閑話 タマちゃんの退屈1
アリスを始めとする、吸血鬼達がとんでもスピードで国づくりに勤しんでいる間、手持ち無沙汰に嘆いている男がいた。
「あァ〜……暇だァ……」
馬鹿に広い団欒室の中、一人きりで黒いファブリックのソファーに肘を立ててだらし無く寝転がって、煙草の煙をふかしながら無気力に呟く彼。
本名を玉垣源十郎、通称タマちゃん。
彼は暇だった。
遡る事ニ日前。
吸血鬼達が国を作ると言い始めた翌日の事だ。
アリスやヘデラは勿論、エディルアも国づくりに加わる中、しかし、彼女達のように、魔法を使って建物を建築する事など出来なければ、見た目通り、非力な子供程度の力しか持ち合わせていない彼は「工事現場の近くで遊ぶと危ないから」という理由で、城から出る事を禁止されてしまった。
確かに、彼のような子供が工事現場の近くで遊ぶのは危ない。
全く持ってその通りだ。
役立たずは大人しくしていろという、事実上の戦力外通告である。
そんな、まるっきり子供扱いした言い草に、馬鹿にされているような、仲間はずれにされているような、少しの心寂しさを感じた彼だったが、それと同時に、何だかまるで娘達が自分の身を案じてくれているかのように思えて、嬉しいようなムカつくような、兎に角、どんな建物を建てるのかとワイワイ話すアリス達を見て、なんとも微笑ましく思えたものだ。
自身を精神的にはアリス達の誰よりも年長者だと確信している彼の事だ。
何時しか、心の中では彼女達の保護者気分だったのである。
というか、細っちい子供の身体で土方仕事など死んでも御免だったので喜んで留守番を引き受けた。
何故か彼を気に入りまとわりついていた獣人の少女も類に漏れず、「タマちゃんと私の家を作る!超大きいの!」と喜び勇んで何処かへ飛んで行いってしまった事もあり、数日ぶりに訪れた独りの時間に彼は少し心が踊った。
所で、彼は自分と仲良くなりたいらしいその少女の事を憎からず思っていた。
出会った当初の彼女を知っているだけに、今の楽しそうな彼女を見れば尚更そう思えてならない。
楽しそうに笑って、犬のような耳と尻尾をフリフリ駆けていくその少女に、彼は騒がしいものだと呆れつつも自然と笑みが溢れた。
それが、彼は心から嬉しかった。
それは彼が必死に考え抜いて、一度は諦めてしまった光景だったから。
最初こそ何故かガッチリと自分の背中に張りつき離れない彼女に面食らったものだが、忙しなく燥ぐように喋りかけてくる彼女の相手をしている内に、まるで自分にとても懐いた孫か、はたまたじゃれ付いてくる大型犬か何かのように思えてきて、なんとも微笑ましいものだった。
誰であれ、他人から好意を向けられて悪い気はしないだろう。
それが彼女のような少女なら尚更だ。
悲惨な運命を乗り越えて、今を明るく笑っていられる。強くて、眩しい彼女に認められている気がして彼は嬉しいのだ。
出会ってから一日も経っていないというのに、アリス達と同じくまるで自分の娘のようにさえ感じるのである。
彼は気が付けば、年齢も、見た目も、性格も、何もかもが違えども、今はもう会うことすら叶わない実娘を何処か彼女達に重ねていた。
代わりというわけでも、感傷を懐かしんでいるわけでも無い。
ただただ、娘のようだ。と。
それが自身のものであれ、人の気持ちなんて難しい事は分からないが、それでも、その事に気がついた彼は呆れと共に微笑ましく思った。
前世の過ちを未だに心の端っこで燻らせている。
それが執着では無くて思い出のようなものだと分かっているから、脆くて、自分勝手で、他人からすれば愚かしいとさえ思われるかもしれないそんな心を、彼は清々しく感じたのだ。
良いじゃないか、人間らしくて。
可愛らしいものだ。と。
荒んでいた頃の彼は、まさか自分がこんな気持ちを抱けるような人間だとは思わなかっただろう。
自ら選んだ死の先に、これ程人間的で優しさに満ちたものを知れるなどとは想像すら出来なかった。
前世の記憶を思い起こしてみれば分かる。
諦めと孤独に塗れて沈んだ、冷たくて、苦しくて、まとわりつくような闇の中にあった死を。
もういっそ、狂ってしまいたいと願い続けた日々と、どうしようもなく、壊れていく自分を呪い続けた毎日を。
自分から全てを奪っていった、屈辱と絶望に塗れた人の世の悪意を。
懐かしく、苦く、深い場所に仕舞いこんだそれらは、輪郭も覚束ない程に不思議と随分昔の事のように感じる。
何時か自分が壊してしまった、暖かくて、優しかった大切なもの達でさえ、愛おしいその姿を、今は鮮明に思い出す事も出来やしない。
目を閉じてみても、瞼の裏に映るのは薄らいだように朧げな思い出ばかりだ。
どうでもいい事。
糞程もつまらないし、誰かに語ろうなんてとても思えない。
一人の馬鹿な男の人生譚だ。
そんな前世の話なんて、今の彼にとってはまるで他人の日記でも読んでいるかのようだった。
過去の事では無く、前世の事だ。
そんなものに拘る事なんて、自分のようにへそ曲がりな人間には出来やしないのだろう。
そんな資格は、自分には到底無いのだから。
それでも、だからこそ、こんな自分を家族だと言って親しくしてくれるアリス達を見ていると思ってしまう。
今度は最後まで、ちゃんと父親でいよう。と。
そんな、弱くて情けない自分が、今はとても誇らしく思えるのだ。
今なら、面と向かってちゃんと謝れるような気がするから。
父さんは楽しくやってるぞ。
そう言って、笑えるような気がするから。
そんな彼は、取り敢えず、くっついていた少女が何処かへ行ってしまった事に、少し背中が寂しく感じた。
決して、背中に押し付けられていた柔らかい感触が無くなり、寂しく思っているわけでは無い。
基。
斯くして、あれよあれよと言う間に始まった吸血鬼の国作り工事の中、城に残されたのはソフィアと彼のみであった。
二人で留守番だ。
否、訪ねてくる者などいないだろうその場所に居て、それは留守番とは言わないだろう。
ただの暇だ。
休日みたいな日々の中の休日。
そんなおかしな言葉が思い起こされて、言い得て妙だと彼は心の中で自嘲した。
しかし、久方ぶりに過ごす独りの時間という物は、ここの所ずっとアリス達と一緒だった彼にとって魅力的なものだった。
紅一点の逆、ハーレムでも無ければ何とも肩身の狭そうな事だ。
可愛らしい少女にしか見えない彼であるが、中身は立派なおじさんなのである。
そんな彼が、若い娘達に囲まれて過ごすのに、全く気を遣わないと言えば嘘になる。
それも旅行中だ。
全くそうは見えないが、少なからず、数日でちょっぴり気疲れする程度のデリカシーと気遣いを彼は持ち合わせていたのだ。
深夜にも関わらず早速工事を始めるらしいアリス達を見送ってから、彼は直ぐに眠りについた。
否、気が付けば風呂の脱衣所のソファーで寝ていたのだから、その表現は間違っているかもしれない。
きっと、色々あって疲れていたのだろう。
どうも風呂から上がってそのまま眠ってしまったらしい。
翌朝目を覚ました彼は、真っ裸のままソファーで寝ていた自分を知って独り笑った。
しかして、ヒラヒラふりふりの可愛らしい部屋着に着替えた彼は、早速自分だけの自由な時間を満喫するべく団欒室へと向かった。
朝食も食べずにやってきた広い部屋の中、煙草とライターをテーブルの上にポイと置き、その側に置かれたソファーの一つに飛び乗るようにして寝転がる。
この城の中に於いて、最早彼の定位置となりつつある団欒室の黒いファブリックのソファー。
いつ見ても新品のように綺麗な布地を不思議に思いながら、寝心地を確かめるように暫くゴロゴロした後に、彼は読書を始めた。
この部屋にはアリスが暇潰しにと用意した物が沢山置いてあるのだが、その中でも本はちょっとした書店程の数がある。
壁にズラッと並んだ大きな本棚の中から、帯に書かれた「超傑作」の文字につられ彼が選んだのは、何とかという有名な作家のミステリー小説だった。
読書は良い。
人は本から多くの事を学ぶ。
それが、インターネットという便利な物が普及した彼の前世であっても、娯楽と教養を同時に満たせてしまえるとても明哲な行為だと彼は思っている。
その考えからいけば、物語や小説を読むのが好きだと言うアリスは良い趣味をしていると言えるだろう。
今時の若い子はスマホがあれば全て事足りると思っていた彼が、アリスがオススメだと言って取り出した本の多さに感心したのは記憶に新しい。
彼はソファーにうつ伏せで寝転がると、クッションに顎を乗せて、時折片手で持った小さ目の酒瓶をちびちび呷りながら、もう片方の手で開いた本を眺めた。
何とも行儀が悪い事だが、今の彼を注意する人間など居はしない。
今、この城にいるのは、昨夜から自室で何やらやっているらしいソフィアと彼だけだ。
暫く、この部屋にはきっと誰も訪れないだろう。
そう高をくくる彼は、思う存分に自堕落な時間を過ごしてやろうと思っていた。
だいたい何時も彼はこんな感じなのだが、気にしてはいけない。
今の彼は特にぐうたらなのだという事だ。
ペラリとページを捲るだけが、広い部屋に静かに響き、その淋しさが耳に心地よい。
大きな窓から差し込んだ朝の白明るい陽の元で、静かにじっくりとページを捲り読み進める。
そんな穏やかな時間に、彼は酒が進んだ。
暫くして、けれども彼はため息を漏らしながら、栞も挟まずにまだ数ページしか読んでいないそれをパタンと閉じてしまった。
別に小説の内容が気に入らなかったわけではない。
どうにもモヤモヤとした焦燥感とも取れる不安が鬱陶しく思考の邪魔をしてきて、なんだか落ち着かないのだ。
本の内容など、人が死んだ事くらいしか頭に入ってこない。
彼は気怠そうに起き上がると、テーブルの上に置いた煙草を一本抜き取り、それを咥えて火を着けた。
紫煙を燻らせながらゆっくりと煙を口に溜め、深く吸い込んでからゆっくり吐き出す。
すうっと吐き出されたそれがゆっくりとかき消えるように辺りに広がるのを眺めながら「ここは喫煙しても良かったんだったか……」なんて事を考えつつ、彼はモヤモヤとしたその気持ちの理由を直ぐに覚った。
何かをしたい。
読書では無い、ダラダラゴロゴロする以外の何かを彼はしたいのだ。
独りの時間を思う存分ダラダラと自堕落に過ごしてやろうと考えていた彼だったが、いざそうしてみると、罪悪感のようなものがゆっくりと滲み出てきたのである。
幾ら身体が子供だから、危ないから城から出るなと言われた所で、見た目にそぐわず中身はおじさんな彼からすれば、娘も同然に思っているアリス達が働き回っている中で、自分だけ何もしないのは何か癪に障る。
一度そう思ってしまえば、何とも落ち着かなかった。
しかして、彼は灰皿に出来るような物を探しながら、ふと、掃除でもしてみるかと思い立った。
元々、助けて貰った恩を返す為に、この城の種々の管理を手伝うと言ってヘデラの奴隷としてこの場所にやって来た彼であるが、今の所何かを手伝うどころか、一般に働くと言われるような何かをした事など一度もない。
そう、一度もない。
彼の名誉の為に言えば、何度か彼はヘデラを手伝おうとした事があった。
料理然り、掃除然り、庭の手入れ然り……。
しかし、その度にヘデラはその申し出をやんわりと断るのである。
「今は特にする事はありませんので、また後で。何か用があれば言いますね」と。
結果、これまで家事や雑用は彼女が一人でその全てを完璧に熟していた。
彼女の魔法を使えば全て片手間で片付いてしまう上、彼女は一人ではないのだ。
ぶっちゃけて言えば、タマちゃんの手伝いを必要とする事など無いに等しかった。
彼はその度に「お、んならぁ……アリス様の遊び相手でもしてやるかァ……」などと言いながらも、「何にもしねえで日がな一日ダラダラゴロゴロと……ハハッ……今のオレぁ、まるっきりぐうたらな駄目男じゃあねえか……」と、少しの自己嫌悪に苛まれるのである。
実際、他人から見た彼の日々は駄目男やヒモ男と呼ばれるそれに相違ない。
否、お屋敷に贅沢三昧で養われているお子様以外の何ものでもない。
誰も何一つ気にする事は無いのだが、彼はそれがどうにも気に入らなかった。
彼には彼なりの矜持やプライドというものがあるのだ。
確かに、身体は何処にでもいるようなただの子供と変わらないし、力も無ければ体力も無く、便利な魔法やスキルが使えるわけでもない。
しかし、何か雑用の一つくらいさせてくれても良いのでは無いだろうか……と思うのである。
彼とて、見た目だけは一端のメイド……に、見えなくもないのだ。
身体は少年で、更に中身はおじさんだが、見た目だけは可愛らしいメイドなのだ。
メイドがどんなものかを全く知らなければ、おまけに掃除の仕方など何一つ知らない彼だったが、それでも箒で掃いて、雑巾で拭くくらいの事は出来るだろう。
それくらいは、養われる者のせめてもの義務では無いか。
思い立ったが吉日だ、今こそ勤労に勤しむべき時である。
そう考えて独り頷いた彼は飲み干した酒瓶の中に吸い殻を突っ込んだ。
彼は自室に戻って何時ものメイド服に着換えると、物置部屋から引っ張り出した箒とバケツを手に、城の中を見て歩く事にした。
掃除をする。
埃を掃き、汚れを拭く。
何て事ない、簡単な事だ。
手が動き、足が動くなら、どんな人間だってそれくらいの事はできるだろう。
帰ってきたヘデラ達が綺麗になった我が家を見て、それが彼の仕業だと知れば、少しは年長者としての株が上がるかもしれない。
もしかすると。なんて、そんな打算もある。
廊下のすみっこ、窓のサッシ、棚の奥、玄関の床、風呂場……など、汚れていそうな所を汚れていないかと探しながら、気持ちだけはやる気満々の彼は、何時ものように気怠そうな表情と姿勢でフラフラと彷徨った。
キョロキョロと辺りを見回しながら。
しかし、果たしてそんな彼の腹積もりは何をする事無く行き詰まる事となった。
一時間ほど掛けて一周したバカでかい城は、驚く事にどこもかしこもシミ一つ塵一つ見当たらない清潔っぷりだったのだ。
驚く事に。
そもそも、この城の何処にも汚れている所などある筈が無かったのである。
何故なら、あのヘデラが普段から掃除をしているのだから。
色々ぶっ飛んだ性能を持つスーパーメイドである彼女に、少しの抜かりもあろう筈がなかった。
きっとこの城には汚れない魔法が掛かっているに違いない。そう思う程に綺麗なそれらを見て、彼は小さく肩を落とした
掃除は駄目だ。
そう覚った彼は、次に料理を作る事にした。
今日くらいは何かをしたいのだ。
そういう気分なのだ。
家事と言えば、掃除、洗濯、料理だろう。
洗濯は今は必要無い。
すると、残るは料理しか無いわけで、どうやら魔法で街を作るらしいアリス達は、きっと帰って来たらお腹を空かせている事だろうし丁度良い。
実際は腹が空く事はないらしいが、まあ良い。
何せ、街を作るのだ。
幾ら魔法を使えるとは言え土方仕事である。
疲れて帰って来た娘たちに、美味いものを食わせてやろうと言う、父親気分な彼なりの気遣いであった。
前世、料理など殆どした事が無かった彼であったが、それでも飯を炊き、肉を焼く事くらいは誰だって出来るだろう。
そう考えた彼は早速、城の厨房へと足を運んだ。
五人と一匹しか住人がいないこの城の何処にそんな物が必要なのかと言いたくなるような馬鹿げた広さの厨房に立った彼は、これまた馬鹿広い地下収納に仕舞われている食材を物色し、適当な材料をテーブルに並べていった。
料理なんてものはてんでサッパリな彼だったが、それくらいの事は熟せる筈だと余裕綽々の様子である。
幸いにも、キッチンはアリスが色々と手を加えた事もあり、彼にも簡単に扱う事が出来た。
ガスコンロにシンク、包丁から土鍋まで、電化製品は無くとも、見知った調理器具が一通りどころか四通りくらい用意されているのだ。
そこかしこにズラッと収納された、無駄としか思えない数のそれらに呆れながら、彼が気怠そうに米を研ぎ始めた時、厨房に客が訪れた。
「お!いたいた。タマちゃん殿……なんだ?何をしているのだ?」
そんな声と共に現れたのは、部屋着姿のソフィアだった。
彼女も彼と同じく、街づくりには参加せずに城で留守番をしていいた。
「吸血鬼の街づくりに人間の国の貴族の出身である私が口を出すのは何だか良くない気がする」などと彼女は言っていたが、タマちゃんは、そんな良く分からない理屈を盾に彼女もまた土方仕事から逃げて来たのだろうと考えていた。
実際は、元裏奴隷である吸血鬼達が自分に気を使わずにあれこれを作れるようにという彼女なりの気遣いであるが、きっと誰も気にする者はいなかっただろう。
基。
厨房に入って来たソフィアは、背が足りずに踏み台に立ってシンクで米を洗うタマちゃんの側まで来ると、そんな彼を見て関心したように言った。
「ほほう、料理か!タマちゃん殿は料理が出来たのだな!」
片手で掴んだザルにもう片方の手を突っ込んで白い何かをガシャガシャと適当に混ぜながら流水で流す彼の手元を覗き込んだ彼女は、しかし、それが料理をしているのだろうと容易に想像出来た。
何せここは厨房であり、彼は一応メイドであり、その白い物が米という物であると知っていたからである。
主食がパンであるこの辺りで生まれ育った彼女にとって、御飯という物は馴染みのある物ではなかったが、何度かこの城で食べた事があり、もちもちとしたその食感を彼女は気に入っていた。
ヘデラが普段どうやって調理しているのかは知らなかった彼女は、興味深そうにタマちゃんの手元を見てどうやら米は洗うものらしいと覚った。
「ハハッ、料理なんて大層なもんじゃあねえが、働いてる御主人様達に昼飯でも作ってやろうと思ってなァ……一緒にどうだい?」
「おお、それは良い考えだな!いや……しかし、料理か……実は私は料理が苦手でな」
そう言って、少し恥ずかしそうに苦笑するソフィア。
彼女は料理が苦手だった。
剣を振ることしか能が無いと自らを表現する彼女には、勿論料理の才能などあろう筈も無かったのだ。
否、戦う事以外の殆どに不器用な彼女の事だ、それは料理の才能が無いというレベルでは無い。
壊滅的に壊滅的だった。
その為、彼女は普段から進んで料理というものをする事はない。
魔物討伐などに出かけた際も、自分が料理をする必要がある場合は焚き火で焼いただけの肉を食べるのだ。
彼女は自分の料理の腕を良く自覚していたのである。
自分の料理は不味い。
食べた者曰く、家畜の餌にも出来ないと……。
それを否定出来ない程には、不味いのだ。
対して、そんな事を知る由もないタマちゃんは彼女ににっこり笑いかけて言った。
「年頃の嬢ちゃんがなぁに言ってやがんでえ。焼くだけだから簡単だ。教えてやるからこっち来ねえ」
それは彼の本心からの言葉だった。
彼はただ単に米を炊いて肉を焼こうとしているのだ。
料理などした事が無い彼の脳内は、ただ火を通せば良いんだろうという馬鹿みたいに単純な考えしか無かった。
対して、そんな彼の呑気な様子を見たソフィアは、焼くだけなら自分にも出来るし、この際、彼の胸を借りて料理を教えて貰うのも良いかもしれないという考えに至った。
実は昨夜から自室で武器の手入れをしていた彼女であるが、それが終わればやる事が無くなり、タマちゃんに何か相手をして貰おうと彼を探していたのだ。
まさか料理をしているとは思わなかったが、普段から気怠そうにゴロゴロしているイメージしか無くとも、何かと賢しい彼の事である。
この程度の家事は簡単に熟してしまうのだろう。
ここで話し相手をして彼の手を止め邪魔をしてしまうのは憚られるが、かと言って、折角の誘いを断ってここから立ち去った所で、以前買い漁った武器のコレクションを再び手入れするくらいしかやる事が無い。
折角だ。
料理は苦手だが、この機会に彼から教わるのも良いだろう。
何せ、やる事が無いのだから。
そう考えた彼女は一拍の後に頷いた。
「……そうだな。なら、お言葉に甘えさせて貰うとするかな。宜しく頼むぞ!」
「おうよ。んならぁ、ソフィアの嬢ちゃんには肉を切って貰おうかな」
「…………ほう、切るか!切るのは得意だ!」
「おおぅ……違えぞ、剣じゃ無くて包丁で切んだ」
こうして、料理などした事が無い先生と、信じ難い程に料理が出来ない生徒による料理教室が始まったのだった。