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Gray Scale Stories  作者: ほむいき
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灰色の青空1


 セットしていたアラームが鳴った途端に目を覚ました。枕元で耳障りな電子音を発するタイマーを強めに叩き、音源を停止させる。布団の中に寝たまま何度か瞬きをすることで、無機質な部屋にピントが合った。窓が無く閉塞感の強い十畳一間にいることを実感する。

 手狭なベッドから起き上がることもせずに薄汚れた天井を見上げてため息を吐く。どうやら今日も代わり映えがしない朝が来たであろうことを残念に思いながら。


 陽は登らず、鳥は囀らない陰気な朝が。


 たっぷりと横になったまま溜めたおかげで、幾らか思考はクリアになった。ようやく目覚めてきた五感が脳へと送って来る情報を認識して、もう一度ため息。一番手は不快感だ。鉄の塊が軋みながら動く重低音が部屋中に響く。居住区の中でも上層にあるこの部屋で、耳鳴りに似た音がするのだ。最下層の人々なんて、寝ることすらできないに違いない。

 極めて不愉快なのは、この音がしている限り私の生活は安寧だということ。ベッドの足元にある壁掛け時計を確認して、ようやく堅いベッドから起き上がり携帯端末のコンソールを開く。手のひらほどの大きさの液晶に、今日の日付と曜日が表示されて自動的にアプリが起動した。体内に埋め込まれたいくつかのセンサーが全身のシステムチェックを行う。各数値が端末に表示されて、それぞれの変動幅がグラフとして映る。

 オールグリーン、異常なしだ。しいて言えば昨日夕ご飯の後に食べたアイスクリームは、完全にカロリーオーバーだったようだが。表示はコンソールを叩いて見えなくする。余計なお世話だ。機械に管理される生活なんて受け入れるつもりはないし、久しぶりに手に入った天然の甘味なのだから仕方がない。頬が落ちるほど甘く、また舌の上でとろけるようなきめ細かなそれは、ここではなかなか手に入らない高級品だ。前の仕事がうまくいき、得られた報酬に少し余裕があったため贅沢してしまった。

 立ち上がると手が届くか届かないかくらいの低い天井の部屋で力いっぱい伸びをして、明かりを大きくした。寝癖を手櫛で整えながら、台所に向かう。寝起き特有の乾燥を潤すために数度口を漱ぎ、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。目を覚ますのには、苦いコーヒーを飲むのが一番いい。


「さて、今日の仕事は……」


 湯気の立つカップを持ってベッドにまで戻ってくると、枕元に置いてある端末に手を翳す。自動で掌の情報を読み取って本人確認をすると、目の前に半透明なスケジュール帳が開かれる。中空に浮かんでいるディスプレイは、立体映像でなおかつハンド操作対応。当時の最新型だったが、二年も使っていればもう古くも感じる。そろそろ視線誘導と思考操作を含んだ最新の型に変えたいが、なかなかふところ事情が厳しい。もう少し仕事の量を増やすかどうか考えながら、予定表をスクロールする。

 大きな仕事を済ませたばかりで、日付の項目には空欄が目立つ。今日は約一時間後に掃除の指令が出ているだけで、他に予定は入っていない。ということは、掃除さえ終わらせれば後は自由にできるということだ。


「久しぶりに制音室でも行こうかな」


 都市機構を維持している機械が動く重たい音のせいで、頭の後ろを掴まれているような疲労感があった。ここ一週間の仕事による疲れもあるかもしれないが、なんにせよ全身の不調を感じる。防音壁で囲まれた制音室でゆっくりすれば、少しは楽になるだろう。


「そのためにも、さっさと終わらせなきゃね」


 指示の細かな内容は、携帯端末から投影されたスケジュールを叩くと表示される。向かうべきは第百十二階層。掃除対象は階層全土。規模としては少し大きめだ。

 この機械塔都市バベルは、地下へと拡張を続けている生きている都市。全体像は逆さまになった塔の姿をしており、百階層以下は新興階層と呼ばれている。掘削機械系以外にはたいした装備が配備されておらず、都市拡張前のために一般の居住者はいない。仮設住宅に寝泊りをしているのは開発関係者だけだ。掃除自体は、そう難しいものではないだろう。

 今から弾道エレベーターで向かえば、掃除予定時刻よりもだいぶ早く着く。この任務は細かい時間指定までされていないのだから、いつ始めようと別にかまわない。さっさと終わらせてしまおう。既に余暇の過ごし方に心を奪われていた私は、癖っ毛を一つに纏めうなじの上あたりできつく縛った。


「何を持っていくべきかなー……」


 寝巻を脱いで仕事用のボディースーツに着替えると、洗面台の前で髪を整える。私たちメカニックに支給されている戦闘用のスーツは、黒地に赤色のラインが入っている。肌にぴったりと合うせいで身体のラインが強調されるのは、あまり好きではないが。汗をかくほど激しく動いても涼しく、冷蔵室等での作業中も暖かい。身体能力の向上と様々な便利機能の付与、負傷時には生命維持までしてくれるありがたい装備だ。

 左太腿に結んだポーチに、いくかの武器……もとい工具を収める。腰の後ろ側に結んだ専用ホルダーには大型レンチを一丁留め、小型の機械を二つ三つ手提げカバンに放り込んだ。

 準備をしながら、机の上の端末に目を落とすと、赤文字が目に入った。


「えっ……? 警戒レベル3? スイーパーが二十機も犠牲に……」


 念の為にホログラムで呼び出した詳細資料を確認してみて、想定よりもずっと厄介な仕事が回ってきたのだと理解した。五段階ある警戒レベルのうち、通常の区画掃除は大抵レベル1。少し手間取るものでもレベル2までだ。

 警戒レベルが3に引き上げられる条件は、掃除に向かったスイーパーが複数破壊されたこと。もしくは、それに匹敵するだけの危険性があるということ。

 つまり、今回の掃除は想像していたものよりは大変になるということだ。


「ま、それでもたいしたことは無いでしょうけど」


 とはいえ、それはあくまでのただの目安。スイーパーよりも上位個体である私にとっては、レベル3程度なら大した難易度ではない。フード付きで足首まである墨色のコートに腕を通して、玄関を開けた。


「よし、行きますか」


 念の為に手ごろな武器をもう二つ三つ仕込み、部屋の自動ドアから外に出た。二人がすれ違うのがやっとなほどの細い廊下を抜けて、ロビーに向かって歩く。出来るだけ高い階層に住もうと無理をした結果、こんな隅っこの狭い部屋に押し込まれてしまったが後悔はしていない。

 各個人の専用ルームから直通の階層メインロビーは、見上げるほど高い天井のある広い空間。これだけの余裕があるなら、各個人の部屋にも少しくらい分けてくれてもいいのにとは思う。中心部に設置されている円形のカウンターに近づいていく。まだ朝も早いせいか、人はほとんどいなかった。だだっぴろいロビーの中心にある弾道エレベーターの受付に声をかける。


「いいかな」


 指先から頭の中まですべて機械制御のロボットが、私の呼びかけに応じて瞳の中のレンズをこちらに向けた。動かなければ見た目は人間そっくりだ。受付嬢ともいえるこの存在は予めインプットされた動きしか行わないが、もし都市内で歩いているところとすれ違えば即座に判断は出来ない。

 話しかけたことで声帯と網膜認証が同時に行われ、私のIDが中空に示された。受付に立っている機械は抑揚のない声で問いかけてくる。


「どちらへ向かわれますか?」

「百十二階層。掃除依頼が来ているの」

「現在、百十二階層は立ち入り制限区域となっております。少々お待ちください……認証いたしました。メカニックのハレ様。十分にお気を付けください」

「分かってるって」


 受付の横、卵型をした機械が大きく開いて座席が現れた。エッグと呼ばれる階層移動専用の乗り物。その通り道は透明なチューブ。小型のものでは二人、大型のものは百人以上も乗ることができる。

 上下に伸びた透明なチューブはロビーの中にある他のチューブと合わさり、一本の太い管となって受付の後ろを縦に貫いている。この都市で最も一般的な多階層移動手段であり、許可された者のみが利用することができる。


「いつみても馬鹿げた設備ね。一体どうやって組み上げたんだか」


 卵型の乗り物が一つ、中央のパイプを落下していった。どこかの誰かが別の階層に向かったのだろう。私もそろそろ乗らなければキャンセルと捉えられかねない。息のつまる様な狭い空間に閉じ込められ、座席のベルトを用いて両肩から腰部を止める。ゆっくりと動き出したのだとわかる振動が直に座席から伝わる。


「ほんと、いつ乗っても気持ち悪いわね、これ」


 設計上の最高速度は自由落下に近く、強度を保つために外の風景は見ることができない。通常移動ではかなり制限されているはずだが、それなりの速度は出ているはずだ。事故が起これば容易く命を落としてしまうであろうこの乗り物を、私はどうにも好きになれなかった。勿論、そんな事故を起こさないために私たちは日夜メンテナンスを行っているのだが。

 到着予定時刻のタイマーは残り十分ほど。ただの移動手段である弾道エレベーターを利用中に出来ることは多く無い。せいぜい持ち歩いている端末を利用してゲームや読書をする程度だ。

 高速で動いていても通信環境が保障されている技術はすごいけれど、どれだけの人数がその恩恵を受けているのか。正直無駄になっているような気もする。どのみち、私は短い時間でせっせと物事をするのはあまり好きではない。たかだか十数分程度なら大人しく待っていればすぐに終わる。


「そういえば、あいつ今頃何しているのかしら」


 ふと、脳裏に浮かんだのは真っ赤な髪の目立つ白衣の女。少しでも時間が空くとひっきりなしに端末を弄っては、独り言を呟く不気味な研究者。リサーチャーという役職らしいと言えばそうなのだが、目の前にいると不思議と腹が立たない。正反対の性質であるはずなのに、何故か交友関係を得たのは私の人生最大の謎だ。

 数か月前に発表された回転炉増設計画のせいで、最近はほとんど会えていない。何度か通信履歴を残しておいたのに未だに返事を返してこないのは、きっと面倒な研究に没頭しているからだろう。そう諦めて、最近は連絡すら送っていない。


「さてと、着いたみたいね」


 振動が止まり、僅かな機械音もまた停止した。身体を固定していたベルトが自動で外れ、その扉が大きく開かれる。

 鈍色をした金属だけで組まれた、殺風景な弾道エレベーターの到着地点。その接続橋に降りた私を出迎えたのは、本来は存在しないはずの巨大な壁。

 これを建設した者の目的は二つしか考えられない。出る者を逃がさないためか、入る者を拒むため。この場合は間違いなく後者。エッグから降りた者が、階層に侵入できない様に建設されたのだろう。弾道エレベーター降り場の前と左右、上下にも蟻一匹通る隙間も無い。

 触れるまでも無く鉄ではないことは一目瞭然。恐らくは強化プラスチックの類。壁の向こう側が見えないように、丁寧に暗幕を間に挟み込んで作ってある。こんな無駄なものを作っている暇があるなら仕事をしろと叱ってやりたい。


「手間がかかってるわね。スイーパーが苦戦するわけだわ」


 この機械塔都市で本格的な掃除が行われるまでには、決まった手順がある。完全自動化されたドローンによる調査報告によって該当区域が危険だと判断された場合、まずはスイーパーが派遣される。これで掃除が完了すれば万事よし。

 今回のようにスイーパーの手に負えない場合は、私たちエンジニアに声がかかる。過去の事例を見る限り、数人単位で編成されたエンジニアに達成できなかった掃除は無い。今回は私一人だが、仮に失敗すれば次はチームが派遣されるだろう。失敗するつもりなんてないけれど。


「これはだから、私たちへの対策ってことね。最初っから対エンジニアを想定しているなんて、初めてかもしれないわね」


 指先でそっと触れた。スーツが僅かな接点から、壁の情報を抜き取る。たった数十秒で視界の端に必要な情報だけがピックアップされた。材質、強度、その他のデータが一つの答えを導き出す。短く、破壊可能と。


「ふぅん。まぁ、ワーカーの技術にしては出来すぎな気もするけど。それじゃあ、掃除を始めましょうか」


 壁に向けて十分に溜めた拳を打ち放った。障壁が砕ける鈍い音とともに、けたたましくサイレンが鳴り響く。一撃で崩落した壁の向こうでは、数人の男達が並んで銃口をこちらに向けていた。


「ご丁寧にお出迎えとはね。私が来ることも織り込み済みってこと」


 一斉に響いた発砲音のパレード。残念だけれども、弾丸の軌道上にもう私はいない。正面の壁を打ち破ってこちらを狙う姿を確認した時には、足元を踏み抜いて橋の下に身を隠していた。絶え間なく鳴り響く銃声と、舞い上がる煙が私の姿を隠してくれる。


「裏切り者がいるのか、それとも情報を抜かれたのかしら。少し不用心だったかな」


 答えの必要ない問いかけを自分の中で飲み込む。壊した壁を越えて侵入した第百二十階層。建設重機が至る所に投棄されているおかげで、身を隠すのはさして難しいことではない。廃材をぶら下げたままのクレーンの上に一息で駆け上って立ち、慌てふためく男たちを見下ろしていた。

 引き金に指をかけて待機したところで、銃口が全てこちらを向いているのであれば逃げ道などいくらでもある。対メカニックの経験が無いとはいえ、威力も、弾数も、練度も、圧倒的に足りない。

 私が何処に行ったのかを見失った男達は、まだ間抜けにも瓦礫の中を探している。見当はずれの方向を警戒、威嚇している連中に向かって堂々と呼び掛けた。掃除開始前の必須事項だ。この前口上のせいで私たちの身は危険に晒されるわけだが、決まりなので仕方ない。


「聞きなさい! この区域は掃除命令が出ています。今回の目的は二つ。首謀者を見つけ、逮捕。抵抗するのであれば破壊。そしてあなたたちに捕らえられたスイーパーの破壊。死にたくなければ抵抗しないこと」

 大声で、階層中に響くように。待ち伏せをしていた男達はこちらを指さして何かを叫んでいる。どうやら大人しくしているつもりは無いようだ。それならそれで排除するだけのこと。旧時代の化石程度の武装しか持っていない彼らでは、私を傷つけることすらできはしない。


「だから、さっさと探させてもらうわ」


 まずは目的の一つ目。不要になったスイーパーを廃棄処分すること。任務に失敗し捕らえられている機体が何機か生存信号を発し続けている。放置しても問題ないのだが、彼女らの躯体には既に精神は存在していない。せめて破壊してやることが、失敗した機械の末路にはふさわしい結果だと判断された。

 見下ろした百十二階層に点在する建物をトータルスキャンすると、複数の熱源が感知された建屋が複数見つかった。配置や建造物の強度などの他の情報と統合されて、怪しい場所が幾つかがピックアップされた。攻め込まれにくい場所、護りやすい場所にタグ付けをし、最短ルートを視界に表示する。三次元の軌道が視界に表示され、現実世界にルートを示す。それに従い近くの建物に向かうために、クレーンから飛び降りた。


「一つ目っ!」


 薄い鉄板の屋根をぶち抜いて、鉄くずの上に着地した。粉々になった機械部品が散乱した狭い部屋。目的の物は無かった。


「はずれね」


 すぐさま壁を蹴り飛ばすと、簡単に人間が通れるほどの穴が開く。ここまで下層にもなると、強化スーツも必要ないほどの強度しかないようだ。

 崩落した大穴を抜けて、低い屋根の並ぶ仮設住宅街を真っ直ぐに突っ切る。視界の外から降り注いだ鉄の雨を身体を捻って避けながら。こちらの正確な位置は特定できていないだろうに、鉄のぶつかり合う音が止まない。周辺を全て更地にでもするつもりだろうか。死角で弾け飛んだ金属と、瓦礫の破片を影と音響センサーで検知。視界に表示された落下予測地点の合間を縫って駆け抜けた。


「当たらない……っての」


 目指すは直近のおんぼろ建屋。わき目もふらずに一直線に次の部屋に飛び込んだ。


「……見つけた」


 壁を蹴破ったと同時に、二つ一組の光源が幾つもこちらを視た。暗闇の中で何かがうごめき、うめき声が漏れ聞こえてきた。


「あ……」


 聞こえた声は、この場所にいた誰のものだろうか。消え入る様に小さく、細い。薄暗い部屋の中、オイルに混じって漂うのはひどく不愉快な臭い。異臭はデータベースで照合して、その原因を知った。調べなければよかったと後悔する羽目になったが。

 暗がりに慣れてきた目に映るのは、両手両足を鎖に繋がれている女性型の身体。所々身体が欠損しており、ほぼ全員がボロ布のようなものを被っている。こちらを指差しながら狂ったようにケタケタ笑う女、虚ろな瞳でぼそぼそと呟く女、私の存在に気づいていない者も何人かいた。


「スイーパーを捕獲して性処理の道具にするなんて、ほんとワーカーってのは野蛮な連中。気持ち悪い」

「助け……て……」


 鎖に繋がれた腕をゆっくりとこちらに伸ばしてくるスイーパーの一人。その頭蓋を叩き潰して、瞳から光が失われたのを確認した。


「大丈夫、心配しないで。あなたたちの記憶はコピーされて引き継がれているから。だからもう楽にしてあげる」


 助けを求めてくる十三機のスイーパーをすべて破壊した。これで任務の五十パーセントは終了。行方不明になったスイーパーは全部で二十機近く。部屋の中に散らばった残骸を組み上げればちょうど人数分になることを、視界内に表示されたシステムコンソールが示していた。

 後は、この反乱の首謀者を破壊もしくは捕縛するだけ。簡単なようでいて面倒な任務だ。残骸だけが残った部屋を出て、階層の中心部に向かう。

 建築データに存在しない巨大な建造物が、百十二階層の端に鎮座していた。背面を絶壁に守られた天然の要害。熱源センサーを起動すると、内部で赤い塊がうじゃうじゃと動いている。一際堅牢そうな鉄の砦には、結構な数のワーカー連中が武装して待機しているみたいだ。


「全く……大層な要塞ね。それだけ厳重に守ったら、ここに大事なモノがありますって言っているよ

うなものなのに。さて、どうやって侵入しようかしら」


 音響センサーと放射線センサーで広域探知を行う。内部の構造は意外と単純なようだが、ざっと見積もって百人程度の人間が要塞内をうろついているであろうことが分かった。精密スキャンを利用すれば内部構造と装備をある程度は確認できるが、こちらの居場所もばらしてしまう諸刃の剣だ。

 百層より下、新興開発層における装備など大抵は工具類で危険なものなどはめったに無い。銃器の数がやけに多いのは気になるが、フル装備のメカニックと相対できるとは思えない。とは言っても万全を期すべきだろう。無駄な怪我をして修理費がかかるのは願い下げだ。


「うーん……侵入者がいると分かっているのに警備が薄すぎるわね。罠かしら……念には念を入れて、ね」


 鉄塔の上にある見張り台に三人程。それが中心にある鉄の館を囲って三方に立っている。正面と左右に一棟ずつ。大した監視設備もないのは、私がまだ見つかっていないことからも明らか。念の為に囮で攪乱してからステルスモードでの侵入が妥当だろう。

 太腿に結んだポーチから取り出した小型飛行機械。起動ボタンをタップしてドローンに命令を組み込む。簡易座標とホログラム映像の動作プログラムを設定すると、手を離れて宙に浮いた。


「デコイ種を確定。設置後に生成開始。非戦闘自立プログラム起動。さ、行きなさい」


 手のひらサイズのそれらは、設定した地点にそれぞれ飛んで行く。現場に到着したと同時に、私と全く同じ姿をしたホログラム映像を映し出した。

 砦の見張り台にいたワーカーたちは、突然現れた三人の私に対し攻撃を展開する。自在に動くドローンは精製したホログラム映像に弾薬をかすめないように飛び回った。百十二階層の全体が震えるほどの爆薬が、あちこちで火柱をあげる。振興階層にある武器にしては派手過ぎる気もするが、隠れ蓑にはちょうどいい。待機している間にも、武装したワーカーたちが建物の中からも次々と出てきた。


「ステルスモード起動」


 身に纏った外套の表面が周囲に同化する様に変化する。不可視になるような便利なものではないが、肉眼で見つかる可能性は下がる。フードを被ってから背の低い壁を乗り越えて侵入した。三人の私を迎撃するのに躍起になっている連中は、すぐ近くを通り過ぎても気づく素振りすら見せない。仕事がやりやすくて助かるのだが、張り合いが無いとも思う。

 建造物の外周を四分の一ほど駆け抜けたところで、影に隠れて息を整える。どうやら表門以外に入り口は無く、その唯一の出入り口は巨大な鉄の扉。幾ら騒音が大きくても、無理やり突破しようとすれば気づかれるだろう。電子制御ではない扉はシステムを乗っ取って開ける方法がとれない。これもまた一つ、メカニック対策というわけだ。

 それにしても、これだけ大きな建造物が出来上がるまで上の連中は一体何をしていたのか。どうせ指令を出したら終わりなのかもしれないが、尻拭いをする側のことは少しも考えていない。


「……出入りはあるみたいね」


 鉄の引きずられる音が響く。ここからは見えないが、ワーカー数人がかりで開け閉めをしているのだろう。それだけの出力を出すことも出来なくはないが、あまりスーツのエネルギーを無駄に使うわけにはいかない


「残り二つか……」


 手元のコンソールにアラートランプが一つ灯った。タップして確認するまでも無い。銃弾の雨を受けてデコイの一つが撃墜された情報だ。簡単な回避プログラムだけで稼げる時間は短く、悩んでいる時間もあまり残っていない。

 反乱者たちは予想以上に統率の取れた動きをしている。おそらくは優れたリーダーがいるのだろう。それに加えて彼らの装備は明らかに過剰だ。スイーパーの装備を奪っているかもしれないとは予想していたが、それにしては充実しすぎている。

 爆発音と銃声の中に混じって時折聞こえるのは、彼らが所有しているはずのない武器の破裂音。ワーカーには、いやスイーパーにすら支給されるものではない。どうやって手に入れたのかは定かではないが、とにかく急いだほうがよさそうだ。

 正面の入り口が見えるところにまで近づいて、様子を窺う。見張りは十人ほど。全員が上空で跳ねまわっている私の幻影に気をとられていた。間抜け面を晒しているワーカーの中心にスタングレネードを投げ込んだ。

 閃光は一瞬。混乱するワーカーたちの間に飛び込んで武器を奪い、一息でその場にいた全員を鎮圧した。騒ぎは、階層全体に響いている爆音の中にうまく隠れたようで、付近の連中には気づかれていない。エネルギーをくう繊細なステルスモードを解除し、スーツのエネルギー総量を見ながら扉に指をかける。


「んっ……よいしょっ!」


 けたたましく鳴り響いたサイレンの音。デコイを追いかけていた銃声が止まった。私が通ることができるだけの隙間を何とか開け、中に滑り込んだ。背後で叫び声が聞こえ、鉄扉に弾かれる金属音が鳴り響く。

 外からの光を遮るように、ぴたり扉を押し戻しておく。ついでに蝶番の一部をスパナで強めに叩いておく。ひん曲がった可動部はそう簡単には動かない。これで少しは時間が稼げるだろう。異常に気付いて、場内に残っていた数少ない反乱者たちが足音を隠さずに走って来た。即座に吊り下げてある裸電球を奪った銃で打ち抜いた。


「さって、鬼が出るか蛇が出るか……」


 光一つない暗闇の中で、暗視モードを起動。館の玄関は空間が広がっているだけで、何一つ電子的なものは無い。荘厳な見た目は、ほとんど張りぼてであったのだろう。念の為に使用した空間スキャンも同様の結果を表示していた。

 建物の中を検分していると背後が騒がしくなってきていた。悠長にし過ぎた。恐らくは外にいたワーカーたちがデコイの相手をやめてこちらに集まってきているのだろう。確実に内部にいる私に銃器や爆弾で攻撃を仕掛けてこないのは、仲間がいるからなのか。もしくは無差別な攻撃をしたくない理由があるからか。


「広域音響探知、起動」


 掌を冷たい床に付け、反響定位システムを起動。空間中に散らばった音紋が、僅かに浮かんだ床の一部を特定した。


「見つけた。隠し扉……ってほど隠してはいないみたいだけど」


 薄い鉄板で隠されていたのは地下への階段。持ち上げた鉄板は入り口に向けて投げ飛ばす。何かにぶつかったかのような音と、何人かの悲鳴が聞こえた。いまにワーカーたちが雪崩れ込んでくるだろう。躊躇っている余裕はない。


「よし」


 一言だけ口にして、覚悟を決めて駆け下りる。人一人がようやく通れるくらいの狭い階段は、先が見えないほど深い。

 直線距離にして数百メートル。深さにして半階層分ほど進んだ先で、漸く小さな光を確認した。階段の終りに繋がっていたのは、人間の手が加えられていない自然のままの洞窟。曲がりくねった岩肌の坂道を駈け下りると、行き当たったのは小部屋


「なに……ここ……。えっ、嘘……通信ネットワークの妨害がされてるなんて」


 壁面はかなり加工されてはいるようだが天然の岩肌で、何かを隠したような跡は見つからない。それなのに、仕事中は常時接続している本部とのネットワークが切れていた。


「一体何のための部屋なの……」


 事前に与えられた百十二階層のデータには、この場所のことは載っていなかった。確認をとろうにも、都市のメインシステムと接続ができない。何者かの干渉によって完全なスタンドアロン状態に陥っていた私は、この先の判断を全て自分の責任で行わなければならないということ。


「全く……想定しうる中でも最悪の状態ね」


 不安の最中にいた私でも気づくことができた確かな気配。ワーカーたちとは似ても似つかない威圧感を持つ存在が階段を下りて近づいてきている。行き止まりの小部屋で通路は入ってきた階段のみ。逃げ道は、無い。

 じりじりと近づいてくる気配を警戒しながら、狭すぎる部屋の中で戦闘になった際に少しでも有利になるようなものを探していた。岩を削って作られが小部屋にあるものは、何処をどう探してもたった一つ。棺のように横たえられら黒い箱のみが、穴倉の中心で存在を主張している。その中は私の持っている手段では観測できなかった。

 私がとるべき行動は二つに一つ。

 迫り来る何者かとワーカーの集団を突破して、階層の表層部にまで帰り指示を仰ぐか、今この場で何が起きるかわからないパンドラの箱を開くか。


「私もほとほと愚かね。目の前のブラックボックスを開けたいと思うなんて。ええいっ!」


 同じ道を二度も往復するのは面倒だし、恐怖が落ち着いた後に沸いてきた好奇心には勝てない。念のためにいつでも武器をとれるように警戒しながら、箱の蓋に手をかけて一息に持ち上げた。

 石蓋は見た目よりもずっと軽く、手を滑らしたせいで回転しながら壁に向かって飛んでいった。大きな音を立てて地面に落ちた蓋から視線をきり、恐る恐る箱の中身を覗き込む。

 中に納まっていたのは、人間の少女と見紛うほどに精巧な人形。ふんわりとした金髪に、ゴシックなドレス。陶器の様な柔肌は触れるのも躊躇うほど白い。実際に心音を確認していれば、生きた人間と間違えていたかもしれないと思えるほどリアルな命を感じた。


「こんなの……今の技術じゃ……」


 見た目だけなら、それも可能かもしれない。ただし、視界の端に映る少女の人形のデータは、現実では到底再現不可能であることを示していた。


「……私は」


 言葉は木漏れ日のように柔らかく発せられた。同時にゆっくりと機械人形は瞳を開く。澄みきった碧眼に心を奪われそうになる。


「っ!」


 我に返り、咄嗟に腰に結んでいたナイフを起き上がった人形の首元に突き付けた。銃を選ばなかったのは、システムの乗っ取りを警戒してのこと。だけど、それは無意味だった。


「それを降ろして」


 ただの口頭での要求。従う理由など一つもない。幾ら見目麗しい少女の姿であったからといって、彼女に対する危機感が薄れたわけでもない。それなのに気づいた時には、腕を降ろしていた。


「えっ……なんで」


 腕を持ち上げようにも、力が入らない。神経の接続が切れてしまったかのように、ただ身体の重しとなっている。


「あなたの名前は」

「ハ……レ……」

 固く結んでいたはずの唇から言葉が零れる。それは確かに私の名前。

「ハレ……。私は……セラ。セラ・ブルースカイ。初めまして、だね。何か用かな」

「何者なの……あなた……」


 かろうじて紡ぎ出しただけの言葉。未だに指先はピクリとも動かず、流れてきた冷汗が頬にまで届く。目の前にいる少女の姿形をした脅威の本質はよめず、ただそこにある膨大なエネルギーの圧迫感が些細な行動すらも鈍らせていた。少女がこちらの問いに対して返してきたのはひどくあやふやな答え。


「んーわからない。名前以外は思い出せないの。あなたは何か知ってる?」


 困ったように笑う表情は、人間と全く違いがない。


「……そう。私は何も知らないわ。だからそのまま眠っていて頂戴。あなたは危険すぎる」


 目の前の存在は早急に対処しなければならない。私の持つ全て感覚がそう告げていた。この少女一人が機械塔都市バベルに与える影響は計り知れず、危険性はレベル5でもまだ甘い。深呼吸をして鉄の意思を呼び覚ます。ここでの行動が値千金であると自身に何度も言い聞かせて。

 たった一撃でいい。隙だらけの少女に叩き込むべきは最速最良の攻撃。頸椎を破壊するために突き出した反対側の腕もまた、見えない力に引き留められた。首の皮一枚すら裂くことが出来ずに。


「どうして……」


 不安そうな瞳が機械によって作られたものだとわかっていても、心を揺さぶられる。決意が揺らぐ。


「一体何なの」


 メカニックである私の一挙手一投足を即座に支配できるほどの干渉能力を持つ者は、バベルにも殆どいない。得体の知れない機械人形は、間違いなく私以上の力を有していながら、脅威にすらならないはずの攻撃に対して恐怖を抱いているようにも見える。

 動揺だけが原因ではないにしろ、私は目の前のことに集中しすぎていた。それだけ少女の存在感が私の意識を占めるウェイトが大きかったというのは、ただの言い訳だろう。背後にいたはずの脅威の事も忘れて、周囲の索敵を怠っていた。隙だらけになっていた背中に、銃口を向けられた冷たい音がする。


「両腕を動かすな……少しでも抵抗の意思ありとみれば殺す」


 背後からの声にゆっくり振り向くと、こちらに銃を向けたアンドロイドが立っていた。ただのワーカではない。素体はおそらくスイーパーのものだが、性能は底上げされているように見える。左手に持つ銃も、右手に下げた鋭い刀も、振興階層に存在するはずのないものだ。

 一見してわかる範囲のスペックは、ワーカーの技術では再現不可能であると示している。ならば、目の前の少女と関係がないわけがない。冷酷な視線が背筋に刺さるのを感じながら、疑問を投げかける。状況を整理する時間が少しだけでも得られるように。


「あなた、この子が何か知っているの」


 刺激しないように両腕をゆっくりとあげ、無抵抗の意思を示す。


「その娘は我々に知恵と力を与えてくれたのだ」


 返答は耳障りな機械音声。アンドロイドを通して、外にいる何者かが喋っているのだろう。さり気なく腕に付けた端末を確認したが、依然として私の通信は未だ遮断されたままである。どうやら彼らにはこのジャミングを回避する術があるらしい。

 対象を固定した指向性のある通信妨害技術が完成したとはまだ聞かされていない。となれば、この原因は背後で様子を窺う少女によるものだ。彼らに協力し、ジャミングを一部解除しているのだろう。


「だったら、この子が首謀者ってことね。壊したら終わりってことでしょ」

「ふふふ……ははっははは! メカニック如きにできるものならやってみろ」


 はったりは、見通されていた。目の前にいるアンドロイドを利用して話している相手は、私よりも彼女に随分と詳しいようだ。せめてもの強がりにと少女を見下ろしたが、さっきと同じ結果が待っているだけの無意味な行為は控えた。


「……あなたたちの目的は何」

「さんざんやって来たスイーパー共と同じようなことを聞くのだな。メカニック様にはご理解できないだろうが、今までと同じように答えてやろう。我々をワーカーと卑下し、冷遇するこの機械塔都市の主導権を奪うことだ」


 掃除任務において何度も耳にしたつまらない言葉。ワーカーだったから、出来なかった。得られなかった。失敗した。努力しないことをつまらない言い訳で自分に許しているから、何も変わらない。前にも進めない。大嫌いなタイプの人間だ。


「笑わせないで。メカニック一人止められなかったくせに」


 自然と語調に力がこもる。


「スイーパーを壊されたのは酷く迷惑な話だ。お前のような貧相な身体ではたいして楽しめないが、相手くらいはしてもらおうか。何せこの階層は男ばかりでな」

「下種ね」

「手足をもがれるくらいの覚悟はしてくれよ」

「ふん、そんな違法改造アンドロイド程度でッ……私を止められると思うなっ!」


 警告なしに放たれた弾丸は壁を穿った。即座に横に飛びのいた私の後を追うように、壁が削られていく。壁を蹴って大きく飛んで接近し直上から銃口を蹴り飛ばすと、即座に反対側の手から鋭い突きが繰り出された。

 鋭い剣先から大きく身体を逸らして避ける。間に合わなかった前髪が幾本か宙に舞う。そのまま振り下ろされる剣を半回転して避け、胸元に向かって突っ込んだ。隙だらけの胸部に振り抜いた一撃は、胸板を僅かに削るだけにとどまった。


「硬いわね……でもっ!」


 後ろに下がったアンドロイドが再び向けてくる銃口の下に潜り込む。弾は部屋を縦断し、私は腰のベルトからスパナを取り出す。振り抜き勢いを利用して裏拳の要領で腹部に叩き込んだ。

 腕が痺れるほどの衝撃と、砕け散った鉄の欠片。そのまま反対の手で取り出したマイナスドライバーは、喉から頸椎を破壊して壁に埋まった。瞳の光が失われ、アンドロイドが活動を終了する。武器を仕舞い、頭を抱えて蹲っていた少女を振り向く。


「何を恐れているの」


 その気になれば私たち二人とも一瞬で行動不能に追い込めることができるはずの少女は、今にも泣きそうな表情でこちらを見上げて来る。罪悪感という名の重しが容赦なく心を押し潰そうと積み重ねられていく。それを誤魔化すようにできるだけ優しい声で話しかけた。


「彼らにアンドロイドを操る技術を与えたのはあなた?」

「……ごめんなさい」

「武器のロックを解除したのも?」

「……ごめんなさい」


 怒られている子供のように縮こまる。この少女が機械塔都市にとっての未曽有の危険だと、一体誰が信じられようか。


「はぁー……。別に謝らなくていいわ。与えられた技術を使いこなすことも出来なかったのだから、大した脅威でもなかったし。どうしてそんなことをしたのか教えてくれない」

「頼まれたから……」

「何か条件は」

「お外……」

「外? 階層外のことじゃなくて、外界のこと?」


 機械塔都市は縦に長く、地下深くに拡がっていることは誰もが知っている。現在は百三十層を建造中で、増築が終わる気配はない。


「外の世界に連れて行ってくれるって……」

「無理よ。外の世界には誰も行くことができない。たとえ、あなたであってもね。二十階層より上は、限られた人間しか入れないわ」


 出入り口が地上に面しているという噂は聞いたことがある。けれど、実際に地上に出たことのある人間には会ったことがない。上層は制限階層になっており、一桁層への通行権限は機械塔都市にたった三人しかいないオペレーターにのみ与えられている。


「でも……」

「諦めて頂戴」


 俯く少女の頭を軽く撫でながら、何度か通信を試す。全てが接続エラーに終わり、システムとは依然として連絡が取れない状態にある。

 とは言っても、機械塔都市に与えられた私の役割は簡潔。ゆえに理解していた。反乱の首謀者ないしは協力者として、この少女を破壊ないしは捕獲しなければならないと。わざわざ管理システムに確認するまでも無い。ワーカーに反乱技術を与えた時点で、既に彼女は都市にとっての敵となった。

 バベルは治安の維持を最優先としている。危険因子を残すことは許さない。問題があるとすれば、私の力では彼女の髪の毛を切ることすら難しいだろうということ。戦闘になれば敗北は必至であり、かといってこのまま無視して事実を報告すれば、私には厳罰が下される。最悪の場合は反乱教唆で死刑になるだろう。


「はぁ……どうしたらいいのよ、まったく」


 二つに一つしかない道は、どちらも鉄条網で堅く閉鎖されている。零れ出た大きなため息を首を振って散らし、思考に戻る。ナイフは止められる。恐らくは銃でも他の武器でも同じことだ。それならば、この部屋諸共吹き飛ばす以外に方法は無い。

 鉄の箱に座っている少女の素体を検査した所、素材は不明。金属製の特殊合金であろうと予測を立てるので精いっぱいだ。性能は驚くほど高く、少なくとも今の機械塔都市では考えられない程の強度を誇っていた。

 彼女を破壊することは手持ちの爆薬ではおそらく足りないだろうし、この穴倉に閉じ込めて見なかったことにするのが最善手だろう。最大の問題は、どうやってこの子だけをここに留まらせるか、だが。

 きっと子供と同じような精神年齢である彼女は、下手な言い訳をすれば後をついてきかねない。もし彼女を連れて帰ろうものならば、私もスクラップ行きだ。それは何としても避けたい。


「厄介ね……ん……? しまっ……!」


 背後から聞こえた金属音に振り向く。増援が来たのかと思い構えた私は、自らに向けられた銃口に気付く。だが、遅すぎた。再起動していたアンドロイドが構えた大口径の銃は、避ける間もなく火を噴いた。


「……何が……起きたの」


 確実にこちらを穿っていたはずの弾丸は、全て逸れていた。無作為に転がっている薬莢が、放たれた銃弾の多さを物語っている。一発一発が致命になるはずの一撃は、背後の岸壁を穿って白煙を上げていた。


「お姉ちゃん、怪我は……ない……?」

「……あなたがこれをやったの?」

「動き出したのが分かったから……危ないって思って……」


 頭部から白い煙をあげて動かなくなったアンドロイド。間違いなく少女の力によるものだ。外部から機体の基盤を強制的に破壊する力業。


「強制的に回路を焼き切ったの!?」

「だって……撃たれたらお姉ちゃん死んじゃうだろうし。私、それを操ってる人あんまり好きじゃないもの」


 幾ら継ぎ接ぎアンドロイドとはいえ、瞬きするほどの短時間でシステムプロテクトを外し、回路を焼き切るなんて芸当はメカニックである私ですら不可能。この少女はそれを物理的接続すら無しに行ったのだ。

 あまりにも危険な存在だと再認識した。機械塔都市のシステムを根幹から破壊してしまいかねない程に。出来るなら……今ここで……。


「っすん……ひぐっ……ごめんなざぁっ……いっ……」


 自分のしたことを叱られたと勘違いした人形の少女は涙を流し、声を出して泣いていた。縋る様に伸ばされた小さな手を思わず取ってしまう。

 人間のものではないその掌に、暖かさを感じた。聞こえないはずの脈動を感じた。この子と人間の子供との間には、何も違いなどないないのではないか。そう勘違いしてしまったときに、理性は感情によって塗りつぶされた。


「……ついてきなさい。でも、あなたの力は使わないで。私じゃ庇いきれなくなるから」


 自分はなんて単純な人間なんだろう。後悔は、無意識のうちに口をついて出てきた言葉を理解した瞬間に、彼方へと消え去った。


「うん……わかった……」

「……行くわよ。少し騒がしくなるから覚悟しなさい」


 背負った小柄な体は、想像よりもずっと重い。彼女の内部を構成している物質もまた、機械塔都市ではまだ利用されていないものなのだろう。

 階段を一足飛ばしで駆け上る。アンドロイド以外の反乱者たちは誰一人として階段を降りてこなかった。となれば恐らく、出口付近ではワーカーたちが待ち伏せているだろう。爆薬の類を投げ込んでこないのは、それだけこの場所が重要だから。それはつまり、この少女の存在が彼らを攻略するためのカギになるということだ。

 風になびく髪が背負った少女の鼻先をかすめる。小さなくしゃみが耳元で聞こえたのと同時に、光の中飛び出した。


「っ! 巫女様を連れている!」

「撃て! 巫女様には絶対に当てるなよ!」


 動揺は波紋のように拡がった。パラパラと躊躇うかのようなまばらな弾丸を大きく跳躍して避け、入って来た鉄の扉に向かって飛んだ。蟻一匹すら通さないぐらいぴったりと密閉された扉の中心に右掌をかざす。


「いくらメカニックでも、あれだけの厚みのある扉は越えられないはずだ!」

「捕まえろ!」

「いや、殺して見せしめにするんだ!」

「いいから撃て!」

「やめろ! 銃は撃つな」


 背後にいる彼らにとって、私が背負った少女は格好の盾となっているらしい。最も、旧時代の鉛玉など当たったところでさしたる影響もないのだが。

 メカニックでも越えられない? 馬鹿なことを言うな。メカニックの中でも飛び切り優秀な私が改良を重ねた素体をもってすれば、不可能なことなど存在しない。故にこの程度の鉄など、砂糖菓子に等しい。

掌が冷たい鉄を認識した瞬間、一瞬で扉が完全に開いた。一部がひび割れて崩壊している。スーツのエネルギーを利用した熱と衝撃による一撃は、想定通り鉄の扉をぶち破った。

 自力で作り出した逃げ道を駆け抜け、弾道エレベーターの駅を目指す。一度退避すべきだろう。この少女がいなければ、反乱自体はすぐにでも鎮圧できる。もはやこの少女のことも気にしていられなくなったのか、数メートル半径を吹き飛ばす威力の爆弾がいくつも空から降って来た。


「面倒くさいなぁ、もう!」


 無誘導であるがために、ハッキングで乗っ取ることもできない。放物線上に飛来した爆発物が、付近を無差別に吹き飛ばす。赤い炎と黒い煙が階層のいたるところで立ち昇っている。障害物を避けながら最短距離を走っていた。その存在に気付いたのは、周囲に警戒を飛ばしたのとほとんど同時だった。


「しまっ……!」


 センサーで確認した頭上の影に振り向けば、すぐ真後ろにまで迫っていた爆弾。着弾までほんの数秒の間に、思考が高速で回転する。


「しっかり捕まって」


 背中におぶったままの少女を気にかけつつ全力で踏み込み、爆発の威力範囲外に逃げるために必要な力を引き出す。背中を焦がすような熱風と爆音に圧されながら、百十二階層の空を駆ける。この高度の私たちを狙うだけの武器を、ワーカーたちでは所有していないはずだった。


「嘘っ!?」


 警告音とともに、自身がロックされたことを知る。空中で軽くターンをして眼下に並ぶ鉄の街を見下ろす。

鈍色しかない寂れた都市。視界の端を流れ去っていく大地のうちに、観測システムが脅威と認定した光が五つ。もはやハッキングは間に合わない。

 全く同時に放たれたのは、金属をも溶解させる熱光線。一直線に迫った五つの光条のうち二つは身体を捻って躱した。残り三つとの間に挟んだのは、咄嗟に広げた工具類。それらでは完全に防げず、右腕と左太腿のスーツが破れた。掠った場所の人口皮膚は焼けただれ、痛々しい傷が拡がる。


「痛っ……もう、高いのに……!」


 文句を言っている暇などなかった。再度こちらをロックする熱線放射装置。天井付近にまで伸びている鉄塔に掴まって急ブレーキをかけた。大きく歪んだ一部を引きちぎり、装置の一つに向けて投げる。衝撃波を残して飛び去った破片は、着弾した周辺をひっくり返した。


「これで残り四つ……おっと!」


 足場さえあれば、攻撃を躱すのは容易い。頭の上を通り過ぎた三条の光。一拍遅れた光によって鉄塔が破壊され、金属が悲鳴をあげながら大きく傾く。


「よいしょっと」


 九十度にまで折れ曲がった鉄塔の先端を蹴り飛ばす。発射地点に鉄粉と埃を巻き上げて突き刺さった。


「後三つ……!」

「もう壊す必要ないよ。システムを乗っ取ったから。ごめんなさい、落ち着くまで少し時間がかかって」

「いえ……それは構わないのだけど、今の間で?」


 機械の間近で作業するならともかく、これだけの距離があるなかでのハッキングは簡単ではない。私だって物理破壊の方が早いと感じるくらいには。


「うん。だってもともと私が起動したものだし」

「……恐ろしい子。いいわ、だったら後は帰るだけ。上では、その力絶対に使わないでね。約束してくれれば、あなたのことは何とかするから」

「はーい。約束するよ!」


 倒れていく鉄塔を足場に、一歩で弾道エレベーター乗り場まで跳んだ。着地で足場を大きく歪ませはしたが、エレベーターの起動には何ら影響はない。

 本来は一人乗りの狭い椅子の上に、少女を膝の上に座らせて二人で乗る。人間二人を認識して吐き出されたエラーを無理やり解除した。優秀なメカニックである私にかかれば朝飯前だ。などという冗談は置いておこう。

 私の仕事の一つである掃除の場合、例外が発生することが多々ある。そんなときの為に、弾道エレベーターにアクセスするコードを与えられているだけだ。緊急の手段だったと管理者に報告をしなければならないが面倒だが。


「どこに行くの?」

「五十階層。掃除が終わったから報告しないとね」

「報告?」

「当たり前だけれど、何も知らないのね。この機械塔都市では仕事が与えられるの。私たちはそれを完了して、報告をすることで対価として生存権を得る。昔の人はこう言ったそうよ。働かざる者、食うべからず」


 今回の報告書はいつもよりも偽造多めになってしまうが、やむを得ない判断だろう。常用外の二人乗りだ。念のために低速移動モードに設定しておいたエッグでは、階層移動にはいつもより時間がかかる。その間に、小さな振動に揺られながら自身の保存データを弄っていた。ある程度余裕ができてから、膝の上に座っている少女に説明するため立体映像を表示して、最初に縦長の楕円を描く。適当なところを幾つか横線で区切った。合計で五つの区画に分けられる。


「これは機械塔都市バベル全体図。一番上は支配層。一層から十層までね。私たち人間は立ち入ることすら許されないの。十層から二十層までは特級階層。その次、二十一から五十までが上級人民階層。五十一から百まで下級人民階層。百階層以下は振興階層。今現在開発中の階層よ」

「なんかいっぱい分かれてるね!」

「うーん、まぁその理解でいいんだけどね」


 彼女が持っている驚くべき能力からは想像できないほど、その理解は大雑把だ。そもそもなぜあのような場所にいたのか、一体何者なのか。目的は何なのか。謎は多く、冷静になった今、早くも連れてきたことを後悔しそうになる。

 もしこの子がバベルにとって脅威と判断された場合、私は重大規律違反者として処刑されるだろう。


「どうしたの……?」


 自分自身が悩みの原因だとは全く思っていない無邪気でつぶらな瞳。その柔らかい笑顔を見ていると、不確定な先の事なんてどうでもいいかとも思えてしまう。


「ううん、何でもないわ。さ、もうすぐ着くわよ」


 エレベーターの中にある階層表示が五十になり、小刻みな振動が止まった。駅に着いた卵型の昇降機が、ゆっくりと開く。

 膝から飛び降りたセラが先に降り、その後に続いて鉄の地面を踏んだ。百階層以下の開拓層とは違い、衝撃を逃がす柔らかな合金で作られた道。


「すっごーい。なにここ! 広くて変な部屋!」


 突然走り出したセラに、何事かと周囲の視線が集まるが全く意に介していない。すぐに金属音を響かせて走る少女を焦って追いかけた。誰が見ているかもわからないこの場所で、何処かしこへと走り回られては困る。ただでさえ、黒のドレスに装飾過多なほどのフリルをつけた目立つ格好なのだから。


「勝手に走り回らないでね。私についてきなさい」

「……ごめんなさい」


 謝る少女の手を掴んで、任務完了報告に向かう。その道すがらで予期せぬ人物と出会った。


「おーい、おいおい。驚きだな。ガキなんか面倒だから嫌いとまで豪語してたお前が、少し見ない間に子供を作ってるとはな」


 懐かしい声がして振り向くと、よれよれになった汚い白衣を着た赤髪の女性がいた。胸元を嫌みのようにはだけさせて歩く彼女は、ほかの男性からの視線を一切気にしていない。相変わらず跳ね返っている寝癖を直そうともせずに、だるそうに歩く。目の下のクマは前に会った時よりも濃くなっているように思うが、また研究し通しで寝ていないのだろう。


「リエス! 長いこと姿を見ないから事故で死んじゃったのかと思ってたわ」

「ふん、天才の俺様が失敗なんてするものか」

「あら、三十二階層の橋が落ちたのは誰のせいだったかしら」

「あれは確かに俺の案だが、完成した後の構造を見てないのか。どう考えても組み上げた奴らが悪い。計算上は完璧だった」

「この人は……?」


 背中に隠れながらおずおずと顔を覗かせるセラ。その様子に胸をくすぐられるものを感じながら、手のひらを向けて名前と職位を紹介する。


「この人はリエス。頭のおかしいリサーチャーよ」

「失礼な奴だな。俺は過去最高のリサーチャーだという自負がある。バベルからも最低限の評価は受けているしな。そもそも上位クラスタの俺には敬語を使うべきじゃないか」

「あなたには必要ないでしょ。それにリサーチャーとメカニックは同等のはずよ」

「残念ながら、ただのメカニック程度のおまえと違って、私はハイ・リサーチャーだ。十五階層までの進入を許可されている」

「っち……。つい最近なったばかりの癖に」


 背中を柔らかく叩かれた。私たちの会話の内容が理解できなかったのだろう。不貞腐れた様な表情を浮かべた少女がこちらを睨んでいた。


「えっと……リサー……チャーってなに?」

「その説明はまだしてなかったわね。この機械塔都市では与えられる仕事によって冠するクラスタ名があるの。上から順にマザー、オペレーター、センチネル、リサーチャーとメカニック、コンストラクターとスイーパー、ワーカー」

「そんなに一気に言っても……ってよくみたらガキじゃねぇのか」


 複雑そうな顔を隠しもしないリエスは、何も言わずに同情するような視線を向けてきた。


『お前どこで拾って来たんだよこれ』


 秘匿回線でリエスからメッセージが飛んできた。責めるような口調なのは仕方がない。機械塔都市の下層において戸籍未登録の子供は少なくなく、たいていは厄介な事情を抱えているからだ。


『今日の掃除で、地下深くの変な場所からよ』

『どうして無視しなかったんだ』

『映像を送れば理解してくれるかしら』


 今日の掃除任務であった映像データをリエスに送る。既に大元のデータは改竄済みであるため、私個人のストレージに保存していたものだ。


『お前これ……古代人工知能じゃねぇのか』

『古代……? えっと、どこかで読んだわね。確か、私たちよりも前に存在した人類の創り出した自立思考機械だったっけ。あんなのただの噂じゃないの?』


 機械塔都市について、私たちは必要以上には教えてもらっていない。知っているのは足元に向かって遥か昔から拡大し続けていることと、生きていくためには仕事をしなければならないことだけだ。

 一体誰が何の目的で行っているのか。それを知っているのはオペレーターまでだと言われている。そのせいでバベルの建造理由について、巷には多くの噂が跋扈していた。

 そのうちの一つに、機械塔都市そのものが一つのシステムであるとする説があったはずだ。簡易検索をすればすぐに引っかかった。


 序文はこう始まっている。

 マザーのさらに上位存在によって、私たちはプログラムされているのだ。自身で機械塔都市を拡大させ続けるようにと。

 馬鹿らしい論文の中で古代人工知能と検索すれば、すぐに該当箇所が出てきた。

 

 古代人の作り出した機械塔都市システムは、暴走を防ぐためのシステムが幾つか組み込まれている。反抗的な内部の人間を排除しているセンチネルがそうだ。それなのになぜ、ワーカーたちは何故定期的な反乱を起こすのだろうか。大抵の場合はスイーパーとメカニックによって鎮圧されるが、過去にはそれ以外の事例があった。機械塔都市暦五百十二年。この年に起こったワーカーの反乱は二年に及んだ。その間には多くのスイーパーとメカニックが犠牲になった。センチネルすら何機も出撃したとの記録もある。なのに、肝心の反乱について詳しい情報はほとんど残っていない。この戦いを生き抜いた者達は緘口令によって多くを語らなかったが、当時の資料に古代兵器やセカンドマザーいった言葉があちこちで散見された。

 私はそれらの特殊な存在を総称して古代人工知能と呼ぶ。過去の人類が遺した危険な人工知能。恐らくは彼らこそが私たち機械塔都市の最大の敵であるのではなかろうか。


『こんなものは与太話もいいところよ。そもそも本気で上が情報隠匿しようとすれば、一ミクロンだって零れては来ないわ』

『それもそうだ』

『ねぇねぇ、さっきから何の話をしているの』

「えっ!?」

「なっ!?」


 厳重なロックをかけていたはずの秘匿回線に、当たり前の様に少女は侵入してきた。参加者が二人のままになっているということは、ハッキングによる技術だろう。私はともかく、リエスのシステムプロテクトを抜けるとは思ってもみなかった。性格と見た目はともかく、技術的にはバベルで一、二を争うほどの実力者なのだから。


「やべーんじゃねぇかな……。私はどうってことはしないが」

「分かってるわよ。セラ、お願い。ここではそういうことをしないで」

「だって……二人だけで話してるんだもん……」


 下唇を噛んで悔しがるセラ。小さな手は震えながら柔らかな握りこぶしを作っていた。


「ごめんなさい。私たちが悪かったわ。もう隠し事はしないから」

「私は、ハレの敵なの……?」

「その可能性があるってだけだな」

「ちょっとリエス!」


 思わず強い口調になった。隠しておくことが出来なくなったとはいえ、もっと不安にさせない様な言い方もあったはずだ。


「隠し事はしないんだろ? 約束は守らなきゃな」

「それは……そうだけど……」

「お願い! 私は自分のことが知りたいの!」

「だってよ。乗り掛かったおんぼろ舟だ。もう何時沈むかわかったもんじゃねぇしな。ま、ここで話すのもアレだ。私の研究室でも来るか? そのスーツも変えなきゃいけないだろ?」

「忘れてたわ。それじゃ、報告した後に」


 さきの戦闘でスーツの一部が損傷してしまっていたのを思い出した。痛みの信号を無理やりシャットアウトしていると、ついつい忘れてしまいがちになる。スーツの予備はあるが、躯体の方は修理しなければならない。焼けた人工皮膚も早めに治しておきたい。


「ああ、待ってるぜ」

「ばいばい~」


 握った手の反対をリエスに向けて大きく振るセラ。汚れた白衣のリサーチャーは、振り返らずに片手だけを上げて研究室に向かっていった。リエスと別れてから廊下を進み、五分ほどで当初の目的としていた任務報告の受付窓口にたどり着く。上層と全く同じデザインの受付型機械が、抑揚のない声で話しかけてくる。


「ハレさんですね。レコードの提出をお願いします」

「この後予定があるの。さっさとしてね」


 手の甲に貼りつけているシートを剥がして、受付の女性型ロボットに渡した。耐水耐塵、耐衝撃加工がかけてある記録媒体として、機械塔都市では誰もが身に付けている。これだけの技術の結晶でも一日の食事よりも安いというのは信じられない。


「確認中です。しばらくお待ちください」


 合成音声の案内を聞きながら、天井を見上げる。四十九階層に続くエレベーターチューブを多くのエッグが行き来していた。昼前というのもあって、それなり人が活発に動いている。ぼうっとチューブを見上げていたら背後から声を掛けられた。


「ハレ、もう帰って来たのか」

「メリィじゃない」

「すまないね、迷惑をかけた。思っていた以上にてこずってね、応援依頼をかけたんだ。私自身も何度か負けたみたいだし、スイーパーの手には余ると思ってね」

「別にいいわ。相手の装備も結構整ってたし、私でも何も知らずに行ってたらまずかったかも」

「そう言ってもらえると有難いね。ん、その子は?」


 新しい知り合いの登場に怯え、またしても私の後ろに隠れていたセラ。その存在に気付き、メリィは膝をおって視線を合わせる。長くきれいな黒髪が地面につきそうになるのも気にせず、右手を差し出した。


「初めまして、スイーパーのメリィだ」

「はじめ……まして……」


 おずおずと握り返す。警戒は解けたようだが、未だに緊張しているのだろう。助けを求めるようにこちらを見上げて来る。


「えっと、スイーパーは、メカニックよりした」


 先程教えたばかりの情報を口にする。相手がどう感じるかというところまでは考えていないのだろう。メリィは笑顔を崩さずに答えた。


「ああ、このおねぇちゃんは昔スイーパーだったんだよ。とても優秀だったから、出世してメカニックになったんだけどね」

「だから敬語ではなさないの?」

「そうよ。メリィとは昔っから友達なの。一緒に死線も越えてきた仲間でもある。たまたま私が運よく選ばれただけで、メリィだって同じくらいの能力があるわ」

「それは謙遜だな。君には敵わないよ。そうだ、これから暇か?」

「ごめん、ちょっとこの後は用があるの」

「それは残念だ。また誘うよ。おっといけない、呼び出しがかかったみたいだ。今度、時間があったら食事でも行こう。そちらの可愛いお嬢さんもつれてね」


 ふわりと揺れる柔らかな髪を揺らして、走り去った。もともと別の任務があったのに無理して声をかけてくれたのだろうか。メリィには悪いことをしたな。予定が空いたらこちらから誘うようにしよう。


「お待たせしました。掃除任務の一部完了を確認。後続のスイーパーにより完全な鎮圧が確認された後に、任務達成報酬はバンクに送金されます」

「どうもありがとう」

「ひとつお伺いします。その子はどこで?」

「映像ログに無かった?」


 何事もなかったかのような顔をしてしらばっくれる。該当部分を改変しているのだからあるはずもないのだが。地下室がスタンドアロンになってたおかげで、いろいろな手間が省けて助かった。


「見つかりませんが」

「あらそう。この子は百十二階層で私が見つけたの。責任をもって”扱う”つもりよ」


 任務中の拾得物は、その扱いが取得者に任されている。彼女は機械人形ではなく、迷子の少女として届け出を出しておいた。絶対に登録番号は見つからないのだから、あまり面倒な追及はされないはずだ。


「それでは、送信した書類の確認とサインをお願いします」

「はいはい」


 ホログラムウィンドウを開き、受け取った書類を開く。注意事項を流し読みして、右下に電子サインを書き加えた。すぐにそれを送り返す。


「受領いたしました。今後その少女に関わる全ての損害に対し、MEC081714ハレが保証人となりました」

「わかってるての。行くわよ、セラ」

「はーい」


 少女の手を引いて受付を離れる。リエスの研究室があるのは二十一階層。上級人民階層の最上階は、この五十階層と比べると半分程度の広さしかない。居住区がほとんど無いのだから当然と言えば当然なのだが。

 同じ上級人民階層であっても、二十番台の階層はリサーチャー、三十番台の階層はメカニックが住んでいる。誰が決めたのかわからないが、遥か昔から決まっていた。別に法でもなければルールでもないので、メカニックの私が歩いてたところで囲まれて簀巻きにされるようなことは無いが。

 二人乗りのエッグに入りセラの横に座った。親子のように手を繋いだまま階層移動を待つ。階層表示を数えながら一人で乗るよりも、ずっと安心できた。


「何かいいことでもあったの?」

「えっ!?」

「笑ってたよ」

「そうなのかな」


 表情の変化なんて指摘されるまで気づかなかった。指先で軽く頬を触れてみる。いつもと変わらない柔らかい肌に押し返された。うら若き乙女なのだからこのくらいの弾力は必要ね、うん。こちらを見上げて笑っているセラと目が合う。つられて笑みがこぼれた。


「変なの」

「本当ね。さ、リエスの研究室は生意気にも一番奥にあるわ。行きましょう」


 エッグを降りて薄暗い通りを真っ直ぐ奥に進む。両側に立ち並ぶ建物はまったく統一感が無く、それぞれ研究室の主たちの趣向を色濃く反映している。重厚な扉がある金属の箱の様な建物や、薄っぺらい鉄板で囲われただけの敷地。巨大なコンベアが隣接された工場は、硫黄臭のする黒煙を立ち昇らせていた。換気機能はフル稼働しているはずだが、呼吸をするたびに嫌な臭いが鼻につく。


「なんか空気悪いね」

「訳の分からない研究をしている人も多いからね。マスクとゴーグルも持ってくるべきだったわ。リサーチャー階層の空気は煤と鉄粉だらけなんだから」

「あれかな?」


 行き止まりにある質素な門に掲げられている小さな表札には、殴り書きの文字が並ぶ。リエス・テリナリ・ミィロ。本名がめんどくさいリサーチャーと言えば大抵の人間には伝わるだろう。門から続く塀と研究室が一体化した建築デザインの研究所。窓は無く、外からでは在宅の確認が取れない。


「そうね。ちょっと待ってて」


 端末で簡易メッセージを送信する。間髪おかずに、了解と短い返信が届いた。暫く待っていると鉄の扉が軋みながら開き、人間が一人が通れるほどの幅で動きを止めた。自動開閉付きの門扉なんて金のかかる設備を使っている。ハイ・リサーチャーともなればそれなりの収入があるってことか。


「早かったな」

「報告だけ済ましてきたからね。わざわざ来たんだから、もてなしてくれるんでしょうね」

「まぁ中に入れ。一応準備は出来てる」


 リエスの案内で研究所の廊下を歩く。ギアの回転する音、金属を叩く音、蒸気の噴き出す音。雑多な機械音が止むことなく響き続ける。意外にもらしい研究所に興味津々なセラは、そわそわと辺りを見回していた。


「ねぇ! あれは何を作ってるの?」


 セラが指差したのは、研究所内で稼働するコンパクトな一連の機械。圧縮成形された金属がコンベア次々と運ばれていく。その先には金属製のアームが何本も動いている。ドリルで細部が削り取られて、さらに小さな形になった部品は、次のセクションへと流れていった。


「あー、あれは建材だな。百三十二層で見つかった竪穴を調べるために、軽量で頑丈な素材を用意するように頼まれた」

「今度は壊れないといいわね」

「はっ……言ってろ! 俺らの研究成果はこの機械塔都市の至る所で利用されてる。設備の維持管理が仕事のメカニックさんならよく知ってるだろ」

「ええ、ほぼ毎日といっていいほどあちこちから煙が出てて、修理が必要になっているってことがね」


 中途半端なリサーチャーの研究成果とやらのせいで、メカニック連中は相当迷惑を被っている。過去には最新技術といって碌に試しもしない技術を利用したせいで、機械塔都市の一部機能が失われたこともあった。その復旧を寝ずに行ったのも私たちである。


「つまらねー話はやめようぜ。で、どうするつもりなんだ」

「どうするって、もう連れてきちゃったんだしどうしようもないじゃない。一緒に暮らしていくつもりよ」

「馬鹿お前、それだけ高性能な機械人形隠しきれねぇよ」

「だったら何? スクラップにして捨てろとでも?」


思わず強い口調になってしまった。不安そうな目で見上げて来るセラの頭を出来るだけ優しく撫でる。見捨てるつもりはない。連れてきた責任くらいは取る。


「そうは言ってねぇけどよぉ……」


言葉を濁して赤い頭髪を弄る。困った時の彼女の癖だ。


「そいつの能力は明らかにこの機械塔都市の有する技術を越えてる。マザーがそれを知って放っておくとは思えない」

「マザー、マザーって言うけど、実際にそんな存在がいるの? 私たち結構自由に生きてるし、他の人の不正だって放置されてるじゃない。管理社会なら私が知ってるだけでも数十人は捕まっているはずよ」

「確かに俺らの日常には踏み込んでこない。だが、非日常になれば別だ。確実お前の人格そのものが消されるぞ」


 その真剣な眼を見ればわかる。今の言葉はただの脅しではないと。リエスにはマザーが存在していると確信に至る何らかを知っている。聞いてもどうせ教えてはくれないだろうが。


「私、ハレに迷惑かける?」

「いえ、そんなことないわ。普通にしていれば大丈夫よ」

「実際にゃ、この機械塔都市はそこまで厳しい管理社会じゃない。普通にしてれば、別段心配するようなことは無いさ。俺なんか納期を無視しまくってる。本当の管理社会なら一発でスクラップ行きさ。ところでハレ、その怪我はどうする? 治していくか?」


 腕と太腿に痛々しく残る火傷の痕。動きに不自由はないが、見た目はよくない。修理するには病院に行かなければならないが、人工皮膚のやり替えと傷口の補修でそこそこ費用がかかる。友人のよしみで安くしてくれるリエスを頼らない手はなかった。


「それじゃ、お願いするわ」

「りょーかい。スーツを脱いでそこに寝ろ」

「はいはい」


 女性しかいないのだから憚ることもない。さっさとボディースーツを脱いで下着姿になる。診療代の上に横になると、リエスが手際よく傷口を処理していく。ものの十数分で元通りになった。


「運がいいな。表面だけで内部は傷ついてなかった。この程度なら痛覚信号もカットできただろ。しかし開拓層でスーツを破けるほどの武器があったとはな」

「んーまぁね。少し油断してたかな」


 おそらくはセラが起動したレーザー砲だろうが、余計なことは言わなくていいだろう。誰かにばらすような心配は無いが、知らなくてもいいことだ。


「ほらよ、新しいスーツだ。まだ市場に流してないプロトタイプだが、特別にやるよ。次世代型ボディースーツ。その名もストリームスーツ。ちょうど実証データが欲しかったところだ。感謝して着ろよ」

「爆発したりしないでしょうね」


 疑いの目を向けながら紺色のスーツに腕を通す。ひんやりと冷たい感覚が全身を包む。ちょうどいい密着感で着心地は悪くない。伸縮性は抜群で、いままでのものよりも関節部がスムーズに動く。


「安心しろ、その薄っぺらい胸を膨らませることもできやしねぇ」

「このスーツの力を早速試させてくれるのね」


 スーツの起動コードを入力し、生体認証させる。数十キロの重りを容易く持ち上げることができるほどの筋力サポートを得て、さっきまで寝ていたベッドを片手で持ち上げた。


「おいおい、治療費とスーツ代も請求してないんだぜ。これも立派な違反だっての」

「そうね。一応感謝しておくわ」


 ベッドを置いて腰かける。待っていましたとばかりに駆け寄ってきたセラが膝の上に座った。その髪を手櫛で整えてやる。指が全く引っかからない綺麗で柔らかな金髪。


「まあとにかくだ。現時点で黙認されてるってことは、特別暴れたりしなければ普通に暮らせるってこった」

「わたし、暴れたりしないから!」

「そうね約束して頂戴。それと私の部屋は一人暮らし専用だから引っ越しでもしないとね」

「出来るだけ目立たないようにすることだな」

「御忠告どうも。行くわよ、セラ」

「ちょっと待て。次のおまえの仕事だが、百三十二層の見回りだ。竪穴を調べるための建造物の護衛も含まれる」

「何でリエスがそんなこと知ってるのよ」


 メカニック本来の仕事は老朽化した機械の交換や補修など、設備の維持管理である。私自身はこまごました作業よりも、派手に体を動かせる鎮圧や防衛などの仕事が好きなので、そういった仕事を優先して回してもらっていた。リエスとの繋がりのおかげもあって、機械塔都市生活はわりかし退屈せずにすんでいる。


「俺が開発局長に選ばれたからな。お前を回してもらった。それなりに実績もあるから簡単だったぜ」

「頼んでないんだけど」

「でも受けるだろ?」


 強がってはみたが、これからは二人分の収入を稼がなければならないのも事実。リエスもそれを分かっている。強気な笑みに、肩をすくめてみせた。


「勿論よ。セラも連れて行ってもいいんでしょ?」


 一人でお留守番させておくのは不安だ。見回り任務なら一人余計に連れていたところで咎められるようなことは無いだろう。


「あまり目立つのは勧めないが……好きにしろ。今のところは梯子の建造も順調だし、邪魔も入っていない」

「そう、いつから?」

「可能なら明日から」

「わかったわ。じゃあ明後日からね」


 怪訝な顔をするリエス。せっかくもらった新型スーツを試したいのはやまやまだが、やらなければならないことがいくつかある。


「セラと暮らす準備もしなきゃいけないし、メリィと遊ぶ約束もしてるからね」

「その辺はまかせるさ。支払いもそんなに悪くない仕事だからよろしく頼む。詳細はまたメッセージで送っておく」

「わかったわ。さ、行きましょ」

「はーい」


 退屈そうにこちらを見上げていた少女の頭を撫で、仕事の話は適当に切り上げる。掌に収まりそうなほど小さな手を握って、リエスの研究室を出た。向かう先は階層の空き部屋管理をしている案内所。先ずは二人暮らしの部屋から決めないと。


「ねぇ、お外にはいつ行けるかな?」

「いつか行けたらいいわね。でも、難しいわ」

「お外のこと、私のデータにも全然残ってないの」

「そうなの?」

「うん! 私ね、お外に出たいからハレのいう事聞く!」


 正直なところを言えば、機械塔都市から外に出られる確率はゼロだ。もしかして、と夢を見ることすら愚かと笑われる。私だって、噂に聞く外の世界についてまったく思わないわけじゃない。


「いつか、一緒に外に出られたらいいわね」

「うんっ!」


 曇りない笑顔に若干の罪悪感を覚えながら、セラと新しい住処を捜しに向かった。



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