【4】 デート
お姫様は何食わぬ顔で、さも当たり前のことだと言わんばかりに、僕の部屋に住み着いていた。
彼女が現れてから一週間。時間はあっという間に過ぎたような気がするけれど、その間に、僕はお姫様の存在に段々と慣れてきていた。
というのも、お姫様が至って平凡だったからである。
「ご飯出来たよ」
「わーい」
「手伝ってくれ」
寝起きの夕方、僕達は二人で食事をとる。今日は休業日だった。
「私お姫様ですのに」
「僕だって王子様なんだろ」
「それもそうですわね」
お姫様とはよくこんな会話をするけれど、どちらかというと他愛ない会話の方が目的なようで、彼女はいつも楽しそうに家事を手伝ってくれていた。お姫様はちょこまかと、けれどてきぱきと動きながら、皿を出し、僕の作ったパスタを盛りつけ、並べていた。
この一週間でお姫様について分かったことは、ともかく害がない、ということだけであった。むしろどちらかといえば、見た目はたしかに少々奇抜ではあるけれど、それさえ気にしなければ普通の少女で、どこか年の離れた妹ができたかのような楽しさを僕は感じていた。
上京してからもう結構な月日が経つけれど、こうして誰かと共に暮らすということは一度もなかった。だから慣れたものだとは思っていたのだけど、案外に、家に誰かがいるということは愉快なことであった。安心できた、といった方が正しいかもしれない。会話をする相手がいるということに、僕はたしかに安堵を覚えていた。都会に感じていた疲れ、というものを少し、忘れられたような気がしていた。
本来それは僕の仕事なのに、と苦笑した。バーは疲れを置いて行く場所で、バーテンダーはその補助をする人。それが僕の仕事。バーテンダーは、酒場の番人であって、そして、誰かの優しい止まり木でなければならない。けれど僕はそうである傍らで、自分のための止まり木も求めていたようだった。
「どうしました?」
「いや、何でも無いよ」
知らずのうちに、僕はもぐもぐとパスタを口にはこぶお姫様を眺めていたようだった。
「あの」食事が終わったのか、お姫様はフォークを置いた。「私は、迷惑ですか?」
「どうしたんだ、急に」
「いえ、……急に住み着いちゃって、その……なんとなく」
言葉を上手く見つけられない、という表情だった。どうやらお姫様にも罪悪感があったようだ。が、実は気付いていた。彼女が気を遣っていることに。
「別に迷惑じゃないよ。最初の日以来、ちゃんとこの部屋にいてくれるし、家事も手伝ってくれる。君は僕の困るようなことをしない。どちらかといえば、楽しいと思ってるよ」
仕事の時間に、お姫様が店に降りてくることはあれ以来なかった。言いつけを守り、ちゃんと部屋にいてくれる。むしろ彼女との時間をあまりとれない僕の方が悪いなと思っているくらいだった。
「本当ですか?」
「本当だよ」
僕は本心から頷いた。
「なら、よかったです」
お姫様ははにかむように笑った。僕も釣られて、少し頬が緩んだ。
僕は時計を見た。休日にしても、起きるのが少し遅かった。どうやら体が少し疲れているようで、長く寝てしまったらしい。しかしその疲れは、どちらかと言えば喜ばしいものだということを僕は理解していた。驚く事に、この一週間は普段よりも客が多くて、仕事が忙しかったのだ。多いと言っても満席になるほどではなかったけれど、一人で店を回すのにちょっと厳しいかな、と感じる程度の入りはあったのだ。こんなことは、半年間この店をやってきて、初めてのことであった。今までの成果が実を結んだ、と考えていいのだろうか。そう思いながらしかし薄々と、いやもしかしたらお姫様がきたからかもしれない、ともなんとなく思っていた。占いのような後付けのこじつけな気もしなくはない。実際、手伝ってくれているわけでもないし、店に顔を出すわけでも無い。けれど、彼女が現れてから忙しくなったのはたしかだった。
彼女は福の神なのかもしれない。例えば恵比寿様のような、商売繁盛の神様なのかもしれない。そう思えば筋も通るような気がした。突然現れてお姫様と名乗るくらいだから、それが実は神様の類いであったとしても、大きな違和感はないようにも思えた。店が繁盛せず困っていた僕を、見かねた神様が助けてくれたのかもしれないとすれば、中々美談ではないか。
(……疲れてるなあ)
僕の心に冷たい風がふいて、そんな想像をあっさり払い去った。そんなこと、あるわけがない。この世に神様は存在しない。いたとしても、それは人間の望むような、優しい神様ではありえない。
お姫様はいつのまにか食器を片付けて、キッチンで洗い物をしていた。僕は例のオリジナルカクテルを少し喉に流しながら、ドレスのままがちゃがちゃと皿を洗う彼女の姿を、眺めていた。
洗い物を終えて、「ふう」と主婦のようにお姫様は一息ついた。
「なあお姫様。これから軽くでかけないか?」
「え? 珍しいですね」
「いつも暇させてたから。休日くらいどこか連れてってやらないとなって。嫌か?」
お姫様はくすりと笑うと、ドレスの裾を掴んで小さくお辞儀をしてみせた。
「ぜひお外へ連れて行ってください、マスター」
「うむ、任せたまえ」
お姫様の所作に答えるように、僕はちょっと芝居っぽくそう答えた。
出かける準備をしながら、僕は彼女がそのままの姿で出ると目立ちすぎることに気が付いて、頭を悩ませた。女物の服なんてないしどうしたものか。少し考えて、そういえば前に彩花が置いていった服があったなと思い出した。衣装箪笥の奥から引っ張り出して着せてみると、少々サイズがあっていないようではあるが、なんとか着用はできた。少なくともドレスより違和感はない。
「……とりあえず、まずは服を買いに行こう」
「服? これでいいではありませんか」
「サイズあってないだろ」
「動くのに、そう支障はございませんが……」
「まあいいから、いいから」と言って、僕はお姫様の手を取り外へと出た。
この服をあまり長く着させてはおきたくなかった。実はこれ、飲み過ぎて吐いて汚れて洗濯を任されたまま忘れられた結果ウチにある、という曰く付きの服なのである。
はやく別の服に取り替えてあげねば、可哀想だ……。
服を買うのであれば普段はちゃんと小洒落た服屋にでも向かうのだけれど、女性物の店というのはあまり知らなかったので、僕は格好付けずにさっさと駅前のデパートへ向かった。
「どんな服がいい?」
「うーん」きょろきょろとお姫様は並べられた服を眺めてから、助けを求めるように僕をみた。「分からないです」
「分からないか」
なんとなく予想はしていたけれど、お姫様は心底洋服のことがよく分からないという表情だった。そんなわけで僕が服を選ぶ運びになった。が、女性物の服は選んだことがないので少し困惑した。どういった物がいいのだろうか。こういう時に下手なものは選べない。中々難しい。年相応といえば中高生向けのものを選ぶのが正解だけれど、お姫様のイメージには合わなそうだった。少し大人っぽいのがいいかもしれない。
選び出すと中々決まらないもので、僕達はいくつかの店をくるくる回った。お姫様をあれこれ着せ替えつつ、結局無難なワンピースに落ち着いた頃には二時間が過ぎていた。僕は少し疲れたが、肝心のお姫様は楽しそうについてきてくれていたので良しとした。
「すごく頑張って選んでましたね、マスター」会計時、人のよさそうな若い女性の店員に話しかけられた。と思ったらヨウコさんだった。
「あれ、偶然だ。ここで働いてたんですね」
「そうなんですよ。話しかけようと思ったんですけど、他のお客さんの対応してて。でも目立ってたので、遠目からちょいちょい見てました。これ、プレゼントですか?」
「そうですね」考えてみれば女性向けの店で真剣に服を選んでいるのだから、当然目立つか。それもバーのお客さんとなると、少し恥ずかしい。
「いいですね。彼女さんですか?」
「いや、違いますよ」
「違いましたか。たしかに、マスターの彼女さん向けにしてはちょっと若い人向けかな。ていうかマスター、彼女っているんですか」
「いませんよ」と答えると、ヨウコさんは「いそうなのにー」と笑った。
「さすがに娘さんとかいませんよね? それだと……妹さんへのプレゼントかな?」
「まあ、そんなところです」僕は適当に頷いた。お姫様は妹のようなものである。
ただ。なんとなく、ちょっとおかしな話運びだな、と思った。が、どうでもよかった。
「いいですね、兄妹仲が良いって。うちも兄がいるんですけど、プレゼントなんかくれませんよ。あ、プレゼント用の包装できますけど、どうします? ウチの、結構可愛いんですよ」
「ああいえ、すぐ着るとおもうので」
「すぐ?」
僕の言葉にヨウコさんはきょとんとして、反射的に辺りをさっと見渡した。おや、と思って僕も振り返る。お姫様の姿がなかった。
「トイレでも行ったのかな」
声くらい掛けていってくれればいいのに。……というか迷ってないだろうなあいつ。
少し不安になった。
「それじゃ」
僕は挨拶もそこそこに、会計を済ませて店をでる。お姫様はどこに行っただろうか。デパートになれている様子ではなかったし、迷子になっていなければいいのだけれど。
しかし心配は杞憂だった。お姫様は近くのベンチで暢気に鼻歌を歌いながら座っていた。
「どこに行ったかと思ったよ」
「淑女はお会計の場には居合わせないのです」
まあたしかにプレゼントを買っているところを見るのはなんだが気まずいかもしれないけれども。僕は肩をすくめた。
ともかく適当な多目的トイレを借りて、お姫様には服を着替えてもらった。
「似合いますか?」
「うん、よく似合ってると思うよ」
元々の素材が良い娘なので、僕が拙いセンスで選んだワンピースもしっかりと着こなしていた。きっとこの娘なら、何を着ても似合うのだろう。
「えへへ」
お姫様は年相応の笑顔で笑った。