アリスさん、丘の上を知る1
町から続く長い坂道を登りきれば、まるで広くて丸い草原が空の上に広がっているように見えた。
午後の暖かな日差しの中、海の匂いを連れた涼しい風が草葉を揺らして空へと舞う。
息を深く吸い込んでみれば、草の青い匂いと陽に温められた土の甘い匂いにまじって、少し海のしょっぱい香りがした。
木が生えていないせいで、見上げれば視界を覆う空の青さが何時もより近くに感じて、それだけで、ここを訪れた者の心を優しく落ち着かせてくれているような気分になる。
不思議な好奇心に釣られ、町から小一時間かけて登った丘の頂上はそんな清々しい場所だった。
後を振り返れば、広大な海と空、そしてそれを眼下から見上げるように広がる白く綺麗なテドロの町並みが見渡せた。
空の青と雲の白、海の青と町の白。
コントラストが美しいなんて月並みな表現だが、そんな誰かに自慢したくなるような気持ちの良い眺めは、きっとこの町の誰もが心に留めておきたいと願う原風景。
期待通りに広くて美しいこの景色に夕日を足せば、きっとどんな著名な絵画よりも優美だ。
日暮れを待ち遠しく思うのは、心に自然と湧いた嘆賞にプレゼントしてあげたい、ちょっぴりの我儘だった。
そんな、心地よい爽やかな昼下りの丘の頂上にいて、けれども私達の表情は冴えないものだった。
丘の上に広がる草原も、見渡す限りの大パノラマも、私達は心から楽しめないでいる。
何故か。
テッテテレテレテッテッテー!!
テレレレテッテレレッテー!!
テレテレテテレレレッテッテレー!!
そんな、この場所に甚も似つかわしく無い、陽気でお馬鹿テンションなテレテレ音のせいである。
耳を澄ませずとも、ご親切に大きな音で聞こえてくるそれは、この場所を訪れた者を歓迎しているかの様に、丘の頂上から澄み渡った昼空へと響き渡っている。
草原にシートを敷いてお弁当でも広げたくなる爽やかな気分の中で、私は近くから聞こえてくるその場違いな音に少しの苛立ちすら感じていた。
昔のゲームセンターで流れていそうな、耳と頭に残って拭い難いキャッチーな音楽。
自然と脳内でリピート再生されてしまう、鬱陶しくて私が嫌いな類いの音楽。
このテレテレ音が、清々しく気持ち良いこの場所の全てを台無しにしているのだ。
雲が動く風の音、遠くから聞こえる町の喧騒、そんな趣深いものに耳と心を傾けていたいのに、テッテテレテレした音が心と頭を掻き乱して邪魔くさい事この上ない。
何が、テッテテレテレテッテッテー!!だ!
静かにしろ馬鹿やろう!
そんな風に叫びたい衝動が湧いてくるのである。
そして、そのテレテレ音楽が流れてきている先には、一軒の奇天烈な建物があった。
この場所に立てば嫌でも視界の隅に強烈な印象を伴って入り込むそれ。
ガラクタを寄せ集めて適当に組み立てたかのような、ゴチャゴチャしていてこれまた鬱陶しい見た目の大きめの建物が、我が物顔で草原の一角を占領している。
木や鉄やレンガなど、様々な物をちぐはぐに継ぎ接ぎして造ったようなその建物は、空に広がる草原の景色の中にあって、違和感なんてものじゃ無い。
色んな色で適当に塗られたようなカラフルでポップな壁は風雨で変色してしまって最早おどろおどろしく見えるし、屋根に乗っかった大きくて歪な形をしたウサギっぽい何かのハリボテがとても不気味で気持ち悪いし、30本くらいの煙突が建物の至る所から無意味に飛び出ているし、窓とか扉が馬鹿みたいに沢山壁にくっついているし、壁面に大きく『ようこそ!!うぇるかむ!!おいでおいで!!』とか書いてあったりするし、正に混迷を極めている。
更にその周囲には、不思議なポーズをした人型の石像が沢山立ち並んでいたり、奇妙な形をした鉄のオブジェのようなガラクタが幾つも乱雑に置かれていたり、変なパネルが沢山あったり、派手に装飾された看板が至る所に立ってあったりして、その全てがもう、意味不明だとしか言いようが無い。
それらを眺めていると、まるで異空間に紛れ込んでしまったかのような頭痛と目眩がしてくる。
この建物が全て悪いのだ。
気持ちの良い青空の下に草原が広がる丘の頂上だとか、そこから眺める海と町の風景だとか、その全てをこいつが台無しにしている。
例えるならお洒落な高級フレンチ料理屋さんで、出てきたオサレな料理全てに、大量のマヨネーズとタバスコがぶっ掛かっているが如き『これ要らない』感。
これ程の蛇足を私は知らない。
しかして、私達は丘を登りきった場所に立って、その建物を離れた場所から眺めていた。
皆、気持ちは似たようなものだろう。
何だこれは……と。
分かってはいる。
丘の頂上にあるのはその建物と周辺のガラクタだけなので、きっとこれが丘の頂上にあるというお爺さんのお家なのだろう。
……お家。
これはお家なのだろうか……?
とまれ、あの店員さんが言っていた通り、確かに、そこかしこから危ない雰囲気が滲み出まくっている。
大人が子供に近づくなと言うのも納得の、奇っ怪で異様な雰囲気だ。
こういうの、探偵ナイト○クープで見た事がある。
時間と創造力とユーモアを持て余した変じn……基、表現家、芸術家が、趣味と自己満足で意味不明なガラクタを寄せ集めて作った、センスと芸術性があり過ぎて逆に常人には中々理解する事が出来ない、ヘボ……、とんでも手作りテーマパーク。
番組ではパラダイスとか言われて、小枝さんが面白可笑しく紹介してたやつ。
私知ってる。
ここに住んでいるお爺さんは、きっととんでもない変わり者なんだ。
「こ、これか……」
「確かに、普通じゃ無い雰囲気が漂っていますね」
そう言ったソフィアもヘデラも、苦笑いのような、訝しんでいるような、曖昧な表情を浮かべていた。
店員さんの話を聞いて気になって来てみたものの、こんな建物が待ち構えているなどといったい誰が想像しただろう。
こんな場所にこんな物があるなんて、ある意味ホラーっぽい。
「看板があるわね。なになに……?『ようこそ丘の上の素敵なお城へ!どなたでもお気軽にお立ち寄り下さい』ですって
」
エディルアが、一番手前にあった大きな立て看板に近づいて、書いてある文字を読み上げた。
派手な装飾と共にデカデカと文字が書いてあるその看板曰く、このわけの分からない建物は『丘の上の素敵なお城』とやららしい。
ムカつく名前だ。
何が素敵なんだ。
他にも看板は沢山あって、見てみれば、そのどれもが派手な装飾と共に、デカデカと同じような言葉が書かれていた。
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お試しも出来ます』
『神秘の水とは……
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そんな、胡散臭過ぎる神秘の水の売り文句が書かれている。
ツッコミどころ満載だ。
マジスゴスギニンとか何だ。
300mLで銀貨十枚、つまり一本10万円もする水なんて、もうこれ以上無い程に怪しすぎる。
消費者センターに連絡するレベルである。
「神秘の水ですって。凄いわね」
「色々書いてありますね。何にでも効くそうですよ。本当でしょうか……?」
嘘だと思います。
きっとただの水か、そうで無きゃ危ない物が入った危ない水だ。
私には分かる。
分かりやすく胡散臭いのが逆に親切である。
「おじさん、こういうの見た事あるぜ……。シケた山奥の観光地なんか行くと、たまァにこういうのがあんだ……どいつもこいつも、クッソつまんねえの」
「タマちゃん殿はこのような建物を知っているのか……。私は初めて見たぞ……」
「ソフィア様がそう仰るのなら、きっと珍しい建物なのですね。見た目から分かりますが」
「入口あっちみたいだけど……どうする?」
そう訊ねてみた私だが、若干、行かない方が良いんじゃないかという気持ちになってきた。
離れた場所から眺めるだけで満足だ。
相変わらずテレテレ音が鬱陶しいし。
近づかない方が良いと言っていたあの店員さんは正しい気がする。
寧ろ、この場所は近づいてはイケない場所なのでは無いかとすら思えてくる。
複雑な表情を浮かべているソフィアやタマちゃんも、きっと私と同じ気持ちな筈。
私が帰ろうかと口を開きかけた時、看板を見ていたエディルアが振り返りテンション高く言った。
「行ってみましょう!何だか楽しそうだわ!」
と。
楽しそう……?
満面の笑顔でそう言うエディルアを見るに、私からすれば近寄りがたく、苛立ちすら覚えてしまうこのパラダイスが、ドラゴンお姉さんの眼には本当に楽しそうな物に映っているらしい。
相変わらず感性が私と少しズレている。
そんなエディルアを見て、苦笑気味に顔を見合わせた私達は、じゃあ行ってみようかと[入口こっち⇛]と書かれた看板の方へと向かった。
どんな事に出会えるか分からないから旅は楽しい。
否、人は、世界には自分が知らない事が沢山あるのだと確認する為に旅をするのかもしれない。
なら、きっと、どんなものとの遭遇も掛け替えの無い、大切なものになり得る筈だ。
一期一会とは良い言葉である。
この意味不明な建物が少しでも楽しいものでありますように。
近づくに連れて大きくなるテレテレ音を鬱陶しく感じながら、私はそんな風に思った。