アリスさん、水を飲んだおじさんを知る
レミーちゃんと別れた私達はテドロの町に戻って来た。
丘の頂上から続く坂を下り、入り組んだ町中へと足を踏み入れれば、街灯のランプが照らし出したレンガ通りと白壁の迷路のような町並みが、闇の中で薄明かりに照らされて静かな美しさを見せている。
明かりの灯った家、闇に紛れた路地裏の植木鉢、何処かから聞こえてくる楽器の演奏音、店じまいを始める目抜き通り。
昼間に比べ、何処も人通りは少ない。
見上げれば紺色の影が入り混じった白壁に切り取られた夜空が幾つもの星を浮かべていて、予想外に明るいそれにふと驚かされた。
この世界に生まれ変わってから、夜の明るさが私は楽しい。
どうやら暗い場所が大好きらしい真祖の私は、些細な夜の違いにとてつもなく趣きを感じるのだ。
暗ければ暗い程に惹かれる心とは反対に、月が明るくて星が眩しい夜が私のお気に入りだったり。
そして今日はラッキーな事にアタリの日だ。
闇の中にほんのりと明るく浮かび上がった夜の港町を、私達は他愛無い会話を交わしつつ、夕飯を食べる為に昼間と同じレストランへと向かった。
一度通っただけで完璧に道を覚えたという超凄いヘデラに案内を任せたまま、固い足音を鳴らし入り組んだレンガ通りを歩いていれば、開いた窓から聞こえる賑やかな団欒の声に自然と心が暖かくなった。
良い町だな。
今日、何度目かのそんな言葉を喉奥に貼り付けながら、何処かから漂ってくる夕飯の匂いにつられて、何だか空腹を感じてきたような気がするお腹をじれったく思う。
時刻は19時くらいだろうか?
真祖である私の腹時計は全くもってアテにならない。
食べたい時にお腹が空いたような気がして、食べ終わったら満腹になったような気がする。
そんな、世話のかからない、正直でいて適当な胃袋なのだ。
つい待ち遠しくなってしまって、夕食はどんなお魚料理を食べようかと話しながら歩く事暫く。
軈てたどり着いたお魚の美味しいレストランは、涼しい夜風に美味しそうな匂いを纏わせながら、そこそこの賑わいを見せていた。
とは言え、何処ぞの冒険者ギルドとは違い、大声の酔っ払いも鎧姿の呑んだくれもいなければ、そこに騒がしさなんてものは無い。
温かみのあるランプの光が灯ったバルコニー席に座った彼らは、楽しげに談笑しつつ、時折夜の海を眺めながらゆったりとした時間と食事を楽しんでいた。
見よ、オシャレな人達もいたものだ。
そんなオシャレな人達の仲間になるべく、私達が早速店内へと足を踏み入れれば、来店を告げるベルの音と共に近くにいた店員さんが来店客を案内をするべくやって来た。
偶然にも、それは昼間私達にこの町の見所を教えてくれた女性の店員さんで、小走りで駆けて来た彼女は、直ぐに私達の事に気が付き笑顔で声をかけてくる。
「いらっしゃいませ!また来てくれたんですね。皆さん、丘の上には行かれましたか?」
「ええ、貴方が教えてくれた通り夕焼けを見てきたわ」
「とても素晴らしい眺めでした。教えて頂きありがとうございます」
「そうでしょう!!気に入って貰えて良かったです!あ、お席にご案内しますね」
愛想の良い笑顔でそう言って、空いた席へと私達を案内してくれる彼女。
自分が大切に思っている物の良い所を誰かと共感出来た時の喜びはとても理解できる。
確かに、誰かに自慢したくなるような良い眺めだった。
やっぱり、彼女はこの町が好きで、自慢に思っているんだろう。
他のお客さん達に好機の目を向けられる中、私達は彼女に案内された席に座った。
白いウッドテーブルが並ぶ、海の方角に突き出した広いバルコニー。
明かりはテーブルの真ん中に置かれたランタンのみで、落下防止の柵越しに景色を覗いてみれば、夜空に灯った星と月と、それらを反射してキラキラと輝く海がよく見えた。
紺色に照らされた町並みは所々にオレンジ色の光を灯して、丘の斜面にきちんとした町の夜景を作っている。
ホットココアでも用意して、読みかけの本を片手に眺めていれば直ぐに時間が過ぎてしまうだろう。
昼間とは違うこの店の雰囲気を満喫しつつ、私達は店員さんにおすすめの料理を訊ねてそれを数品注文する。
魚介のスープにパスタ、後は小難しくて長ったらしい名前の料理を幾つか。
聞けば、どれもこの町でよく食べられている郷土料理らしく、勿論全て魚料理らしい。
自信たっぷりにおすすめしてくれた店員さんのせいでとても期待してしまう。
お昼ごはんのおすすめも美味しかったし、今度もきっと美味しいに違いない。
しかして、注文をとった後、直ぐに飲み物を運んできてくれた店員さんは、トレイに乗せたグラスをテーブルに並べながら声をひそめて冗談めかしたように言った。
「あ、そうそう。それで、どうでした?危ない雰囲気が溢れ出ている家あったでしょう?」
「ええ。それも行って来たわ」
そう何て事なく言ったエディルアに、店員さんは驚いたように目を開いた。
彼女が親切心から近付くなと言っていた場所に私達は行って来たのだ。
そしてそれを堂々と報告する。
まるで、言う事を聞かない問題児みたいな連中だ。
「え……行って来たってその家にですか?」
「そうよ?」
「うそ……だ、大丈夫でしたか?」
「とても楽しい場所だったわよ。お爺さんじゃなくて女の子が住んでいたわ」
そう答えたエディルアの言葉に、店員さんはキョトンとした表情で首を傾げた。
「女の子……ですか……?お爺さんでは無く?」
「何と、12賢者の一人、ソロンティマリューヌ・エンデルテミューリュの玄孫が住んでいたぞ!兎人族の可愛いらしい女の子だ」
「…………え?賢者……?」
「女の子ってえより、最早仙人だなァ……不老不死の1121歳らしいから」
「1121歳……」
「ずっとあの場所で魔道具を研究してるんだって。変わった魔道具が沢山置いてあった」
「魔道具……」
「丘の頂上に並んだ石像は元人間らしいですよ。襲って来たならず者を石化魔法で石にして見せしめに放置してらっしゃるそうです」
「見せしめ……」
そんな風に、私達が口々に話す驚きの真相をポカンと口を開けて聞いていた店員さん。
ふふふ、どうだ。
驚いているようだ。
彼女には真実を知る最初の一人目になってもらおう。
何て事を思う私だったが、暫くして、他のお客さんに呼ばれた彼女は「ふ、ふふふ……もう!皆さん冗談がお上手ですね。あんまりからかわないで下さいよー!」と楽しそうに言い残して行ってしまった。
……うーん。あれ?
おかしいな。
何だって!!それは驚きの新事実だ!皆で確認しに行ってみよう!!
なんて、ともすればそんな風になるかと思っていたんだけど……。
果たして、彼女はどうやら冗談だと思ったらしい。
「信じて貰えて無い?」
「愉快な連中だと思われてらァ」
なんてこった……。
それは悲しい。
本当の話なのに。
「何と無礼な……アリス様のお言葉を冗談などと……。消しますか?それとも石像にしましょうか?」
「……止めて下さい」
「まあ、12賢者の子孫という時点で俄には信じ難いかもしれないな。昔の戦争で12賢者の血筋はその殆どが絶たれてしまったと言われているから」
「そうなんだ…………ん?」
え?
何それ知らない情報だ。
「あら、そうだったの?」
「初耳ですね」
「タマちゃん殿がいなければ私も信じられなかっただろうな!ハッハッハ」
oh……。
ハッハッハでは無いぞソフィアさん。
それはもっと早く教えてほしかった。
12賢者って言うくらいだから、12人いるんだろうな位にしか考えていなかった私。
直系でなくとも、4000年も前の人達の子孫なら数え切れないくらい大勢いるんだろう。
前世でも、織田信長の子孫だっていう人は沢山いたし。
そう思っていたのに……。
謎のお爺さん云々の話をする前に、「殆ど滅びた筈の12賢者の子孫があんな所に住んでいるだなんてあり得ないわ……。女の子……?1121歳……?ふふ、きっとこの人達なりの愉快な冗談ね。愉快な人達だわ」とか思われてしまっても仕方無いではないか……。
現に、そう思われてしまったではないか……。
……まあでも仕方無い。
本当の話なんだし、信じるか信じないかはあなた次第だ。
誰が悪いわけでもない。
「ソフィアも結構お間抜けさんだよね」
「お、お間抜けさん……ッ!?あぁ……アリス殿に言われると何だか心が痛くなるな……」
「大丈夫。私はありのままのソフィアが大好きだよ」
「ほ、本当か!それは嬉しいな!よし、私はありのままでいることにするぞ!」
「タマちゃんご覧なさい。これがアリス様の飴と鞭です」
「……いや、違うだろう。わけ分からねえよ」
「ソフィアは単純ね」
とまれ、こうして丘の上の家の真実を広めていけば、レミーちゃんの魔道具博物館も嘗ての賑わいを取り戻すかもしれない。
それは良い事だ。
どうにか上手いこと考えよう。
私達がそんな会話をしながら料理が出てくるのを待っていると、そこに声を掛けてくる人物がいた。
「おお、昼間のお姉ちゃん達じゃないか!どうだい、この店は?良い所だろう?」
大きな声でそう言って私達が座るテーブルに近づいてきたその人。
見れば、昼間、このお店がおすすめだと教えてくれた上にお魚もくれた、親切な漁師のおじさんだった。
「昼間の方ですね」
「とても良い店だわ。教えてくれてありがとう」
「お魚もありがとう、おじさん」
「はは!なあに、大した事じゃないさ。俺はこの町が大好きだからな。お姉ちゃん達にも少しでも気に入ってもらいたいのさ」
そう言って素敵な笑顔を浮かべるおじさん。
わお……。
なんて良いおじさんなんだろう。
「おっさんは一人で食事かい?」
「あら、それならご一緒にどうかしら?お礼にご馳走するわ」
「おお!若くて綺麗な女性に食事に誘われるなんて、俺もまだまだイケるなあ。ははは、いや、とても残念だが遠慮しておくよ。家族と待ち合わせしてるんだ」
「あら、そうだったのね。それは失礼したわ」
「ご家族と待ち合わせをしているのか?」
「変わってるだろ?女房と娘が二人いるんだが、夕方から三人で商店街に売れ残りを買いに行ってるんだ。俺は席取り係さ。たまの外食だってのに……強気な女に囲まれて肩身が狭い毎日だよ」
「ほう。こんな光景見られちまったら、三人から殴られちまうなァ」
「ははは、違いない」
「ふふ、なら私が誘った事は内緒にしておかないとね」
「いいや、寧ろ自慢してやるさ!父さんは今も昔もモテモテなんだぞってな」
何だろう……。
良い人感が滲み出ている。
間違いない、このおじさんは良いおじさんだ。
そんな気がする
「そうだわ。少し聞きたいんだけれど、貴方は丘の頂上にある家について何か知ってるかしら?」
しかして、そんな人の良さそうなおじさんにエディルアが訊ねた。
謎のお爺さんについてのミステリーを解き明かす為に、店員さん以外の町の人にも、丘の頂上の家について訊ねてみようと話していたのだった。
町の人は皆知っているらしい『丘の頂上にある危ない雰囲気が滲み出ている家にはお爺さんが一人で住んでいて、危ないから近づいてはイケない』という言い伝え。
店員さんが言っていた通り、それは彼も知っていた。
「丘の頂上にある家?……ああ!危ない雰囲気が滲み出てるあの家かい?この町じゃあ有名な話しさ。爺さんが長い間一人で住んでるらしいよ」
「行ったは事ある?」
「俺がかい?俺はこう見えて小心者でね。危ないって言われてる場所には近づかないようにしてるんだ」
「誰か行ったことある人は知らないかしら?」
「んん〜……どうだろうなぁ?もしかすると行った事がある人もいるかもしれないが、町の人間は皆近づかないんじゃないか?『丘の上の家には爺さんが住んでいる、危ないから近付くな』って、この町じゃあ皆知ってる話さ。子供の頃に親や爺さん婆さんから聞かされる言い伝えみたいなもんだな」
その後も丘の頂上の家について話してくれたおじさんだったが、果たして、それは店員さんの話の内容と大差の無いものだった。
丘の上の家にはお爺さんが一人で住んでいる。
町の人間は誰も近づかないし、詳しい話は聞いた事がない。
誰もお爺さんを見た事はないし、実際どうなのかは誰も分からない。
「しかし……今になって思えば不思議な話だよ。ガキの頃なら、皆面白がって行ってみたりしそうなもんだが……。今まで、俺自身全く気にもしなかったし、そんな話聞いた事も無い。どんな爺さんが住んでんだろうとか、何が危ないから近づいちゃいけないんだろうとか、看板に書いてある神秘の水とか……凄く気になるけどなぁ」
そう言っておじさんは首を傾げる。
何とも不思議な話である。
正にミステリーだ。
……ふむ。
まあ、何はともあれ気になると言うのであれば確かめて貰おう。
「おじさん、何か体に不調あったりする?」
「体の不調かい?んー……俺は漁師だからな。足腰は痛いし、酒の飲み過ぎで肝臓の調子も良くないし、切り傷だらけで海水がしみるし……ハハハッ、ボロボロだな」
漁師の人は大変だ。
体力仕事だし、怪我だって多そうだ。
このおじさんは良いおじさんなので、家族一緒に健康で幸せに長生きしてもらいたい。
そして、私はそんなおじさんに丁度良い物を持っている。
「じゃあこれあげるから、飲んでみて」
私はおじさんに一本の瓶を手渡した。
透明な液体が入ったそれにはデカデカと派手なラベルが貼られている。
不思議そうにそれを受け取ったおじさんは、一目見て驚きの声を上げた。
「おお?何だいこ……ッ!!神秘の水だっ!?」
そう、神秘の水だ。
帰り際、レミーちゃんが私達に一人一本くれたのだ。
お土産だと言って。
「丘の頂上の家で売ってるやつ。お魚のお礼にあげる」
「あああ!!あの胡散臭い看板のやつか!!じゃあ、まさかお姉ちゃん達はあの家に行って来たのか!!すげえ…………でも何だか怖いな……毒とかじゃないよね?」
「大丈夫だよ」
「お……おお……」
おじさんは私の顔と手に持った瓶を交互に見た後、天を仰いで目を瞑った。
飲むか、飲むまいか、小心者だと言っていたし、心の中で葛藤を繰り広げているのかもしれない。
暫く後に、何かを決心したように力強く目を見開いた彼。
こんな心優しい女の子の好意を無碍にする訳にはいかない!!ええい!ままよ!!
そう言って、人の良いおじさんは一息に瓶の中身を飲み干した。
「……んん!?な……何だこれはっ!!」
瓶から口を離し、空になったそれを驚愕の表情を顔に貼り付けて見つめるおじさん。
しかして彼は次の瞬間、叫んだ。
唐突にも、叫んだ。
ここがレストランである事、周りのお客さんが何事かと注目している事、遠くから店員さんが何かを言いたげに見つめている事、さっき話していた奥さんと二人の娘さんっぽい三人組がお店の入口に立ってこちらを驚愕の表情で見つめている事、etc。
そんなもの全てを忘れてしまったかのように。
周りが見えていないかのように。
まるで何かに取り憑かれてしまったかのように。
おじさんは叫んだ。
「凄いぞこれは!!!口に含んだ瞬間感じる、尋常じゃないほどの瑞々しさ!!無味無臭な水本来の味の中に、しかし確かに感じる水の味!!飲むという行為に抵抗を全く感じない、舌触りが皆無だ!!嚥下すれば喉表面の細胞一つ一つが十分に潤い、その喜びに脈動する!!優しく包みこんでくれるかのような……熱くも無く、冷たくも無く……そう、飲みやすい常温の軟水!!最高だ!!腹に広がる余韻と共に訪れるのは、潤いに満ちた身体の爽やかな歓喜の叫び!!そしてちょっとだけ何かが物足りないこの感覚は、神々しいまでの水!!正に水!!水の中の水だ!!こんなに水らしい水は、生まれて初めて飲んだ!!」
おじさんは興奮気味にそんな感想っぽい事をつらつらと口にする。
わお……。
何を言っているんだろう……。
水の中の水とは何だろう……。
「へ、へえ…………体の調子は?」
「そ……そう言えば、体中に活力が溢れているような気がする……おお!!無い!体中のありとあらゆる傷が無くなっているし、内蔵の調子も良い気がするし、足腰の関節も痛くない!!30歳は若返った気分だ!!」
屈伸したりジャンプしてみたり、自分の体を見回して驚きの声を上げるおじさん。
そんな彼を見て分かる通り、実は神秘の水は超凄い水だった。
私の魔眼によると正式名称は『神水』というらしい。
名前の通り、神様の力が宿った魔法の水だそうだ。
飲めばありとあらゆる体の異常が治って、身体能力が超アップして、超元気になる。おまけにテンションまで超元気になる。
何でそんなものをレミーちゃんが売っているのか訊ねた所、どうもあの家の裏から湧き水みたいに湧いているらしい。
家の裏に湧き出た水を瓶に入れて高額で売る。
ボッタクリも良い所だ……。
有り難みが欠片も感じられない。
「す、凄い!!何だこれ!本当にあの丘の頂上の家で売ってるのか?」
「これ一本で銀貨十枚だって」
「高いな!全部飲んじゃったよ!ありがとう!しかし、これは本当に凄い水だ!!ポーションなんてただのクソ不味い汁に思えてくる……!なあ、お姉ちゃん達、丘の頂上の家はどんな所なんだ?」
「ふふ、気になるならその目で確かめてみるといいわ。私達が見つけた、とっても楽しいこの町の見所よ」
「そうか!!なら今度家族で──」
「すいませんお客様……もう少し静かにお願いします」
するとそこに、苦い笑顔の店員さんがやって来て注意されてしまった。
さっきから大声で叫んだり騒いだりしているので当然だ。
おじさん騒ぎ過ぎである。
この水、やっぱり危ない成分が入っているんじゃないだろうか。
「おっと、すみません!余りに凄い体験をして、何だか興奮してしまっ──」
「ちょっと何やってるのよアナタ!!もう酔っ払ってるの!?こんな若い娘さん達に絡んだりして!!みっともないから止めてちょうだい!」
「パパ……もしかしてこの人達ナンパしてたの?」
「お腹すいたんだけど」
そしてそこに、入口に立ってさっきからこちらを見ていた奥さんと二人の娘さんっぽい三人組もやって来てしまった。
本当に奥さんと娘さん達だったらしい。
私達のテーブルの前で何か大声で燥いでいた所を全て見られてしまったおじさん。
奥さんには酔っ払って私達に絡んでいると思われ、娘さんの一人にはナンパしていると思われ、もう一人の娘さんには興味さえ持って貰えていない。
おじさん、可哀想に……奥さんに怒られてしまう。
「な……ッ!?お前達いつからそこに!!ちょっと待て!!それは誤解──」
「えぇ〜、もう行っちゃうのぉ?また遊んでね♡パパっ♡ちょっと恥ずかしかったけど……楽しかったよっ♡」
そこに、何故かタマちゃんが猫なで声でそんな事を言ってしまった。
笑顔で頬を赤らめて、両手を顔の前でモジモジさせている。
可愛いけど、急に何を言っちゃってるんだタマちゃん……。
あんた中身おじさんだろう。
「ええええ!!?パパ!?おいおいおいおいっ!!何言ってんの君、さっきと口調変わり過ぎだろ!!」
「ふ……ふふふ……アナタ、少し話があります。こっちにいらっしゃい」
「ぱ、パパ………そんな小さな子と何して遊んでたの……」
「ねえ、早く料理注文しようよ」
「いや、ちょっと待っ──」
しかして、おじさんは怖い笑顔を浮かべる奥さんに連れて行かれてしまった。
家族会議モノだ。
何て事だ……。
私はおじさんにお魚のお礼をしたかっただけなのに……。
タマちゃんのせいだ。
「今のタマちゃん可愛いかったわね」
「なる程、あれがハニートラップというものですか」
「……違うと思う」
「な、何と恐ろしい事を…………」
「ダハハハッ!傑作だなァ!!」
程なくして、私達が注文していた料理が運ばれてきた。
聞こえてくるおじさん一家の家族会議の声をBGMに、重苦しい空気が流れる店内で美味しいお魚料理の数々を美味しく頂く。
店員さんがおすすめしてくれたそれらはどれも絶品だった。
この町の魚はとても美味しい。
漁師さんに感謝である。
しかし。
楽しい筈の晩餐なのに、遠くの海から聞こえてくる夜の潮騒が、何だか悲しく感じるのは情緒というものだろうか。
気がつけば、結局謎のお爺さんについては何一つとして分からずじまいである。
テドロの町での一日は、少し苦い夜の海風の中に終わりを告げた。
タマちゃんのせいだ。