【9】 共に働く
思い立ったが吉日というこで、僕はその日に二人を店に出すこととした。
開店前に、簡単なレクチャーをメイドに施す。難しいことを頼むつもりはなかった。注文取りを初めとして、掃除や洗い物の類いを肩代わりしてくれるだけでかなりの負担が減る。
お姫様はカウンター席の一番奥に座らせた。念のため目が届く範囲に置いておきたかった。店が忙しくなったとは言え、カウンターまで満員になることはあり得ない。
開店十分前になって、ようやく基本的なことを教え終わる。
「お仕事がんばります!」
「うん、がんばってくれ」
見ている限り彼女は手際がいいようで、心配はなかった。メイドははりきっているのか、肩をぐるぐると回した。その一方で、お姫様は少し気遣わしげな目をしていた。
「あの、マスター。本当にいいのですか。嬉しくてついてきてしまいましたが……」
「気にするな」
僕がお姫様を店に来ないように言っていたのは、僕が彼女のことを知らなかったからだ。
「寂しい思いをさせるよりは、全然いい」
しかし今は、僕とお姫様の間に信頼関係ができていた。今ですら僕は彼女の素性について未だよく知らないけれど、少なくともこのお姫様が良い子であることは知っていた。今ならば、僕もそこまでの心配をしなかった。メイドについても正体不明という点は同じだったが、ここにやってきた理由と、なによりお姫様と似たような存在であることを考えると、一時的に店の手伝いを頼むくらいならば問題もなさそうだった。
「それに存外、君は店の空気に合っているよ」
前に彼女が降りてきたときにも思ったが、薄暗い店の中でほんわりと浮かぶお姫様の姿は、一種幻想的で、ラグジュアリにデザインされたこの店とは、実に相性が良かった。バーカウンターに座るお姫様、と言葉にするとどこが現実味が無かったが、バーは現実から一時を忘れられる場所でなければならない、という意味においてあながち的外れな存在でもないような気がした。
時間になって、店を開ける。
「いらっしゃいませー!」
初めメイドは客が来る度にそう元気に挨拶をしていた。お客さんが毎度びくっとたじろいでいたので、そんなに元気にやらないでいいよと苦笑い。
彼女は予想に以上にお客さんに受け入れられていた。元気な娘というのはそれだけで見ていて楽しいものであるが、こうもすんなり溶け込むことが出来るとは思わなかった。メイドはてきぱきと仕事をこなし、笑顔を振りまいていた。接客業としては文句の付けようがない。ただ、そう褒めたくなる反面で、このメイドは本当に何者かと僕は思案した。
お姫様は奥の席で座りながら、じっと僕達のことを眺めていた。自分も動きたそうにうずうずとしている様子が見て取れたが、我慢しておとなしく座っているようだった。
「マスター、何、今日なんかのイベント?」
九時過ぎに、ヨウコさんが友達連れでやってきた。
「まあ、そんな感じです。ちょっとお試しで」
「いいね。たまにはそういう刺激もあったほうがいいと思うよ」
ヨウコさんはやっぱり今日もできあがっているようで、上機嫌のまま席についた。注文は例のオリジナルだった。グラスを差し出すと、けろりと半分を一気に飲んでしまった。
「そんなに一気に飲むお酒じゃないですよ、これは」
「分かってるけど、ついついいきたくなっちゃうんだよねえ。あ、そういえばさ、この前マスターが買ってた服って、あのメイドさん用? 妹さんなの」
「いや、彼女ではなくてですね、あのカウンターの奥で座ってるちんまいお姫様の方でして」
「え、お姫様?」
ヨウコさんは目を凝らす。薄暗いため、ここからではよく見えなかった。
「お姫様……、お姫様。あ、ほんとだ。座ってる」
「一人でいるの寂しいって言うんで、連れてきたんですよ」
「あは、かわいい。そっかー、この前言ってたお姫様って、あの子のことかー」
なるほどねー、とヨウコさんは頷いていた。
「このお店にお姫様って、似合うよね」
「ですよね」
僕はそれでカウンターへと戻った。ほっとしていた。どうやらお姫様も、受け入れられそうだ。
一日が終わって、僕達は部屋へと戻ってきた。
「お疲れ様。どうだった?」
「ちょー楽しかったです!!」メイドはそこで大きなあくびをした。「でも、さすがに眠くなりますね」
「そうだろうね。でもすぐ慣れるよ」
「ですね! がんばります! じゃお風呂の準備してきますんで私!」
メイドさんはぴゅーっと風呂場の方へ走っていた。眠いと言いながら、まだまだ元気は余っているようだった。
「お姫様は、途中で寝てたな」
「私は見ているだけですからね」ちょっと不満そうに、お姫様は言った。「でも、楽しかったですよ」
「そっか」
僕はよしよし、とお姫様の頭をなでてやった。
実際にやってみると、驚くくらい店はうまくまわっていた。メイドさんはすばらしい働きをしてくれたし、お姫様は座っているだけで話題の種となっていた。これなら今後もこれで十分にやっていける。
僕がベストを脱ぐと、お姫様は特に何も言わず自然にそれを受け取った。僕は礼を言って、窓際の肘掛け椅子へと座る。朝日がまぶしかった。
「お水です、どうぞ」
「ありがとう」
お姫様はとても気の聞く娘だった。彼女も働けば、きっと恐ろしく優秀であることだろう。
「マスター」
「どうした?」
お姫様は僕の隣りに立って、窓の外を見ていた。
「私は、ここにいられて、幸せです」
「どうした、突然」
「いえ……」お姫様が僕の手に指を重ねてきた。「幸せだな、って」
僕はお姫様の横顔をちらと打ち見た。優しく微笑んだ顔が朝日に照らされて、砕いた貴石をまぶしたかのように、輝いて見えた。
ああ、美しいな。と僕は思った。