アリスさん、人が集まり住めば街なのだと知る
大人が嫌いだった
何食わぬ顔で言った、薄っぺらい言葉にひどく頭痛がして
笑顔で手を差し出すような、優しい言葉にも息が詰まる
都合の良いものを全て正しい事にしてしまうような
そんなものが、私は嫌いだった
何時だって、小さな声を暴力のように塗り潰してしまうのは
簡単に人を言葉で殺せてしまえるような大きな声だ
汚いモノをただ汚いとだけ言って燃やしてしまえば、綺麗なモノだけが残るなんて
そんな風に
滲んだ声を殴りつけて、踏みにじるような、意味のないモノに価値をつける大人が
私は大嫌いだった
腐ったように澱んだ夜を吸い込んで歩く街は、何処もかしこも、何一つ変わらない
息苦しい雑踏に紛れて、今日も生きた心地を探して彷徨えば
濡れたランプに揺られて、行き交う衆人が不気味に笑った
ふと、ゴミのような街角に、置き去りにされたあの日を見つけた
雨に打たれ、泥に塗れ、光の無い目で見つめる先はきっと明日では無いのだろう
そんなモノにすら、私の濡れた心は硬く打って、冷たい生きた心地に体を震わせる
だから、血にまみれた小さなその手を取る事も、今の私には叶わないのだろう
そんな自分が、今は死ぬ程嫌いだ。
『引き伸ばす停滞』より
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人はいつだって、自分が思い込んだ人生の困難の端々に物語性を求めてきた。
自分の人生が少しでも輝いてみえるように、そこに意味と理由を探すのだ。
人は兎角、理不尽や不条理という物を嫌う生き物であるから当然である。
何でこんな事になってしまったんだ!
こんなにも頑張っている自分が成功しないのはおかしい!
最近ツいて無いのは何か理由がある筈だ!
そうだ、全部妖怪のせいだ!
と。
他人に対してだってそうだ。
行動理由、思考、思想……それが目に見えないものであれ、何であれ、無責任に探求と関心を持つことが出来る数少ない動物なのである。
自分が生きているこの世界に大層な意味があると思いたいから、さも当然のように自分以外の全てのものもそうで無くてはならないと考えているのだ。
意味、理由の無いものなんて存在しない。
曖昧なものなんて、そんな理不尽は許せない。
全ての生物が朝が来ることを前提に生きているように、ともすれば、人はそうしないと生きていけないのかもしれない。
中には、共感という言葉で飾り立てた妄想を事実の物語として仕立て上げる者までいるのだから、あながち間違いというわけでもないだろう。
人の歴史なんて、どの程度が真実なのか分かったものでは無い。
勝手な事だと思うだろうか?
人の想像力というのは侮れないという事だ。
アルバート・アインシュタイン曰く、知識には限界があるが、想像力は世界を包み込むらしい。
皆も想像してみよう。
青い空。
白い雲。
眩く煌くお日様。
蒼く綺麗な湖。
風に揺れる森。
出来たての街。
何の話をしているのか?
私にも分からない。
「おーい、聞いているかアリス殿?」
そんな風に言いながら、隣に立ったソフィアが俯き気味だった私の顔を覗き込んできた。
金髪がサラリと靡き、綺麗な碧色の瞳と目が合う。
至近距離で見るキリリとした顔たちのその美人さんは、同性である私ですら、ついドキリと胸を打つような艶があった。
これがガチ恋距離と言うやつだ。
おこちゃまな私は大人びた彼女が少し羨ましい。
「はい。ごめんなさい……」
私は抱えたセチアの背中に口元を埋めるように、視線を下に逸しながら謝った。
別に彼女が怒っているわけでも、私が彼女の話を聞いていなかったわけでも無い。
「今日も良い天気だな。アリス殿、日差しは眩しくないか?」なんていう、何気ない、優しい気遣いが垣間見える紳士的な挨拶に返答をせずにいたのも、何とも筆舌に尽くし難いいたたまれなさに喉が言葉を紡いでくれなかっただけ。
そんな優しい言葉をかけられる資格なんて、私にはないのだから……。
なんて、ちゃちな言葉が思い付く程にはいたたまれない。
今だって、勢いとノリだけでやってしまった後の、止められた筈の何かを顧みて悔む気持ちで胸が苦しいのである。
つい先日、タマちゃんと一緒に大量の毒入りカレーを作るなんていう、意味の分からない恐ろしい事をしていたらしいが、それでも私達の中では一番の常識人だと思っている彼女の前で、「やっちゃったっ☆テヘペロ♪」と馬鹿みたいに開き直るのは、なかなかどうして難しい。
例えるならば、隠していた赤点のテスト用紙をお母さんに見つかった時のような心境だ。
勿論、ごく真面目で優等生的JKだった私には、そんな経験無いわけであるが、ついついごめんなさいが口をついて出てしまうのである。
仕方が無い。
「いや、怒っているわけでは無いのだが……」
ますます俯き気味な私に、困ったような微笑を浮かべるソフィアは何かを察したようで、やがて彼女は地平へとその視線を戻した。
きっと彼女だって複雑な気持ちだろう。
そう思いつつ、そろりと見上げた彼女の横顔は、眉を潜めた微笑みを浮かべて遠くの方を見つめていた。
なんて複雑な表情だろう、まさに苦笑といった感じだ。
そんな彼女の横顔から目を逸らすように、私は再び顔を伏せた。
さて、現状を説明しよう。
時刻は昼過ぎ。
私達五人と一匹は只今お城の一番高い場所に登って、そこからの景色を眺めていた。
昼食後にお城の屋根に登って景色を眺めるなんて、何て優雅な事だろうか。
きっとお姫様だってそんな事はしないだろう。
そう、優雅な事だ。
ゆったりしていて、のんびりしていて、長閑だ。
高所から眺める景色はそれが何処であれ、それなりに惹かれるものがある。
簡単に手に入れられる「何時もと違う景色」は、実感の大きい視覚的非日常だ。
普段過ごしている街だって、高くから見下ろせば容易く居場所を忘れてしまう。
見える視界が違うのだから、全く別の場所のように思えたっておかしくは無いだろう。
特別だと思うのはきっとそういう事だ。
大きい、高い、広い、小さい、遠い、形容は様々にあるが、その本質は一時の特別感と地上という日常への憧れだと私は思うのだ。
それを感じたいから、人は空に憧れるのかもしれない。
私とてそう。
高い場所からの風景は好きだ。
世界が少し広くなったように感じて気分が良くなる。
それが奇麗なものならば尚更胸を打つ。
雄大という言葉が最も似合うのはそんな時だと私は思う。
つまり何が言いたいかと言うと、「高い場所からの風景って良いよね」という事だ。
高所恐怖症でなければ、きっと大抵の人が頷いてくれるだろう。
人種性別関係なく、ひょっとすればそんな遺伝子が人間のDNAに組み込まれているのかもしれない。
しかして、今、そんな「高い場所からの良い景色」を私達は並んで眺めているわけで、それだけ聞けば、映えるしエモい、なんてこと無い昼下りの長閑な情景に思えるだろう。
正確には、俯いている私はセチアの頭越しにお城の屋根を見ているわけであるが、大まかな現状はそんな感じだ。
けれども如何せん、その「高い場所からの良い景色」が原因で、私は気分が優れずにいたのだった。
おかしな事があるものだ。
何故か?
俯いていた私は顔をあげると、側にいる皆を見た。
エディルアは興奮気味に燥ぎ、ヘデラは満足げに微笑み、ソフィアは複雑に苦笑し、タマちゃんは呆れた表情で煙草をふかし、セチアは私に抱えられながらお昼寝中。
寝ているセチア以外の皆が各人各様の様子で同じ風景を眺めている中、たまにモゾモゾと動くセチアの背中に顎を押し付けながら、チクリと痛む複雑な心に肩を窄める私も、ゆっくりと皆が見る方向へ視線を向けた。
そうして見た、視界の先に広がっていたのは、地平まで見渡せる雄大な風景だった。
憎いくらいに澄み切った青い空。
暖かな日差しを巻き上げて顔のそばを吹き過ぎる風。
何処かから聞こえてくる鳥の囀り。
陽の光を煌めかせる蒼い湖と、色とりどりの庭園、綺麗な緑色を風に揺らす森。
今日も今日とていい天気で、高所から見下ろすそれらは見ていて心地が良い。
けれども、そんないつも通りの落ち着く風景とは逆しまに、その向こう側に問題はあった。
問題はあったのだ。
あまりのギャップに、周囲を囲む森の切れ目が日常との境界のように思えてくる程、視界を少しでも上に向ければ目に飛び込んでくるそれ。
私が薄目で眺めるそこに広がっていたのは、何とも落ち着かない風景だった。
一言で言うならば、それは街だ。
紛れもなく街。
けれども、どうした事かな、一見して尋常で無いと言い切れるような街。
むしろ、街なのか何なのか分からなくなってくるような街。
何だそれは?と自分でも思う。
しかし、それ程に形容し難い街だった。
レンガ造りの可愛らしい平屋から、鉄筋コンクリートで造られたビル、果てはよく分からない巨大な塔まで、ありとあらゆるベクトルの建物が綺麗に区画分けされて建ち並ぶその光景。
ゴチャゴチャしているのに整っているようにも思えて、見ていてむず痒いもどかしさを感じる。
最早、目眩すらしてきそうな程にとっても奇天烈だ。
欧米風に言うならベリークレイジー。
例えば私が今向ている北側は、遠くの方を見れば前世で見た都心のようなビル群が広がっているのだが、けれどもしかし、少し視線をずらせば、水路が入り組んだように流れる木とレンガ造りのお洒落で可愛らしい町並みが、旗また、沼地に造られた木造高床式建築の建物群が、馬鹿でかい数本の樹に造られた幾つものツリーハウスが、スライドする視界の動きに合わせて生々流転と移り変わるような、星雲の如き街並みが広がっているのである。
建物から道まで全てが真っ黒な謎の物質で出来た区画があったり、全てが溶けない謎の氷で出来た区画があったり、マグマだらけの区画があったり、お花畑があったり、挙げ句は河が出来たり、山ができたり……と、地形だって変わっているのだから、高所から見下ろしたそれはまるで頭のおかしいテーマパークのよう。
かつてはだだっ広い平坦な草原が地平まで続いていたこの場所は、今やその面影なんて微塵も無く、驚き桃の木山椒の木な光景が広がっているのである。
察しのよろしい読者諸君ならばもうお気付きだろう。
そう、このトンチンカン極まりない街こそが、私達が三日で作りあげた街だった。
…………街って何だっけ?
そんな至極真っ当な疑問は一先ず置いておこう。
それよりも何よりも、びっくり仰天、まずは聞いて欲しい驚くべきはその施工時間。
何と、三日だ。
三日で何が出来るだろう。
新しい趣味にのめり込んで、飽きるまでが三日。
二泊三日の旅行にいけちゃう。
三連休なんてあっという間に過ぎてしまう。
この世界では三日あればこんなふざけた街が作れるらしかった。
驚きだ。
そして、只今私の心中を埋め尽くすのはこの街に対する少々ならぬ屈託である。
どうしてこんな事になってしまったんだろう?
ちとやり過ぎてしまったのではなかろうか?
と。
何せ、一目見れば誰もが「何だこのとんでも無い街は……」と、開いた口が塞がらなくなるような街をノリと勢いで作ってしまったのだから、皆私の気持ちなんて推して知るべしだと思う。
「いいや!御主人様達はちったあ加減ってもんを知るべきだなっ?反省しやがれ!」
私が静かにそのクレイジータウンを眺めながら感傷のようなものに浸っていると、メイド服が汚れる事も皺になる事も厭わずに、ぐでんと胡座をかいて座り込んでいたタマちゃんが、煙草をふかしながら何故か得意気な声色で叱るように言った。
私がゆっくりとその声に振り返れば、煙草を咥えたドヤ顔の彼と目があう。
可愛らしい顔なだけに、何だか物凄くムカつくドヤ顔だ。
何故得意気なのかは知らないが、彼の言う事は最もである。
止まる事を忘れたかぶき者達の愉快な始末がこの光景だ。
意味もなければ、理由も無い。
皆きっと同じ、楽しくなっちゃってやり過ぎちゃったに違いない。
つい楽しくなってうきうきで高層ビルを建てまくったりしていた私も、終わってから気がついたのである。
あれ?これ、やり過ぎじゃね?
と。
そして今、何ともいたたまれない気持ちになって反省しているのだ。
はしゃぎ過ぎちゃったな……。
と。
私の元気が無いのはつまりそういう事である。
自主的に反省中なのだ。
言った後にふうと吐き出した煙が風にかき消えるのを見つめるタマちゃんに私が何も言えないでいると、エディルアが皮肉るような悪戯っぽい笑みを浮かべて彼に言った。
「何よ、猛毒カレー作った人に言われたく無いわよ。ねぇ?アリス?」
と。
……ほう。
「うん」
私は即答した。
なる程、お互い様だ。
そう考えれば、ムカつくドヤ顔で皮肉を言われるのは何だか不平に思えてきた。
何せ、あのヘデラを一口で行動不能にさせたらしいマッドカレーを馬鹿みたいな量作った張本人なんだから、謎のドヤ顔でそんな事を言われたくは無い。
むしろ毒カレーの方が非道いかもしれない。
タマちゃんもちったぁ加減ってもんを知るべきなんだ。
…………ああ、否、そうか。
悲しいかな、最早私達の誰も、加減という物を忘れてしまったのかもしれない。
それとも、思い返せば元から誰も持ち合わせていなかったのかもしれない。
そんな気もする。
類友とやつだ。
「ンな゛……ッ!?」
不意をつかれたのか、急所だったのか、タマちゃんはそんな言葉にならない驚きと共に、咥えていた煙草をポロリと口から溢した。
落ちた煙草を慌てて拾い上げる彼を、私が複雑な心境で見つめていると、遠くの街を眺めるように視線を向けたままのソフィアが側で誤魔化すように笑った。
彼女もまた、毒カレー事件の犯人の一人なのだ。
「は、ははは。しかし、この景色を数日で造ってしまったのは流石というか……何と言うか……驚きだな。ああ、見た事の無い超美しい風景じゃないか。なあ?」
………………まあ、多少広すぎる気がするが
誰となく、独り言のようにそう言った彼女が、呆れとも慰めとも逃避とも取れるような口調で最後に小さくそう付け加えたのを私は聞いた。
多少広すぎる気がすると、彼女はそう思っているらしい。
多少広すぎる気がする……。
そんなそんな事は断じて無い。
私は断言できる。
多少でも、気がするでも無く、広すぎるのだ。
「でしょう!どんな街並みにするか話し合ったんだけど、何時まで経っても決まらないから、いっその事皆で好き勝手に作る事にしたのよ!ほら、あの黒くて超格好良い一帯は私が作ったの!」
そう言って、ご機嫌な様子でソフィアに詰め寄るエディルアが楽しそうに街の一角を指差した。
このお姉さんがうきうきで作っていた、真っ黒な謎の物質で出来た謎の街だ。
彼女はあいも変わらず黒いものが大好きらしい。
そして、そんな彼女のアバウトな説明から推測される通り、この街での一番の問題を挙げるとするならばその広さである。
そう、広すぎるのだ。
千数百人であーでもないこーでもないと意見を交わし合う事数時間、話し合いに飽きてきた私が「もう皆で思うように好き勝手作ったら良いんじゃない?土地なんて有り余ってるし」なんて適当な事を言ってしまったが為に、千数百人の吸血鬼達プラス私とエディルアとヘデラが各々好き勝手に色々な物を作った結果、端から端まで直線距離で歩いてまる三日以上かかる馬鹿広い街が出来上がってしまったのである。
東京ドーム何個分かは分からないが、取り敢えず、お城のてっぺんからは街の端っこを見る事が出来ないくらいには広い。
死の森とリアデの高い山脈の間に広がる草原の殆どを埋め尽くす勢いなのだ。
美しいかどうかは分からないが、この世界のどこに行ったって、こんな奇天烈な風景はきっと見られないだろう。
「そ、そうか…………何というか…………い……いい感じだな!」
「ソフィアは見る目があるわね!」
「広すぎんだいっ!!いったい何人住むってんでえ!?バカばっかだなあ」
そう、馬鹿である。
この場で一番の常識人はきっとタマちゃんだと思う。
しかし悲しいかな、非常識人の勢いが強すぎるのだ。
「何を言いますか、正にアリス様の国に相応しい広大で立派な街並みで御座います。後は城壁と、街の外壁を造るだけですね」
「……本当にそう思ってる?」
「勿論で御座います。完璧と言って差支えないかと」
褒めているのか何なのか、あまり嬉しく無い事を言い出すヘデラに私が尋ねれば、彼女は満面の笑みを浮かべて頷いた。
確かに広大だし、立派と言われればそうだろうと頷ける。
彼女はこれで完璧なのだという。
完璧……。
……否、もう考えるのはよそう。
あれこれ言った所で、結局は作ってしまったものは仕方が無い。
こればかりはもう開き直る他無い。
更地にして無かった事にするのは簡単だが、皆でワイワイ作ったものをぶち壊すのは気が引けてしまうし、元奴隷の吸血鬼達が既に各々好き勝手に暮らしているのである。
そう、後の祭りだ。
だから私はより一層どうしようもない感情に胸がチクチクするのであるが……。
とは言え、人口密度が低すぎて勿体無く感じてしまうという事を除けば、案外見ないふりをする事も出来るもので、言うなれば、そう、それこそ何かのテーマパークなのだと思えば気になる事もさして無いのも確かなのだ。
よくよく考えてみれば、無駄が多過ぎる事を除けばそれと言って問題は無いのである。
人が住むにはなんの問題も無いのだから、街として完璧と言っても差支えないのかもしれない。
そんな気がしてきた。
ノリと勢いに任せてふざけ過ぎた結果、千数百人が暮らすには桁違いの規模の街を作ってしまったが故、私の中の常識という名の良識が呆れかえっている事に、些かの気まずさを感じているというのが私の現状である。
つまり、私が今とるべき最善は気にしない事だ。
気にしない。
精神の安定をはかるのである。
「気にしない事にしよ」
そんな私の呟きが聞こえたのか何なのか、タマちゃんが皮肉った様子で私に話しかけてきた。
「ヲぉ?アリス様よォ……こんな馬鹿広えの作ってどうすんだい?んん?街の九割以上がモデルルームかァ?売りに出す気かァ?」
口調はチンピラのそれなのに上手い冗談だ。
そしてムカつく。
「……ほら。あの……これからきっと住人も増えるんじゃ無いかなって」
「……ほぉん。この街に人が増えると?どっかから移住してくるってえのかい?」
「……多分」
「多分?」
「私の魔法のおかげで移動も楽ちんだし、税金も無いし、テーマパークみたいで面白いし……」
「ははぁん……テーマパークねぇ……そりゃあ、あの踊り狂うマグマ地帯とか、グロテスクの塊みてえな色した沼地とか、馬鹿でかい氷山とか、先が見えねえ程高い塔とかの事かァ……?」
「むぅ……そうだけど……」
「あぁ、確かに。確かに面白えなァ……大繁盛だろうなァ……テーマは何なんだい?地獄?」
「…………んん〜ッ!もうっ!タマちゃんのばか!あほ!そんな火の玉ストレートばっか!言われなくても分かってるよ!」
「はっはっは!!加減を知れってんでいっ!!」
「さっきから何でそんな得意気なの!!カレーで人を殺しかけたタマちゃんに言われたく無いよ!」
「俺ァおじさんだからな!おじさんってえのは、手前の事なんて棚に上げんのさ!」
「意味わからないし!ばか!」
なんて、気づけば言い争いを始めていた。
思えば、彼と知り合ってそう経っていないのに、随分と気兼ねが無くなってきたように思う。
少なくとも私はそう思っている。
今日の彼は特にそうだ。
きっと機嫌が良い日なのだろう。
こんなしょうもない言い争いが出来る程仲良くなったのだと、私は幼稚な悪口を彼に言いながら、けれどもとても嬉しく思う。
所で、彼の中身は本当に52歳のおじさんなのだろうか?
彼の幼稚な部分を知っているからか、甚だ疑問である。
「あらあら、喧嘩しちゃ駄目じゃないの。住人が少ないっていうのなら、これから増やせばいいのよ。アリスの国ですもの、きっと直ぐに増えるわ。取り敢えず、私の『邪悪なる者達』でも住まわせるかしら?」
私とタマちゃんのしょうもない言い争いを傍に、エディルア呆れた様子でそんな事を言う。
何だろうかと思い彼女を振り返れば、空に向って片手を掲げながら何かを唱えているではないか。
それだけ見れば彼女の凛とした雰囲気と相まって、何だか様になっていて格好良い。
まるで魔法使いか何かのようだ。
何をしているのかは知らないが、私も今度魔法を使う時に真似してみようと思う。
それはさて置き、何だか聞き慣れない恐ろしそうな単語が聞こえた気がしたが、気のせいだろうか……?
なんて事を思っているのも束の間、突如として空が暗くなったかと思うと、目の前の中空に闇が出現した。
厳密には、宙に浮いた境目が不安定な真っ黒の何か。
私はそれを闇と呼んでいる。
このドラゴンさんはちょくちょくわけの分からないこの闇を作り出すのだ。
人を消し去る時、魔法を使う時、物体を作り出す時、陽が眩しい時、などなど……。
そんな闇大好きドラゴンお姉さんなのである。
しかし、今回のそれは何時もの見慣れたものとは決定的に何かが違った。
彼女が掲げていた手を下ろした瞬間、心臓を鷲掴みにされたかのような不快な衝撃が辺りに広がった。
例えるならば、彼女と初めて出会った時感じた、背筋が凍るような感覚。
久しく忘れていた恐ろしいという感覚。
突然の事に、私が唖然とそれを見つめていると、すぐ側から誰かの息を呑む音が聞こえた。
空に生まれた闇がゆっくりと大きくなってゆくにつれて、世界の音が止み、高く、低い、歪みのような不快音が次第に大きくなってゆく。
それは、この世の全てであり虚無だった。
光さえ届かない程の無。
光さえ通さない程の全。
知ってはいけない。
見てはいけない。
どうしても説明出来ない闇。
私が真祖の眼で見たそれの名は「世界の深淵」。
そんなよく分からないモノを、このお姉さんは出現させたらしかった。
驚いて飛び起きた後、私の腕の中で丸まったままぷるぷる震えるセチアを撫でながら思う。
突然何をしているんだろうこのドラゴンさんは……恐ろしい……。
と。
久しぶりに鳥肌が立った。
否、この世界で生まれて初めてかもしれない。
忘れがちだが、彼女は黒死の暗黒龍なんて言う世にも恐ろしそうな名前の超強いドラゴンさんなのだ。
きっと彼女はこうして、その事をたまに思い出させてくれているのだろう。
しかして、そんな超凄いドラゴンお姉さんの奇行はこれで終わるはずも無く、お次はそのよく分からない闇から何かがゾロゾロと這い出てきた。
押し合いへし合い、次から次へと現れるそれは幾つもの黒くドロドロと流動するヘドロのような粘液の塊である。
形の定まらないそれらは、液体にも関わらず個々に意思を持っているかのように蠢き、不快に黒い粘液を滴らせながら宙に浮いていた。
そんな不気味な塊が数百、空を覆うように現れたのだ。
驚きの気持ち悪さである。
数百の蠢くコールタールの塊のようなものがネバネバと糸を引いて滴っているその光景は、またしても鳥肌が立つ不快さだ。
何てものを召喚しているんだろうこのドラゴンさんは……。
私がその気持ち悪さに戦慄していると、やがて、それらを吐き出していた闇が揺らぐように消え、暗くなっていた空が晴れた青さを取り戻した。
それと同時に、蠢いていた黒い粘液が一斉に流れ落ちるように消えると、その内側からまた別の何かが姿を現した。
それらは、一見すると人のように見えるものから、怪物のようなものまで、大きさも姿形も様々で、共通している所と言えば、皆一様に黒いという事くらい。
きっと、さっきエディルアが言っていた『邪悪なる者達』とは彼らの事なんだろう。
彼なんだか彼女なんだか分からないが、確かに、皆怖そうで悪そうな見た目をしている気がする。
幸いなのは、その大体が意思疎通出来そうな見た目をしている事だろう。
ドロドロ粘液の塊のままで無くて良かったと、私は胸を撫でおろす。
一方、私がそんな一連の驚きの光景を目の当たりにしつつ、ふと隣を見るとタマちゃんが白目を向いてひっくり返っていた。
何てこった……可哀想に。
「貴方達は今日からこの街で暮らしなさい。仕事は私とアリスの国を守る事よ」
「「「「「「……ま?」」」」」」
「大丈夫よ。貴方達の手を借りるような事は無いでしょうから、自由にしていていいわ。あと、私のアリスを悲しませるような事をしたら許さないから。皆仲良くするのよ。以上!」
「「「「「「あーい」」」」」」
エディルアが言うと、彼らは声を合わせて何ともまの抜けた返事をし、あっという間に辺りに散らばって行った。
要訳すると、どうやらこの街に数百人程、住人が増えたらしい。
「何ですか、今の方々は?」
「邪悪なる者達。世界の深淵って呼ばれる場所の奥深くに引き篭もってる奴らよ。楽しい奴らだから安心してちょうだい」
「なら大丈夫ですね」
「な……何かとても恐ろしいものをみたような気がするのだが……。本当に大丈夫なのか?寒気が止まらないぞ……」
「あら、ソフィアは心配性ね。大丈夫よ、あの子達も暗い所が大好きですもの。きっと吸血鬼達とも仲良くできるわ」
「そ、そうか……」
そんなエディルア達の話を聞きながら、私は何だか街が広すぎるだとか奇天烈だとか、そんな事はどうでも良くなってきた。
きっとなるようになるだろう。
否、私がどう願おうとなるようにしかならないのだ。
今までだってそんな感じで過ごしてきた気がするし、今が楽しければそれで良い。
私の持論である。
今夜は街の完成お祝い会らしいし、取り敢えず新たに増えた住人を歓迎しようじゃないか。
エディルアの知り合いならきっと仲良くなれるはずだ。
そう考える私は、取り敢えず、ぶっ倒れて気絶しているタマちゃんを起こすべく、しゃがんで彼の頬をひっぱたいた。
「タマちゃん。起きて」
「……ッグェ!……アァ!?痛ってえなァ畜生めいっ!!」
「起きた?」
「……あァ??何で俺ァぶっ倒れてんでえ?」
「燥いで転んで頭打って気絶してた」
「…………そんな馬鹿な……」