけれどね。いいわ、行きましょう。ここでじっとしているだけじゃ何も変わらないしね」
手元から足元までを照らす小さな明かりを持って奥へと進む。背後の竪穴が意識の外に出た時、温度が一気に数度も下がったように感じた。左手は壁面に沿わせて一歩ずつ慎重に。岩肌の手触りは明らかに人工的で、この通路が自然にできた場所ではないと教えてくれる。
「セラ……そうね、別にセラと呼んでもかまわないわよね。ここは人間の痕跡があるわ。でも、この百三十階層にある不明の奈落を調査したのは、これが初めて。どういうことかしら」
「あなたが好きなように呼ぶといいわ。私もまたセラなのだから。……そうね、あまり頼りにはならない記憶だけれど、この深度まで過去の人間が至らなかったわけではないわ。つまり、分かりやすく言うならば、古代人類ね。私たちを生み出した存在」
「古代人類……正直信じられないわ。私たちよりも前に人間の時代があって、そしてこんなところまで来ていたなんて」
この百三十階層にたどり着くまでに、私たちは五百余年を要した。機械塔都市バベルができる前にこの深層までたどり着いた存在がいるならば、少なくとも同等以上の年数は経過しているはずだ。なのにバベル建造以前にに長期間にわたって人間が存在していたデータなどどこにもない。
「そうでしょうね。あなたたちがこんな穴倉で暮らすようになったのも、どうせ彼らの責任なのだけれど」
「それはどういう意味」
私たちは必要な情報以外を知らされていない。日頃から疑問に思うことはあったけれど、生活をするうえで別段困ることは無かったし、首を突っ込んで面倒なことになるくらいなら知らないままでもいいと思っていた。だけど、彼女の話に強く惹かれている自分がいた。この機械塔都市についてもっと知りたい。立ち止まって振り返ると彼女が笑みを作る。問いかけを許容してくれるような表情のせいか、小柄な彼女が年上に見えた。
「機械塔都市バベルの建造理由については、私たち市民の誰一人として知らないわ。もし知っているなら、ぜひ教えて欲しいくらいよ」
「私のデータに残っているのはさっきの写真と少しの情報だけ。地下深くで眠らされてからもう何百年経ったのかわからないし、私を創り出した古代人類がなんで滅びたのかも知らない。疑問はいくら出ても出てくるけど、いちいち気にしてたらきりがないから」
「そう割り切れたら楽かもしれないけど……、っと結構広いところに出たわね」
蟻の巣の中を歩いているかのような気分になってきた。見たこともない機械の瓦礫が散乱した洞穴には、十を超えた通路が空間に繋がっている。どれが上でどれが下に繋がっているのか、入り口からは判断できない。
「多分、あそこね。吹き込んでくる風の温度が違うし、入り口付近に転がってる機械片は見覚えがある。戦闘用の古代機械の一部ね」
セラが指差したのは、とりわけ狭い小道。屈んでやっと大人が通れるくらいの幅しかない。何百年も放置されていたのだろうか、砕けた機械のアームが地面と同化している。表面をなぞって成分をスキャンした結果、隣に並んでいる少女の装甲と同程度の強度があることだけは分かった。
「これ……おそらく腕よね。向こうにも落ちてるし、天井にも刺さってるわね。戦闘でもあったのかしら」
「私の眠っていた階層よりも遥かに深い場所だから、何もわからないわ。ただひとつ、あの本体がまだ動いていたら厄介ということ以外は」
「本体って……機械都市以前の存在なのだから、五百年以上も前のものよ。こんな燃料も何もないところで動いてるわけが」
ない、という言葉は遮られた。大きな物体が落ちたような音とともに洞窟内全体が震える。いくつかの通路から、球体の金属がいくつも転がってきた。それらを追いかけるようにして、さらに大きな機会が壁を突き破って現れた。
「逃げるわよ。こんな狭い場所じゃ、あれには敵いっこないんだから」
足早に目標の通路に飛び込んだセラ。その後を追って、ほとんど這いつくばるようにして狭い入り口をくぐる。中に入れば人が立って歩けるだけの空間があった。走って奥に進んでいくと、背後で爆発音が何度もする。その度に地面が震えた。
「えっ、何。何なの。古代機械ってどれもこれも好戦的すぎない?」
「仕方がないわ。今の今まで稼働しているものなんて、何かを守るためのシステムに違いないんだから。私だってそうだしね」
「だったら何とかしてよ」
「いいけど、私たちがぶつかったらここが崩落するわ。一緒に生き埋めになりたいのなら止めないよ」
答えるまでもない。背後から迫ってきている何かから逃げるために、速度を上げた。一分ほど走ったぐらいで通路の終わりに光が見えて、その中に飛び込んだ。洞窟内なのは変わらなかったが、半径百メートルはありそうなほどの広い空間を柔らかな光が照らしていた。数百年もの間、誰も訪れることがなかった場所なのだろう。空気そのものがかび臭い。
「明かり……電気? どういうこと。なんでこんな地下深くに……」
「うん、ここなら存分に戦える。来なさいよ、スクラップイーター」