アリスさん、建国を知る
濃藍の空に、朧気に浮かんだ三日月を時折かき消すように、風に広がり覆い隠す雲が増えてきた夜更け。
蒼く輝く大きな湖の畔で、数多の紅い瞳と白銀の髪が僅かな月明かりを受けて闇の中に輝いていた。
湖の中央に聳え立つ純白のお城を背に並んだ私達を、静かに見つめる1500×2くらいのその瞳達は、どれもキラキラと宝石のように煌めいて、美しいんだか不気味なんだか、何方にせよ背筋がゾクリと冷たくなるような感覚を与えてくれる。
私はその光景を、抱きしめたセチアのフワフワとした背中に口元を埋めながら見ていた。
こうしていると、とっても落ち着く。
セチアは狐なのに、何だかいい匂いがする。
草原のような爽やかな青い匂い、お日さまのような暖かい匂い。
後、いつも私が洗ってあげているシャンプーとトリートメントの匂い。
私にとって、一番の精神安定剤はいつだってセチアだ。
可愛いし、フワフワだし、ちっちゃいし、可愛い。
私のセチア君の良い部分は語りだせばきりがないのでまた今度にするとして。
私は常々、楽しい事だけを考えて、楽しい事だけをしながら生きていたいと思っている。
きっと誰だってそうだろう。
面倒くさい事と嫌な事はやりたく無いし、考えたくない。
私は自分の欲望に正直で、ものぐさな今時のJKなのだ。
実に今時のJKらしいと言える。
まして、そんな私が学校の勉強以外で難しい事をウンウン唸りながら考えるなんて、まるで犬が帽子を被るようなもの。
なるようになるさと思っているくらいがちょうど良い。
ネルソン・マンデラ曰く、楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。
つまり、他人が端から見てどれだけ滑稽な姿に思えても、その実は超前向き思考でありながらとても人間らしい偉大な事なのである。
私も偉大になりたい。
と言うわけで、楽観的な思考を心掛けつつ、目の前の1500人程の銀髪紅眼のメイド集団の話をしよう。
ヘデラ曰く、私の国の国民第一号さん達。
聞けば、彼女達こそが、ヘデラ達が助け出して連れ帰った元裏奴隷の人達なのだという。
確かに、何人連れてきたとは言っていなかったが、まさか1500人もいるとはいったい誰が想像しただろう。
驚きだ。
無意識に「きっと数人程度だろう」と、禄に考えもしなかった私は甘かったらしい。
予想外の人数に、思わず色々なものの正気を疑ってしまったが、果たしてこの国にはそれだけ沢山のクズ共がいて、これだけの人達がクズ共の餌食になっていたと言うことだ。
それはとても由々しき事である。
彼女達を見ていると、助けられて良かったと改めて思うと共に、ヘデラ達はこれだけ沢山の人達を救ったのだと感慨も一入だ。
良かった良かった。と思える。
そんな彼女達であるが、紅い瞳に銀髪……と、見て分かる通りに、何故か全員吸血鬼になってしまっている。
何でも奴隷契約を解除する為にどうしても吸血鬼にする必要があったらしく、ヘデラが血の盟約のスキルを使って全員吸血鬼にしてしまったらしい。
詳しくは分からないが、世の中きっとそう言う事もあるのだろう。
なってしまったものは仕方がない。
私達は吸血鬼にする事は出来ても、元に戻す事は出来ないのである。
皆納得して吸血鬼になったらしいし、吸血鬼仲間が沢山出来たと思えば何だか嬉しくもある。
もしかすると友達100人どころか1500人くらい出来ちゃうかもしれない。
それはとても嬉しい。
そして、そんな吸血鬼メイドさん達の住む場所を作ろうと言うのが、ヘデラの「国を作りましょう」発言の真相だろう。
帰る場所も頼れる知り合いもいないと言っていたし、その上吸血鬼になってしまったのでは、何かと肩身の狭い思いをするかもしれない。
それなら、皆で集まって一緒に暮らそうぜ!という、ごく倫理的な納得の帰結である。
どうやって国を作るのかは分からないけど、彼女は本気だ。
さっきお城を周りの空間ごと、どこの国の領土でも無い土地に移動させたのがその証拠。
具体的にはエディルアが封印されていた死の森と、ヌーヴェル領西側の山脈との間にあるクソ広い草原の真ん中辺り。
長い間死の森から流れ出ていたエディルアの瘴気のせいで、生き物が全くいない寂しげな場所だ。
エディルアの封印が解かれて、というか私が解いてしまって、死の森周辺の瘴気は晴れた筈だが、それでも未だに動物も魔物もこの辺りには寄り付かないようである。
何故か植物だけはいい感じにワサワサ生えているのが、寂しさにより拍車をかけている。
ここでお城を中心にして、家を建てたり、道を作ったりするのだそうで、なる程、吸血鬼が沢山集まって暮らす集落は、それはもう吸血鬼の国だと言っても過言では無いと言う事なのだろう。
私達の魔法を使えば超簡単に、且つ短時間で、思うがままに街を作る事が出来る筈だ。
綺麗に舗装した道を作ったり、区画分けしたり、建物から何から、全て思うままに凝り放題。
それは、何だか超楽しそうである。
いきなり国を作るなんて言われて戸惑ったが、というか頭を心配したが、改めて考えてみれば何も憂う事は無い。
良いじゃ無いか吸血鬼の国。
何か欲しい物があれば、私が時空魔法で作ったワープゲートを使って、お手軽にリアデに買い物に行く事も出来る。
そうで無くとも、吸血鬼は皆真っ赤な血の翼を出して空を飛ぶ事が出来るのである。
北と東を超巨大な山脈で囲まれている陸の孤島みたいなこの大草原でも、吸血鬼達が暮らすのに不便な事など無いに等しい。
つまる所、新しく増えた1500人の仲間達と一緒に、街を作って楽しく暮らしましょうという事だ。
ほら、とても楽しそう。
皆で仲良く、楽しく、のんびり、だらだら暮らしていければ最高だ。
皆色々な事をするのだろう。
お店を開いたり、畑を作って野菜を育てたり、ちょっと飛んでいけば海があるし、魚釣りなんてのも楽しそう。
何か超楽しそう。
そして今。
そんな楽しそうな現状確認が済み、私達はこれからについて話をしていたのだった。
王都でお祭りが始まるのは6日後。
この際、王都までの道すがら観光する予定は変更して、皆で街を作る事にした。
その方がきっと楽しいと私が言ったのだ。
気怠そうなタマちゃんは獣人の女の子に後ろから抱きつかれたまま死んだ魚のような目でずっと虚空を見つめているし、裏奴隷の人達を助けられた事に感極まったらしいソフィアはまだすすり泣いているし、エディルアはとても楽しそうに「楽しみね、アリスの国!私が王様だからね!」と燥いでいる。
ご覧の通り、皆も楽しそうだ。
しかして、私の右隣に立ったヘデラが、ゆっくりとした口調で吸血鬼のメイドさん達に向かい話し始めた。
「さて、貴女達はこれより我らが姫君であられるアリス様がお作りになられる国の民達となるわけですが…………アリス様はこう思われています。『皆で仲良く、楽しく、のんびり、だらだら暮らしていきたいなぁ』と」
はいそう。
その通り。
私は「皆で仲良く、楽しく、のんびり、だらだら暮らしていきたいなぁ」と思っています。
凄い。
うちのスーパーメイドさんは読心術も使えるらしい。
そして、そんな彼女の言葉に黙って傾注するメイドさん達は、まるで校長先生の話を大人しく聞く出来た生徒の如くだ。
暗闇の中、きちっと整列した1500人余のメイドさんが、一様にヘデラの言葉に耳を傾ける光景は異様の一言に尽きる。
斯くして、ヘデラによる良く分からないお話が始まったのだった。
「我々が共通して持つルールは唯一つです。即ち、『アリス様の為に』。アリス様が絶対であり、アリス様こそが世界の基準です。アリス様は既に貴女達を含めたここにいる皆を、家族だとお思いです。わたくしは『国』と申しましたが、言わばわたくし達は大きな家族。家族は皆仲良く、楽しく、いつの日も共に笑い合うものだとアリス様は仰るでしょう。だからこそ、貴女達は自分がやりたい事を、好きなように行いなさい。それこそが、アリス様の為の行いであり、アリス様の望みであり、国民であり家族である貴女達の使命なのです。何か質問はありますか?」
それに、一人のメイドさんが手を上げた。
「はい。我々がやりたい事を、好きなように行うというのは、具体的にはどのような事をすれば宜しいのでしょうか?」
「良い質問です。ヘデラポイント1ポイント」
何だそのポイント……。
「やった!ありがとうございます!」
「その答は、『何でも』です。アリス様はこうも思われております『面白い事だけを考えて、やりたい事だけをして生きていたいなぁ』と」
はい、またまたその通り。
私は「面白い事だけを考えて、やりたい事だけをして生きていたいなぁ」と思っています。
しかし、それじゃあまるで私が何も考えていないお馬鹿なものぐさ太郎みたいじゃないか?
私に注目する皆の視線が突き刺さるようだ。
本当の事なので、私はそっぽを向くことしか出来ない。
「アリス様は、家族は皆仲良く楽しく暮らして欲しいとお考えになられているのです。アリス様の治める国は、それがアリス様の為である限り、アリス様の名のもとに全てが自由なのです。面白い事だけを考え、やりたい事をするのです。店を開きたいなら開きなさい。アリス様はきっと笑顔で開店をお喜びになられる事でしょう。畑を耕せば、きっとアリス様は笑顔で労いのお言葉をおかけになられるでしょう。狩人、芸者、鍛冶師、軍人、何でも良いのです。税などありません。採れた作物、珍しい仕入れ物、面白い話、偶に少しの物を捧げば、アリス様はとてもお喜びになられる事でしょう」
「アリス様……何て慈悲深く、心優しく、清らかな素晴らしい御方なのかしら……」
「私、幸せすぎて死んでしまいそう……」
「ああ……アリス様ぁ……」
「しかし、アリス様はこの大陸を支配される御方ですよね。他国への侵略はどうしますか?」
「ごもっともな質問ですが、少し考えが足りませんね」
「そ、それはどういう……」
「アリス様は何れこの世界全てを手に入れるお方です。というか、アリス様がこの世界に存在して居られる時点でこの世界はアリス様のものです。何があろうと、これはもう決定事項なので御座います。ならば、アリス様自らが行動するなどあろう筈がありません」
「ああ、ではあたし達が──」
「それこそナンセンスです!お馬鹿!」
「あ、痛てっ!」
「しかし、アリス様の為に率先して動こうとするその考えは素晴らしいです。プラス1ポイント」
「うぅ……はい……」
「良いですか……?貴女達はもう既に誇り高き吸血鬼の一員なのですよ?アリス様の眷属である誇りを忘れてはいけません。他国など、世界など、そんなものは放っておきなさい!その内、世界の方が我々の支配下に加わりたいと頭を垂れてくる事でしょう!いえ、必ずそうなるのです!」
「「「「「「!!!!なる程!!その通りだ!!」」」」」」
「貴女達は仲良く、楽しく、笑顔で暮らせば良い。それこそがアリス様の望みです。と、このようなわけで御座います。宜しいでしょうか、アリス様?」
……うむ。
どういうわけかは全く分からないが、宜しいんじゃないでしょうか。
後半なんて意味不明だったけど、皆楽しそうで結構だ。
皆で国を作って、楽しく暮らしましょうじゃないの。
きっとなるようになるさ。
もう、私がお姫様である事は諦めた。
私がお姫様でエディルアが王様だ。
とっても楽しそうだ。
楽観的であるという事は実に素晴らしい。
何事も、考え方一つでとても楽しい事になるのである。
そう、私は与えられたものは何であれ楽しんで享受するのがモットーなのだ。
不死身の吸血鬼人生、きっと先はとてつもなく長い筈だから、何事も楽しまなくてはイケない。
何も考えていないとも、吹っ切れたとも言う。
だから、セチアの背中に顔を埋めたままの私は、大きな声でモゴモゴと言ってやったのだった。
「よひにはままえ!」
よきにはからえと。
「「「「「アリス様万歳!!アリス様万歳!!」」」」」
そんな声が木霊する真夜中の湖岸。
それを聞いたソフィアは「うぐぅッ……よかっ……よかっだ、なぁ……皆ぁ……」とまた泣き始め、タマちゃんは頭の真後ろから聞こえる「アリス様万歳!」の声に項垂れ、セチアはペタンと耳を伏せ、エディルアは一緒に万歳をし、そしてヘデラは満足そうに微笑みながら頷いている。
見上げた空は何時しか陰り、星も月も見えなくなっていた。
夜の闇がより濃く広がる、とても吸血鬼好きしそうなこの良き日、斯くして吸血鬼の国が発足したのだった。