【8】 商売繁盛
「どうしたのマスター。変な顔して」
メイドが現れた翌日、彩花が店へとやってきた。飲み会の帰りとのことだった。
「お姫様の次は、メイドさんが現れたんだよ……」
「メイド!?」
「あ、こら、大きい声出すなって」
僕は人差し指を立てた。彩花は、「あっ」と口に手をあてた。今日は客の入りが多かったので、あまり大きな声でこの話をされると困る。幸い、友人連れの客が多かったので、こちらの話には誰も聞き耳を立ててはいないようだった。彩花は内緒話をするように身を乗り出してきた。
「面白い事になってんね、ユウちゃん」
「他人事なら面白いだろうけどね」
「当事者の方が面白いって」
僕は渋い顔をした。たしかに面白くないこともないけれど、心中は複雑である。彩花は例のオリジナルカクテルを注文した。
「ね、今日客の入り多くない? なんで? なんかあった?」
「いや、僕もよく分からないんだけどね。最近、段々お客さんが多くなってて」
「へー……、なんでだろうね。お姫様が福の神だったとか?」
「それ僕も思った」
僕はシェーカーを振った。
「思っただけで、『疲れてるなあ』って処理しちゃったでしょ」
「よくわかったな」彩花は、舌を出して小学生みたいな顔をした。「わかるよーだ」
苦笑しながらグラスにカクテルを注ぎ、差し出す。彩花は嬉しそうに口を付けた。
「このオリジナルが好評だったんじゃない?」
「どうだろうね」
僕は腕を組んで考える素振りを見せた。実はそれを僕も思っていた。実際注文の割合は高い。けれどたかがオリジナルカクテルで、そんなにも人が増えるだろうか。
「まあいいけど。ねえ、メイドさんも見せてよ」
「あほか、ここに連れてきたらどうなることか」
「お姫様は見せてくれたじゃん」
「あれは勝手に来ただけだよ。今はちゃんと言うことを聞いてくれてる」
今も二人は部屋でのんびりとやっていることだろう。お姫様はもう寝たかもしれない。メイドが来てくれたことは、一人で寂しい思いをさせていたお姫様の相手になってくれるという意味で、嬉しいことではあった。
「まいいけど。気が向いたら見せてね。で、そうそう、今日の飲み会でさー」
と彩花はグチを語るような調子で話し出した。が、話を聞いてはやりたかったものの、すぐに他の客に呼ばれてしまったので、中断となった。彩花は「ぶー」とアヒルみたいな口になった。
それからしばらく僕は忙しかった。彩花に構う間も大して無く、一時間、二時間と過ぎていった。注文をとり、酒を作り、話相手になり、勘定をし、机を拭いてグラスを洗って、時には泥酔した客を介護して。てんてこ舞いであった。彩花は途中で「頑張ってね」と気を遣ったように帰ってしまった。
なんとかその日はまわしきり、最後の客を見送り閉店の作業を終わらせると、どっと疲れが押し寄せてきた。忙しい、とは幸せな悩みである。それは僕が認められた証のように思えた。ただ、すくなくとも一人でやるにはそろそろ限界だな、と感じた。彩花もそうだが、客との時間が取れないのは、バーとしては本末転倒の出来事である。店の番人が忙しそうにしていたら、ここが羽を休める場ではなくなってしまう。
バイトでも雇った方が良いだろうか、と思った。今までは客の入りも少なかったからそんなことを考えたことはなかったけれど、ちょっと忙しくなっただけですぐに手が回らなくなりだしていた。仮にも一つの飲食店をたった一人で切り盛りしようというのは、本来容易なことではない。客が少なかったから成立していただけなのだ。だからこのあたりでバイトの一人や二人くらい雇ってみることは、至極順当なことと思われた。
バイトをしてくれるような人間にアテはないかな、と考えた。彩花に頼むのは少し気がひけた。頼めばやってくれるかもしれないが、大学に通いながら夜通しの仕事をすればきっと無理が出る。彩花にそんなことはさせられない。となると別の誰かだが、この土地に、あまり知り合いは多くなかった。求人広告でも出してみるのがいいだろうか。
僕がそんなことを考えながら部屋に戻ると、お姫様とメイドは寝室の同じ布団で寝ていた。僕のベッドを使って良いと言っていたのに、すぐ隣にある僕のベッドは空いていた。遠慮しているのだろうか。ともかく、幸せそうな寝顔とはいえ同じ布団で二人も寝るのはきっと窮屈だ。メイド用の布団を一組買ってきた方が良さそうだった。
僕は服を脱ぎ捨てるように洗濯籠に放り投げると、シャワーを浴びた。湯船に浸かる習慣はここのところないが、シャワーでは十分に疲れも取れなかった。たまには浸かるか、と僕は浴槽に被さっているフタを取り外す。
「おや」
驚いたことに、浴槽には既に湯が張ってあった。しかもまだ暖かい。
「お姫様かメイドさんがやってくれたのかな」
ありがたく思いながら、僕はそれに浸かった。肩まで大きく息を吐く。やはり風呂は好きだった。
「あ……」
そこで気付く。
「バイトのアテ、あるじゃないか」
翌日いつもの通り昼を大分過ぎた頃にのっそり起床し、お姫様とメイドさんの作ったご飯を食べる。
「相談があるのだが」
「なんですなんです?」
「メイドさん、ウチの店で働かないか」
「お店でですか!」
メイドさんは、ぴんっと立ち上がった。
「一人だと、少し手が回らなくなってきててさ。どうかな」
「ご主人様が許すならぜひにぜひに!」
予想通りというか、メイドは待ってましたとばかりに喜んだ。メイドというくらいなのだから、上手いこと働いてくれるだろう。
お姫様が、こちらをじっと見ていた。
「私は?」
「あっ……」僕はすぐに何が言いたいのかを察した。
「仲間はずれ?」
「うっ」
言われてみればその通り。メイドを店に出せば、お姫様は仲間はずれになってしまう。せっかくメイドが来て、僕がいない間も構ってくれる相手ができたというのに、僕がメイドを店に呼んでしまっては、彼女はまた夜を一人で過ごさなければならなくなる。これでは上げて下げる、のような仕打ちで、前よりも可哀想だった。
「そうか……、そうだな。すまない。やっぱり今のは無しにしよう。求人広告でも出してみるよ」
手近にいた人を安易に頼ろうとし、それで残されるお姫様の気持ちを考慮できなかった自分が恥ずかしくなった。ごめんな、と僕はお姫様の頭をなでた。
「あの、ご主人様」
「なんだ?」
「お姫様を働かせるのがいけない、というのは分かります。でも、お店にいるだけなら問題ないのでは?」
「いるだけ……?」
メイドの提案に、僕は少し考える。
はじめお姫様が来たときは、店には降りてくるなと言いはしたけれど。働かせはせず、どこか空いている席にでも座らせておく、というのはどうか。そうすればお姫様を一人にすることはなくなる。働かせてしまえば悪い噂も立つかもしれないが、座らせているだけなら大きな問題はなさそうだ。前にお姫様には普通の服を買い与えているし、見た目でおかしな人だと思われることもない。だがそもそもバーに子供がいるというのはあまりよくはない。心を休める場所である以上、バーは雰囲気という点に最大の注力をしなければならない。子供がいれば、気を遣う人もでてくるだろう。
いや、しかしどうだ。と僕は「だめだ」と言おうとしていた自分を押しとどめた。あえてそうしてみるのも一つの手ではないか。たとえば二人をこの姿のまま店に置いてみる。するとお姫様とメイドのいるバー、となって、それはそれで話題を集める可能性があった。正統派のバーから少し道を逸れるが、ウチのような小さな店にとってそういった差別化は効果的な広告作用になりうる。仮にそうした場合、人員不足は解消され、お姫様も寂しくなくなり、と今ある問題も解決する。
かなり踏み切った手段とはなるが、リスクに対してリターンは見合っているのではないか。試してみる価値は、あるのではないか。
「ご主人様、案外真剣に考えてますねえ」
「マスターはなんだかんだで真剣にお店を経営してますから」
「なんだかんだとはなんだ。僕はいつも真剣だよ」
どうせ失敗しても大きな損失にはならないだろう。と僕は自分を納得させた。