side.ルクタイール 少女は指のささくれをちぎり取るか5
「憧れてなんかない!!」
砂糖を零したように散らばる星と白く明るい月が闇を紺色に染める晴れた夜空の下、宙に浮いた無数のランタンが祝会場を賑やかしている。
だだっ広い広場の隅で発せられたルクタイールの叫びは、直ぐに会場の飽和した喧騒と熱でかき消された。
頬に当たる夜風にチリッとした熱を感じて、ルクタイールは自身が正気でない事を覚ったが、しかし激情を宥める事はしなかった。
出来なかったのだ。
「落ち着きなよ」
至って冷静な声色で、地面に押し倒されたルルは黄金の瞳を真っ直ぐにルクタイールに向けていた。
衝動に任せて彼女に掴み掛かり、そのまま地面へと押し倒したのはルクタイールだ。
分厚い絹のような不思議な感触のする彼女の胸ぐらを掴んだまま、暗いタイル張りの地面と同化しそうなその胴に馬乗りになったルクタイールが感じていたのは、怒りと、悲しみと、動揺であった。
「馬鹿言わないでよ!!あんな……ッ!!痛みなんかに憧れなんてあるもんかッッ!!」
ルクタイールには、ルルに言われて気がついた事があった。
自身にとって、痛みとは即ち裏奴隷としての日々の象徴であるという事だ。
だから、痛みへの憧れという言葉は即ち嘗ての屈辱への憧れという意味であり、それは今の自身を取り巻く全てへの何よりもの侮蔑であるとルクタイールは受け取った。
現状の彼女を否定する言葉であり、彼女の全てを否定する言葉でもあった。
だからルクタイールは我を忘れて叫んだのだ。
そんなのはあり得ないのだと、あってはイケないのだと、黄金の瞳を睨むように見つめるルクタイールに、ルルは無表情でたずねた。
「じゃあ何で君は痛みが欲しいんだい?」
……何で?
……何で自分は痛みを感じたかったんだろう?
感情の籠もっていない声で発せられ、頭の中で反響するその問は、けれども直ぐにフツフツと溢れる激情によって流されていった。
今の彼女にとって、そんな事はどうでも良かったのだ。
「それはッ……分からないけど!!でも、憧れなんて、助けて頂いたヘデラ様にも、アリス様にも、他の皆にも、一番の侮辱だわ!!そんな言葉使わないで!!」
何よりも受け入れ難いその言葉を、ルクタイールは極めて感情的に否定した。
真っ先に、強く、否定しなくてはイケなかった。
誰であっても、それを許す事は出来なかった。
「私は痛みを感じたいだけッ!!痛みに憧れなんて無いんだから!!」
そう、ただ痛みを感じたかっただけだ。
無くなってしまった痛みを感じたかっただけなのだ。
そこに理由なんてなかった。
少なくとも、きっと、断じて憧れなんていう感情はもっていない。
その筈だ。
そんな事はあってはイケないのだ。
そう、ルクタイールは必死に叫び、喚いた。
どうしてルルがそんな事を言うのか、自分が何故こんなにも躍起になっているのかも分からずに、ただ激情のままに絶叫した。
人混みから離れた広場の隅の、並んだベンチの影で繰り返されるその叫びといさかいに誰かが気付く事はない。
そうして、激高が赴くままに掴んだその黒い身体を地面に強く押し付けた時、彼女は気がついた。
音がしない……。
さっきまで煩かった会場の喧騒が止んで、聞こえるのは夜風が草葉を揺らす音だけだ。
知らぬ間にキツく閉じていた目を恐る恐る開いてみれば、周りの景色が変わっている事にルクタイールは気がついた。
浅く落葉が積もった暗い地面と周囲を囲む黒い木々。
湿った土と枯れた葉の香り。
何処かの森の中のようであった。
「え……何が……」
ルクタイールがそう口を開いた瞬間、視界の木々が大きく揺れた。
……いや違う、自分の身体が吹き飛ばされたのだ。
そう覚った時、ルクタイールは胸に途轍もない衝撃と灼熱感を感じた。
見下ろして見れば、月明かりにぬらりと光る液体にまみれた黒いモノが自分の胸から突き出ている。
何だろうこれ……?
「痛みを感じるかい?」
痛み……?
何故か頭のすぐ後ろから聞こえたルルの言葉に返そうとした時、ルクタイールは驚愕し、喘いだ。
「が……ぁぁ……何でぇ……痛ぃい……」
痛みを感じた。
痛みを感じられていた。
思い出した。
これが痛みだ。
何回も何時間も何日間も、ずっとずっとずっと感じ続けて、耐え続けた感覚だ。
あの頃に感じていた全てが、今この瞬間ここにあった。
恐怖、苦しみ、憎しみ、悲しみ、ありとあらゆる負の感情。
止めて欲しかった。
助けて欲しかった。
逃げ出したかった。
でも何故だろうか、その全てがルクタイールにとって何故かとても大切なもののように思えて……吐き気がした。
「痛み、苦しみ、それだけを延々と与えられ続けたとしたら。自身を取り囲む要素全てが痛みだったとしたら。そして、それを急に無くしてしまったとしたら…………人は一体何に縋るのか」
分からない。
彼女が何を言っているのか、ルクタイールには理解出来なかった。
ただ、痛い。
ちゃんと痛い。
痛い
痛い
痛い
痛い
痛い。
嫌な筈なのに、それがどうしようもなく愛おしくて、嬉しくて、その事実に死んでしまいたい程の嫌悪を覚えた。
「あぁ……いだぃぃ……ゴボッ……」
喉の奥から湧いてきた血の塊を吐き出して、涙でグチャグチャになった顔を歪めて、けれどもルクタイールは自身が笑っている事に気がついた。
わけがわからない。
やっぱり自分は頭の何処かがおかしくなってしまったに違いない。
こんなんじゃアリス様にお仕えするなんて出来っこない。
何一つ理解出来なくて、ルクタイールは色んな感情で綯交ぜになった胸中を吐き出す様に絶叫したが、それは喉の奥から溢れてくるドロドロとした血液のせいで音にはならなかった。
「とことん人間というのは愚かだな……感情的で盲目的だ。痛みなんてたかが感覚の一つに過ぎないっていうのに、そんなに拘れるなんて……私には理解出来無いよ。可哀想に……哀れすぎるよ、君は。いや、君たちか……生を実感出来る唯一の感覚が痛みであり苦しみだった。そんな君たち」
ズルリ……と、胸に刺さった何かが抜けた。
それがルルの腕であった事を確認した時、ルクタイールは現状を始めて覚った。
何があったのかは定かではないが、このよく分からない場所に瞬間的に連れて来られ、直前まで馬乗りになっていた筈のルルに背後から胸を腕で貫かれたのだ。
そして、どうしてだかは分からないが、感じない筈の痛みを感じていた。
ほら、やっぱり胡散臭い存在だ……。
何よ邪悪なる者達って……わけ分かんない……。
そんな事を思って胸にポッカリと空いた感覚を感じながら、力が抜けた身体が倒れそうになるのを後ろから抱き止められた。
ジュウジュウという音とこそばゆいような感触と共に、穿たれた胸が急速に治っていくのが分かる。
気持ちが悪い。
吐きそうだ。
「……オエッ!ゲホッ……ゲホッ……」
胃液なのか血液なのか分からないものを喉にこびり付いた血と一緒に吐き出して、ルクタイールは三度大きく息を吸った。
生きている。
貫かれた胸はちゃんと痛くて、今も不快な感覚が残っていた。
ルクタイールは滲んで朧気な視界に紺色の夜空を見た。
星なんて見えないし、月もぼやけて分からない。
涙が止まらない。
ルクタイールの思考はもうグチャグチャだった。
「君は無くなってしまった痛みを通して生に憧れているんだ」
「……え?」
少し視線を上に上げれば、黒の中にキラキラと輝く綺麗な黄金色があった。
綺麗だ。
始めて見たときからずっと綺麗だと思っていたそれは、まるで魔法のようだった。
そして黄金色は優しく静かに続ける。
「君はただ痛みを感じたかったんじゃない。痛みを感じるという生きている証が欲しかったんだ。痛みという分かりやすい生に憧れていたんだ。だから離人症のように現実を俯瞰的な意識と錯覚して、自分に痛みを与えてくれるかもしれない私に期待した。痛みを伴わない生を忘れてしまった君は、痛みを伴う事で生きていると実感したかったんだ」
その言葉を聞いて、ルクタイールは全てが腑に落ちた気がした。
そうか、自分は生きてる実感が欲しかったんだ。と。
この胡散臭い存在は何でもお見通しだったんだ。
「素晴らしい事だよ。ルクタイール・ゲルド。君はとんでもなく馬鹿で、とんでもなく不器用で、そしてとんでもなく人間的だ。全く……君は確かに生きているっていうのに」
そんな事を言われて、同時に頭に柔らかい感触がした。
遠い遠い昔に感じた、暖かくて何だか落ち着く優しい感覚だ。
それが頭を撫でられているのだと分かった時、ルクタイールの感情は堪らずに決壊した。
「ゔぁ……ぅぅ……ばかぁぁ……」
「ごめんね。大丈夫だよ大丈夫、もうしないから。もう苦しくないよ。君はちゃんと生きてる」
そんな事言うのはズルいじゃないか。
この影みたいな奴はズルい事ばかりだ。
急速に埋まっていく胸の内に、熱い何かが溢れて堪らない。
顔も熱いし、頭も熱い。
我慢出来そうになかった。
「うぅ……うぁぁああああああ」
ルクタイールは真っ暗な腕に抱きしめられながら、声を上げて泣いた。
ーーーーーーーーーー
「もう……最悪……」
「最悪か。そりゃあ最高にウケるね」
「うるさい」
どれくらい経っただろうか。
背後から抱きかかえられたまま暫く泣いていたルクタイールは、照れ隠しにルルの腕を振り払った。
「おっと……元気だなぁ。まあ、元気が出たならそれで良いや」
「…………驚いたわ。貴女って結構人間らしいのね」
「ははは、元人間様に言われるなんて光栄だなぁ」
そう言ってわざとらしく頭をかく彼女に、ルクタイールは何だか肩の力が抜けて一つ息をついて立ち上がった。
見てみればお互い血塗れで、乾いた血液と土が所々こびりついて気持ちが悪い。
これはどうしようかと悩みそうになって、魔力でどうにでもなるんだったと気がついた。
ルクタイールは自分の身体と服を綺麗にしてから、少し前の事を思い出して少し照れくさそうに礼を告げた。
「慰めてくれたのよね……それに、私の悩みを解決してくれた。ありがとう」
「どういたしまして。もしまた君の元気が無くなったら私が痛みをあげよう。そうしてそれから、また泣いてる君の頭を撫でてあげるよ。泣いてる君は可愛かったからね」
ムカつく黒い胴体を「うるさい」と軽く殴れば、彼女は「冗談さ」と言って笑った。
彼女のそんなお調子者な所も、今なら少し好きになれる気がする。
そんな所で、そういえばとルクタイールはずっと気になっていた事を尋ねてみることにした。
「ねえ……どうしてそこまでしてくれるの?今日会ったばかりの私に」
「うーん……そうだなぁ……」
ルルは考え込むような仕草を見せてから、ルクタイールに振り返った。
「君の事が好きだからかな」
「……はあ?私は真面目に聞いてるのに」
「私は本気だよ」
ドキリとした。
直ぐ目の前に綺麗な黄金があったからだ。
「ちょ……ッ」
息がかかるような距離で見た彼女の顔に思わず退けぞれば、いつの間にか背中に回されていた彼女の腕に阻まれた。
「君を一目見た時から気に入っちゃったんだ」
「ば、ばか!!知らない!!」
「ふふふ、返事はまた今度で良いよ」
真剣な声と真っ直ぐな瞳を見て思わず突き飛ばしてしまったルクタイールは、こいつはわけの分からない胡散臭い奴だと頭を振って自身を落ち着かせた。
けれど何故か気分が落ち着かなくて、あの綺麗な黄金色とさっき言葉が頭から離れない。
気がつけば痛みがなくたって生きていると実感出来る事に、ルクタイールは頬が熱くなるのを感じて顔を覆うのだった。
こうして、一人の少女のとある葛藤の物語は一応の帰結を迎える事となる。
この二人がこの後どのような関係になるのかはまた別のお話で、けれどもきっと、最後にはハッピーエンドが待っている事だろう。
利己的で、盲目的で、とても人間的な、そんな物語。
「さ、勝手に抜けてきちゃったからきっと皆心配してるよ。こんな所にいないで早く戻ろう。全く何処なんだいここは」
「あんたが連れてきたんじゃない……」
「そうだったっけ?」
「そうよ!」
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とある組織の地下施設にて。
五人の侵入者が薄暗い通路を、一人のボロ切れを纏った子供を連れて歩いていた。
ボク、マチルデ・デミトロと以下四人。何時もの愉快な仲間達だ。
今ボク達が何をしているかというと、アリス様達が訪れる予定の街に先回りして事前調査をしていたら、ちょっとよろしく無い事をしている組織の地下施設を見つけたからアリス様達のお邪魔にならないように潰しに来ていた所だ。
ボロ切れを着た男の子は、途中で檻に入れられてたのを見つけて助け出したんだ。
何にも言わない無口な子だけど、もしかすると私達みたいな裏奴隷かもしれないから後でヘデラ様にお話しなくちゃいけない。
「アリス様達、この街にはいつ頃到着しそうかな?」
「二日後くらいってタマちゃんが言ってた」
「ゴミ掃除。二日あれば余裕」
「アリス様達が滞在するご予定のお屋敷の準備もあるんですよ。今日中には片付けておきたいところです」
「ちゃんと掃除しておかないとね。あの取り替える予定のカーペット新しいのは何色が良いと思う?」
「はい!はい!ピンクがいい!」
「うーん……ピンクのカーペットなんてあるかなぁ?」
「ええ〜ピンクがいい〜」
「はぁ、皆燥ぎ過ぎじゃない?私は囚われていたこの子を……」
「クティ……?」
いつも通りお喋りしながら歩いていると、ふと、クティの声が不自然に途切れた。
不思議に思って振り返れば、連れて歩いていた子供がクティの胸元に小さなナイフを突き立てているのが見える。
やられたなぁ、どうもこの子供は囮だったようだ。
ナイフまで持っていたなんて……予想外だった。
「ハハハッ!馬鹿が!…………え……?」
子どもはクティから離れると、したり顔で罵声を浴びせようとしたようだったけど、クティの様子がおかしいのに気がついたようだ。
「ああ……血が出たぁ……」
クティは自分の胸元に手を当てて流れ出る血を掬うと、それをうっとりとした表情で眺めていた。
こうなったらもうお終いだ。
「な……何が……ッ!?僕は確かに今!!」
心臓を刺したつもりだったんだろう?
残念ながら、ボク達は心臓を刺されても死なないんだ。
ああ、せめて相手がクティ以外だったら良かったのに……。
「ねえ!ねえねえねえ!!血が出た血が!!血が出た!!切れたわ!!血が出てるわ!!見てよこれ!!血が!!血!!アハハハ!!痛いの!!痛いわ!!痛い痛い痛い痛い!!アハハハ!!」
「ああ……何て事でしょうか……」
「はぁ……やっちゃったわ……」
「ねえ、またクティが壊れたよ」
「壊れたねぇ」
「マリンこっち。巻き込まれる」
ボク達は壁際の隅によって狂ったように笑い声をあげる彼女を眺めた。
このクティを見るのは四度目だ。
一度目は模擬戦中に、二度目は魔物討伐中に、そして三度目は町中で悪漢に襲われた時……あの時は大変だった……思い出したくもない。
「アハハ!!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!痛いよ!痛い痛い!!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いアハハハハハハハ!!」
クティの大声に釣られたのか、隠れていた悪い組織の人達がゾロゾロと集まってきた。
「な、何だあいつ。気が触れ……ングッ!ギィヤァアアアアアア!!!」
「は……?な……に……」
「え……」
武器を担いてやって来た男達は、片っ端からクティの餌食になっていた。
「アハハハ!痛いから、痛いから悪いのよ。ええ、当然よね。痛いもの。血が出たし、痛いから殺すわ!ルル以外が私に痛みを与えるなんて許さないし、殺すわ!もっと痛いのが欲しいけど、痛いのは嫌なの!!アハハハ!!だから殺さないと、ええ、全員殺す。だって痛いもの!!当たり前よ!痛いもの!!アハハハハハハハ!!」
クティの戦闘方法は至って簡単だ。
彼女は武器を上手く扱え無いし、ユリアやララ程魔法も得意では無い。
ならどうするかというと、素手で殴りつけるのだ。
大陸東部に武道っていう武器を持たない戦闘格闘術があるって聞いた事があるけど、きっとそんな立派な代物じゃない。
彼女がやるのは相手に突撃してただただ殴ったり蹴ったりを繰り返すんだ。
そう聞くとショボそうに思えるかもしれないけど、実際は違う。
彼女に殴られると鉄の剣が粉々に砕けちゃうんだ。
おまけに身のこなしも凄い。
なんでもルルが色々教えたらしくて、そのおかげで吸血メイドの戦闘力ランキング近接編でいつも十位をキープしている。
「な、何なんだよ!!何なんだよお前ぇええ!!」
「アアアア!!来るな化け物がぁあああ!!来る……ゴポ……」
そんな彼女が暴れればそれはもう地獄絵図なわけで……。
「どうしましょう……」
「自業自得」
「私しーらない」
「うーん、ボクも」
「ルルちゃんがいればなぁ」
「収まるまで待つしかないわ。巻き込まれたく無いわ」
「そうですよね……はぁ……私ルルさん呼んできます」
ボク達はずっと人らしく在りたかった。
気がついたら人らしいモノを失っていた。
そうする事でしか、人で居られなかったんだ。
死ぬ事も生きる事も苦痛なんだとしたら、一体何に縋ればいいと思う?
ボク達を化け物だと思うなら、この世界はずっと酷い、地獄の底だよ。
醜いものを見ないふりする世界で悠々と生きていく事が正しいんだとしたら、ボクは人らしさなんて要らない。
全ての人が自由な思想と価値観を持って幸福に生きていくには、その外側に絶対的な基準が在るべきなんだ。
誰にも壊れない、届かない、見ないふりをする事ができない、従う事で皆が幸福を知れるような、そんな基準が。
幸せな事に、ボク達にはそれがある。
誰にも侵すことの出来ない頂きが、誰しもが尊ぶべき存在が、確かな基準でいてくれる。
だからこそ、この世界の遍くにアリス様という存在を刻みつけるべきなんだ。
ボク達がそうであるように、きっと皆が幸せになれると思う。
でも、とっても悲しい事に、世界はそんなに単純には出来てないし、人は何処までだって自由に貪欲だ。
人は幸せを直ぐには見つけられない癖に、不満は何にだって感じられる生き物なんだよ。
争いが嫌だからと言って争い合うし、誰かを守る為に簡単に誰かを殺してしまう。
欲望に忠実で、権力に陶酔していて、優劣が全てで、自分以外の価値観を簡単には肯定出来無い。
自らの人生を見つめる余り、本当に手に入れたかったものを直ぐに見失ってしまう。
悲しい哀しい生き物なんだ。
だからせめて、醜いモノを素手ですくい上げて、丁寧に洗い流して、優しく眺めて、それからその中に美しさを見いだせるような、そんなものを人間らしさだとボク達は呼びたい。
悩んで、足掻いて、泣いて、笑って、叫んで、押し殺して。完璧でなくて、歪で、弱くて、不安定な感情こそが人なんだよ。
せめて、そんな感情を笑顔で頷いて受け入れられるような世界に、ボク達はしたいんだ。
そんな世界をアリス様に見せて差し上げたいんだ。
それがボク達の願い。
まあ、何を言いたいかというと
「アハハハハハハハハハハハハハ!!!もっと痛くして!!もっともっともっとッッ!!ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!私を痛くしてから死ねえええェェエエエッ!!」
……彼女、本当はとっても良い子なんだ。
普段はしっかり者のお姉さんって感じで、世話焼きで、人一倍他人に気を使って……。
かと思えば、案外可愛いものが好きだったり、甘いものに目が無かったり、ちょっとだけ抜けてたり、そんな可愛い一面もある。
最近はいつもルルと一緒に居て、二人っきりの時のクティは何だか人一番可愛い気がする。
素敵なお姉さんなんだ。
ただ、ちょっとだけ変わってるというか……何と言うか……。
大きな痛みを伴うような傷を受けると人が変わるんだ。
ボク達吸血鬼は痛みなんて感じないのに、彼女はそれを幻の痛みとして感じるようになったらしい。
不思議だ。
何でそんな事になったのかは知らないし、心配になってコソッとヘデラ様に相談したら物凄い苦笑いを返された。
ルル曰く「クティちゃんを痛めつけてええのはワイだけや!他の奴がしたら恐ろしい目にあって殺されるで!」……とか、なんとか……。
全く分かんないや。
「ああああああアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!しねッ!!死ねッ!!死ねぇええええッッッッ!!!!」
……。
兎に角、彼女だってボクだって、今はとっても楽しいしとっても幸せだ。
幸せな日々がいつまでも続きますようにって心から思える今が、ボクはとってもとっても好き。
例えボク達が化け物だと言われて剣を向けられても別にいいんだ。
それだって、その人にとっては正しいのかもしれない。
それだけで悪人だと決めつける事は出来ないから。
だから、その時は向けられた剣を叩き折って、話が通じるようならアリス様の素晴らしさを皆で一日中言って聞かせてあげるんだ。
とっても良いアイデアだよね。
「アハハハハハハハハハハハハハッ!!アハッ!!イキテルッテ、サイッッッコォオオッッッ!!!」
…………。
……まあ、今は無理だから、アレに巻き込まれないように隅っこで大人しく見てようと思う。
ボクは、痛いの嫌いだからね。
こんにちは作者です。
このサイドストーリーは『空の境界』という作品の『痛覚残留』というお話から着想を得たものです。
「痛みを感じないというのは身体が無いのに等しい。つまりは生の実感すら得られない」
そんな意味の言葉が強く印象に残っています。
人は痛みを知って成長すると言いますが、余りに過ぎた痛みは彼女達に何を残したのでしょうか。
きっと成長という言葉で表現しきれない、もっと大きなものを得られたのだと私は思いたかったのです。
そんなわけで長いサイドストーリーになってしまいました。
次回からは本編に戻ります。
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また気が向いたら読みに来てくれると嬉しいです。